PURE ANGEL[第3章]最終話
最終話
「心臓の検査はしませんでしたが、やはりそのことが・・・」
今日は検診日ではなかったが、つくしはどうしても気になることがあって病院を訪れていた。
「今の時期は息苦しくなったり眠りが浅くなったりすることもあります
7ヶ月から8ヶ月頃は心拍数がピークになりやすいので
動悸がして熟睡しにくいといったこともありますが」
小野寺は穏やかな口調で言ったが、カルテに記入している時の表情は険しさが窺える。そんな小野寺をつくしは凝視していた。
「担当は中川原でしたか?」
「はい」
小野寺はつくしのカルテをさかのぼって捲る。
「今までとは違い、8ヶ月になりますと胎児は急激に成長していきます
大きくなった子宮は内臓を圧迫して、そのせいで胃が持ち上がり
一度に食べる量が減ったり、肺も圧迫されることもありますので
息苦しさや動悸を起すこともあるでしょう」
つくしの頭の中では小野寺の話と自分の症状を照らし合わせるかのように考え込む。視線を泳がすつくしを小野寺は注視する。
「花沢様、出産する日までさまざまなことがあります
これは通過点と思って下さい。今のところ胎児は順調ですので
中川原から事情を聞いておきますので、心配なさらないように
スマイルですよ」
そう言って小野寺は柔らかく微笑んだ。
〝スマイルですよ〟そう勇気付けても微笑んでも不安は減らない、取り除くことができない。
時間(とき)に流され自分を大切にしなかった報いがなぜ今なのか。
つくしは独り待合室の椅子に座り考え込む。
暫く俯いた後、つくしは頭を大きく左右に振った。
――あぁこのままじゃダメだ、みんなに心配かけちゃう、この子にも
なんとかして浮上しなきゃ、あたしらしく
〝病は気から〟そうよ、病は気からよ!
つくしは気をとり直すと背筋をピーンと伸ばし、凛とした瞳で出口に向かった。
「ただいま」
「若奥様、お帰りなさいませ」
花沢邸の玄関に角田と使用人が出迎える。いつもの光景だが、今日に限って角田と使用人はつくしの顔を見て酷く驚いた。
「若奥様、・・・髪、お切りになられたのですか?」
腰近くまで伸びた髪をパリから帰国して以来ずっと維持をしてきたつくしが、突然ショートヘアーの姿で目の前に現れたのだから、驚くのも無理はなかった。
そしてもう1人、目を真ん丸にして驚く人物がいた。
「つ、つくし、・・・どうしたの?」
「今のあたしには長い髪は必要ないから」
類はつくしの言葉が理解出来ずもう一度尋ねる。
「必要ないって、どうゆうこと?」
――以前、静がみんなの前で髪を切った
私には煌びやかな服も長い髪も必要ないって
静は未来に向かって自分の夢を実現させるために
じゃあ、つくしはなんのために・・・、なんのために切ったの?
何かイヤな胸騒ぎがする・・・・・・胸がざわめくのはどうしてだ
「つくし・・・」
「髪が長いと洗うのに時間がかかって体に負担がかかるの
少しでも負担をかけないようにと思ってのことだから
深い意味はないよ」
つくしは不安そうに見つめる類に気付き、不安を感じさせないように無理して笑顔を作って明るく振る舞った。
8ヶ月に入ったつくしのお腹はもう臨月近くを思わせるほど大きく張り出し、今ではひとりで入浴したり、足の爪を切ることでさえ難しい状態になっていた。なにしろ華奢なつくしのお腹の中には二つの命が宿っているのだから。
類はつくしが大きなお腹を抱えて大変そうな時はどんな時も気を使ってきたのに、まさか髪を洗う事さえ大変な作業だとは思ってもみなかった。
「そっかぁ~、負担かけちゃうんだぁ」
類の不安は取り除けたものの、別の意味で寂しさが込み上げてくる。
「類、髪なんて時間が経てば伸びるでしょう
そうしたら類の好きな髪形にするから、今は我慢してね」
黒くストレートの艶やかな髪は自分の柔らかい髪質とは違って張りのある髪質だ。特に髪に指先を通した時の感触が最も好きだった類にとって、何の前ぶれもなくばっさりと切ってしまったことがちょっぴり不服であり寂しくもあった。
「類、そんなに残念そうな顔しないで
ちょっと恥かしいんだけど、伸びるまでこれで我慢して、ね
記念に撮ったの」
つくしはカバンから写真を取り出して類に差し出す。
