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2008年12月19日 (金)

PURE ANGEL[第3章]最終話

最終話


「心臓の検査はしませんでしたが、やはりそのことが・・・」
今日は検診日ではなかったが、つくしはどうしても気になることがあって病院を訪れていた。
「今の時期は息苦しくなったり眠りが浅くなったりすることもあります
 7ヶ月から8ヶ月頃は心拍数がピークになりやすいので
 動悸がして熟睡しにくいといったこともありますが」
小野寺は穏やかな口調で言ったが、カルテに記入している時の表情は険しさが窺える。そんな小野寺をつくしは凝視していた。
「担当は中川原でしたか?」
「はい」
小野寺はつくしのカルテをさかのぼって捲る。

「今までとは違い、8ヶ月になりますと胎児は急激に成長していきます
 大きくなった子宮は内臓を圧迫して、そのせいで胃が持ち上がり
 一度に食べる量が減ったり、肺も圧迫されることもありますので
 息苦しさや動悸を起すこともあるでしょう」
つくしの頭の中では小野寺の話と自分の症状を照らし合わせるかのように考え込む。視線を泳がすつくしを小野寺は注視する。

「花沢様、出産する日までさまざまなことがあります
 これは通過点と思って下さい。今のところ胎児は順調ですので
 中川原から事情を聞いておきますので、心配なさらないように
 スマイルですよ」
そう言って小野寺は柔らかく微笑んだ。
〝スマイルですよ〟そう勇気付けても微笑んでも不安は減らない、取り除くことができない。

時間(とき)に流され自分を大切にしなかった報いがなぜ今なのか。
つくしは独り待合室の椅子に座り考え込む。


暫く俯いた後、つくしは頭を大きく左右に振った。
――あぁこのままじゃダメだ、みんなに心配かけちゃう、この子にも
   なんとかして浮上しなきゃ、あたしらしく
   〝病は気から〟そうよ、病は気からよ!
つくしは気をとり直すと背筋をピーンと伸ばし、凛とした瞳で出口に向かった。


「ただいま」
「若奥様、お帰りなさいませ」
花沢邸の玄関に角田と使用人が出迎える。いつもの光景だが、今日に限って角田と使用人はつくしの顔を見て酷く驚いた。
「若奥様、・・・髪、お切りになられたのですか?」
腰近くまで伸びた髪をパリから帰国して以来ずっと維持をしてきたつくしが、突然ショートヘアーの姿で目の前に現れたのだから、驚くのも無理はなかった。

そしてもう1人、目を真ん丸にして驚く人物がいた。
「つ、つくし、・・・どうしたの?」
「今のあたしには長い髪は必要ないから」
類はつくしの言葉が理解出来ずもう一度尋ねる。
「必要ないって、どうゆうこと?」

――以前、静がみんなの前で髪を切った
  私には煌びやかな服も長い髪も必要ないって
  静は未来に向かって自分の夢を実現させるために
  じゃあ、つくしはなんのために・・・、なんのために切ったの?
  何かイヤな胸騒ぎがする・・・・・・胸がざわめくのはどうしてだ

「つくし・・・」
「髪が長いと洗うのに時間がかかって体に負担がかかるの
 少しでも負担をかけないようにと思ってのことだから
 深い意味はないよ」
つくしは不安そうに見つめる類に気付き、不安を感じさせないように無理して笑顔を作って明るく振る舞った。

8ヶ月に入ったつくしのお腹はもう臨月近くを思わせるほど大きく張り出し、今ではひとりで入浴したり、足の爪を切ることでさえ難しい状態になっていた。なにしろ華奢なつくしのお腹の中には二つの命が宿っているのだから。


類はつくしが大きなお腹を抱えて大変そうな時はどんな時も気を使ってきたのに、まさか髪を洗う事さえ大変な作業だとは思ってもみなかった。
「そっかぁ~、負担かけちゃうんだぁ」
類の不安は取り除けたものの、別の意味で寂しさが込み上げてくる。
「類、髪なんて時間が経てば伸びるでしょう
 そうしたら類の好きな髪形にするから、今は我慢してね」
黒くストレートの艶やかな髪は自分の柔らかい髪質とは違って張りのある髪質だ。特に髪に指先を通した時の感触が最も好きだった類にとって、何の前ぶれもなくばっさりと切ってしまったことがちょっぴり不服であり寂しくもあった。

「類、そんなに残念そうな顔しないで
 ちょっと恥かしいんだけど、伸びるまでこれで我慢して、ね
 記念に撮ったの」
つくしはカバンから写真を取り出して類に差し出す。
B4サイズの写真には類の大好きな髪型で、類の大好きな笑顔がそこにあった。
「プッ!随分大きい写真だね」
この写真にはつくしの特別な思いと意味が込められていた。しかし、何も知らない類は愛おしいそうに写真を眺めている。そんな類の姿をつくしは複雑な心境で見つめた。


「性別教えてくれるって言ってたよね、つくしは聞きたい?」
「う~ん、知りたい半分、知りたくない半分、かなぁ~」
「名前考えるんだったら、性別知ってた方がいいんじゃない」
「そうだね。・・・でも、やっぱり聞かない方が良いかなぁ~
 この世に誕生した時の感動、感激が薄れそうだし
 当日の喜びとしてとっておくのも悪くないかなぁ~って。・・・類は?」
「つくしがそれで良いんだったら俺も聞かない
 一緒に感動したいからね」


人の運命
定めは
宿した時から決められているのだろうか
生命を受けた時から寿命は決められているのだろうか
誰もが知ることのできない
神の領域
死に直面したり目の当たりにして
人は初めて考える
自分のロウソクの長さを


「ねえ~類、どうしても一緒に入るの?」
「うん、・・・だめ?」
つくしの入浴時はいつも角田が付き添い入浴の手助けをしているのだが、何故か突然、類は角田の代わりに自分が付き添うと言い出した。
「だめじゃないけど、恥ずかしいじゃないこんな体見られるの」
「プッ!こんな体って・・・
 今日、病院でそのお腹しっかりと見させて頂きましたけど
 今更大きなお腹見ても驚かないよ」
「なんでまた急に・・・」
「超音波検査している時、モニターに映し出される赤ちゃんの手や
 足や顔を見ていたらなんか嬉しくなってきて、日替わりランチを
 直に手で触れて、目で確かめたくなった
 つくしのお腹が波打ってたみたいに、グニュグニュと動いてた」
9ヶ月に入ると羊水量も少なくなって運動が制限され、手やひじをムニュッと突き出したり足や膝で子宮壁をポーンと蹴ったりの動きをみせる。

「類、体見ても笑わないでよ」
類の決意は堅そうだ。諦める気配なしとつくしは断念した。
「・・・分かんない」
口元に手を当てて目を細めている。どう見ても笑ってるとしか思えない類に、つくしは頬を脹らませギリリと睨むが相手にしない様子。
癪に障るつくしは足早に部屋を出て行こうとすると、ちょうど角田がお風呂の準備が出来たと報告に来た。
「さぁ~入ろう」
類はさり気なくつくしの手をとりバスルームへと促す。
相変わらずにこやかに頬を緩める類につくしは溜息をつく。


類は浴槽の壁に寄り掛かり、つくしは類の胸に寄り掛かる状態となる。
類はつくしのお腹にそっと手を当てるとゆっくりと移動させた。
「ん?・・・あれ今、手にグニュッて当たった」
クスクスと笑う類の頬がつくしの頬をくすぐる。
「つくし、すごーい!グニュグニュ動きまくってる。・・・ほら、ここ
 あっ!こっち!こっちの方がすごい!つくし早く手・・・」
類にしては珍しく興奮状態だ。
子供が楽しそうに声を上げているかのように類の声が浴室に響く。

「おおー、すごーい、今盛り上がったよ。ここ、ここ触ってみて」
類はつくしの手を誘導する。
自分が感じたことをつくしにもと思うのだが、意地悪をしているかのように胎児の動きはそこにはなく、既に違う場所で動きをみせていた。なんといってもふたりの胎児が中にいるのだから、動きも半端ではない。
「ホント凄いね。これじゃ日替わりランチどころかフルコースじゃん」
「フフフッ・・・、感動した?」
「もちろん!こんなに感動したの・・・ウーン…3回目かな」
「あとの2回は?」

「最初は、仕組まれた見合いでつくしに会って、つくしが俺との結婚
 を承諾してくれた時。2回目は赤ちゃんができたって聞いた時
 そして3回目は、・・・今、この瞬間。・・・つくし、・・・ありがとう」
「・・・類・・・。無事に産まれてから言ってよね、ありがとうは」
「その時はその時、今は今で言いたいの。・・・・・・つくしは大変だよね
 赤ちゃんが20分位おきに眠ったり起きたりして
 その度にお腹の中で運動するんだからさぁ」
「うん。たまにねぇ、胎動が激しくて夜眠れないときがあるの
 でもこれは赤ちゃんが〝元気だよ〟っていう証拠だから
 我慢できるんだけどね」

「今しか体験できないんだよね、これってすごく貴重なことだね」
「フフフッ・・・、少しは父親の実感がわいてきた?」
「うん。お腹の壁があるけど、こうして赤ちゃんに触れられるし
 つくしはつらいだろうけど、双子で良かった
 俺ひとりっ子だろ、正直いうと、結構寂しい思いしたんだ」
「そっかぁ~、F4の中で類だけだもんね
 この子たちはどうなるのかなぁ~」
「クククッ・・・、こんなに動くんだから陣地争いしてるんじゃないの
 ひとつのお腹に2人いるんだから、狭くて兄弟喧嘩してるとか・・・」
「そうかもね」

「あっ、そうそう、俺が爪切ってあげる」
「類が?」
「そう。俺指先器用だし、今しか出来ないことなんでも体験したいし
 それに、俺に出来ることはなんでもつくしにしてあげたいから」
類はそう言って微笑んだ。
類は恥ずかしさも照れもなく素直な気持ちをつくしとまだ見ぬ我が子にぶつける。大切に想うものができたときの喜びや希望はこうも人を素直にさせ、生きている実感を露にさせて万感が現れるのか。

「俺が早く帰って来たときは、一緒にお風呂だからね」
「考えておく」
「だめ、もう決めたから」
最初は体を見られるのがすごく恥ずかしかったが、胸の内を明かす類に心耳しているうちに恥ずかしさなどすっかり忘れ、むしろ一緒に入って良かったと思うつくしだった。
愛する者の腕の中に包まれ、類の深い愛情に包まれていることを実感する。また、それは今もこれからも変わらないであろう純然なものだと。

――手放したくない、この幸せを手放したくない
  類、あなたの傍にずっといたい
  この幸せが永遠であってほしい
つくしは心底から強くそう願った。


北国からの便りでは、辺り一面真っ白な雪景色へと変化し、クリスマス一色となった街では、寄り添った男女が愛を語り合う姿が多く見られる。大通りの店舗や街路樹にはたくさんのイルミネーションが飾られ、夜になると虹色の輝きを放って幻想的な雰囲気を醸し出していた。

「はい、プレゼント」
帰宅した類は自室に入ると直ぐに手にしていた物をつくしに差し出した。
「見てもいい?」
「うん、開けてみて」
綺麗にラッピングされた包装紙を丁寧に開いていくと、大、中、小と三段に重ねられたフォトフレームとフォトスタンドが現れた。
「つくし、どれに何を入れるか決まってるからね」
「もしかして・・・、また予約済みってやつ?」
「そう、予約済み。2枚入れられる中くらいのやつは赤ちゃん用で
 一番小さいやつは俺とつくしと赤ちゃん用で、家族の写真
 大きいやつは、・・・まだ内緒」
楽しげに話す類の頭の中には、既に飾られる写真のイメージが描かれているようだった。

パリにいた頃のつくしは、茜の友人や仕事関係者などの自宅に度々招かれていた。どの家もフランス特有の優雅な彫刻が施され豪邸ばかりで、装飾品の数々もまばゆいばかりの輝きを放っていた。
そんな豪邸で一番つくしの目を惹き付けたのが、無数に飾られた写真たちだった。暖炉の上、サイドテーブル、廊下や階段などの壁、どこに移動しても常に視界に入ってくる愛する家族の写真。何世代にも渡って受け継がれていく愛しい人たちの容姿、思い出、歴史が写っていた。
外国では当たり前のように行われるスクラップブッキングにつくしは物凄く感動を覚えた。特に類と離れ離れの生活を送らなければならない時期だっただけに、深く心に焼き付いたのだった。
離れ離れになっても一番身近に感じる方法として、お守りとして・・・。
それ以来、つくしと類は記念日や筋目の都度、写真を撮ってはフォトフレームやフォトスタンドに飾るようになった。2人の財布や手帳の中にも、お互いのお気に入りの写真を数枚忍ばせてある。

「類、赤ちゃんの写真、財布に入れる気でしょう」
「当たり前でしょ、これ以上のお守りはないからね」

2人はこれまで撮った写真を眺める。
4年間の思い出に、4年間の歴史に目を細めて懐かしむ。
そして、まだ見ぬ我が子の写真が飾られるであろうアルバムを手にして、何時でもどんな時でも家族とのつながりを感じていられる写真が家に飾られ、未来に歴史が語られ続けていくことを2人は夢見ていた。


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2008年12月14日 (日)

PURE ANGEL[第3章]第14話


第14話


5ヶ月に入り定期検診では胎児の動きがはっきりと分かるようになり、つくしの体つきの変化も顕著になってくる。お腹は勿論だが胸も大きくなってきた。

「つくし、体の方はどうなの?」
「うん、今はなんともないよ。赤ちゃんも順調だって」
「そう、良かったわ」
ママの呼び出しでつくしは実家に来ていた。

「つくし、こっちに来て」
「なに?」
「お腹出してごらん」
「・・・えっ?なんで?」
「いいから早く」
つくしは戸惑いながらもぽっこりと突き出たお腹を出した。ママは袋から出したばかりの真綿らしい白い布をつくしの腹部に巻きつけていく。

「戌の日に腹帯を巻くと安産になるのよ
 きつく巻きすぎず、手の平が入るくらいにゆったりと巻くといいの」
「へえ~。じゃあ、今日は戌の日なんだ」
「そうよ、昔はこして安産を願って戌の日にサラシを巻いたんだから
 今はコルセットとか腹巻みたいな物があるから便利になったけど」
「これ巻いたらなんか楽になった気がする」
「少しはお腹の重みや腰の痛みが減るから
 体調を考えて毎日着けているといいわよ」

5ヵ月にしてはずいぶんとせり出たお腹は腰に負担をかけ、時折腰痛を感じさせていた。サラシを巻いたことによって少し腰痛が和らいだつくしは、テーブルの前にドカッと腰を下ろしてお茶とおかきを貪る。一向に手を休める気配のないつくしを見て、ママはおかきを取り上げた。
「食べ過ぎはダメよ!太ってもなんの得にもならないんだから
 あっ!つくし、もう6時過ぎてるわよ
 花沢さん帰って来てるんじゃないの」
もう少しだけ、なんて考えていたつくしにママは
「あんたの居る場所はここじゃないのよ、帰った、帰った」


「角田さん、今日のご飯は何?」
厄介払いのようにママから追い出されたつくしは花沢邸に戻るなり、ダイニングに直行しテーブルに座って楽しそうに角田に声をかけた。
ここ2週間、夕食のメニューを聞くのは恒例となったつくしに、角田はいつもの柔らかい笑みを向けて答える。
「今日は乳製品たっぷりのグラタンをお召し上がりください」

つくしが検診に行く度に医師から注意やアドバイスなどを受けてくる。そして数時間後にはその内容と経過などを記載したものが花沢家にファックスで送られてくる。つくしが貧血で倒れたのがきっかけだが、過去のつらい体験を教訓に葵が医師と相談して決めた事だった。

今回の検診で花沢家に送られてきたファックスの内容は以下。

①太り過ぎに注意
太り過ぎは難産のもと、太り過ぎると妊娠中毒症や糖尿病を招いたり、巨大児や逆に低出生体重児が産まれる可能性があります。
②ストレスに注意
ストレスを受けると副腎皮質ホルモンが分泌され、それが胎児にも影響を与えます。長時間ストレスにさらされないこと。
③カルシウムを多く摂る
胎児の骨や歯の形成、母体の骨や歯のバックアップや情緒不安定にも一役買ってくれます。タンパク質といっしょに摂ると吸収が良くなります。
お腹は標準よりも大きいですが問題はなく母子共々、順調でございます。
新東京医科大付属総合病院 小野寺 蓮


「若奥様、若旦那様がお帰りになられました」
使用人の知らせにつくしは小走りで玄関に向かう。
笑顔のつくしに類もにっこりと微笑む。一日の疲れが飛ぶ瞬間でもある。
「類、お帰り」
「ただいま」
「ねえ~類、着替えは後にして先にご飯食べよ~よ」
つくしは待ちに待った類の背中を押すようにしてダイニングへと足を運ばせようとする。
「つ、つくし、分かったからそんなに押さなくたって・・・」
類は呆れながらもダイニングテーブルの椅子を引いてつくしを座らせ、自分も席に着いた。直ぐにグラタンが運ばれ、つくしは熱々のところを頬張る。

「クククッ・・・、相当お腹空いてたみたいだね
 先に食べてたらいいのに」
類は頬杖をついて幸せそうに食べるつくしを満足そうに眺める。
「だ、だめ、・・・一緒に・・・食べるから、おいしいの」
つくしの口先からは蒸気が出ている。
「そんなに焦って食べたら舌火傷しちゃうよ」
「だ、大丈夫だから・・・、見てないで類も食べなよ」
「食欲が戻ったみたいだね」
「うん、最初の3ヶ月はつらかったけど、もう平気」

食欲がなくて口にしても直ぐに嘔吐し、顔色がすぐれない毎日だった。体重も減って空元気さえ出せなかったつくしを見ているのがどんなにつらかったことか、そのことで類は一時期悩んだ。こんな思いをさせてまでも子供を望んで良いものかと。でも、今はこうして目の前で元気に笑っていて、心底から憂慮したことなど忘れるくらい生き生きとしたつくしがいる。

物事は本当にジェットコースターのようだと思う。
安心もドキドキも一対で、永遠に続くことはない。


「つくし、今日は俺ひとりで行くから」
「・・・え、どうして?」
「そのお腹で正座するのキツイだろ?だから」
「ううん、あたしも行く、行ってちゃんと報告したいの
 あなたの兄弟ができたのって、・・・だから絶対に行くよ」

今日は7月25日 3歳の誕生日(3回忌)

身ごもった慶びに浸る間もなく母体から切り離された胎児であっても、つくしはどうしても報告したかった、家族の1人として。


類とつくしは仕事を早々と切り上げてお寺に来ていた。
和尚のお経が本堂に響き渡る中、類とつくしは手を合わせてそれぞれの思いを伝える。何年経っても我が子、新たに宿した子と同等に思う気持ちに変わりはないと。

3回忌を滞りなく済ませた後、つくしは和尚に妊娠したことを伝えた。和尚は身内のように慶んで祝いの言葉をかけ、そして不思議な話をした。
「あの世にいる子と、お腹にいる子は通じ合っていますよ
 いつか巡り合う時がくる。そして、まだ見ぬ子とあなた方を
 引き合わせようとしてくれるでしょう」


レストランで祝いを済ませた2人は自室のソファで仲睦まじく肩を寄せ合っていた。
つくしは大きなお腹に手を当てながらしみじみと言う。
「ねえ~類、この子が世に出るまで約280日間をあたしの中で過ごす
 でしょう。それって、一生のうちでほんの短い時間なんだよね」
類もつくしのお腹に手を当てて愛しそうに見つめる。
「そうだね。その短い時間も、もう半分が過ぎたんだね
 つくしはこの子と共有できるけど、俺には何もない
 母親ってある意味、ズルイね」
「フフフッ・・・。類、もしかして拗ねてる?」
「だって産まれるまで俺の出番は少ないし
 つくしみたいに身体が変化していくわけじゃないし
 父親の実感とか・・・」
「そうだね、男も妊娠できる身体に進化すればイイのにね」
何気なく言ったことだったが、自分が言ったセリフにつくしの頭の中ではどんどん想像やら妄想やらが脹らんでいき、ひとりニヤニヤと笑みを浮かべる。

「つくし、気持ち悪い。何想像してんのさ」
「だって可笑しいんだもん
 もし類が妊娠してその辺を散歩してたとするでしょう
 近所のおばちゃんが
 〝あら~今回は旦那様がおめでたですか?うちも旦那がそうなのよ〟
 オッホホホ・・・、なんて会話が平然と交わされるんだよ」
「プッ!ハハハッ…、それ可笑しすぎ。ハハハッ・・・」
「でしょ!それにこんな大きなお腹になったら男の人は何を着るの
 妊娠期間中だけに許される、スカート?・・・ワンピース?」
「つ、つくし・・・、俺・・・ダメ・・・、ハハハッ・・・
 それ以上言うと・・・、笑い死ぬ・・・、ハハハッ・・・」
ツボにハマったらしい類は腹を抱えて笑った。

愛する人が傍にいてその人が心の底から笑っていることと、自分のお腹には愛する人の子供がいることが、つくしは〝今〟の幸せを感じずにはいられない。


6ヶ月目に入るとつくしのお腹はまた一段と大きくなり、体全体の重心が中心より前方にずれてきた。腰痛や背中の痛み、太ももの付け根がつったり、脹脛がこむら返りを起したりと小さなトラブルが発生してきた。
「つくし、今日で仕事終わらせたんでしょ」
「う、うん」
Qプロジェクトが組まれ様々な視点からの調査を始めて4ヶ月、つくしはこれまでの内容をまとめて最終報告書を提出した。
本来は8ヶ月頃まで勤務する予定だったのだが、予想以上のお腹の大きさと残暑の厳しさでつくしの身体を考慮した結果だった。

「どうしたの?・・・どっか痛い?・・・気分悪い?」
元気のないつくしを見て心配した類が声をかけた。
「なんかさぁ~、仕事が今日で終わりかと思うとさぁ
 定年を迎える日ってこんな感じなのかなあ~って、・・・なんか寂しい」
「プッ!定年って、つくしは産休でしょ。心配することないよ
 それに俺たちには定年なんてないから、好きなだけ仕事ができるよ」
そう言って類はつくしの背後からそっと抱き締めた。
つくしの手に自分の手を重ねて耳元で囁く。
「つくし、お疲れさま」
つくしは明日から産休という形で自宅で過ごすことになっていた。

「今日はどんな感じ?・・・どれくらい動いた?」
自分も赤ちゃんを感じたいのか、類はつくしのお腹に手を当てながら毎日のように同じ質問をする。
「類、日替わりランチじゃあるまいし、そうそう変わらないよ」
「ふ~ん、そうなんだ
 8ヶ月ぐらいになったら、つくしがいう日替わりランチになる?」
「う~ん、どうだろ?そうなるかも」

「ねえ~母子手帳はあるけど、どうして父子手帳はないの?」
平然と言う類の言葉につくしは暫し呆然、そして頭上には?マ-クが浮かぶ。
――父子手帳?
   どっからそんな発想が出てくんのよ

もし父子手帳が存在するならば、どのような項目でどのような内容なのだろうか。もし父子手帳を手にしたら、妊婦と同様に父親の実感を噛み締めることができるのだろうか、身近に感じることができるのだろうか。

「もし、父子手帳があったとしたら、類は何を記入するの?」
「うーん、・・・そうだなぁ~、・・・・・・その時々の感情や思いかなぁ」
「・・・感情?」
「うん、つくしの手帳には母体と胎児の健康状態や成長などを記入
 していくだろ。俺の手帳には、その時に思ったことや感じたこと
 を記入する。楽しいことや困らせたことなど、日記のようにね
 超音波や3Dエコーで撮った写真を月別に貼って
 〝まだ見ぬ我が子のアルバム〟って感じかなぁ」
「小さい頃ね、パパがよく柱に立たせて背丈を計ってはその柱に
 線をひいてたの。類がいう手帳もそれと同じようなもんだね
 その時々の思いが詰まってる」

産まれてからの成長記録は様々な方法で残す事ができる。また、瞳に映すことによって成長していく様を記憶として残すこともできる。しかし、母体にいる胎児の成長記録を残す手段は少ない。
3Dエコーで撮った写真と母体のお腹が大きくなっていく様子でしか分からないことが、類にとってとても残念でもどかしくもあった。


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2008年12月13日 (土)

PURE ANGEL[第3章]第13話

第13話


14週目に入り、つわりから少し解放されてきているものの気分は優れない。連日のように降り続く雨が更につくしの気分を阻害していた。
つくしが寝ているベッドに類は腰を下ろすと、外の天気とは裏腹に清々しい笑顔を見せる。
「つくし、これ角田さんが持って来たんだけど、・・・今、飲む?」
つくしの体調を考慮して、角田はのど越しの良い物を毎朝作ってはベッドサイドテーブルに置いていた。モーニングシックネス対策の一つである。
つくしはだるそうに上半身を起こしてスープを少しずつ胃に収めていく。

「ねぇ類、総二郎たちは何時に来るって」
「11時頃って言ってた。まだ時間あるからゆっくり休んでて
 体調が優れないんなら無理しなくていいんだよ
 総二郎たちだったらいつでも会えるんだから、ね」
つくしはコクンと頷くと、また温もりが残る布団へと潜り込んだ。


3時間後
雨音が激しくなる一方で、その音とは明らかに違う雑音が玄関の方から聞こえてくる。その雑音の出所は滋の奇声であり、つまりは総二郎と司とあきらの訪問を知らせるサインとなった。角田はみんなを客間に通すのだが、滋だけは「つくし!」と声を張り上げ客間を素通りして奥の方へと足を進める。滋の別行動に客間に入ろうとしたあきらが慌てて声をかける。
「おい!滋!どこに行くんだよ」
「ちょっと探検!」
爛々とした瞳で落ち着きをなくした滋の姿はもはや見えない。
あきらは大きな溜息をひとつついた。

「ありゃダメだな。つくしのことになると見境ねえからな」
呆れ顔で言った総二郎の脇で、司もまた呆れ顔で口を開く。
「ったく落ち着きねえ女だぜ」
「今日つくしに会えるのすっげー楽しみにしてたんだよ
 つくしに子供ができたって聞いた時の滋、すげー泣いてさ
 自分のことのように嬉しいって何度も言って
 だから滋の気持ちも分かるんだ」
呆れ顔で言うあきらだったがどこか切なさが入り交じる。
そんなあきらを見て総二郎と司は仕方がねえなって表情を見せた。

〝結婚して2年間は子供をつくらない〟
滋があきらに言ったことをみんなは知っていた、類とつくしを省いては。

〝気にすると余計つくしがつらくなる〟と類は言ったが、滋は負い目を感じていた。また、つくしに諦めて欲しくなかったのと、幸せそうに子供を抱く姿を見せたくなかったのだ。だから滋は2年間に賭けた。
そんな状況下で突然の朗報が舞い込み、慶ばずにはいられない状況をみんなも理解していた。


客間で総二郎と司とあきらが他愛のない話しをしているところに、類とつくしが入って来た。つくしの顔を見てみんなの体が一瞬フリーズする。
「お、おい、具合悪いのか?」
司が最初に声をかけた。
「ううん、大丈夫。寝起きだからなんかボーッとしちゃって」
「ビックリさせんなよな、・・・ったく、ヒヤヒヤしたぜ」
安堵の溜息をつく総二郎。
「でもまだつわりが酷いんだろ?無理すんなよ」
さり気なく労わりの言葉をかけるあきら。
「うん、あきらありがとう。気分悪くなったら横になるから」
「なんであきらだけなんだ?」
不服そうな顔付きで総二郎が呟く。
「・・・えっ?・・・何が?」
「あきらにありがとうって、俺らだって心配してんのによ。なぁ司」
「・・・ああ?なに総二郎むきになってんだ」
「クククッ・・・、総二郎も言ってほしいの、ありがとうって」
「別に、俺はただ・・・」
「総二郎、司、心配してくれてありがとう」
照れくさそうに頬を緩める総二郎、その隣で司はキョロキョロと辺りを見渡す。
「つくし観葉植物好きだったよな。俺イイもんみつけたぜ
 もう届いてると思うんだけどよ・・・。サンスベリアっていう植物で
 マイナスイオンを出して空気を綺麗にしてくれるやつだ
 デカイの欲しかったんだけど、これがなかなかねえんだよ」
「もしかして司、それって俺の背丈ぐらあるやつ?」
「おお、それだ」
「類の背丈って180あるんだぜ、それよりデカイのったら化け物だろ
 大体にしてサンセベリアって60センチ位が普通だろうに」
「そうなのか?俺はでかけりゃでかいほど綺麗な空気出すと思ってよ」
「フフフッ、司ありがとう」

「ところで、滋見なかったか?」
思い出したようにあきらが尋ねる。
「そう言えば声がしてたけどまだ・・・」
「俺は見てないけど」
「ったく、あいつ何処に行ったんだ?」
またしても総二郎は呆れた様子。

暫くすると楽しげな表情で滋が戻って来た。つくしの姿を見るなりいつもの如く手加減なしで抱き締める。普段ならみんなも微笑んで眺める場面だが、今のつくしには耐えられる状況でもなく苦しげな表情も一段と増す。
それを見た男4人は顔を蒼くして一斉に叫んだ。
「「「「しげる!やめろーッ!」」」」
滋は咳き込み息を荒くするつくしに謝ると、身体の異常はないか確認をとる。特に問題はないと分かった男4人は虚脱と同時に安堵の溜息が漏れる。


「お食事の用意が整いましたのでダイニングの方にいらして下さい」
角田が知らせに来た。
一同は場をダイニングに移してテーブルに着く。
脂っぽい物や匂いのきつい物を避けるため、昼食は懐石料理となった。
滋は目を輝かせて料理を見渡した後、視線は一点に集中し不思議そうな顔をする。
「ねえ、なんでつくしのだけ違うの?」
「ああ、そう言えばなんでだ?」
「なんでだって言うか、何だそれ?」
あきらが指差した料理をみんなは怪訝そうに見るなか、類とつくしは顔を見合わせてクスッと笑う。
「あきら、聞かないほうがいい。取りあえず食べよう」
納得いかないといったような顔をしながら食べ始めるみんなを、類は暫くの間笑っていた。
スープを2、3度口に運んだあたりで視線を感じたつくしは顔を上げて見ると、司、総二郎、あきらと目が合う。暫くの間つくしは3人の視線を気にしながら瞳だけをキョロキョロと動かし料理を口に運ぶ。そんな様子を類は楽しそうに眺めた。滋だけは一心不乱に料理を頬張り、誰よりもいち早くケーキに手を伸ばしていた。


食後、紅茶やコーヒーなどそれぞれ好みの飲み物を口にして寛ぐ。
「さっきのスープなんなんだ?」
あきらは気になって仕方がないらしい、いや司も総二郎も気になってるようだ。つくしが返答に困っていると代わりに角田が口を開いた。
「レバーを裏ごしして生クリームを合わせたものです
 本当なら新鮮なレバーを生で召し上がって頂けるとよろしいのですが」
大の苦手なレバーと聞き司とあきらと総二郎はしかめっ面をし、勘弁してくれといった雰囲気で顔を背ける。つくしは苦笑いをし、類と滋はその様子を楽しんでいる。
「類様、皆様もあまり若奥様を困らせることはなさらないように
 今が一番大切な時期ですので・・・
 今度倒れたら大変なことになり兼ねませんよ」
角田はいつになく強い口調で言うと部屋を出て行った。


〝今度倒れたら〟この言葉を耳にした途端、部屋は一気に静まり返る。
「ちょ、ちょっと角田さん、オーバーなんだから」
つくしは顔を引きつらせながら都合悪そうに類に視線を飛ばす。
みんなの頭中には3年前の悲劇が浮かんで緊張が走る。特に司はつくしの悲痛な顔が鮮明に蘇った。
「どうゆうことだ、今度倒れたらって
 ただのつわりじゃねえのか?」
険しい顔付きで司が聞く。
みんなは緊張した面持ちでつくしを凝視し、息を呑んで言葉を待つ。
つくしは急に緊迫した空気に圧倒されて言葉が出てこない。それに気付いた類が代わりに口を開いた。
「4日前、つくしが-------------」


つくしはダイニングの椅子に腰掛けようと手をかけた時にめまいに襲われ、膝を床に落とすと同時に下腹部の痛みに襲われた。幸いにもその場に角田や使用人が数名居合わせ、また珍しく早い時間に帰宅した類もその場にいたため直ぐに病院に行くことができた。
「花沢様、分かりますか?」
朦朧とするつくしに小野寺が声をかける。
運良く担当医の小野寺がまだ病院に残っていた。聞き覚えのある声につくしの意識は徐々に戻りつつあった。

胎児の様子を見るために超音波検査が行われた。
類は医師の邪魔にならない位置に立ってつくしの手を握り締める。
「花沢様、胎児には異常は見られません」
つくしと類はモニターを見つめる。
黒い風船状の中に白く丸いものが映る。見た目では決して胎児とは分からない、想像もつかない姿だが、無事にお腹の中で成長していることに類とつくしの胸を熱くさせ感動させた。

「お腹が張りませんか?」
「はい、ここ3日間、お腹が張ってチクチクするんです」
「便秘に気をつけて下さい。めまいは貧血によるものです
 繊維質の多い野菜、海産物と鉄分たっぷりの食事を心がけて下さい
 母体が健康でなければ胎児に影響がでないとも限りませんからね」
「はい、気をつけます」
「何かありましたら検診日に関わらずいらして下さい」


話を聞き終えたみんなは一時の緊張から解放された。
苦しそうな顔で身体を丸めるつくしは傍に誰かがいたから大事には至らなかったものの、もしあの時、誰もいない場所で連絡も満足にできない状態にあったらと、類は今更にしてゾッとするのだった。
「なぁ、それってさ単なる便秘ってことじゃねぇのか?」
「ちょっと!ニッシー、分かってないわねぇ、便秘って
 ものすごーくつらいんだよ。ましてやつくしは妊婦なんだから
 あのレバーは貧血予防ってことね」
「だからあのとき類が言わなかったんだ」
「そう。あきらたちがレバー嫌いだってこと知ってたし
 それにあきらは神経質だし、これから食べるって時に
 言う話じゃないでしょ」
「んで、今はどうなんだ?大丈夫なのか?」
「うん、だいぶ楽になった。みんなに心配かけてゴメン」

2年前まではポーカーフェイス、巧言令色だった総二郎も今では感情が表情にストレートに出ることが多くなった。あきらは本来持っている優しさ、気遣いがより一層発揮されるようになった。司はスケールのでかさや大胆な行動は相変らずだが、人の痛みを知ったことにより相手を思いやる気遣いが多くなった。
つくしの存在が彼らに何らかの影響を与え、心は日々変化し成長していた。


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2008年12月12日 (金)

PURE ANGEL[第3章]第12話


第12話


新東京医科大付属総合病院から出たつくしは小田が待つ車に乗り込んだ。
「つくし様、何かイイ事でもあったのですか?」
「・・・えッ?」
1時間ほど前に病院に向った時とは明らかにその表情が違っていることに気付いた小田は、バックミラー越しに声を掛けた。
「先ほどまでとは違い、ずいぶんと顔色がよろしいようで・・・
 それに嬉しそうにしてらっしゃいますから」
「ああ~。・・・小田さん、人生何があるか分かりませんね」
「・・・はッ?」

「欲しいものがこの手に掴めそうなんです、3年目にしてようやく」
――3年目?・・・3年と言えば・・・
小田はその数字に心当たりがあった。
「・・・もしかして・・・、つくし様・・・」
「小田さん・・・」
つくしは微笑で頷いた。
「類様がお聞きにられたらどんなにお歓びになられることか・・・」


その夜
類の帰りを待つ間つくしは部屋で懐かしい写真を眺めていた。
真っ青な空の下でたくさんのバラの花が咲き誇るパリの黒崎邸の庭で、類とつくしが満面の笑顔で撮られた17年前の写真。

――類の涙が消えるまで手を繋いで庭中を歩き回ったんだよね
   瞳から涙が消えたとき・・・ビー玉みたいな瞳が輝いてて
   ニッコリ笑った類の顔が可愛くって・・・羨ましかったなぁ~
   これが生まれて初めての笑顔だなんて、お母さんも感動するよね
「フフフッ・・・、ホント懐かしい。・・・・・・それにしても遅いなぁ
 フフフッ・・・、類どんな顔するかなぁ~?なんて言おっかなぁ~
 類みたいにナゾナゾ・・・うーん、意地悪風も良いかもねえ~」

類の驚いた顔が見たい一心であれこれ考えていると、待ち人の声がする。
「つくし、ただいま」
ニッコリと微笑む類の顔を見てつくしは勢い良く抱きついた。先程までの思考はどこかに吹き飛び嬉しさが先走る。
「つくし、どうしたの?・・・何かあった?」
瞳を滲ませて突然抱きつかれる行為に戸惑いを覚える。最近のつくしの体調を気にしていた類だけに、つくしの行動の真意を図りかねた。
「つくし?」
類はつくしを胸から離すと顔を覗き込んだ。

つくしは嬉しさで緩んだ顔で涙目の視線をゆっくりと類に合わせる。
「できたの、・・・・・・類・・・できたの」
「できたって、何が?・・・抱きつくくらい嬉しいことなの?」
今進めているQプロジェクトは思ったより順調に事が運んでいると、早朝嬉しそうに話してくれた事を思い出す。だからQプロジェクト関係の事だろうと勝手に思い込み、上着を脱いでソファに腰を下ろした。

「院長との対話、うまくいったみたいだね」
「・・・うん、すごく優しい院長でさぁ・・・って、それもあるけど・・・
 今言いたいのは・・・、赤ちゃん、・・・・・・赤ちゃんができた」
「誰に?」
「・・・あたし、・・・あたしに赤ちゃんができたの」
「ふ~ん・・・・・・えッ?」
他人事のように聞いていた類はネクタイを緩める手がピタリと止まる。

数秒フリーズした後、慌ててソファから立ち上がりつくしの手を取って聞き返した。
「今、なんて言ったの」
つくしの言葉ははっきりと類の耳に届いていた。それでももう一度確かめずにいられなかった。
「あたしに赤ちゃんができたの」
子供を諦めていたわけではなかったが、妊娠する可能性が低いことで期待は薄かった。現に3年もの月日が流れ、その過ぎた時間が余計に子供に恵まれる期待を薄くしていた。そんな現状で聞かされた朗報は予想していなかっただけにあまりにも衝撃的だった。

「つくしのこのおなかの中に俺たちの子供が・・・・・・俺嬉しすぎる」
優しくつくしのおなかを摩る類の手の上に、つくしも自分の手を重ねる。慶びに高鳴る鼓動を感じながら、何事にも代えられない幸福感を2人で分かち合う。
感動、感激のあまり類の目頭は熱くなり、つくしの頭に頬を寄せて再び慶びを噛み締める。
「俺の人生の中で、この日があるなんて・・・
 ・・・・・・つくし、俺嬉しいよ、嬉しい」
「類・・・」
類の震える声を聞いて、つくしは胸がいっぱいになる。愛する人の子供を身篭り女として生まれた慶びが涙となって溢れ出す。
「つくし・・・、ありがとう」
類とつくしにとって今日という日は忘れられない大切な日となった。

ひとしきり慶びを分かち合った後、類はつくしの手を引いてソファに座らせて妊娠に気付いた経緯を訊ねる。
「そ、それはねぇ・・・」
つくしは照れくさそうに語り始めた。


「花沢様、こちらの部屋で看護師の指示に従って下さい」
つくしは小野寺に促されるまま移動し看護師の指示に従う。
体重、身長、血圧、尿、採血、問診と健康診断とかわらないいつもの流れ。それらの検査に加えて超音波検査も行われる。超音波検査とはいっても、毎年行っている検診の項目の1つに過ぎない。
ここの科は産婦人科だということをすっかり忘れていたつくしは、何の違和感も覚えず看護師の指示に従っていた。
お腹にたっぷりと塗られたジェルの上を小野寺の手がゆっくりと動き回る。それに連動してモニターに映し出される映像は、小さいながらもはっきりとその形を映し出していた。

検査が一通り終わって身支度を整えて終えた頃、小野寺はやって来た。
「9週目です。おめでとうございます」
小野寺は微笑んでそう告げた。
つくしは暫し言葉もなく呆然となる。

「・・・・・・9週目・・・・・・、えっ?・・・・・・それって・・・」
「妊娠9週目ですよ、気付きませんでしたか?」
諦めていた妊娠。
「ぅそ・・・・・・本当ですか?・・・先生、本当にできたんですか?」
信じられないといった表情で声を震わせるつくしに、小野寺は微笑んで頷く。
「私はこのようなことでウソは申しません」
3年という長い月日がそう思わせても仕方がなかった。それだけに驚きと慶びで感情は高まり、自然と涙が溢れた。

「花沢様、安定期に入るまでは何がなんでも気をつけてくださいよ
 赤ちゃんを守れるのは母親だけなんですから」
3年前に流産した時の主治医が小野寺だった。事情を知っているだけに強い口調となる。
「はい。今でも3年前のことは忘れていません
 たぶん、これが最後のチャンスかもしれない
 私は絶対にこの子を守ります」
毅然とした態度をとるつくしに小野寺は柔らかく微笑む。

「昨日、花沢様が倒れたのは〝妊娠しているせいじゃないのか〟
 〝きっと本人は気付いてないだろう〟って院長が話してました
 それを裏付けるために今日の検査に至った訳です
 院長はあれでいてけっこう勘が鋭いんですよ。」
「そうだったんですか、それで今日。……さすが院長ですね」
小野寺はおかしそうに笑った。
院長だからなのか、自分の体なのに異変に気付かないつくしがただ単に鈍感なだけなのか。

「吐き気がしたり体がだるくても、妊娠なんて全然頭になくて
 もう子供はできないと思っていましたから・・・」
「この時期はまだお腹の赤ちゃんはそれほど栄養を必要としないので
 食べられる物を少しずつ摂ってください
 あまり神経質にならないように。モーニングシックネスといって
 朝起き抜けが辛いもの。取り敢えず胃の中を落ち着かせると楽に
 なりますので、枕元に飲み物や軽く食べれる物を用意しておき
 ちょっと口にして起き上がると良いでしょう」
「あっ・・・書いておかなきゃ・・・」
つくしは慌てて鞄から手帳を取り出し小野寺の話を聞きながらメモをとった。
「自律神経のバランスが乱れやすくなりますので、頭痛やイライラに
 悩まされることもあります。息抜きをしてストレスを溜めないように
 胎児と母体は一体ですので、影響を及ぼすこともありますから」
「はい、分かりました、気をつけます」
「院長には私から話しておきますので、お気使いなさらずに」
「有難うございます。院長に宜しくお伝えください」
小野寺とつくしは微笑み合った。
我が子の顔をを見ることを諦めていたつくしにとって妊娠は、人生で最大の慶びと希望を齎した。