B4サイズの写真には類の大好きな髪型で、類の大好きな笑顔がそこにあった。
「プッ!随分大きい写真だね」
この写真にはつくしの特別な思いと意味が込められていた。しかし、何も知らない類は愛おしいそうに写真を眺めている。そんな類の姿をつくしは複雑な心境で見つめた。
「性別教えてくれるって言ってたよね、つくしは聞きたい?」
「う~ん、知りたい半分、知りたくない半分、かなぁ~」
「名前考えるんだったら、性別知ってた方がいいんじゃない」
「そうだね。・・・でも、やっぱり聞かない方が良いかなぁ~
この世に誕生した時の感動、感激が薄れそうだし
当日の喜びとしてとっておくのも悪くないかなぁ~って。・・・類は?」
「つくしがそれで良いんだったら俺も聞かない
一緒に感動したいからね」
人の運命
定めは
宿した時から決められているのだろうか
生命を受けた時から寿命は決められているのだろうか
誰もが知ることのできない
神の領域
死に直面したり目の当たりにして
人は初めて考える
自分のロウソクの長さを
「ねえ~類、どうしても一緒に入るの?」
「うん、・・・だめ?」
つくしの入浴時はいつも角田が付き添い入浴の手助けをしているのだが、何故か突然、類は角田の代わりに自分が付き添うと言い出した。
「だめじゃないけど、恥ずかしいじゃないこんな体見られるの」
「プッ!こんな体って・・・
今日、病院でそのお腹しっかりと見させて頂きましたけど
今更大きなお腹見ても驚かないよ」
「なんでまた急に・・・」
「超音波検査している時、モニターに映し出される赤ちゃんの手や
足や顔を見ていたらなんか嬉しくなってきて、日替わりランチを
直に手で触れて、目で確かめたくなった
つくしのお腹が波打ってたみたいに、グニュグニュと動いてた」
9ヶ月に入ると羊水量も少なくなって運動が制限され、手やひじをムニュッと突き出したり足や膝で子宮壁をポーンと蹴ったりの動きをみせる。
「類、体見ても笑わないでよ」
類の決意は堅そうだ。諦める気配なしとつくしは断念した。
「・・・分かんない」
口元に手を当てて目を細めている。どう見ても笑ってるとしか思えない類に、つくしは頬を脹らませギリリと睨むが相手にしない様子。
癪に障るつくしは足早に部屋を出て行こうとすると、ちょうど角田がお風呂の準備が出来たと報告に来た。
「さぁ~入ろう」
類はさり気なくつくしの手をとりバスルームへと促す。
相変わらずにこやかに頬を緩める類につくしは溜息をつく。
類は浴槽の壁に寄り掛かり、つくしは類の胸に寄り掛かる状態となる。
類はつくしのお腹にそっと手を当てるとゆっくりと移動させた。
「ん?・・・あれ今、手にグニュッて当たった」
クスクスと笑う類の頬がつくしの頬をくすぐる。
「つくし、すごーい!グニュグニュ動きまくってる。・・・ほら、ここ
あっ!こっち!こっちの方がすごい!つくし早く手・・・」
類にしては珍しく興奮状態だ。
子供が楽しそうに声を上げているかのように類の声が浴室に響く。
「おおー、すごーい、今盛り上がったよ。ここ、ここ触ってみて」
類はつくしの手を誘導する。
自分が感じたことをつくしにもと思うのだが、意地悪をしているかのように胎児の動きはそこにはなく、既に違う場所で動きをみせていた。なんといってもふたりの胎児が中にいるのだから、動きも半端ではない。
「ホント凄いね。これじゃ日替わりランチどころかフルコースじゃん」
「フフフッ・・・、感動した?」
「もちろん!こんなに感動したの・・・ウーン…3回目かな」
「あとの2回は?」
「最初は、仕組まれた見合いでつくしに会って、つくしが俺との結婚
を承諾してくれた時。2回目は赤ちゃんができたって聞いた時
そして3回目は、・・・今、この瞬間。・・・つくし、・・・ありがとう」
「・・・類・・・。無事に産まれてから言ってよね、ありがとうは」
「その時はその時、今は今で言いたいの。・・・・・・つくしは大変だよね
赤ちゃんが20分位おきに眠ったり起きたりして
その度にお腹の中で運動するんだからさぁ」
「うん。たまにねぇ、胎動が激しくて夜眠れないときがあるの
でもこれは赤ちゃんが〝元気だよ〟っていう証拠だから
我慢できるんだけどね」