諦める
人はなぜ諦めるのか
諦めなければ次に進めないから
前進できないから
現実を受け止めたとき
受け入れたとき
重圧を解き放つために・・・
でも諦めたときは自分との闘いを放棄したも同然
諦めを微かな希望に変えたとき
人の人生も変わるのかもしれない
諦めると誓いながら
人は微かに希望を抱いているのも現実だ


「つくし、どうしたの?」
結婚式以来、両親とは一度も会っていないつくしが何の連絡もなしに突然訪問してママは驚く。
「うーん・・・、今日はね・・・」
「ちょっとあんた!
 まさか花沢さんと喧嘩なんかしたって言うんじゃないでしょうね」
「はぁっ!違うって。今日はママに報告しに来たの」
「報告?悪い話だったらママ聞かないわよ!」
「なっ!・・・・・・できたの、赤ちゃんが」
「誰に?」
「誰に・・・って・・・」

つくしは照れくさくてハッキリ言い出せずにいると、ママはみなまで言うなとばかりに勝手な思い込みで話を進める。
「良かったじゃない。・・・滋さんに赤ちゃんが・・・そう…」
嬉しそうに言って自分の前にお茶を差し出すママに唖然となる。
――そうじゃないんだってば・・・、ママたっらもう・・・
「で、今何ヶ月なの?」
「はぁ?」
「はぁ、じゃないわよ。滋さんは・・・」
「ママ!できたのはあたし、あたしにできたの!」
お茶をすするママの動きが止まる。

数秒後、ママの猛獣のような雄たけびが家中に響き渡った後、マシンガンのように問い詰められる。
「あんたに子供ができたの!?本当に本当にできたの!?
 間違いじゃないわよね!?想像妊娠ってこと、ないわよね!?」
照れくさそうにコクンと頷くつくしを見てママは一気に慶びの表情に変わり、その瞳にはうっすらと涙が滲んでいた。
「つくし、良かったぁ~、良かったね。・・・おめでとう!つくし
 このこと花沢さんは知っているの」
「うん、妊娠って分かった日に話したよ
 次の日に類のお母さんにも報告した
 すごい喜んでた、当然といえば当然なんだけど」
「そりゃあそうよ、普通に子供ができても嬉しいのに
 ましてやあんたの場合は特別なんだから、嬉しさも倍増するでしょ
 ・・・・・・そう、できたのね、ホントよかったわぁ~」

ママは安心したようにお茶を一口飲み、また言葉を続けた。
「パパが聞いたら腰抜かすわね・・・フフフッ・・・
 お友達に話したら皆さん驚いてたでしょう
 そういえば滋さんのところはまだなのかしら?ねぇつくし」
「みんなにはまだ言ってない、これから報告するところ」
「きちんと報告するのよ。それに今が一番大切な時期なんだから
 くれぐれも体には気をつけてよ。仕事もいいけど程々にしなさいね
 子供が第一なんだから、分かった?」
「うん、分かってる」

その夜、つくしは優紀たちに、類は総二郎たちに妊娠の報告を電話で伝えた。誰もが驚き、誰もが聞き直し、そして誰もが自分のことのように喜んだ。
電話の先からは祝福の言葉がとめどなく溢れ出した。


「類、今日もらってきたの」
そう言ってつくしは類の前に母子手帳を差し出す。
類は3年前にも見た母子手帳と今手元にある母子手帳が一瞬リンクする。見た目は同じ母子手帳だが、あのつらい出来事があった3年前と今とでは状況も意味も全く違う。

2008年5月24日交付 母の欄 花沢つくし

「見てもいい?」
つくしは微笑んで頷いた。
類は母子手帳を握り締めて暫く眺めた後、ページを捲った。

母(妊婦)花沢つくし 60年12月28日(23歳)
父    花沢 類 60年3月30日(24歳)
保護者の欄があり、そこにはつくしの手によってしっかりと記入されている。
妊婦の健康状態や妊婦の職業と環境など、この欄にも既に記入済みになっていた。過去に記入することが出来なかったつくしの思いが伝わる。次のページを捲ると妊娠中の経過の欄がある。
類はページを捲りながら複雑な思いに駆られる。

「つくし、少し仕事の量、減らそう
 5時頃までには帰宅できるように、ね
 本当は仕事しないで家に居てほしいけど
 それだとつくしの性格上ストレス溜まりそうだし・・・」

つくしはお腹に手を当てて医師の言葉を思い出す。
< 赤ちゃんを守れるのは母親だけ、一心同体なんですよ >

「・・・そうだね、・・・今が一番大切な時期
 この子が無事に産まれるまで、母親の責任なんだよね
 あたし頑張らなきゃ。・・・・・・1月8日かぁ~楽しみだね」
類はつくしの背後から両腕を伸ばし包み込むようにお腹に手を当てる。
「うん、あまり頑張らなくていいから、あまり動き回るなよ」
「ねえ~類。男の子と女の子、どっちがいい?」
「う~ん…、別にどっちでも良いけど・・・
 女の子だと嫁に出さなきゃいけないし、・・・ちょっと嫌だなぁ~
 男の子は母親にべったりになるってあきらが言ってたし・・・
 もしそうなったら・・・、俺、嫉妬するかも」
「アハハハッ…、やだ類、子供に嫉妬してどうすんのよ」
「子供でもつくしがかまってくれないと、嫉妬する。だだこねるから」
「はい、はい」


妊娠を知ることにより心臓の精密検査を受けることはしなかった
この事が後になってある究極の選択を余儀なくされる
とても過酷な選択を

今のつくしはお腹の中で成長していく我が子に嬉しさと慶びと希望でいっぱい
それと平行して時折しのび寄る黒い影

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2008年12月 7日 (日)

PURE ANGEL[第3章]第11話


第11話

花沢邸 自室

つくしはソファに座り大きくため息をついた。
今日何度目かの溜息をついた時、携帯電話が鳴る。
「もしもし、・・・類?」
『会社にあきら達が来てるんだけど、これから飲みに行かないかって』
「あきら達が・・・珍しいね。行ってきて」
『つくしは、つくしは行かないの?・・・もしかして忙しい?』
「あたしもなの?」
『クククッ・・・、当然でしょ、そのために電話したんだけど』
「そうだったの、シャワー浴びてくつろいでいたところだったの
 今から出るのちょっとおっくうかなぁ~
 あきら達に悪いって伝えておいて」
『うん、分かった。・・・・・・つくし、・・・具合悪いんじゃ・・・』
「・・・えっ?どうして?・・・大丈夫だよ」
『ならいいけど・・・、先に寝てていいからね』
「うん、分かった。楽しんでおいで」
つくしは電話を切るとふと時計を見る。19時45分、この時間に自宅でくつろいでいるのは珍しいことだった。
身体は一応くつろいでいたものの心中は別だった。何度も溜息をつく原因、それは2日前の出来事にあった。


病院の診察室

「花沢さん、体の方はいかがですか?あれから5ヶ月が経ちますが」
医師はカルテを見ながらつくしに聴いた。
「今はなんともありませんが」
そう返事をしたつくしは医師に薄いファイルを渡した。
そのファイルには過去5ヶ月間に自分の身に何が起きたのか、日時と症状が何行にもわたってつくし自身の手で詳しく書き記されている。
医師はそのファイルをめくるたびに眉間に皺を寄せた。
「顔色がよくありませんね、5ヶ月間もの期間を空けていますので
 基本的な検査からしましょう」


別室に移動したつくしは採血、血圧、心電図などの検査を受け、30分後、医師が待つ診察室へと通される。

「花沢さん、私は医師である以上ウソはつきたくない
 医師は患者に真実を告げ、患者はその真実を素直に受け入れて
 病と闘ってほしいから」
30分ほど前までは穏やかだった眼差しは消え失せ、怖いくらいに真剣な眼差しとなり、つくしは不安と緊張の渦の中に放り込まれる。
――嘘をつきたくないって・・・嘘ってどういう意味なの

「前回の診察で私は、大部分は心臓に病気はなく、日常生活の中で
 出るのが普通で、ストレスや睡眠不足、飲みすぎなどが重なって
 自律神経のバランスが乱れて出てくると言いましたが
 花沢さんの場合は違うようです」
「・・・違う、とは・・・」
鼓動の乱れを感じながらつくしは恐る恐る聞く。
「今言ったことは間違いではないのですが、私が違うと言った意味は
 心臓の病気で出てくる症状が花沢さんの症状に含まれていることに
 対してです」

「期外収縮、頻脈症、徐脈、細動など、大きく分けるとこの4つで
 治療はこれらの不整脈の種類によって違いますが、薬で治します
 でも、大体は自分の生活で気付いたことを直すと不整脈は治って
 しまいます」
医師はそこまで言うと、先ほどつくしから受け取ったファイルに視線を移す。
「これを見る限りでは、頻脈症と細動の症状が出ています
 それに加えて、めまいや息切れ、胸の痛みも出ていますね
 心臓の病気で出てくるものは、めまい、息切れ、胸の痛みなどが
 あるときは要注意なんですよ。事実を明確にするためにも
 精密検査をしましょう」
淡々と語られる言葉、嫌でもそれを受け入れなければならない現実。たとえ脳が否定したとしても、身体は正直にシグナルを発している。
安易に考えていたわけできないが、医師に言われるほど悪化していたとは思ってもいなかったつくしは、ショックで俯くばかり。

「花沢さん、詳しい検査をすることによって、一日も早く治療する
 ことができます。健康な体を取り戻すことができるのですよ
 見えない恐怖と戦うよりずっとましだ。そう思いませんか?」
つくしの様子を気遣い、医師は柔らかな口調で話し掛ける。

――またいつ襲われるのかビクビクして・・・、毎日が不安で
   類に気付かれたらどうしようって、毎日そんなことを考えて
   見えない恐怖と戦うよりまし?・・・そうかもしれない
「・・・・・・そうですね」

「病気を苦痛に思えば苦しくなるように、思いは苦痛を引きつけて
 しまう。逆に〝健康になった〟と思うだけでも症状は改善してい
 きます。〝病は気から〟っていうでしょ?
 結果が出たわけではないのですから」
「はい」
「来週の週末までには心磁計が導入になります
 心磁計は心臓の活動に伴って生じる微弱な磁場を特殊な磁気
 センサーで測定しますので、心電図に比べて精度が高く、ごく
 初期の冠動脈の詰まりまでキャッチしますので幅広い面で病気
 の予防ができます
 花沢さんの予定を入れておきますので、宜しいですね?」
「はい、お願いします」


病気の原因は自分にあり
その原因を取り除き
現状を素直に受け入れた時
治るものだということを
病に勝利したということを
今はただその希望を願うだけで先は分からない

希望は願いであり
望みであり
未来でもある

でも希望は最大のウソであり
最高のウソでもある


自らの生死は自分で責任を持って守る、つくしは堅く決意をして検査に望もうとしていた。Qプロジェクトの市場調査を兼ねて、つくしは新東京医科大付属総合病院に出向いた。
「花沢様、今でしたら時間がとれるとおっしゃってますが」
つくしは院長の時間の都合がついたため診察を後回しにすることにした。

気さくで話しやすい院長とは順調に対話も進み、40分ほどでかなりの調査ができた。
「お忙しいなか時間を割いて頂き有難うございました」
「このような事で役に立つのであれば、いつでもどうぞ」
「そう言って頂けど助かります
 また何かありましたらご協力お願いします」
つくしは扉の前に立ち院長に再び一礼をする。
扉の取っ手に手をかけようとしたその時、視界が歪み身体がぐらついた。院長は慌てて駆け寄りつくしの身体を支えた。
「花沢さん、・・・花沢さん、大丈夫かね?」
視界の歪みが酷くなり暗闇が迫ってくる。
「私の声が聞こえるかね?」
微かに聞こえていた院長の声は完全に遠のき、つくしの意識はなくなった。


その頃、花沢物産の専務室に珍しい客がソファに座っていた。
「大丈夫なの?」
「何がだよ?」
類はデスクに向かい書類を見ながらドカッと座る司を一瞥した。
「いつも忙しそうにしてる司が用事もないのにいるから」
「用事がねぇと来ちゃいけねえのかよ?」
「クククッ・・・。珍しいから」
「何が?」
「俺のとこに来る時って、意見を求めに来るか
 自分の一方的な意見を言いに来るかどっちかなのに
 今日は何も言わないから」
「隣のビルで打ち合わせがあんだよ
 ちと時間が余ったから寄っただけだ」
「時間つぶしって訳だ」
「まっそうとも言える
 ・・・そういえばこの間、ババァが研修のビデオ見て笑ってたぜ
 気色わりぃってゆうか、あのババァでも笑うことあんだな
 初めて見た気がする」

つくしと類の婚約パーティー以来、楓の態度が少し変わった。仕事上では相変わらず鉄の女だが、身内、家族に対する接し方が柔らかくなり会話も多くなっていた。茜とつくしの真心に触れて少しずつではあったが自分を変えようと努力しているようだった。

「ビデオって俺が頼んだやつでしょ、なんで司のお袋さんが
 持ってるの?俺でさえまだ見てないのに。返してよ」
「俺が見たらな」


つくしは病院のベッドで目覚めた。どうしてここに寝ているのか、記憶を辿るのに時間はそうからなかった。
「倒れるなんて・・・、これじゃ自己管理なんて言えないな」
時計を見ると5時を回っていた。
「あっ、診察が・・・」

予定していた診察を諦め、院長に挨拶して帰ろうと部屋を出で廊下を歩いていると背後から声をかけられる。
「気がついたかね、体の方は?」
つくしが振り向いた先には院長が立っていた。
「はい、大丈夫です。大変ご迷惑をお掛けしました」
「そのことは気にしなくても構わんよ
 それより明日の午前中、病院に来られるかね?」
つくしはバックから手帳を出すと予定を確認する。
「はい、1時間ぐらいでしたら時間は取れますが・・・、何か?」
「1時間あれば十分だ
 私の勘違いだと困るので詳しいことは明日ということで
 今日はゆっくり休みなさい」
院長に言われるまま約束を交わしたつくしは病院を後にした。


翌日、支店から病院に向かう車の中、運転手の小田がつくしに声を掛ける。
「最近のつくし様の顔色が悪いと類様が心配しておりました」
「・・・類が?」
「類様だけではありませんよ。つくし様は働きすぎです
 もっとご自分の体を大切になさって下さい」
小田はつくしが花沢家に嫁いでからの専属運転手。日に何度も顔を合わせる、今では類の次に身近な人となっている。


病院に到着したつくしは真っ直ぐ院長室に向かった。
「失礼します」
部屋に入ると院長の他に医師が1人いて、その医師はつくしの顔を見るなり直ぐにソファから立ち上がって目の前にやって来た。
「花沢様、お久しぶりでございます」
懐かしそうに微笑む医師をつくしは必死に記憶を辿る。

「ああ~、その節は大変お世話になりました」
ようやく思い出したつくしから笑みが漏れ、懐かしさがこみ上げてくる。
「いや~知り合いだったとはねえ
 先ほど小野寺君に花沢さんのことを話していたんだよ
 花沢物産の若奥様は有名だから無理もないか。ハハハッ・・・」
院長と小野寺の笑い声が部屋に響くなか、つくしは照れくさそうに否定する。
「院長、そんなことはありませんよ」
「小野寺君、花沢さんのこと頼んだよ」
「はい」
「花沢様、行きましょうか」

「・・・えっ?」
――行きましょうかって・・・どこに?
つくしは市場調査を思い出し院長の代わりに小野寺が、と思い込んだ。


院長室を出た小野寺とつくしは他愛のない会話をしながら目的地に向かった。着いた先は婦人科、小野寺の担当は婦人科なので当然といえば当然なのだが、つくしは複雑な思いにかられる。決して忘れる事の出来ない、消す事の出来ない3年前の衝撃的な出来事が鮮明に蘇ってくるのだった。

この時つくしは人生の大きな転機を迎えようとしていた。


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2008年12月 4日 (木)

PURE ANGEL[第3章]第10話

第10話


13時~17時

「静かにしてください、これから午後の部を始めます」
ふかふかの絨毯が敷かれた大広間に座布団が所狭しと並べられている異様な光景に新入社員たちはどよめいていた。
「ラフな服装にしていただいたのは
 これから皆さんに座禅をしてもらうためです」
そう言った瞬間に会場は再びざわめき出した。目を丸くした者、溜息を漏らした者、ほとんどの者が嫌そうな顔をした。
――まっ、しょうがないよね。あたしも好きじゃないし
   この人たちにとっては座禅なんて苦にしか感じないよね

「自分たちが今立っている場所に座り座禅を組んで下さい
 上手く出来ない人は手を上げて、アシスタントが教えますから」
10分後、全員が座禅を組んだ。
「そのままの状態を崩さず、瞑想して下さい。何を瞑想するかは
 皆さんの自由です。逆に何も考えず心を無にしても結構です
 但し、寝るのだけは禁止ですよ」

大広間で300人を超える新入社員は座禅を組み瞑想に入った。
超有名な一流ホテルのメープルで、まさか座禅なんて誰が予想や想像ができるだろう。他の者がこの場を見れば何かの宗教団体かと思うかもしれない。


「はい、止めっ!皆さん身体を楽にして15分間の休憩に入ります」
座禅など組んだことなどない新入社員たちは、ただの苦痛としか思えない30分という長い時間をどうにか耐えきった。
それまで静まり返っていた会場はつくしの掛け声と共に声にならない声やうめき声で埋め尽くされた。痺れた足を伸ばして摩る者や、臀部に痛みを感じる者、さまざまに身体を捩じらせ苦痛から解放された安堵の空気が流れた。

「さぁ、皆さん座禅はどうでしたか?
 そのままの体勢でいいですから感想を聞かせてください」
数名の者が手を上げて答える。
「座禅がこんなに辛いものとは思いませんでした、足も腰も痛いです」
「時間の経つのがやけに遅く感じました、ギブ寸前でした」
「お尻が痛くて痛くてその事ばかり考えていました」
予想どおりの意見が出たなとつくしは思った。
「皆さん同じような感想をお持ちと思います
 わたしも座禅をすれば体のどこかが痛くなります」
体の苦痛が解け始めた新入社員たちはつくしの言葉に耳を傾ける。
「でも体が痛くなるのは座禅を組めば当たり前のことなんです
 足や腰が痛いのはそこに足と腰があるからです。普段気にすること
 もない足や腰がそこにあることを気付かせてくれたのが座禅なんです
 更に言えば、生きていることを痛さ辛さで実感させてくれたという
 ことも言えるでしょう。また、当たり前のことを当たり前と思わない
 ことは、仕事を進めていく上でとても大事な事だと気付くときが来る
 と断言できます
 他に体の痛み以外に何か感じたことがある人はいますか?」
誰も手を上げる者はいなかった。
「休憩が終わったらもう一度座禅を30分組みます
 今度は体の痛み以外に何を感じたか、座禅を組むとはどういう意味
 があるのかを最後に述べてもらいます」

休憩が終わり再びつくしの号令で座禅が始まった。
つくしは出した宿題にどんな答えが返ってくるのか楽しみにしていた。なぜなら座禅を組んで感じることやその意味に正解はなく、人それぞれが持つ個性による発想や意見に接することができるからだった。


18時30分~20時30分

先程までラフなスタイルでキツイ座禅に泣いてた新入社員も、目の前には紺や黒のビジネススーツに身を包み、背筋をピーンと張ってつくしと向き合う。
「この1週間過ごしてきてどうでしたか?
 あなた自身、心に変化がありましたか?
 何か得るものがありましたか?」
少し間を空けてからトーンを変えて力強く話し始める。
「人は見ようと思わなければ見えない
 聞こうと思わなければ聞こえない
 目で見ただけで信じてはダメ、声を耳で聞いただけではダメ
 目が声を聴いてこそ初めて声と一体と言えるからです
 この先、幾度となく難題に遭遇することになるでしょう
 その時に研修で覚えた事や感じた事を思い出して役立たせてほしい
 やがて皆さんも仕事に慣れ、一人前になっていくことと思います
 そしていつか必ず壁にぶつかることになるでしょう
 そんな時は今日という日を思い出して初心に返ってほしいのです
 意識の向上が貴方方を成長させ、また花沢物産という会社を
 成長させるのです。個人の成長なくして会社の発展なし
 会社の発展なくして個人の成長なしということです」
シーンと静まり返った会場内を見渡し、最後の挨拶を述べる。
「私が話した〝三本柱〟は終わりのない永遠の課題だと思っています
 いろんな面で自己管理には十分気をつくて下さい
 これで全ての研修が終了です。皆さん、1週間お疲れ様でした」
つくしは軽く頭を下げ、社員一同は深々と頭を下げた。


つくしは出入り口に殺到する300人以上の新入社員の後ろ姿を眺める。最後の新入社員を見送りつくしも扉に向かう。一度後ろを振り返り静寂な会場を見渡す。
――やっと終わった、ここから解放される
たった2日間だったがハードな日程に徹夜したこともあってか、それ以上の日数を過ごした気分になっていた。

「あたしも早く帰ろ」
扉に手をかけ開けようとしたその時、扉が勢いよく開いた。
「きゃあ!・・・るっ、類!・・・どうしたの?」
つくしは目を真ん丸にさせて類を見上げた。
「プッ、そんなに驚いた?タイミング良すぎだったみたいだね」
「自動ドアじゃないんだから驚くでしょ。それよりどうしたの?」
タイミング良く開いた扉にも驚いたが、目の前に類がいることがもっと驚きだった。
「誰かに連れ去られると困るから、迎えに来た」
「はあ?・・・連れ去られるって、・・・誰が誰を?」
「つくしに決まってるでしょ。いいから早く行こう」
そう言って類はつくしの手を掴みフロントではなく部屋に向かった。
1泊18万円の部屋に半ば強引に連れ戻されたつくし。部屋に入ると何故か昨夜と同様に食事の準備がされている。


「類、もしかして今日も泊まるって言わないよね?」
2人は食事を終えて紅茶を飲みながらソファで寛いでいた。
「鈍感なつくしでも分かるんだ
 でも肝心なところは相変わらず鈍感みたいだけど」
意地悪っぽく言うと類は立ち上がりつくしをベッドルームに誘う。

おでこ、鼻、頬と摘むようにキスをしながら、冷たい手は黒髪をかき上げる。やがて唇はつくしの唇を捉え、冷たい手は柔らかな頬をなぞって細い首筋に下りてゆく。昨日とは違って類が優しくリードする。
愛する人に触れて抱く熱い感情が更に追い求める。
絡める指をつくしの頭上に移動させ、熱が帯びた視線が絡む。

「ちょ、ちょっと類、何するの?」
類はつくしの両手をベッドに縛りつけた。そう、つくしが昨夜類にしたように。
「つくしがしたこと、そのまんまお返し。でもこの先は違うけど」
「ちよ、ちょっと、る・・・」
煩いつくしの口を塞ぎ、深く長いキスが始まる。
両手を固定して無防備になった透き通るような柔肌を両手でなぞりながらキスを落としてゆく。
この世でたったひとり、つくしに触れられることのできる類だけに許された特権。

つくしに触れる度に我を忘れてしまう
どんなにこの腕の中に収めても、尽きることのない感情と欲望
そして支配力
他の者がつくしを見続ける限り決して終わりのないジェラシーを抱く
たとえつくしが自分をその瞳に映し出したとしても
壊れてしまうくらい強く抱きしめるのを抑えるのがやっとで
――鈍感なつくしには分からないだろ
   愛しすぎてしまったこの想いを

神が人間だけに与えたもの
それは 物欲・性欲
神が生命のある全てのものに与えたもの
それは 支配力

子会社から花沢物産に向かう車中でつくしは医師に言われたことを思い出す。
< これ以上悪化させないためにも適度の運動を勧めます >
「適度の運動かぁ」
車中から流れる景色に視線を向けると、桜の花びらが舞い路面や歩道はピンク色に染めている。
「小田さん、ここから歩いて行くから止めて」
「歩きですか?つくし様、本社まで20分はかかりますよ」
「そう、20分ねぇ。それなら適度の運動になるね」
つくしは車から降りて歩いた。
心地良い春風がつくしの身体を通り過ぎる。
「もう春だね、気持ちいい」
日に何度か通る道。見慣れた道や建物も歩いて見ると風情が違って見えたりして、普段気付かない些細なことが嬉しかったりと意外な発見をする。

花沢物産 第2会議室

開発に成功した新しい燃料電池を本格的に市場に出すための子会社を共同出資で設立したエイム社と黒崎グループ、望月商事、花沢物産の4社による合同会議が行われた。(4社の4を掛け合せてカルテットとし、Qプロジェクトと名付けられた)
実務者レベルでの会議も最終段階に入っていた。
「世界中で問題となっているCO2排出量、このQプロジェクトが
 成功しますとCO2の削減と地球温暖化の抑制に大きく寄与すること
 ができ、世界中の注目を集めることになるでしょう」

環境のために地球のために自分の信念を持ち研究してきた科学者たち、それを見守り続けてきた黒崎、望月、花沢の3社。ここに至るまで15年、やっと本格的に動き出したQプロジェクト。これが成功すれば歴史の1ページに残るほどの世界的革命が起きるであろう。
「既に仮説に基づき調査には2年をかけてきましたが、あと6ヶ月
 かけて最終段階の市場調査報告をまとめ、市販化に向けて具体的に
 進めていく予定です
 但し、この期間において世界の動向の変化なども考慮した上で
 検討の余地が出た場合は、臨機応変に対処したいと考えております」

会議が終わり、つくしは書類を整理していると花沢社長と望月の会長が傍にやって来た。
「つくしさん、この間の社員研修、拝見させてもらったよ
 〝当たり前のようにあるもの、当然と思っていることがどれだけ
 大切なことか〟・・・うちの息子にも聴かせてやりたかったねえ
 つくしさんの生の声を」
会長の機嫌が良いのか、人が変わったのか、偽りのない笑顔がそこにあった。
「やだっ!聞いてたんですか?・・・でも会長はどこで・・・」
会長の代わりに薫が口を挟む。
「記念にと思ってビデオに撮ったんだよ。会長が是非にと言う
 ものだから、つくしさんの了解も得ずにすまなかったね」
「私のことは気になさらないでください。それよりビデオって?」
「類の奴、どうやらつくしさんには秘密にしていたようだな
 詳しいことは本人から聞きなさい」
「薫、お前や類くんが羨ましいよ
 こんな可愛いお嬢さんを娘や嫁さんにできたんだからな
 数年早くつくしさんに出会っていれば、今頃は息子の・・・」
「おいおい、勘弁してくれよ
 私たち家族にとってつくしさんは娘以上の存在なのだよ」
「ああ、分かってるとも。でもよく黒崎さんが許してくれたもんだ」
薫と会長の対話を聞いてつくしの頭上にハテナマークが浮かんだ。

後に解ったことだが、社長と会長は学生時代からの親友で、社長と会長は黒崎潤を父のように慕っていたとのこと。
そう言えば道明寺楓は茜のことを第二の母と言っていた。総二郎の父は茜に頭が上がらないと総二郎の母が言っていた。この人達にとって黒崎潤と茜はどのように映っているのだろう。
つくしには人を惹きつける不思議なパワーがあるとつくしに携わった人は言ったが、その不思議なパワーはきっと祖父母から受け継いだものなのだろう。


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2008年11月29日 (土)

PURE ANGEL[第3章]第9話


第9話

時計を見ると20時15分になろうとしていた。
つくしは手早く書類を束ねるとカバンに押し込み、社員の様子を眺める。

――いろんな人がいるんだねぇ~
   親しめずに浮いてる人や親分肌の人・・・あの人なんて
   マシンガントークだし・・・調和が取れてる人もいる
   ホントさまざまだね
   もしあたしが類と結婚してなかったら、黒崎の孫でなかったら
   どこかの会社に就職して、こうして教育受けたんだろうなぁ
   あたしはどんな職に就いてたのかなぁ
そんなことを思いながらつくしは演台の中央に立った。

「皆さん、今日はこれで終了です。お疲れ様でした」


長い一日の研修を終えた新入社員は安堵の溜息を吐きながら出口に向かい歩き出す。
「キャアー!!」
「うっそ-!!あの方が・・・、本物なの?」
「道明寺様・・・ステキー」
少しして出口の方が異常に騒がしくなった。その悲鳴にも似た歓声に何事かとつくしも出口に向かうと、急に騒がしくなった理由が理解できたのだった。
そこにはビシッとアルマーニのスーツを着こなし、青筋を立てて新入社員を見送る司の姿があった。その司がつくしを視界にとらえた瞬間、照れくさそうとも都合悪そうとも窺える顔つきへと変わる。
「どうしたの?」
「終わる頃だと思ってよ」
「珍しいね、こんなにたくさんの人がいる所に来るなんて
 なんか用事でもあった?」
「いや、飯でも食いに行かねえかと思って」
「ごめん、ちょっと急用ができちゃって・・・、仕事が残ってるんだ
 明日のお昼、時間が取れたら連絡するけど、どう?」
「おう、分かった。相変わらず忙しそうだな、お前は」

それぞれの部屋へと向かう廊下を歩く新入社員の話題は、もちろん先程目にしたつくしと司で話が持ち切りになる。滅多にお目にかかれない司を目の前で見たのだから騒ぐもの無理はないが、そんな話をしている新入社員の横を無表情で通り過ぎる類にとっては不機嫌になる元でしかなかった。

つくしは司と別れた後、ルームキーを貰うためにフロントに向かった。
つくしを視界に捕らえたフロント係りは〝お疲れ様です〟と声を掛け、ルームキーを手渡した。朝手にしたカードキーの色と今手にしているカードキーの色が違うことに気付いてフロント係りに訊ねるが、納得いく説明に至らなかった。


――なんで部屋が替わってるの?しかも・・・

疑問に思いつつエレベーターに乗り込み、渡されたキーの番号に向かった。
つくしが部屋の扉を開けると、そこは見覚えのある空間が広がる。1泊18万円、総二郎と優紀に仕組まれたことも知らずに司と入った部屋だった。
「えー!なんで?」

奥の部屋から笑みを浮かべた類が出て来て、つくしは更に混乱する。
「そんなに大声出さなくても」
「な、なんで・・・、なんで類がいるの?」
「帰るの面倒だし、たまには違う部屋で寝るのもイイかなぁ~って」
「面倒って・・・、ここに来るのも帰るのも同じじゃん」

――あれ?違う部屋で寝るってことは、泊まるってこと・・・だよね
   あの着替えは・・・、そうゆうことだったの
「類、もしかして・・・、最初からここに来る予定だったんじゃあ・・・」
「あれ、バレた?つくしにしては理解するの早かったね」
「どうゆう意味よ?」
「それより早くご飯食べよう」

類はギリリと睨むつくしの手を引いて隣の部屋に連れて行く。そこにはたくさんの料理がテーブルの上に並べられ、主が座るのを待つばかりにセッティングされていた。
昼食を食べ損ねたつくしのお腹はその色彩と匂いによって活発に運動し始めた。類に促されるままつくしは満足そうに料理を口に運ぶ。

「司に会ったって?」
「・・・え?あっ、うん」
「なんだって?」
「ご飯食べに行こうって、ただそれだけ」
「ふ~ん」

――何よその疑いの眼差しは
   待てよ、今日トラブルがなければ司に断らなかった
   ・・・ってことは司と食事に行って・・・類はこの部屋に居て
   ヒエエェェ~。大変なことに・・・

何も後ろめたいことはしていないのに、何故か類の顔色を窺おうと恐る恐る視線を向けると、そこには見透かしたような瞳があり、つくしはどきりとする。
「顔、蒼いよ。・・・・・・あっ、今度は赤くなった」
「いいからほっといて!」
類の顔を退かすと黙々と料理を口に運ぶつくし。その様子を楽しそうに眺める類。

「ああ~気持ちいい」
食事をしっかりと堪能し少し寛いだつくしはジェットバスにつかり疲れきった身体を休め、暫しの幸福感を堪能する。
「あと1日よ頑張らないとね」
長い一日の終わりにホッとしていたのも束の間、本業の大事な問題を抱えていた事を思い出してバスタブから飛び上がった。
「書類っ!・・・そうだ、それが残ってたんだ」


つくしは着替える時間も惜しみバスローブのまま書類に目を通し始める。
「ああ~こんなことになるんだったら分けておくんだった
 これだからコンピューターって信用なんないんだよね、ったく・・・」
全てプリントアウトしていたため時間さえあればこの危機を乗り越えられるのだが、他の書類と一緒に仕舞い込んでいたため、必要な書類だけを間引きしなければならない現状に焦りと苛々が募る。

「何ブツブツ言っての」
ソファで作業をするつくしの背後から類は腕を伸ばす。
「ねえ~、それ今からやるの~?」
耳元で囁く甘えた声に、つくしはイヤな予感を覚える。
「そう、だから類は先に寝てて良いからね」
「俺ひとりで寝せるの?」
類はつくしの腕を掴んでベッドの方へと足を進める。

――甘えた声になるとヤバイんだよね、イヤな予感的中
   今はそれどころじゃないんだよ。類、勘弁してよね
   どうにかして雰囲気を変えなきゃ、どうにかして・・・

「あれ、類は今日、指導者って言ってたよね?別の意味って?」
つくしは明るく類に問い掛けるのだが、返事が返ってこない。
類はつくしをベッドに座らせると自分も隣に腰を下ろし、愛おしむように見つめる。

――類、そんな目で見ないで・・・応えられないよ~
「類、あたし・・・」
類は言葉を封じ込むように少し乱暴に唇を重ねた。


「真っ直ぐここに来てくれたからイイけど、・・・もし司と一緒に・・・」
少し乱暴なキスが、頬に、耳元に移動する。
「俺は、またつくしにジェラシーを感じる」
囁かれる言葉に異様なムードを感じる、このままでは済まないと。


つくしは類の滲んだ瞳から唇にゆっくりと視線を移動させ、手を類の首に回して引き寄せるように自分からキスをした。つばむように何度も角度をかえてキスをして、少しずつ類を自分の身体の下の方へと体勢を変えていく。
いつもと違ってリードされる側にまわった類はそんなつくしに驚きつつも、与えられる刺激を楽しんでいた。

「つくし・・・」
つくしは類のバスローブのヒモを解きゆっくりと引く。その間にも唇は重なったままで、舌が絡み合いどんどん深いキスになってゆく。
バスローブの前がはだけ目の前に類の白い肌が露になる。


――つくし、流されたらダメよ、ここで溶けちゃダメ
つくしは自分にそう言い聞かせながら、類の首筋から胸にかけてキスで攻めつつ指と指を絡ませ、そのまま頭上に移動させた。恍惚とした表情で目を閉じた類の頭上で先ほど解かれたバスローブのヒモが類の両手に巻かれてベッドに結び付けられていた。
「つくし・・・、これ何のまね?・・・つくしにこんな趣味あったの?」
きつく縛られて始めて異変に気がついた類。
「んな訳ないでしょ。〝おとなしく待ってて〟って言ったのに・・・
 悪い子なんだから。・・・類ゴメンね、応えられなくて」
そう言ってつくしは類に軽くキスをするとあっさりと部屋を出て行った。その気になっていた類は目がテンになっていたことはいうまでもない。
「つ、く、しー!」

――ごめん、ホントごめんね類、今はそれどころじゃないのよ
悪いと思いながらも気を取り直してパソコン画面と書類の睨み合いを始める。


目の疲れを感じたつくしは手を休め、ふと時計を見る。針は12時を回っていた。
「あっ!類、・・・忘れてた」
隣の部屋に行くと結んだはずのヒモは解けていて、規則正しい寝息をたてて眠る天使の寝顔があった。
「ごめんね、類」
暫しの間、疲労した身体を天使の寝顔で癒す。


ある程度の書類をまとめ終えた頃には外はもう明るくなっており、東の空は薄い紅色がビルの窓ガラスに反射して、キラキラと宝石に対抗できる輝きを放っていた。

2日目 7時30分~11時30分

「おはようございます。これからストレスについて代表者の方に発
 表して頂きます。発表して頂く順番はアシスタントが知らせます
 ので、速やかに前に出てくるように。それでは始めてください」
こうしてグループごとの代表者の発表が始まった。
つくしは各代表者の表情や口調を注意深く観察する。

ストレスとは精神的圧迫、強制、過度の疲労などから起こるものが多い。
現代の若者は不平不満、日常の生活で自分の思い通りにいかないことにストレスを感じているようだ。個人的コンプレックス(容姿・性格)異性や同性など、人間関係全般に対してがほとんどで、一部に社会情勢に対して不満というものもあった。

ストレスを感じないタイプ
外交的で交友関係が広い、おしゃべりが好き、笑顔が多く見られる。家庭円満、図太い、適度の容姿を持つ、健康、落ち込みが少ない、物事をプラス思考に考えるなど。


「発表を聴いて皆さんは何を感じましたか?いろいろな形でストレス
 は自分の身に降りかかり避けて通る事はできません。溜め込まない
 ためにもその時々の対処が重要になってきます
 数日後には新社会人として慣れない仕事が始まります。今まで感じ
 たことのない緊張や責任といったことが重く圧し掛かってくるかも
 しれません。意識改革をしてみてはいかがでしょうか?
 午後の部はラフな服装で大広間に集合して下さい
 これで午前の部を終了します」


新入社員は皆部屋を出て行き、静まりかえった部屋につくしは一人座っていた。
徹夜で書類をまとめたもののまだ難題が残されていた。重要な部分は暗号化されている為、それらを全て解かなければならなかった。その事を考えるとつくしは虚脱し大きな溜息が漏れる。
「ああー、これってストレスかなぁ~」

「プッ!働き過ぎ!」
中央にポツンと座り楽しげに見つめる類の姿があった。
「どうしてここに?・・・っていうか、ビックリさせないでよ」
「つくしがボーッとしてるからでしょ」
「失礼ね!集中してたの。類といい、司といい・・・」

「ああ?俺がどうかしたのか?」
「えーっ!司までどうして?」
「やっぱりな、・・・昼飯食いに行くって昨日言ったろ?
 お前のことだから忙しさにかまけて忘れてんだろうと思ってよ」
「あっ、ごめん。・・・忘れてた」
「ったく・・・、とりあえず行こうぜ」
3人は司が予約した中華料理店へ向かった。

――やっぱ約束してたんだ
   司のことだからつくしに会いに来るとは思ってたけど

店に入ると一番奥の部屋に通される。そこは30畳程のスペースに10人程が座れるタウンテーブルが中央に陣取っていた。席に着いて5分もしないうちに料理が次々と運ばれてくる。その品数、10品。当然つくしは目を丸くして料理を眺める。
「ちょっと、誰がこんなに食べるのよ?」
「決まってんだろ、お前に。飯食う暇も惜しんで仕事してんだろ?
 こんくらいの種類があったらどれか食いたいもんあるだろ
 その他に食いたいものがあったら言え、注文すっからよ」
「司、・・・ありがとう」
所狭しと並べられた料理をつくしは獲物を狙うかのように瞳を輝かせて品定めをすると、皿いっぱいに料理を乗せて食すことに専念した。

「まるで俺が暇みたいな言い方だね」
不機嫌そうに言う類。
実際は面白くなかった。普段自分たちには見せない司の優しい顔付きと労わりの言葉が、類の嫉妬に拍車をかける。
「類、拗ねんなよ。独りで中華食ってもうまくねぇし
 ただそれだけだ」
「ふ~ん」
「なんだよ?」
「別に。テーブル回しながら独りで食べる司の姿想像したら笑える」
「るっせー。とりあえず食おうぜ」

司と類の会話に耳を傾けることなく満足げに食べるつくし。司はそんなつくしを満足そうな顔をして料理を口に運ぶ。時折見せる笑みに、類は複雑な心境にかられる。
司の瞳に映し出すつくしの姿、その先に何を映し出しているのか。

つくしと出会ってから休むことのない、つくしへの支配欲が募る。

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2008年11月23日 (日)

PURE ANGEL[第3章]第8話

第8話

2月中旬、卒業シーズンもまじかに迫る中、つくしは多忙の日々を過ごす。花沢物産の新入社員研修が数週間後に控えているからだ。
新入社員研修は1週間に渡って行われる、その内2日間がつくしの担当だった。
研修は幾つかの部署に分かれ、数名の指導者によりマニュアルに沿って進められていく。
型に嵌った形式などに捕らわれず、つくしの思うままの心で社員に指導してほしいと2年前、社長の薫に言われた言葉を思い起こす。だから当然つくしにはマニュアルなど存在しないために、毎年この時期になるとつくしの頭を悩ませていた。


「ああ、今年は何を話したらいいのよ!」
「クククッ…、恒例の社員研修?」
「そうなのよ、まったく・・・。なんでお父さんはこうも難題を」
「それは、つくしの心が豊かで穢れを知らないからでしょ
 人と話す時かけ引きなんて考えないでしょ
 必要以上に疑ってみたりも。・・・ある意味、子供っぽい素直な気持ち
 もあるけど、大人へと成長していくうちにいつしか純粋さとか素直
 な気持ちを忘れてしまう」
「ふ~ん。それって成長してないって聞こえるけど」
「プッ、身なりも言葉も飾らなくても、つくしには十分に圧倒的な
 存在感があるよ。つくしのありのままの純粋さ純真さを伝えたら
 そして勤続のある社員には英徳にいた頃の根性を見せてやればいい
 だろ。クククッ…、つくしの得意分野じゃん、叩きのめすのって」
褒められているのか、貶されているのか、つくしは複雑な心境で溜息をつく。


本社に出勤し日中は各社巡りといつもと変わらない日々が過ぎ、いよいよ明日から新入社員研修が始まろうとしていた。つくしは抜かりのないように書類の最終チェックをしていた。
「つくし、いつものホテルだよね?」
「・・・いつもの?・・・今年はメープルで行われるけど」
「・・・メープル?・・・どうして?」
「どうしてって聞かれても困るんだけど、そういう指示がきてたから
 どうして類が知らないの?
 類は木田(秘書)さんの話をちゃんと聞いてるの?」
類はつくしの声には耳を傾けず、全く違う方向性で思考を巡らせていた。


「よしッ!これでOKだ!後は明日だなぁ、気合入れて頑張りますか」
つくしは両腕を高く上げて思いっきり背筋を伸ばしなが大きなあくびをして、軽く首を回してこりをほぐす。
「あぁ疲れたぁ~。後は・・・・・・あっ!着替えの準備しなくっちゃ」
つくしは独り言を言いながらクローゼットの方へ歩き出し準備に取りかかる。
「類!角田さんの言う事聞いて、朝ちゃんと起きてよ
 遅刻なんてシャレにならないんだから、分かった!」

――遅刻?・・・俺、早朝から何かあったか?
「つくし、朝から会議とかミーティングとかって入ってたっけ?」
「木田さんに確認したら?あたしは何も聞いてないよ」
「じゃあ、なんで角田さんや遅刻の話が出るの?
 いつものようにつくしが起こしてくれるんだから
 ・・・もしかして、つくし朝早いの?」
「早いって言ったら早いよね、7時30分から始まるもん。でもまぁ~
 ホテルに泊まることだし、移動時間考えると問題でもないか」
「ホテルに泊まるって、メープルに?」
「そうだけど」
「なんで?」
「なんでって、・・・みんな泊まるから」
「メープルに泊まるから俺に遅刻するなってこと?」
「そうだよ、なんか変なことでも言った?」
「泊まるって聞いてないけど」
つくしは大きな溜息をつくと類の目の前に1枚の用紙をさし出す。


類の視線の先には新入社員と指導者の日程表が1週間分記載されていた。
7時30分~11時分30・13時~17時・18時30分~20時30分と三部構成で各指導者が決められた時間割りで進めていくものだった。社員と指導者は皆同じホテルに泊まり、新入社員は1週間、指導者は割り当てられた日程の日数分泊まる、世間でいう缶詰状態での研修だった。


「これで分かった?去年に比べて時間も長いし今年はちょっと
 ハードだけど、2日間頑張ってくるから類は良い子にしててよ」
そう言ってつくしはやりかけの荷造りに再び取りかかり、類は用紙を眺めながら寂しげな表情を浮かべた。どうやらホテルに泊まることは知らなかったようだ。


「俺の分も着替え出しておいて」
類は何かを思い出したらしい、いや何かを思いついたらしい。
「えっ!?出張とかあったっけ?」
「出張じゃないけど、違う意味で指導者かなぁ~」
「何それ?」
類の意味不明な発言につくしは不思議そうな顔をしつつ、類のお泊りセットを手早く鞄に詰めていく。先ほどまですっきりしない表情を浮かべていた類はご満悦な表情で大好きなテレビと向き合っていた。

7時30分~11時30分
夢と希望を抱き花沢物産に入社してきた新入社員を目の前にし、つくしは身を引き締めると力強い眼差しを向ける。
「今日と明日の2日間を担当する、花沢つくしと言います。よろしく」
つくしの名前を聞いた途端、社員はざわつき出した。既につくしの顔を見ただけで驚きのあまり目を見開く者もいた。類とつくしに憧れて入社した者も少なくないだけに、次期社長婦人を目の当たりにして会場内が一瞬ざわめき立つ。


「みなさんはこの5日間、花沢物産の歴史、経営理念、基本方針
 行動指針、基本的なビジネス用語、作法、そしてビジョンなどを
 聴かされてきたと思います
 これからの私の時間は一方的に話を聴くのではなく
 みなさんにも考えて頂きます」
つくしは演台の前に立つ助手に目で合図を送る。すると巨大スクリーンが下ろされ、助手はプロジェクターとリンクするパソコンを操作した。


社員一同はスクリーンに視線を送り、つくしの話に心耳する。

三本柱
一本目---健康
二本目---お金
三本目---ストレス

「一本目の健康は、文字通り身体が健康であること
 病を来すと日常生活や仕事などに大きく影響を及ぼす可能性があり
 ます。この健康というのは、ほとんど自己管理の元で成り立ちます
 この自己管理とは健康だけではなく、あらゆるモノに属すると考え
 られます。それは・・・」

「二本目のお金は、収入を得ること
 自分の仕事の内容に見合った報酬で、多すぎず少なすぎず、将来
 設計の元でお金を使って頂きたい。特に金銭のトラブルには十分に
 注意して下さい。これらのことを踏まえて、仕事上と私生活での金
 銭感覚を身につけましょうそうする事が・・・」

「三本目のストレスは、ストレスをもたないこと
 何を思って何を感じてストレスと呼ぶか、人それぞれ受け止め方は
 違うと思います。先に述べたように健康や金銭での悩み、家族や交
 友関係などの人間関係、会社や仕事、社会に対する不満など例を挙
 げるとキリがありません。性格や家庭環境で大きく左右されると思
 われます。そういった様々なストレスは・・・」

「以上が三本柱の説明です
 早い話が、健康でお金があってストレスのない生活を送ることが豊
 かで穏やかな生活ができ〝幸せ〟ということです。今自分はどの
 ような状況なのか、この三本柱を自分の生活に落とし込んで考え
 てみてください。・・・これで午前の部を終わります」


この三本の柱が満たされたとき
人は幸せを感じる
この三本のうち一本でも欠けたとき
人は路頭に迷い平常心を失う
三本の柱が上手に寄り添って立つからこそ成り立つもの

13時~17時
「これから皆さんには8名から10名にグループに別れてもらい
 グループディスカッションをしていただきます
 題は〝ストレス〟についてです」
「原因や要因を出し合い状況を把握します。それに対しての対処法や
 対策案を考てください。自分達が体験したことや他人から聞いた事
 でも構いません。これからの社会に対して起こり得る可能性や想像
 でもなんでも結構ですので、それらをまとめて文章にし、各グルー
 プの代表者に発表してもらいます。発表は明日の午前の部に行いま
 すのでそれまでにまとめておいてください」


つくしの説明が終わると助手はグループに分ける為に社員の名前を読み上げた。先程まで静まりかえっていた部屋は一気にざわめき立ち方々から声が飛び交う。
つくしは後を助手に頼むと部屋を後にした。

2日間の指導の他に通常業務をこなさなければならないつくしは、ホテルの部屋に戻ると社からの書類やメールに目を通し始める。〝トラブル発生〟幾つかのメールの中にこんな件名が目に留まり、息をつく暇もなく本社へと足先を向けた。
「まったくなんでこんな時に
 これじゃあひとりディスカッションじゃないの」
つくしは本社に戻ると上着を脱いでブラウスの袖をまくり、書類トレーにどっさり積まれた膨大なファイルに目を通し始める。
「どうしてこんなことに・・・」


花沢物産を含む大手企業数社がサポートする全く新しい燃料電池が実現可能の段階に至り、今まさに世界がアッと驚くほどの発表がなされようとしていた矢先のデータ消失という大失態。幸いにも断片的に残っていたデータと保管されていた書類によって修復は可能であった為、プロジェクトメンバーでもあるつくしはとりあえず安堵した。

つくしはブツブツと独り言を呟きながらも鋭い目つきで書類を捲っていく。

原因はパソコンのウイルスなのか、それとも外部からのハッキングによる搾取、あるいは内部の何物かによるデータ流出なのかは今のところ定かではないが、その可能性は十分にあった。

ふと時計を見ると18時になろうとしていた。つくしは慌てて必要な書類を箱に詰めるとメープルホテルに急いだ。


18時30分~20時30分
「夜の部も引き続きグループディスカッションを行います
 ストレスに対しての要因を出すのは簡単なことでしょう
 しかし、対策となると一言で表すのは困難だと思いますが
 グループで力を合わせて頑張ってみて下さい」
つくしは部屋の隅に小さなデスクを置くと、本社から持ってきた書類に目を通し始めた。


その頃、ある男性は部屋で時間を気にしながら、ある女性のことを考えていた。

――どんな顔するかなぁ~。驚く?怒る?
   いやきっと呆れた顔するだろうなぁ
「だって独りでいたくないんだもん、仕方がないよね
 俺を独りにするんだもん」


同じ頃、オフィスのデスクで書類に目を通しながら時間を気する男性がここにも居た。

――アイツに会うのはいつ以来なんだ?あのパーティー以来だから
   2ヶ月ぶり・・・。泊まりと聞いてるけどアイツひとりだよな?
   まさか類のヤツ・・・、まさかな・・・
男の頭の中は、今でも恋しく愛おしく何よりも大切な女性の姿が浮かぶ。しかし、その女性のことを考えれば考えるほどチラつく親友の影。
「ああ!・・・仕事なんてしてられっかよッ!」
声を荒げて手にしていた書類をデスクに叩きつける。
大切な女性のことに関すると、仕事には厳しい男の志さえ簡単に崩れてしまう。


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2008年11月19日 (水)

PURE ANGEL[第3章]第7話


第7話

つくしは仕事上、花沢物産や系列会社の間を巡り移動することが多い。
トップの考えが現場に浸透しているか、経営方針や理念にあっているか、行動指針の実行がなされているかをチェックする、いわゆるベクトル合わせのためである。同時に経営状態や人材育成などのアドバイスやトラブルを解決する役割も担っていた。
毎日がストレスの絶えない日々だがその反面勉強にもなり、成果が上がったときの満足感や達成感の喜びがつくしを成長させていた。


今日は珍しく特に問題となる案件もなく平穏であったため、つくしは溜まった書類の整理などをして過ごしていた。

午後3時を過ぎた頃、つくしのオフィスに予期せぬ電話が鳴った。
「はい、花沢つくしですが」
『私は望月商事の会長秘書をしております、花田と申します
 会長がぜひ花沢様にお会いしたいと申しまして、失礼かと
 思いましたが連絡を取らせて頂きました』
――望月商事?・・・あの堅物で有名な会長があたしに?
   ・・・面識はなかったはず

「あの・・・、社の者が何か?」
『いいえ、社員の方とは関係ございません
 ただ会長は花沢様の人柄を気に入られたようで
 一度ゆっくりとお話したいとのことでした
 つきましては本日の祝賀パーティーに是非とも花沢様に
 出席していただくようにと仰せつかっておりますので
 何卒宜しくお願い致します』
つくしは慌ててスケジュールを確認する。
――なんでこんな時に空いてるのよ

『お召物はすべてこちらでご用意させて頂きましたのでご心配には
 及びません。一時間後にお迎えに上がりたいと存じます』
「あの望月商事さんの70周年記念でしたよね?
 主人が出席致しますので、私は遠慮させて頂きます
 ましてや服など・・・」
『ドレスは是非にと会長自らお選びになられた物です
 ドレスをお選びになられている時の会長の表情はとても穏やかで
 して、きっと今日の日をとても楽しみにしてらしたのだと思います
 こちらの都合ばかり申しまして大変恐縮なのですが
 花沢様どうか宜しくお願い致します』


相手のペースに嵌り強引に誘われたパーティー、つくしは窓際に進むと大きな溜息をついた。そして何気に22階から見下ろす下は、まるで別世界が広がる。

――望月会長・・・、何を話しらいいの?・・・なんであたしに・・・
   確かあの人は頑固で冗談がきかなくて、笑わない人で有名だ
   仕事に関しては厳しく冷酷だと噂がある
   身内でもなんとかって言ってたっけ
   ある意味、道明寺楓?・・・みたい。緊張と冷たい空気・・・か
つくしはボーッと考え事をしているとノックの音がする。


望月の人間に促されるようにリムジンに乗り込み、望月商事の本社へ。
そして今、会長室で会長を目の前にしてソファに座っている。
――あたしってイヤって言えない人だったっけ?
   まぁ~仕方がないか、横の繋がりがあるしね


「急に呼びたてして申し訳ない
 唐突だが、つくしさんと呼んでも宜しいかね?」
「あっ、はい」
「もう一度つくしさんに会って直に話をしたくてね
 ちょっと強引だったかな?」
「失礼ですが、以前どこかで・・・」
「ハハハッ…、これは失礼。こうして会うのは今日が初めてだが
 以前に花沢物産の本社の方でつくしさんを見掛けましてな
 花沢社長の許可を得て会議を覗かせて頂いたんですよ
 男子社員を相手につくしさんの熱弁を」
「社長がですか?」
「ええ。・・・自分の望む物はすべて手に入れた。お金や地位や名誉
 会社もこれだけ大きくなり、後は息子がすべて引き継いでくれる
 だけだ、と2ヶ月前まではそう思っていました。だが、先日つくし
 さんの言葉を聞いた時、はっきり言ってショックを受けました
 自分が今までしてきたことは間違いではないだろうが、仕事だけに
 没頭し家庭、家族というものを忘れていたことに」
頑固で堅物と噂されていた社長の思いも寄らない言葉に、つくしは驚きを隠せなかった。

「自分や周りを固めることばかり考えていた私に、つくしさんの
 言葉は神の声のように聞こえましたよ。心の中にこそ本当の美しさ
 があると…、外見ではない。何かを得れば何かを失うと諦めていた
 自分を取り戻してくれたのがつくしさんなんですよ
 ・・・お礼を言いたくてね、ありがとう」
「ちょ、ちょっと待ってください。私は会長に何もしていません
 ですからお礼言われることなど。それにパーティーの件ですが・・・」
「以前からつくしさんのことは聞いていました。偶然、花沢社長に
 遇って相談したところ…『一度娘の話でも聴いてみたらどうかね
 私たちが思い描く世界に近づけるかもしれませんよ。私たちが忘れ
 ていた純粋な心を取り戻せるチャンスかもしれない』と・・・
 まさか現実になるとは」
「お父様が・・・」

「ええ。パーティーの件は私の我が侭ということで、ドレスも
 何十年ぶりかに笑った。笑うということがこんなに素晴らしいとは
 実に爽快だ。人前で一度も笑顔を見せたことがない私が、今日の
 パーティーでそれができるのかつくしさんに見届けてほしいんだが
 私の新たな姿を」
「会長なら絶対にできますよ、既にこうして私に笑顔を見せてくれま
 したもの。・・・分かりました、お言葉に甘えて出席させて頂きます」


別室で社長が自ら選んでくれたドレスに着替え、ヘアーメイクを手早く済ませたつくしはパーティー会場であるオリエントホテルに向かった。

ホテルに到着した時間がぎりぎりだったせいもあり、会場に入ると会長の挨拶が始まるところだった。
「本日は望月商事70周年記念パーティーにお越し頂きまして誠に
 有難うございます。今こうして70年という歳月を迎えることが
 出来ましたのも、偏に皆様のお力とご協力のお陰でございます
 この筋目を期に初心に立ち返り“以心伝心”の構えで精進して
 いく所存でございます」
以心伝心の言葉を言った途端、会場はざわつき出した。なぜなら、堅物で心を開くことなど全くなかった会長が、言葉や文字ではなく、心でもって相手の心に伝えると発言したからだ。


「私がこう考えるようになったのも、一人の女性と出会ったおかげ
 です。若いながら言葉は的確に的を得ていて、この歳になって気
 付かされることがたくさんあります。私の第二の人生も捨てたもの
 じゃない、と私に未来を照らしてくれた方は・・・」
会長は会場の後の隅に居るつくしに視線を送った。

「その方は、花沢つくしさんです」
つくしの名が発せられた途端、会場は再びざわつき、一人、また一人とつくしに視線が移り、あっという間に招待客の視線はつくしに向けられた。
暫し呆然となるつくしだったが、気を取り直すと満面の笑顔で会長に視線を送って軽くお辞儀をした。その笑顔に会長は勇気を貰い招待客の前で心から微笑んだ。招待客は皆、初めて見る会長の笑顔に目を見開き暫し呆然となったことはいうまでもない。
「つくしさん、ありがとう。これで私の挨拶とかえさせて頂きます」


乾杯の音頭がとられ招待客は寛ぎ始める。
ただ一人寛げない人物がいた、それは類との婚約報道で一躍有名となったつくしを、それなりの地位である者ならば目にして知っているからだ。つくしの周りに人だかりができ身動きが取れない状況の中、救世主が現れた。
「つくし、つくし・・・、こっちに来い」
そう言ってつくしの腕を掴んで会場から出してくれたのは総二郎だった。
「助かったぁ、ありがとう」
「お前の人脈ってすげーな。お前のおかげだって?
 ・・・あの会長まで更生させたのか?」
「バーカ、そんな訳ないでしょ」

「取りあえずお前に報告しておかねえとな。・・・親父が認めた」
「認めたって、・・・もしかして優紀のこと?」
総二郎は微笑みで返事を返した。我が事のように喜ぶつくしは思わず総二郎に勢いよく抱きついた。
「良かったね、総二郎。・・・ホントよかったぁ」

会場から招待客がポツリ、ポツリ出て来る。その中には司とあきら、そして類の姿があった。
「お前ら何やってんだよ?・・・離れろ!」
青筋を立てて声を荒げた司は総二郎の頭を殴りつくしを離そうとする。
「いってーな司、暴力はやめろ」
「うるせッ!」
司と総二郎の間にあきらが仲裁に入る。類はつくしの視線を外すことなく真っ直ぐに寄って来る。


「俺以外の男に触れるの、禁止。たとえ親しい友人でもね」
「ぁい」
つくしは都合悪そうに俯き加減で返事をした。
「クククッ…、怒ってないよ。・・・で、なんで抱きついてたの?」

――追求するところをみると、顔は笑っていても腹の中は・・・
   なんかヤバイ状況?
「総二郎のお父さんが優紀のこと認めてくれたんだって
 あたし嬉しくて・・・つい」
「つい、なに?」
「だから、その・・・、つい嬉しくて」
「嬉しくて?」
類は返答に困っているつくしを楽しげにじっと見つめる。

「もう、またそうやって意地悪するんだから」
類はクスッと笑うとつくしの耳元で囁く。
「他の男に触れた罰。つくしの身体、清めなきゃね」

――清める?・・・なに清めるって?
   たぶんF4の中で類が一番嫉妬深いかも
   司も相当だったけど、司の場合は感情を剥き出しにして単純で
   でも類の場合は冷静で知恵がある
   意地悪さも巧妙で計算されているというか・・・、後が怖い


この会場でつくしが一躍有名になったのと同時に、また類も招待客の視線を浴びることとなった。面識があろとなかろうと容赦なくつくしと類の傍に来ては声を掛けてくる。休むことのない口先からは巧言の言葉が次から次へと吐き出される。
〝好一体の夫婦〟正しく理想のカップルと先程の婦人は言っていた。表面上の顔、言葉と心がイコールなのか、つくしと類は苦笑いして人をやり過ごした。


「つくしさん、会えて良かったわ~」
助っ人登場でつくしの精神は救われた。
「茜さん!お久しぶりです。会いたかった」
先程とは違い、今は自然に笑みが零れる。
「フフフッ… つくしさん、元気そうでなによりだわ
 類くんもつくしさんに会う度に驚かされるわね。ぶいずんご活躍
 なさっているようで、わたくしも嬉しいわ。これからのつくしさん
 楽しみね。類君もそう思うでしょ?」
「ええ、つくしにはいつも驚かされてばかりですよ
 つくしの言動が周りにいる人達が受ける衝撃が強いらしく、人生観
 が変わったとよく耳にします。それだけ惹き付けられるものを感じ
 るんだと・・・、俺もその一人ですけど
 まぁ本人は全く気付いていませんけどね」
「そうね。まぁその鈍感さが良いのかもしれないわね」
「あたしってそんなに鈍感なの?」
「つくしの鈍感は次元が違うし解釈も違う」

「言い忘れるところだったわ、総二郎くんのこと
 このホテルのロビーでばったり家元に遇ったのよ。
 つくしさんに頼まれていた件、きちんと話しておきましたわよ
 これで総二郎くんも心置きなく優紀さんを迎えることができるわね」
「茜さん有難うございます。これで優紀も安心できると思います」
「実の子より孫は可愛いって本当ね
 でも残念な事にあと3日いる予定が急用で明日戻ることになったの
 類くん、つくしさんのこと宜しくお願いしますね」
「はい」

そう言って茜は人込みの中へと消えると、2人の傍に再び巧言を吐き出す婦人方が集まってきた。類とつくしは軽くやり過ごすと、今度は面識のある人たちに挨拶を済ませ、ラウンジに向かった。

久々のF4全員集合、つくしを中心に会話が弾み和やかな時間を過ごす。
思いがけない朗報も有り、つくしにとって今日は嬉しい一日となった。


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2008年11月14日 (金)

PURE ANGEL[第3章]第6話


第6話

ついこの間まで残暑が厳しく暑い日々を送っていたのに、今ではコートなしでは寒さが身に凍みるほど秋の深まりを感じさせる。

優紀の気持ちも固まり後は総二郎の父を説得するばかりとなったのだが、総二郎の父は茶会で京都と名古屋への出張続きで、一方の茜は日本に帰国する時期と折り合うかが問題だった。そんな状況下でつくしは苛々しながら茜と総二郎の間に立って連絡の取り合いをしていた。

そんなある日、角田から内線が入った。
「若奥様、黒崎様からお電話でございます」
――茜さんだ
「部屋に回してください」
つくしは子機を持つとソファに腰を落ち着かせた。
「つくしさん、ようやく帰国の目処がつきましたので報告をと…」
「い、いつですか?」
「あら、そんなに慌ててどうしたのかしら?」
「・・・えっ?・・・アハハッ・・・、早く総二郎と優紀を安心させたくて」
「そう、だけどその安心させるのはもう少し先になりそうね
 帰国予定は1月15日なのよ。潤さんと進くんが進めている
 プロジェクトが年内に終わる予定なのと、年明け早々には合同
 パーティーや挨拶回りなんかで身動きがとれないの
 それと進くん大学卒業でしょう、本格的に黒崎の人間として
 挨拶を兼ねてと私も多忙になるので、日本に居られるのも
 4、5日間が限度になるわね」
「茜さん、無理言ってすみません。総二郎に伝えておきます
 進、頑張ってるんですね
 これからも進のことよろしくお願いします」
「進くんね、何があっても途中で投げ出すことはしないのよ
 『ダメって分かっていても途中で諦めたら後悔する
 精一杯やっての後悔なら自分でも納得することができる
 反省することができる』そう言っていたわ
 進くんといい、つくしさんといい、本当に良い子に育って
 私たちにとってこれ以上幸せなことはないわ
 娘夫婦にもお礼言わないといけないわね」
「進も頑固なところがありますので・・・
 それに人一倍負けず嫌いなところも」
「あら、やはり姉弟ね、つくしさんもそういう所がありますものね」
「そ、そう・・・ですか?」
「フフフッ・・・、つくしさん褒めているのよ。また何かありましたら
 連絡下さいね、可愛い孫のお願い事は大歓迎よ!
 身体に気をつけて類くんと仲良くね!」


「つくし、ただいま。……つくし、どうかしたの?」
一点を見つめ帰宅した自分の存在に気付かない様子のつくしに、類は背後から声を掛けた。
「・・・えっ?あ、類お帰りなさい
 茜さんから電話があって、そのことを考えてたの」
電話を切った後、つくしは進の成長ぶりに感激すると同時に茜に感謝し、今後の自分の身の振り方を思考していた。
「で、なんだって?」
「茜さんがね・・・・・・」
電話の内容を類に教えた。
「進くん頑張ってるじゃん
 そのプロジェクトって日本でも話題になってるくらいだから
 これが成功すれば黒崎グループはもちろん、進くんの格も上がって
 業界では一躍有名人になるね」
「進・・・大丈夫かなぁ」
「もう少しで終わるんだろ?完成したら行こっか?
 新婚旅行行ってないし、パリで良かったら俺が案内してやる」
「確か・・・パリ郊外だったよね?
 パリでも最大規模のショッピングモールらしいし
 じゃあさ、今からお金貯めなきゃいけないね」
「プッ!その気になったみたいだね、お金の心配はしなくて良いから
 それに行くっていっても1年先くらいのことだし
 その前にどっか行こう、寒くなってきたことだし、温泉にでも!」
やっぱりそうきたかぁ~と、つくしは苦笑いする。

類は着替えもそこそこに上機嫌でパソコン画面と睨み合いを始める。仕事をしているのか画面を覗くと、ネットで温泉を検索。どうしてこんな時だけ行動が素早いのかと感心させられる。

パリ郊外で最大規模のショッピングモールは、総面積は約82万平方メートル、約千の小売店のほか飲食店の数も百を越える。モール内にはジョットコースターや観覧車などを備えるテーマパークやホテルなどがあり、総合レジャー施設さながらになる。なんといっても総工費約820億円にも上るとあって、注目度も高い。
街中の複数の有名ブランド直営店、巨大小売施設との熾烈な競争も予想される。
これを成功させるのもパリで有数の大企業数社、その中の1社が黒崎であり、それを担当しているのが社長の潤と進。F4でさえこんな大きなプロジェクトに携わっている話は聞かないし聞こえてこない。つくしはこのプロジェクトが無事に成功することを祈った。


「くしゅん・・・くしゅん」
冷たい空気がつくしの肌を掠め、くしゃみで目が覚める。
ガウンを羽織り窓を開けて見ると、うっすらと雪化粧した景色に変わっていた。
刻々と変化する自然。
「ぅわあ~、雪が降ったんだぁ~。どおりで寒いはず・・・くしゅん」
つくしは冷たい外気に身震いして慌ててベッドに潜った。隣で眠る類の身体がとても温かく、無邪気に眠る子猫のようだ。つくしはクスッと笑うと、類の体温を奪うかのように冷えた身体を寄せる。

「・・し・・くし」
つくしが目を覚ますと、目の前に心配そうに見つめる類の顔があった。
「つくし」
「ど、どうしたの?」
「つくしが魘されていたから」
つくしの体からは冷や汗が滲んでいた。
類は唸り声で目が覚め、慌ててつくしを揺さ振り起したのだった。
魘されるような怖い夢を見た覚えもなく、つくしは理解が出来なかった。ただひとつ分かることは、それは心臓が飛び出しそうなくらいに鼓動が異常に速まっていたこと。


以前、診察をキャンセルした病院につくしは来ていた。早朝、不安そうに見つめる類の顔が忘れられず病院に行く決心をしたのだった。
「花沢さんは不整脈がでていますね」
心電図の結果を見ながら医師は開口一番そう告げた。
つくしはやっぱりと思いながらさらに医師の説明を聞く。

「まぁ不整脈にも色々な症状がありまして、一番多いタイプは時々
 脈が飛ぶ期外収縮異常に速くなる頻脈症、遅くなる徐脈、全く
 規則性がなくなってバラバラになる細動、大きく分けるとこの
 4つになります」
「4年前にも不整脈と診断されました
 その時は時間に追われる生活をしていたのであまり気にも留め
 ませんでしたが、2年半前にこちらの病院にお世話になった時
 科は違いますがその時の先生に言われました
 ・・・名医を紹介しますので詳しい検査を、と」

「その時の体の状態はいかがでしたか?」
「7月でとても暑くて、私は婚約したばかりでしたので
 毎日記者たちに追われる生活でとても疲れていました
 ・・・めまいや吐き気、息切れなどがありました」
医師は眉をひそめたがそれは一瞬のことだった。
「そうですか。大部分は心臓に病気はなくて、日常生活の中で出る
 のが普通です。ストレスや睡眠不足、飲みすぎ、高カロリーなど
 自律神経のバランスが乱れて出てくるケースです
 ただ花沢さんの場合、症状が出てから4年が経ちますので今日の
 採血とエコーの結果を見てからもっと詳しく検査をしましょう」
柔らかい口調で話す医師
〝検査〟と聞き、未知なる不安が押し寄せてくる。

「期外収縮では気付かないことが多いですが、脈が発作的に非常に
 速くなる場合と静かにしている時に起こることが多く、起こった
 瞬間に自分でも分かりますので、自分で不整脈を感じた際に脈を
 取り、その様子をメモしておいて下さい
 中指で軽く触れて1分間にいくつ打つか数えます。普段から練習
 して、異常を感じたときにチェックできるようにしておきましょう」
そう言って医師はつくしの手を使って脈拍の測り方を教える。
「治療は不整脈によって違いますが、大体は薬で治療します。1週間
 から2週間様子を見て、症状が出たらメモするという形で。但し
 どうしても気になるような症状でしたらいつでもいらして下さい」
「あの……薬だけで治るんですか?」
「どのタイプの症状か分かれば薬で治療します
 花沢さんの場合はまたはっきりと断定できない状態ですので
 それと複数の症状があるようですし、少し様子を見てどのタイプ
 なのか症状を見極めてから薬を検討します。あと、これ以上悪化
 させないためにも適度の運動を勧めます」
「……適度の運動?」
「あまり深く考えずに、散歩程度に気軽に考えてもらえれば」
「あ、はい」
つくしは医師に軽くお辞儀をして診察室を後にした。
会計の待ち時間、つくしは長椅子に座り医師の話を思い返す。


花沢家に嫁いで4度目のお正月を向かえ、以前から誘われていた温泉に類と2人で出掛けた。体がふやけるほど温泉を堪能し、旬の料理を味わい、景色を楽しんだ。
年が明けると類とつくしは挨拶回りで多忙の3日間を過ごした。類も大学を卒業して3年目、花沢家の跡取として本格的に身を固めるために他社との繋がりや上下関係、会社の維持、又はそれ以上に伸ばすために必要な人脈、挨拶やパーティーは横の繋がりとして必要不可欠なもの。
つくしはパリで身に付けた作法や礼儀、語学などをフルに活用して献身的に類のサポートをしていった。つくしの性格と笑顔、そしてその純粋な輝きの瞳は初対面の人でさえたちまち魅了してしまうのであった。

「つくしと一緒で良かった
 俺1人で挨拶に行ってたらどうなってたことか」
「フフフッ・・・、でも前に比べたら類の表情、柔らかくなったね
 まっ、あれだけ類の大好きな温泉に入ったことだし
 上機嫌もあったのかな?」
「ゆっくり休んだからね。・・・昨日行った保坂グループの息子、気が
 あるみたいだから気をつけてよ。つくしを見る眼差しが異常だった」
「アハハハッ・・・。独身ならともかく類と結婚しているのに
 有りえないでしょう」
「鈍感な奥さん貰うと大変だ。あの息子だけじゃないよ
 石亀財閥の息子や月岡商事の息子も、・・・・・・それにその弟だって」
類は不機嫌そうに言うとベッドに寝そべり、リモコン片手にテレビのチャンネルを何度も替える。
「やだ類、なんの観察してんのよ?」
「………。」

返事がない、テレビのチャンネルはかわらない。寝ているのかとつくしはベッドに歩み寄り類の顔を覗き込んだ。
「なんだ、起きてるじゃん」
つくしが去ろうとした時、類はつくしの腕を掴みベッドに座らせた。
「どうしたの?」
「なんか俺、・・・久々嫉妬した。あいつらがつくしを見る眼差しが
 俺が過去につくしを見ていた時と同じような気がして・・・
 どこに行ってもつくしは好意をもたれるから」
真っ赤になって俯くつくしの頬を類は両手で挟み自分の方に向けさせると、愛おしうに見つめる。
「つくしの輝く瞳で、俺だけを映して」
「類・・・」
「振り向いた先につくしがいないと不安になるんだ」
漆黒の瞳には類が、セピア色の瞳にはつくしが映る。
やがて視線は瞳から唇へと移動していく。

今の2人の気持ちはきっと原点に戻った頃の想いだろう
法律上認められた夫婦という保険があっても
ときには互いの想いを確認し合うことも必要だ
原点に戻って
そして言葉にして伝えよう
愛していると


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2008年11月13日 (木)

PURE ANGEL[第3章]第5話


第5話

「つくしゴメン。お昼には戻るから一緒にご飯食べよ
 つくしの大好きなお膳ってやつ、角田さんに頼んでおいたから」
急遽仕事が入った類はそう言って足早に車に乗り込んだ。
「類!行ってらっしゃい!」
つくしは笑顔で送り出した。
――お昼には戻るって言ってたし、それまで何しようかなぁ~
つくしは長い廊下を歩きながら、お昼までどう時間をつぶそうか考えいた。
「今日も天気がいいなぁ~」
9月になっても残暑は厳しく、木や草花や池には朝から太陽の光がさんさんと降り注ぐ。清々しさに誘われるかのようにつくしは中庭に出た。
「ぅわあ~こんなになってたんだぁ~」
つくしはある植物に目がとまり、しゃがみ込んで眺める。
「時折、類様も見てますよ。その子宝草を」
角田が声を掛けてきた。
「・・・えっ?・・・類が」
「はい、今の若奥様のようにしゃがみ込んで眺めてらっしゃいましたよ
 もう直ぐ5年になりますね、子宝草が花沢家にきて」
「もうそんなになるんだねぇ
 類も?・・・どんな思いで見てるんだろう?・・・やっぱり、子供が・・・」
つくしの言葉を遮るかのように角田が口を挟んだ。
「若奥様、類様はとても若奥様を愛しておられますよ
 子供が全てではありません、それは旦那様も奥様も理解しております
 ですから余計なことは考えずに、今の幸せを大切になさって下さい」

角田は23歳の時に事故に遭い、その時に両親を亡くした。角田は奇跡的に助かったが腹部を強打、小腸の一部と子宮摘出と重傷を負った。身寄りのない角田を葵は住み込みで雇い、それから28年が経とうとしていた。
愛する人の子供を産みたいと、女性に生まれたならば誰でも思うこと。だが角田にはそんな平凡な望みさえ叶わないと知った時、計り知れない絶望感を経験した。だからつくしの気持ちはよく理解し分かっていたが、その反面諦めてほしくなかった。希望はゼロではないのだから。

「お昼に伺うと西門様からお電話を頂きました」
「総二郎が?・・・ああ~、そういえば話があるって言ってたっけ
 ・・・・・・角田さんは、結婚って考えなかったんですか?」
「そうね、・・・奥様から縁談のお話を頂いたこともありました
 奥様にも旦那様にも良くして頂いて
 結局はこの花沢家は私にとって居心地が良かったのでしょうね」
「角田さんは今、幸せ?」
「ええ、とっても幸せですよ
 何を思い幸せと感じるかは人それぞれ違うものです」
角田はつくしに優しく微笑むと一礼をして去って行った。
「何を思い幸せと感じるか?かぁ~」
つくしは角田の言葉を繰り返すと再び子宝草に視線を戻した。
――類は今幸せなのかなぁ
   子供は全てじゃないって言ったけど、あたし達の幸せって・・・


ふと時計を見るとまだ10時を少し過ぎた頃。
心を無にして安定させるにはこれが一番と、つくしはある部屋に向かった。行き着いた先は外の音がシャットアウトされる防音設備がなされた空間。
グランドピアノを前にしてつくしは大きく深呼吸をすると鍵盤に指を滑らせた。渚のアデリ-ヌ、別れの曲を奏でていく。パリにいた頃、マリーとリサの3人でよく弾いていた曲だ。
心が穏やかだと自然と奏でる音もそうなるらしい、心と音は平行線。
G線上のアリアを悠長に弾き終えた時、背後から拍手がわいた。すっかり自分の世界に入っていたつくしはびっくりして後ろを振り返った。その視線の先には長い足を組んでソファに座り、微笑を向ける類と総二郎がいた。
「なんでここに・・・、いつからいたの?」
「昼になってもお前が来ないから、類と迎えに来たんだよ」
「もうお昼なんだぁ」
「お前のピアノ聴くのこれが2回目だけど、月とスッポンだな
 司のパーティーの時これくらい弾けたらな
 お嬢の出来損ないくらいには見えたのによ」
「クククッ・・・」
「ちょっと、何よお嬢の出来損ないって?・・・それに類!笑い過ぎ!」
「楽譜なしで弾いてたのか?お前にしちゃ上出来じゃん
 褒めてんだよ」
そう言って総二郎は柔らかく微笑む。その隣では類が笑っている。いつの間にかつくしの顔からも笑みが零れる。
「つくし、ご飯食べに行こう」


類の一言で3人はダイニングに向かい、つくしの大好きなお膳を堪能する。
つくしは笑みを浮かべ満足げに、総二郎は不思議そうな顔をして、類はそんな2人を面白そうに瞳をキョロキョロさせて眺める。
「なんでお膳なんだ?今日なんかの祝いか?」
「別に、ただつくしがお膳好きだから」
「だって、お膳って冠婚葬祭の時ぐらいしか食べられないでしょ
 いろんな種類があって、見た目にも楽しいじゃない」
「午前中、つくしをひとりにしたお詫びのしるし」
「はあっ!?お前ら休日も朝から晩まで一緒にいんのか」
「そうだけど。・・・悪い?」
「いや、ただ、会社でも会うだろ
 だから、・・・その飽きねえのかなぁ~と思って」
「なんで?好きなら一緒に居たいって思うの当然でしょ」
「まあ~あれだ、聞く相手が悪かったぜ。類たちは特別だからな」
「ねぇ~総二郎、優紀のことで話があるんじゃないの」


「・・・実はさぁ、俺と付き合うのやめたいって言ってきたんだよ」
「ちょっと!優紀になんかしたの!?」
「おい!ちょっと待て!今から説明するから
 そのゲンコツ目の前に持ってくんなよ
 ・・・優紀ちゃんはつくしの親友で、一般家庭の子同士だったから
 余計に分かりあえたものがあったんだと思う」
「話がよく分からないんだけど」
「要するにだ、優紀ちゃんは一般家庭の子だということを
 気にしてるんだよ」
「な~んだ、そんなこと。あたしだってそうじゃん」
「クククッ・・・」
「お前なあ~、違うだろ、黒崎の孫だろ
 黒崎って言ったらそのスケールは俺らの家はおろか
 世界の道明寺財閥なんかハナクソみてぇなもんじゃねぇか
 ・・・大体にして一番ボンビーだと思っていたお前が
 お前が司のはるか上をいくんだぞ
 天と地がひっくりかえったようなもんなんだぜ!
 お前分かってんのか?」
「・・・えっ?・・・あっ!そうかぁ」
「だから俺と釣り合わないっていうんだよ」
「総二郎はどう思ってるの、優紀のこと?」
「俺はマジで将来のこと考えてるよ。だから先月親に紹介したんだ」
「やったじゃない!・・・もしかして親が問題とか?」
「お袋は気に入ったらしいが、・・・親父が・・・」
「お父さんが何?やっぱ、家柄?」
「まぁ~それもある。・・・だけど親父を説得できる人間が
 1人だけ居るってお袋が言うんだ」
「へえ~、その人って誰か知ってるの?」
「それは、つくしのお婆さんだとよ」
「・・・茜さんが?・・・なんで?」


「お袋の話だと・・・
 『総二郎さんも知っているわよね、家元が女性にだらしないことを
 昔、家元に説教した人がいるのよ。それ以来性格が変わったように
 家元に徹するようになったの。いわゆる愛人もつくらなくなった
 その方は総二郎さんもご承知の方よ
 つくしさんのお婆様、黒崎茜さんなの。……私は優紀さん好きよ
 とっても可愛くて、素直なお嬢さんで・・・
 総二郎さん、真剣に将来のことを考えているのでしたら
 みなさんから祝福される結婚をしなさい。そのためにも家元を
 説得しなさい』って、つくしの婆さんが親父を説得してくれりゃ
 優紀ちゃんの立場も軽くなるだろ?」
「総二郎の父さんに茜さんが説教ねぇ。クククッ・・・」
「お前の婆さんてスゲーよな
 親父に正面切ってものを言えるんだからな」
「俺らの中ではつくしが一番で
 親たちの中では茜さんが一番ってことだね
 総二郎、俺らはどっちに転んでも頭が上がんないってことだね」
「鬼に金棒ってことか」
「あんた達は・・・。・・・とりあえず、茜さんと優紀に話してみるから」
「おお、頼むぜ」
「総二郎も相当変わったね、完全にポーカーフェイス崩れてるよ」
「お前には言われたくねえな
 ・・・ところでお前らって、見合い結婚?恋愛結婚?どっちなんだ」
「何いきなり、俺そんなの考えたことないよ
 ・・・ん?見合いの日にプロポーズして、・・・見合い?
 ・・・でもその前から付き合ってたし・・・、うーん・・・」
類の頭を悩ませる課題を残したまま総二郎は帰っていった。


つくしは総二郎の言葉が気になっていたが、仕事が忙しいこともあり優紀の時間とが折り合いがつかないまま、総二郎から相談を受けてから3週間が経とうとしていた。そんなある日、つくしは偶然にも取引先のビルの前で優紀に遇う。
「優紀、久しぶりだね」
「あっ、つくし。・・・つくし元気そうだね」
そう言った優紀の顔は笑っていたがつくしには分かった、無理して笑っていると。
世界屈指の大企業である黒崎財閥の孫であり、花沢物産の御曹司の嫁。たとえ学生時代からの親友といっても、壁を築いてしまう自分がいる。優紀の心に重く圧し掛かる家柄、そして〝あたしだけが〟と自暴する心。考えても仕方がないと分かっていても抜け出すことが出来ないことに、優紀の顔に影を漂わせ深く落ち込んでいく。
「優紀、大丈夫?顔色悪いみたいだけど」
「えっ、あっ、平気」
立ち話もなんだからと、つくしは近くの喫茶店に優紀を誘った。


お互いにコーヒーを口に運び暫しの沈黙が流れる。
つくしは優紀の様子を窺いながらカップをテーブルに置くと口を開いた。
「ねぇ優紀、これからどうしようと思ってるの、総二郎のこと?」
優紀はやっぱりそのことかぁ~と思いながら、ふと総二郎の父の話を思い返す。

<総二郎は次期家元になる身
 松岡さん、その時あなたは総二郎を支えることが出来るのかね?
 それなりの家柄で作法を身に付けていたとしても
 茶道というものは複雑で難しいものなんだよ
 何年もかけて身に付けた技術があっても
 華や季節の知識や形と型の思いやりや支え合い
 〝一期一会〟〝美と心〟その時々が勝負なんだよ
 表千家茶道は全国に支部を持ち、また文化交流として海外にもある
 国内は勿論、海外の長期出張もあるだろう
 婦人会やお弟子さんの指導や来客の接待など
 多忙の日々を松岡さんはこなせるのかね?
 西門家には歴史と文化と格式がある、愛情だけではのりきれんよ>


「前につくし言ってたよね、道明寺さんの世界に入る勇気がない
 世界が違い過ぎるって。・・・・・・あたしも総二郎さんの世界に・・・」
「確かに司と付き合っていた頃はそう思ったよ
 世界の道明寺だし、価値観や育った環境なんてまるで違うからね
 でも頭で考えていても何も始まらないんだよ、前に進まないんだよ」
「そう考えられるのはつくしが・・・、つくしがあたしと違うから」
「優紀が何を考え何を思ってるかは知らないけど
 あたしはあたしの性格や考え方があるし
 優紀には優紀の性格や考え方がある
 十人十色なんだからイイんじゃないの。周りがなんて言おうが
 優紀が総二郎を好きだっていう気持ちがあれば
 家柄の違いなんて今始まったことじゃないじゃん
 大切なのは自分の気持ちに正直になることでしょ?」
「そうだけど・・・」
「けど、何?」
「・・・・・・。」
「あたしたちは親友でしょ?
 あたしがパリに留学する時に優紀言ったよね、正直になるって」
「総二郎さん、つくしに何か話したんだね」
「結婚する相手は優紀だけだって思っていたのに
 急に優紀の態度が変わるから心配してたよ
 家柄の件なら問題ないから気にしないで
 それより問題なのは優紀の気持ち、・・・本心を聞きたい」
「あたし嬉しかったの
 総二郎さんが両親に会ってくれって言ってくれたとき
 本当にあたしを選んでくれたんだと思ったから
 ・・・・胸がいっぱいで・・・。でも、お父さんの言葉がどうしても・・・」
「親や家柄は省いて、今の総二郎に対する優紀の気持ち教えて」
「・・・・・・あたしは総二郎さんが好き、・・・・・・結婚したい」
「今の気持ちを大切にしてね。・・・あと、優紀に言っておくけど
 あたしはたまたま黒崎の孫だったっていうことだけで
 あたし自身は何も変わらないし、いつまでも優紀の親友だと
 思っているよ。優紀も同じ気持ちだと思っていてイイんだよね?」
「つくし、ごめん。いつまでも親友だよね」
「うん!総二郎のお父さんのことは任せておいて、対策案があるから」
優紀は全ての不安が取り除けたわけではないが、つくしと話をして少し楽になる。いつまでも親友と言ってくれた心強い言葉や、自分を気遣ってくれた気持ちがすごく嬉しく、心に温かさを感じたのだった。

人との絆というものは、頑丈そうにみえてとても脆いもの。それは親友と呼べる間柄でも同じこと。大切にしていないと、いつの間にか壊れて無くなってしまう。
本当に心から許せる相手というのは、人生の中でそう何人も出会えるものではない。


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2008年11月 6日 (木)

PURE ANGEL[第3章]第4話


第4話

白いチャペルから祝福の鐘の音が辺り一面に響き渡る。
青く澄んだ空、心地いい風が草花の香りを運んで2人を包み込む。あきらと滋の永遠の誓いがたった今終ったところだ。
両サイドから色とりどりの花びらが新郎新婦の頭上を舞い、親族や友人らから祝福の言葉を受け幸福に満ち溢れた笑顔で階段をゆっくりと降りていく。
2人の披露宴の会場となる広大な庭園は、まるで人工の芝かと思わせるほど綺麗に刈り揃えられた芝生が敷かれ、真っ白なクロスを纏った円卓が幾つも規則正しく並んでいる。
類とつくしは隅の方のテーブルに身を落ち着かせた。
「滋さん、とっても綺麗だったね
 いつも落ち着きがないような行動してるけど
 緊張してたみたいで可愛い」
「クククッ…、つくしの方が綺麗だよ」
「ちょ、ちょっと類、こんな所で冗談はやめてよね」
「正直な意見なんだけど」
仲睦まじい類とつくしを眺めていた桜子が2人の元にやって来た。
「ア~ァ、2人の世界に入っちゃって
 ほんとアツアツでやってられませんね」
「桜子、何言ってんの、類の冗談に決まってるでしょ!」
「先輩って結婚しても鈍感なところは変わらないんですね
 悔しいくらいに先輩は綺麗になりましたよ」
「くくくっ…」
「何よそれ?・・・類!笑うんじゃないの」
にこやかに笑う類と羨ましそうに見つめる桜子の間に挟まれたつくしは、褒められたかと思えばおちょくられ、笑われて憤慨して類を睨んだ。
そこに笑みを浮かべながら総二郎が割り込む。
「つくしは相変わらずだな。俺が教えてやるよ
 桜子の場合はだな、人工的に無理して作り上げたフェイスだが
 つくしの場合は、時の流れで自然的に美しくなった
 フェイスってことだよ」
「ちょっと!無理してってなんですか!?」
「まあ~本当のことだからしゃあねえじゃん、そんなに睨むなよ
 それより、あきらの新居先聞いてない?」
「美作邸に住むそうですよ」
「マジで」
「滋さん目を輝かせて言ってましたもの
 なんでも新婚旅行に行ってる間に引越しするとかって」
「だからアイツ何も言わなかったんだな」
「クククッ…、結局そうなるんだよ、総二郎わかったでしょ」
「いや、俺には分かんねぇ」


7月25日 2回目の誕生日

「その花・・・」
「前に類から貰ったトルコキキョウ
 あたしのイメージはピンクって言ったでしょ
 子供のイメージはイエローかなぁ~と思って
 でもパープルにも目移りしちゃって何本か混ぜて貰ったの
 なんか男の子にあげる色合いになっちゃった」
「プッ、つくしらしいね」
2人は仕事の都合で一緒に来れずお寺の前で待ち合わせをしていた。お寺の中に入ると外とは対照的に薄暗く、ひんやりと冷たい空気が2人の肌を包んだ。
つくしは花瓶を準備すると手際よく花を生け始める。その脇で類はポケットからミニカーを出して手の平にのせ、満足そうに眺める。
「類、それ・・・どうしたの?」
「ん・・・、誕生日プレゼント」
「プレゼントって、・・・なんでミニカーなの?性別分かんないのに」
「なんとなく…。ここに来る途中、ショーウインドウで見つけた
 なんか気に入ったから、…青だし、それにプジョーだったから」
根拠がよく分からないつくしだったが、我が子を思う気持ちとミニカーを見て嬉しそうに微笑む類を見て自然と笑みが零れる。
少しして和尚が来てつくしは花を、類はミニカーを和尚に手渡す。
2人は和尚の後ろに正座をすると、ゆっくり手を合わせる。静寂な本堂に和尚のお経と木魚の音がが響き渡り、身が引き締まる。


15分ほどでお経は終わり、お互い会釈を交わすと類は和尚に御布施を渡して供養を済ませた。
2人はお寺を出ると類が予約していたレストランに入った。用意された広く豪華な特別室は寒過ぎず暑過ぎず、爽快で心地いい空気が2人を出迎えた。
「気持ちいいね~」
「うん。俺やっぱ暑いのキライだ」
「アハハハッ…。類って面白いね
 さっきまで紳士の顔してたと思ったら今は子供みたいな態度で・・・
 よくあたしのこと表情がころころ変わるって言うけど
 人のこと言えないよ、類の態度や表情見てると」
「う~ん、似てきたのかなぁ
 つくしの前だと自分が自分でいられるから
 それに、甘えられるからかも知れない
 小さい頃から殻に籠もって感情を抑えてきたからね
 でもその感情もいつしか忘れてしまってたけど・・・
 つくしと生活してつくづく思うんだ
 こんなに幸せでいいのかって、怖いくらいにね」
「やだなぁ、類、そんなマジな顔して」

――つくし、本当のことだよ、本当に心からそう思ってるんだよ
   でも幸せすぎてたまに怖くなるんだ
   いつか終わるんじゃないかって、不安になる時があるんだ
   この幸せが永遠に続くことを・・・
結婚に至るまでさまざまな艱難を相手の痛みを自分の痛みとして乗り越えてきた。結婚後は仕事で時間に追われる生活だが、2人の間に特に問題が生じることもなく、平穏な生活を送ってきている。
類はこの平穏な生活に幸せを感じていたが、その反面すべてが何事もなく順調に進んでいくことに若干の不安をも感じていた。


少ししてボーイがアイスミルクとワインをテーブルに置いた。類は去年と同様にアイスミルクを自分の隣の空席に子供の分として置いた。
「「2歳の誕生日に、カンパーイ」」
その後、直ぐに料理が運ばれてくる。オーダーしていないにも関わらず次々と料理がテーブルに並んだ。
「ちょっと類、いつ頼んだの」
「料理がくるまで時間かかるから、この店を予約する時に一緒にね
 つくしは和食ばっかり食べているからたまにはいいよね、肉も」
「これってコースだよね?」
「うん。一皿ずつ持ってくるの待ってたら疲れるでしょ
 さぁ食べよう」
「うん。・・・良く分かってるんだね、あたしのこと
 この配慮といい、口数といい、出会った頃の類からは
 想像もつかないよ。でも変わらないものもあるよ
 類の笑顔、それと・・・、思いやり」
「前に司に言ったことがあるけど、つくしのことは誰よりも
 俺が一番分かってる。言っておくけど、つくしに出会った頃の
 俺はすべてに興味が無かっただけなの
 つくしは変わらないね、元気で、いじっぱりで、・・・純粋で・・・
 笑顔が眩しくて・・・。そんなつくしが羨ましくも思ったし
 憧れた部分もあった」


<一度詳しく精密検査を受けた方がよろしいですよ
 若いからといって油断していると
 後で取り返しのつかないことになり兼ねませんよ>
留学していた時に病院の先生が言った言葉がつくしの脳裏に浮かんだ。
最近のつくしは動悸がひどく、就寝中に鼓動の乱れを感じて目が覚めることも多々あった。

――流産して病院に入院した時も先生から同じことを言われた
   そして最後に・・・、心臓専門の名医を紹介しますと・・・
   気には留めていたけど、毎日が忙しく時間に追われる生活で
   色々な出来事が日替わりのようにやってきて
   こなすのに・・・、解決するのに時間だけが過ぎていく毎日
   あれから3年半が経つんだぁ
「やっぱり診てもらおうかなぁ~、万が一ってこともあるし」
「ん~・・・・・・、万が一?」
隣で寝ていた類がつくしの独り言に反応した。
「な、なんでもないの、ただの夢だから」
「そぅ・・・・・・ゅめ・・・」
類はだるそうに呟くと、また規則正しい寝息をたてて眠りに入った。
――ふーう、ヤバイ。不安がっててもしょうがいないし、行ってみるか


4日後、以前入院した病院につくしは来ていた。
「あれ?お前何してんの?」
つくしが科の掲示板を見ていると背後から声がかかった。
――この声は・・・、なんでこんな時に・・・、なんでここにいるのよ
   タイミング悪すぎ
「総二郎、こんなとこで何してんの?」
「それはこっちのセリフ、つくしこそ何やってんだよ?」
――まさか、できた?なんてなぁ、・・・まさか・・・
   違ってたら・・・、聞けねぇよな
「あ、あたしは見舞いよ、お見舞い。・・・総二郎は?」
つくしはとっさにウソをついた。ここで本当のことを言って総二郎から類に知られたら心配をかけてしまう、そう判断したからだった。
流産の出来事があって以来、類は常につくしの身体を気遣っていた。
「俺も見舞いだけど。それにしてもお前、見舞いって手ぶらでか?」
「・・・えっ?・・・あっ、イヤもう済んだから」
「そうか」
「じゃぁね」
「あっ!そうだ。つくしに相談があるんだけど、優紀ちゃんのことで」
「・・・優紀?・・・どうかしたの?」
「まあ~後で連絡するから時間空けてくれよ」
大きな花束を片手に奥へと消えて行く総二郎を見送りながら、つくしは診察を受けるかどうか迷った。同じ病院内、またばったり遇う可能性もあると考えたつくしは、今日の診察をキャンセルすることにした。


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2008年10月28日 (火)

PURE ANGEL[第3章]第3話


第3話


青々とした葉を茂らせていた樹木も、黄色や朱色の秋色に染まり始めた頃、突然あきらから理由も聞かされずノーブル(クラブ)に集合をかけられた一同は、何事かと特別室で待っていた。その一同の中に司の姿もあった。
四面楚歌となっていた司は記憶を取り戻した事と、流産して深く傷ついたつくしの心の支えになった事で、類とつくしの結婚式を境に以前のように幼馴染が復活した。


少しするとあきらと滋は緊張した面持ちで、それでいてどこか照れくさそうに入って来た。
「集合かけたヤツが遅れてくるとはな」
「で、報告ってなんだよ?」
「今日みんなに集まってもらったのは」
あきらは滋の顔をちらりと見ると言葉を続けた。
「滋と結婚をすることになったから、みんなに報告しておきたくて…」
突然の報告に呆気に取られたみんなはあきらと滋の顔をキョトンとした表情で見ていたが、照れまくる2人の様子からようやく理解したみんなの顔が喜び一色となり、おめでとうコールが室内に響く。心からの祝福を受けたあきらと滋の緊張もいつの間にか消えていた。


「滋さん、おめでとう。本当に良かったね、すごくイイ顔してるよ」
「ありがとう、つくしのおかげだよ
 〝愛する人と一緒に同じ季節を感じたい〟ってあたし思いきって
 あきらに言ってみたの、そうしたらあきらが・・・」
「滋さんから求婚したんですか?」
男性陣はあきらに、女性陣は滋に詰め寄りお祝いの言葉や冷やかしの言葉が飛ぶ。
「どちらでも良いじゃないですか。滋さん、おめでとうございます」
「優紀ちゃんありがとう。次は優紀ちゃんの番だよ
 ニッシー待ってたらいつになるか分かんないんだから
 優紀ちゃんも自分からアタックするぐらいでなきゃあ
 重い腰が上がんないよ」
「そうですよね、女を見ると腰が軽い所がありましたからね」
「桜子!僻んだり妬んだりするんじゃないの!」
「滋さん、いつ私がそんなことを・・・」
滋と桜子のバトルの脇で、つくしと優紀は穏やかに近況報告していた。


「マダム・キラーのあきらがなぁ、信じられねぇけど良かったな
 おめでとう」
心から祝福する司。
「類の次はあきらかよ。・・・・・・しっかしよ、この間会った時そんな
 そぶりなかったけどな。あきらのことだからプロポーズはロマン
 チックなこと言ったんだろうな?」
まさかこんなに早くあきらが結婚するとは思ってもいなかった総二郎は、サプライズ的な報告に少しムッした。
「なんで俺に黙ってたんだ?
 一番に教えて貰いたかったな…、水くさいヤツ」
そう言いながらも親友の笑顔を見れば自然と頬は緩んでいく。


「相手は滋だぜ、ロマンチックも何もあるか」司
「クククッ…、滋からだったりして、プロポーズ」
何気にボソッと呟いた類にあきらの眉がピクピクと引きつる。
「えっ!マジ!?」
あきらの一瞬の表情を見逃さない総二郎は勝ち誇ったように声を弾ませる。
「あきら君、もう君の人生も終わりましたねえ~
 スタートからこれじゃあ」
「まっ!仕方ねえだろ。あのお袋さんに双子の妹、そして滋だ
 どれとっても個性の塊だぜ。なんと言っても女帝家族だもんな」
「ったく勝手なことばっかり言いやがって・・・
 俺が一番気にしていることを」


「あきら、よかったね。・・・子供ができたら報告してね」
「・・・るい」
「俺たちに遠慮されるとかえってつくしが悲しむと思うから
 めでたいことは素直に〝おめでとう〟って言いたいから、ね」
「あぁ分かった、滋に言っとくよ」
「類、本当にできねえのか?」
「うーん・・・分かんない。・・・でも俺は幸せだから、つくし以外望む
 ことなんてないよ。だから総二郎も司も遠慮しないでね」
「バーカ、誰が遠慮なんかするかよ」
暫くして男女が混ざり深夜まで笑い声が続いた。


外見は立派な大人の姿をしても
恋をすると子供に戻る
無邪気に笑い
素直に喜び
時には頭を抱え
悩み苦しむ
仲間やひとりでは出来ない事も
想い人とならなんでも出来る自分に気付く
大切に思う何かがある時
人は全力でぶつかり成長していくもの
人は全能じゃない
だから人を求め助け合う


花沢家の三が日は和服で過ごすらしい、去年もそうだった。
慣れない着物で一日中過ごしていたせいか、つくしはベッドに座ると肩をトントンと叩きながら大きな溜息をつく。
「今日はお疲れ様、パリから来た客人を神社に連れて行ったって?」
「そうなの、観光したいっていうから浅草に連れて行ったの
 煙を手で頭や体なんかにかけて悪いじゃきを追い払うやつ
 これがさぁ~結構喜ばれて…。あっ!そうそう近くの天ぷら屋さん
 に行って、天ぷらとおそばのセットを食べたの。日本に来たらやっ
 ぱ天ぷらかお寿司よね。アハハハッ…、箸使えないから食べ終わる
 まで1時間くらいかかったんだよ」
先程までだるそうに疲れた様子を見せていたつくしだったが、話し始めると瞳はキラキラと輝いて生き生きとしている。そんなつくしを類は頬を緩ませ楽しげに見つめる。


「その後、船に乗って、帰りにおみやげとして定番の雷おこしを
 あげたの」
「喜んでもらえた?」
「ホテルのロビーまで送ったんだけど、笑顔で〝とっても楽しかった〟
 って、また日本に来たらお願いって言われちゃった」
「良かったね。…きゅうくつだろ?つくしも早く着替えなよ」
「ねえ~どうして着物なんだろうね?この帯取るの結構力いるんだよ」
なかなか外れない帯と格闘すること数分が経つ。既に着替えを終えた類はそんなつくしを楽しそうに眺める。
「指痛くなってきた」
「悪いお代官様がこうして帯を取る楽しみのために
 着せたんじゃないの」
類は帯を掴むと一気に引き寄せる。つくしは反動でクルクルと回転し足が縺れて転びそうになった。
「もう少しで壁に激突するとこだった」
突然の出来事につくしは何が起きたのか分からない。気付くと類の腕の中にいて優しく包み込まれていた。
「大変だったら俺が脱がしてやる、一度やってみたかったし」
無邪気な子供のように輝いた瞳とは裏腹に、心持はすっかり悪代官様になっている。

「つくしごめんね、忙しいのに」
「どうしたの?滋さんにしては珍しくマジな顔して」
今まで見せたことのない深刻な顔をした滋は、つくしのオフィスの来客用ソファに座っていた。
「実はさぁ、・・・あきらと喧嘩になっちゃって・・・」
「・・・けんか?」
「そう。あたしひとりっ子でしょう、だから姉妹が羨ましいんだよね
 大勢で暮らした方が楽しいじゃん。それなのにあきらったら
 妹たちからお兄ちゃまって言われるのうざいって
 家を出て、マンションで静かに生活したいって言うの」
「ああ、何処に住むかでもめてるってことね」
「つくしなら分かってくれるよね、経験者なんだし。つくしの時は
 類くんがおれたんだよね?・・・類くん優しいから、でもあきらは・・・」
――優しいからって・・・、類も結構頑固だったけど
   まぁ~結果的には類がおれたことにはなるけど
   でも暫くの間、拗ねてたけどね

同じ頃、同じ階の専務室にはあきらが不機嫌な顔をしてソファに座っていた。
「まったく滋のヤツ・・・」
「あきらが来るなんて珍しいじゃん。なんでそんなに機嫌悪いの?」
「俺、結婚したら家を出るって決めていたんだよ
 妹2人とお袋から解放されてのんびりと過ごそうと考えていたのによ
 滋ときたら・・・、同居するって言いやがって一歩も引かねぇんだよ!
 ・・・類なら分かるだろ、俺の気持ち」
「なぁ~んだそんなこと、仕方がないんじゃない」
「おい!類!お前だって家出てマンションにって言ってたじゃねえか」
「ああ、つくしと2人きりで生活したかったからね。でも今考えれば
 この生活も悪くないなぁって思ってる。何処に住んでもつくしが傍
 にいればいいし、場所なんて関係ないのかも」
「お前になくても俺にはあるんだよ!」
「クククッ…、じゃあ、あきらは一歩も引かないんだね?」
「当たり前だろッ!ここで引いたら俺の繊細な心が崩壊してしまうぜ」
「そうだね、女帝家族だもんね」


人はないものねだりをする
持っていないからどうしても欲しくなる
憧れる
持っているから当然と有り難みを忘れる
当然と思われる当たり前のことが
人にとってどれだけ大切な意味があるのか
ときには立ち止まり
周りを見渡すことも必要だ


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2008年10月19日 (日)

PURE ANGEL[第3章]第2話


第2話

「花沢家と黒崎家は仕事以外にも個人的に付き合いがあって、類の
 お母さんは結婚する前から茜さんと仲良しだったみたい。それで
 類のことで色々と相談してたみたいなの。久々に会う両親の顔を
 見ても、プレゼントをあげても全然無反応で喜びもしなければ笑
 いもしないって。・・・普通の子供なら感受性が強く、思ったことや
 感じたことが直ぐに表情となって出るのに、類にはそういう事が
 一切無かったのを気にしていた類のお母さんに、茜さんが一度パ
 リに連れて来なさいって言ったんだって。それで類は黒崎に行く
 ことになったの」
そこまで言うとつくしはクッションを抱え類の方に向き直った。類もつくしの方を見るように肘を立て頬杖をついて横になる。


「あたしが黒崎に行くことになったのは、茜さんがあたしに類を合
 わせるためともう一つ、後継者問題があったからなんだって
 元々はあたしに継がせる予定だったみたいだけど、類の笑顔を見て
 断念したらしいの」
「なんで俺の笑顔なの?」
「類の笑顔を引き出したのはあたしだからって、茜さんは言ってた
 その時は分からなかったけど、類の家に行った時に類のお母さん
 から理由聞いたんだけど・・・」


急に口を噤んだつくしの顔を、類は首を傾げてイタズラっぽい目で覗き込む。
「なんで顔赤いの?」
「うるさいなぁ!ちょっと暑くなってきたの!」
「じゃあ、バスローブ脱げば」
火照る頬を手で扇いでいる隙を狙って、類の手がつくしのバスローブの紐を解こうとしていた。
――まったく類ってば…、分かっててワザと言うんだから
「わ、分かったから・・・
 つまり、類にとってあたしが必要な人物だってことを茜さんが類の
 笑顔を見て直感的に感じたらしいの。そして将来あたしを・・・類の
 お嫁さんにするってその時決めたんだって、だから家を継がせる
 のは断念したってこと」
「プッ、そんな歳から決められてたんだ。茜さんといい、母さんた
 ちといい、ずいぶんと長い計画立ててたんだね。・・・・・・で、俺を
 泣かせた理由は?」


「それは・・・、あたしが庭でアリの巣を見ていた所に類が来て、アリ
 の行列を踏んじゃったの」
「プッ、まさかそれで突き飛ばしたの?」
「そうだよ、可愛そうじゃん。アリだって必死に生きてるんだから
 確かあの時、・・・・・・類は尻餅ついたまんま目を真ん丸にさせてあ
 たしの顔をじっと見てた。何言ったかは覚えてないけど、・・・たぶ
 ん酷いこと言ったんだと思う。大きな瞳から涙が零れたのは覚え
 てる。マズイと思って類を起こして、手を繋いで庭中を歩き回って
 花を摘んだり、虫をいじったりして…。無表情だった類の顔がいつ
 の間にかあたしに笑いかけててさ、類の笑顔が嬉しくて、すごく可
 愛くて、羨ましくて、・・・眩しかった。あぁこの子好きだなぁって
 思ったの。・・・・・・生まれて初めて類が笑った記念にって撮った写真
 がこれなんだってさ。・・・類のお母さんがこの写真をくれたんだよ」
「それが初恋の理由?」
「そうだよ、人を好きになる理由なんてなんでもイイんだよ
 あたしは類の笑顔に感動して〝もっと笑顔が見たい〟あの時そう
 思ったんだもん」


「この写真の中の俺がずっと気になってた。幼い頃から苦痛の毎日で
 しかなかったのに、ひと時でもどしてこんな顔して笑っていられた
 のか不思議だった。つくし、前に俺に言ったよね?〝あたし達の出
 会いは偶然じゃない〟って。今なら分かるよ〝出会う運命だった〟
 って〝結ばれる運命だった〟って・・・、今はっきり分かる」
――俺は幼心にしてつくしの笑顔に魅了され、憧れたんだ
   静たちと何年も付き合ってきたのに
   一度だって心から笑ったことはなかった
   それなのにつくしはいとも簡単に俺の中に入り込んできた


つくしへの想いが心底から込み上げてくる。脳も細胞も血も総てがつくしを必要としていて、愛してやまないことを。溢れる想いを抑えることができなくなった類は、いきなり激しいキスをする。髪を弄り、頬や首筋に冷たい手を添え、執拗に唇を責め続ける。
「る・・・るぃ、・・・ちょっと・・・待って」
つくしの両手が類の胸板を押した。キスの嵐にとろけてしまいそうなつくしは、ささやかな抵抗を試みる。
起き上がろうとするつくしを類はそれを許さない。
「ダメ、俺を泣かせた罰」
つくしの耳元で甘く囁き生温かな吐息が包み込むと、再びつくしの身体は類に引き込まれていく。身体の全ての機能がストップしたかのように、ただ類の唇の感触と冷たい手だけを追う。

お互いに想う、君に触れると我を忘れていくことを――


バスローブ越しにつくしの胸にやさしく触れていた類の手がそのひもを解こうとしていた。
「お2人さん、熱いねぇ」
「まったくだぜ、見せ付けてくれるぜ」
沖縄に来たことは誰も知らない。そしてこの別荘には誰も居ないハズなのに何故か聞き覚えのある声がする。2人は度肝を抜かれて慌てて上半身を起こし声のする方へ振り向いた。
「そっ、総二郎・・・、あきら・・・」
戸口の傍で背を預けるように凭れ腕を組んで眺めていた総二郎とあきらがいた。
滋の別荘で司と滋のベッドシーンが瞬時に脳裏を過ぎったつくしは、まさか自分がその立場になるとは思ってもなく、おもいっきり慙愧した顔で乱れた胸元を隠すようにガッチリと鷲掴みにして、総二郎とあきらの間をすり抜けて隣の部屋に逃げた。


「のぞきの趣味あったの?」
類は不機嫌そうに言うとジーンズに足を通す。
「一応、声かけたんだぜ、ドアに鍵も掛かってなかったし
 開けてビックリはこっちのほうだっつーの、なっ!あきら」
「そうそう、声かけたんだよな。愛しのつくしに夢中になってたから
 類くんが気がつかなかったんだよ」
顔を見合わせてニタッと笑う彼らを類はギリリと睨む。
「で、なんなの?」
「類たちが沖縄の別荘に行ったって聞いたから、2人だけじゃ寂しい
 と思ってお兄さんたちが来てあげたって訳よ」
――余計なことを。どうゆう神経してんだよ
つくしと2人きりで過ごそうと思っていた類にとって、今日ほど彼らを恨んだことはないだろう。
タイミングの悪さに。そして、どこまでも腐れ縁だと――
類はベッドに座ると虚脱感に襲われ大きな溜息をついた。
「類、お前暗いぞ
 新婚そうそうからそんな顔してたらつくしが可愛そうだぞ」
「やっぱお兄さんたちが来て正解だったみたいだな」
「そうだな」
類の気持ちも知らずに総二郎とあきらは暫く好き勝手なことを話していた。
類は呆れ果て2人を置いてつくしの元に急いだ。


つくしが夕食の準備をしていると急に玄関の方が騒がしくなる。
「つくしーッ!」
勢い良く抱きついてくる滋、その後ろに微笑む優紀の姿があった。
つくしと滋と優紀は夕食の準備をしながら近況報告し合う。ダイニングテーブルでは、類と総二郎とあきらはワイン嗜みながら他愛のない話をしている。
無邪気に笑うつくしの姿を見て、不機嫌だった類も自然と頬が緩む。そんな類の様子を見て総二郎もホッと心が和む。
「類、幸せなんだなぁ。体全体からオーラが出てるぞ」
「ホントだぜ、見るからに愛妻家だよな」
「俺はこの世でたったひとつ、欲しいものを手に入れたからね
 〝目に入れても痛くない〟って言葉あるだろ?そんな感じだよ」
「苦労して手に入れたものは、重みがあって貴重ってことか
 ・・・考えてみりゃお前らいろんな事あったもんな」
「俺に言わせりゃ、お前らの人生ってジェットコースターだぞ」

沖縄から帰って来ると類とつくしの生活は一転して忙しい毎日となった。
類は大学に提出するレポートの追い込みと、仕事に必要な資料や報告書作成の為に膨大な数字と悪戦苦闘の毎日。つくしは試験に向けての勉強、花沢物産や子会社などの経営状況や財務体質、方針、人材、福利厚生、株の運用などの把握。
クリスマス、つくしの誕生日、お正月、類の大学卒業、類の誕生日、つくしの入社と、2人の行事はめまぐるしく過ぎていった。


「つくし、午後から休み取ったから俺も行くよ」
「類、大丈夫なの?」
「うん、そのために昨日頑張ったから。つくし、今日本社に来るでしょ?
 1時に下のロビーで待ってるから一緒に行こう」
「でも・・・」
「俺たちの子供だろ?」
「うん、分かった」

今日は7月25日
つくしと類の子供の命日

流産して入院していた看護師さんが言っていた
人が亡くなれば火葬か埋葬をして供養する、そして代々受け継がれていくが、流産(水子)の場合はその日だけの供養で終わる人が多いと。
何故なら、亡くなった子の歳を数えるのは、あまりにもつらく悲しいだけだからと。この世に命があるもの、これから命を授かろうとするものの方に希望を託したいから、縋りたいからと。
つくしは次の希望が無いと知った時から決心をした。自分が生きている限り、愛する人の子の歳を数えようと。


供養を終えてお寺から出ると、目が眩むほど眩しい太陽が2人に照りつける。じっとしていても汗が滲んでくるほど暑いにも関わらず車に乗るのはやめて歩くことにした。
ここ数ヶ月、時間に追われる生活をしていた2人にとって、こうしてゆっくりと並んで歩く時間が貴重に思えた。また、2人で肩を寄せて歩くこの雰囲気は学生時代にタイムスリップしたかのようで懐かしく思えた。
散策を楽しんだ2人は〝たまには外食しよう〟という類の意見で、総二郎たちの御用達以外のレストランに来ていた。


「久々に歩いたら、なんか足がパンパンになっちゃった」
つくしは椅子に腰掛けると脹脛を揉み始める。
類はつくしの言動がおかしくて笑みが漏れる。
「昔のつくしじゃ考えられないね、たまには歩きなさいって俺たち
 に言ってたのにさ。・・・・・・そう言えば総二郎の家でお茶点てても
 らった時のこと覚えてる?つくしが立ち上がろうとして女の子と
 頭をぶつけたことを。クククッ…、あの時、すごい音してたけど」
「ああ~サラさんね、覚えてるよ
 類は抹茶ミルクにしてって、そんな不純物入れられるか!って
 総二郎が怒ってさぁ。・・・なんか懐かしい」


「毎年、今日みたいに過ごそう」
「・・・えっ?」
「つくし、同じ歳数えるんだったら、命日じゃなくて誕生日として
 こうして毎年レストランで2人でお祝いしよう。どんな形であれ
 俺たちが子を思う気持ちと存在を忘れないように」
オーダーしたオレンジジュースが運ばれて来ると類はそれを自分の隣の空席に置いた。
「俺たちが悲しむと子供も悲しむ、俺たちが喜ぶと子供も喜ぶんだよ」
涙を流すつくしに類は笑顔を向け続ける。
子供が産めない身体だと知ったつくしは類を諦めよう、そして元の生活に戻ろうと決意した。類や花沢の将来を考えるとその選択しかないと、辛く苦しい自分の気持ちに蓋をした。


不安や恐怖があるとそれを追い払いたいと思う
不安や恐怖に気付く前の生活に戻ろうとする
壁を築いて中に籠もろうとする
壁の中の違う世界に
元の生活なんか求めても意味が無い
隠れるか不安と恐怖と対決するか
どちらかしか選択はない


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2008年10月18日 (土)

PURE ANGEL[第3章]第1話

第1話

類はつくしと2人っきりのマンションでのあま~い生活を楽しみにしている。薫と葵はたとえ僅かな時間でも花沢家で息子夫婦と一緒に、楽しく過ごす生活を心待ちにしている。
お互いの思いは交わることなく、板挟みとなったにつくしは頭を悩ませていた。花沢家という大きなお屋敷での生活に戸惑いを感じながらも、後々の事を思えば早く慣れたほうが良いだろうと考慮したつくしは両親の意見を受け入れた。
今まで類が使用していた部屋の奥に30坪(60畳)ほどの部屋が増築され、類とつくしの新婚生活は花沢家から始まり2週間が過ぎた。


「類、ごめんね」
つくしは拗ねる類に申し訳なさそうに謝る。
「もういいよ」
類は不機嫌そうに言うとソファに腰を下ろした。
――怒ってる、絶対怒ってる。…どうしよう…
   ここはなんとか機嫌を取らなきゃ…だよね
   でもどうやって?…甘えてみる?いやいやそれはちょっと…


考え込んで百面相しているつくしを類はじっと眺めている。
――別に怒ってないのに…。その顔、笑える
つくしは類の隣に座り何かを言おうとしたその時、突然類がクスッと笑った。
「そんなに眉間にシワ寄せてたら、可愛い顔が台無しになっちゃうよ
 怒ってないから。……それとも今から引越しする?」
つくしの顔を覗き込み意地悪っぽく言うとニコッと微笑む。つくしはその微笑に軽い眩暈を起こしそうになる。
――策士だ


自分が拗ねたり、あまえたり、微笑んだりする表情や言動につくしは弱いということを類は十分に分かっていた。つくしもそれらに弱いことを自覚していながらも、イヤとは言えない自分を知っていた。
でも今回ばかりは類に応じることはできない。
――今から引越し?…まだ諦めてなかったの?
眉をピクピクさせて引きつらせるつくしの顔を見て、類は笑いのツボにハマっていく。


自分の顔を見て笑われたつくしは面白くない。ムッとした態度で立ち上がろうとするといきなり類に腕を掴まれ、その反動で類の膝に乗る体勢になった。つくしは一瞬何が起きたのか分からずにボーッとしていると、類の腕が肩に回され身動きが取れない状態になる。
気付けば、類の膝に座り、密着する体、横には微笑む顔があり、つくしの顔は見る見るうちに赤くなると同時に鼓動が速まっていく。
「誰にも邪魔されずにいつもこうしていたいって思ったから
 つくし沖縄に行こう!2週間くらい2人だけでのんびり過ごそう
 春になったらつくしも仕事始めるだろ、だから親とかあいつらとか
 誰も知らない所で2人だけの時間を過ごしたい
 つくしだけを見ていたい」
類の甘い声が脳を刺激し、愛しくも可愛くも感じられる。そして、優しく包んであげたい、微笑みを返してあげたい、そんな衝動に駆られる。
つくしは類の首に腕を回しギュッと抱き締めると、満面の笑顔を向けた。
「うん!行こう!」
類は満足げに頷きつくしの頭をクシャッと撫でると、ソファから立ち上がった。


「台風に当たらなきゃいいね」
――台風?……あぁ~そういえばテレビで言ってたっけ
   日本に上陸するとかしないとか…って…
「もしかして…、まさか…」
つくしは慌てて類を探した。
――何やってんだ?これってまさか…
類はクロゼットでごそごそと洋服をいじり、チョイスした衣類をベッドの上に放り投げている。
頬を緩ませ鼻歌で上機嫌の様子だ。まるで子供がお気に入りのオモチャをいじっているかのように。そんな類をつくしは少し離れた所で呆然と眺めていた。


「俺、勝手につくしの服も出したけど、これでいいかなぁ?」
つくしはベッドに近づき確認をする。
夏物と秋物の洋服、水着、ランジェリーと、一揃いベッドの上に置かれている。
――ひえーッ!なんで下着まで…
つくしは一気にベッド目掛けてダイブすると、下着を隠すように両腕で抱え込む。そんなつくしの突然の行動に類は少し驚いたが直ぐにクスッと笑う。
「顔、真っ赤だけど、…熱でもあんの?」
類はベッドに腰掛けるとつくしの額に手を当てた。
「だって恥ずかしいじゃん、し、下着まで」
「あぁこれ?俺、別に気にしてないよ。それよりシワになっちゃうよ」
つくしは大きな溜息をつくと上半身を起こし、類に恐る恐る確認をしてみる。
「これって…荷造りだよね?…ってことは…、これから行くってこと
 ・・・だよね?」
「善は急げ、でしょ」
――この人は…、人の意見聞かないのかよ
   まずは計画立ててからでしょ
   来月試験があるっつうのに…、はぁ


「ああ~気持ちいい」
つくしは両腕を高く上げ大きく深呼吸をする。
「来て良かったでしょ!」
突然の〝沖縄に行こう〟発言で2人は花沢家所有の沖縄の別荘に来ていた。
類とつくしは肩を寄せ合い、別荘のバルコニーから水平線を眺める。
人や時間を気にすることなく2人だけの時間が流れ、穏やかな空気に包まれる。


「類が旦那様で良かった。あたし、すごく幸せだよ」
2人は手を繋ぎながらのんびりと海岸を散歩する。
「嬉しいこと言ってくれるねぇ、俺もすごく幸せ
 こんな綺麗な奥さんがいて、…ちょっと気が強くて意地っ張りだ
 けど、それも含めてつくしが大好きだよ」
「あたしも類が大~スキ」
「やけに今日は素直だね」
「みんなから祝福されての結婚だし、それに初恋の人が旦那様なん
 だもん、これ以上嬉しいことないよ」
そこまで言うとつくしは類の顔を覗き込むとニヤッと笑い、戸惑わせる発言をする。
「ちなみに、あたしの初恋は6歳の時だった」
類は足をピタリと止め不思議そうにつくしを見る。
「……6歳のとき?」
――初恋の相手が俺で、旦那様が俺で…
   16じゃなく、6才って言ったよな、なんで?俺の聞き間違い?
   俺をからかってるのか?あんなにケラケラ笑って…


考え込んでいる類を面白そうに眺めていたつくしは、脱いだサンダルを片手に持つと波打ち際の方へ歩き出す。
「あたしねぇ!2度、初恋したんだよッ!」
つくしは振り返ってそう言うと、海の方に走って行った。
――2度…初恋って…、初恋は1度きりでしょ、なにそれ?
難しい顔をして考え込む類をよそに、つくしは波が押し寄せる度に跳ね回り、子供のように無邪気にはしゃぐ。陽光が身全体を柔らかく照らし、腰まで伸びた艶のある黒髪が揺れる。


海の面が太陽にきらめき
あるのはこの幸せな時だけ
ときめく心に栄光の時が訪れ
あるのは未来だけ


「アハハハッ…。類の真剣な顔、激レアかも。……知りたい?」
いつも類にからかわれているつくしは普段のお返しとばかりに反撃をする。
「うん、気になる」
「そう…、気になるんだぁ~」
「そりゃあ気になるでしょ、あんな言い方されたら」
つくしは楽しげにゆっくりと歩く類の周りを回転するように歩く。
「ふ~ん」
「ずいぶんと楽しんでない?」
「ふふふっ…。じゃあ、あたしを捕まえたら教えてあげる」
つくしはそう言って一目散に砂浜を走り別荘の方へと向かった。類もつくしの後を追い掛ける。


別荘の入り口に着いたつくしは乱れた呼吸と追いつかれそうな焦りとで扉を開けるのにまごついてしまう。
「捕まえた」
つくしは背後から抱き締められた。
類の鼓動を背中越しに感じて、つくしの鼓動は静まるどころか激しく高鳴っていく。
呼吸の乱れを落ち着かせた類はつくしを自分の方に向かせ、今日、何度目かのキスを交わす。
「汗かいたね」
そう言ってつくしは逃げるようにバスルームに向かった。
類も別のバスルームに向かう。
汗ばみ火照る身体に頭からシャワーを浴びせ、穏やかな心と爽快さが戻ってくる。
「あぁ気持ちいい」


つくしがバスローブ姿で部屋に戻ると、既に類はバスローブ姿でソファに座って寛いでいた。
つくしはイヤな予感がしてその場を去ろうと向きを変えて直ぐに、フワッと身体が浮く。行き着いた先はベッドの上で、完全に類にリードされなすがままのつくし。
「今、逃げようとしたでしょ?」
類はつくしに覆い被さるようにして身体を制する。
互いの顔の距離まで20センチ、意地悪なそうな瞳から優しい瞳に変わり、もはやつくしの脳はノックアウト寸前になる。
「つくし」
類の甘い囁きにとろけてしまいそうな自分との闘いになんとか耐えて、類のペースに誘い込まれるのを防いだつくしはやっとの思いで言葉を発した。
「お、教えるから…ね。この続きはあと…」
つくしの言葉を遮るように類は口を塞いだ。


このまま類の腕に抱きしめられたいという欲望がつくしの中に湧き始めるが、この局面もなんとか乗り越えて口を開く。
「る、類、……前に財布プレゼントしたでしょ?
 その中に写真も一緒に入れたんだけど、覚えてる?」
「うん、つくしから貰った財布使ってるよ。写真も何枚か入れてる」
この先を続行することは無理だと判断した類は、財布を取り出すとつくしに渡した。2人はベッドに寝そべって、財布の中から何枚かの写真を取り出して眺める。
初めて撮った青山での写真・つくしの卒業写真・結婚式の写真
心底から笑顔を見せる写真は2人が歩んできた歴史の証。


もっと懐かしい2人の写真が類の手元にあった。
それはお互いまだ幼く穢れを知らない頃。
つくしはその微笑ましい写真を眺めながら楽しそうに話し始める。
「7歳の類と6歳のあたし。何が楽しいんだろうね?2人ともこんな
 に笑顔でさぁ~。その理由は記憶にないんだけど、類を突き飛ばし
 て泣かせた記憶はあるよ」
「えっ?俺たちそんな昔に出会ってたの?・・・全然覚えがない
 ・・・これ何処で撮ったの?」
俺、覚えてないけど。これ何処で撮ったの?」
「あたしが留学中に滞在していたパリの黒崎の庭だよ。学校の校庭く
 らいあって、この場所はバラ園だけど、この左側にはたくさんの花
 が規則正しく並んですごく綺麗なんだ。芝生も何ヶ所かあってね
 一番広い芝生の所には傘みたいな大きな木があって、天気の良い日
 はその木の下で本読んだりしたんだ。半分は居眠りだけどね」
「ふ~ん。…で、なんで俺がここに居るわけ?
 ・・・2度初恋の理由も聞いてないし」
「教えてもいいけど、すっごく長くなるよ。それでもいいの?
 類寝るんじゃない?」
「プッ、あまり長いと子守唄になって寝るかも」
「ああ!じゃあ、…話さない」
「ウソ、俺この写真気になるし、すっきりして早くつくしを抱きたい」
類はそう言ってつくしの頬にキスをした。
〝早くつくしを抱きたい〟という類らしいストレートな表現につくしは躊躇してしまう。

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