「今しか体験できないんだよね、これってすごく貴重なことだね」
「フフフッ・・・、少しは父親の実感がわいてきた?」
「うん。お腹の壁があるけど、こうして赤ちゃんに触れられるし
つくしはつらいだろうけど、双子で良かった
俺ひとりっ子だろ、正直いうと、結構寂しい思いしたんだ」
「そっかぁ~、F4の中で類だけだもんね
この子たちはどうなるのかなぁ~」
「クククッ・・・、こんなに動くんだから陣地争いしてるんじゃないの
ひとつのお腹に2人いるんだから、狭くて兄弟喧嘩してるとか・・・」
「そうかもね」
「あっ、そうそう、俺が爪切ってあげる」
「類が?」
「そう。俺指先器用だし、今しか出来ないことなんでも体験したいし
それに、俺に出来ることはなんでもつくしにしてあげたいから」
類はそう言って微笑んだ。
類は恥ずかしさも照れもなく素直な気持ちをつくしとまだ見ぬ我が子にぶつける。大切に想うものができたときの喜びや希望はこうも人を素直にさせ、生きている実感を露にさせて万感が現れるのか。
「俺が早く帰って来たときは、一緒にお風呂だからね」
「考えておく」
「だめ、もう決めたから」
最初は体を見られるのがすごく恥ずかしかったが、胸の内を明かす類に心耳しているうちに恥ずかしさなどすっかり忘れ、むしろ一緒に入って良かったと思うつくしだった。
愛する者の腕の中に包まれ、類の深い愛情に包まれていることを実感する。また、それは今もこれからも変わらないであろう純然なものだと。
――手放したくない、この幸せを手放したくない
類、あなたの傍にずっといたい
この幸せが永遠であってほしい
つくしは心底から強くそう願った。
北国からの便りでは、辺り一面真っ白な雪景色へと変化し、クリスマス一色となった街では、寄り添った男女が愛を語り合う姿が多く見られる。大通りの店舗や街路樹にはたくさんのイルミネーションが飾られ、夜になると虹色の輝きを放って幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「はい、プレゼント」
帰宅した類は自室に入ると直ぐに手にしていた物をつくしに差し出した。
「見てもいい?」
「うん、開けてみて」
綺麗にラッピングされた包装紙を丁寧に開いていくと、大、中、小と三段に重ねられたフォトフレームとフォトスタンドが現れた。
「つくし、どれに何を入れるか決まってるからね」
「もしかして・・・、また予約済みってやつ?」
「そう、予約済み。2枚入れられる中くらいのやつは赤ちゃん用で
一番小さいやつは俺とつくしと赤ちゃん用で、家族の写真
大きいやつは、・・・まだ内緒」
楽しげに話す類の頭の中には、既に飾られる写真のイメージが描かれているようだった。
パリにいた頃のつくしは、茜の友人や仕事関係者などの自宅に度々招かれていた。どの家もフランス特有の優雅な彫刻が施され豪邸ばかりで、装飾品の数々もまばゆいばかりの輝きを放っていた。
そんな豪邸で一番つくしの目を惹き付けたのが、無数に飾られた写真たちだった。暖炉の上、サイドテーブル、廊下や階段などの壁、どこに移動しても常に視界に入ってくる愛する家族の写真。何世代にも渡って受け継がれていく愛しい人たちの容姿、思い出、歴史が写っていた。
外国では当たり前のように行われるスクラップブッキングにつくしは物凄く感動を覚えた。特に類と離れ離れの生活を送らなければならない時期だっただけに、深く心に焼き付いたのだった。
離れ離れになっても一番身近に感じる方法として、お守りとして・・・。
それ以来、つくしと類は記念日や筋目の都度、写真を撮ってはフォトフレームやフォトスタンドに飾るようになった。2人の財布や手帳の中にも、お互いのお気に入りの写真を数枚忍ばせてある。
「類、赤ちゃんの写真、財布に入れる気でしょう」
「当たり前でしょ、これ以上のお守りはないからね」
2人はこれまで撮った写真を眺める。
4年間の思い出に、4年間の歴史に目を細めて懐かしむ。
そして、まだ見ぬ我が子の写真が飾られるであろうアルバムを手にして、何時でもどんな時でも家族とのつながりを感じていられる写真が家に飾られ、未来に歴史が語られ続けていくことを2人は夢見ていた。

