Heart always in you 最終話
最終話
夜が白々と明け、やがて爽やかな陽光が差し込む清々しい朝を迎えたつくしは、まどろみの中で不思議な感覚を覚えた。それは、自分しか居ないハズの部屋なのに誰かが居るような、誰かが寝ているような、そんな気配を感じたのだった。
よ~く耳を澄ませば、微かに聞こえてくる寝息のような音。その音の出所を確かめるためにベッドから足を下ろしたその時、何か得体の知れぬ柔らかいモノを踏んづけその拍子にバランスを崩して床に倒れこんだ。
「な、なに?・・・今の」
身体を起こしてその場所を見るが躓くようなモノは見当たらない。しかし、確かに柔らかいモノを踏んだ感触は足に残っていて、微かに温もりさえ感じた。決して寝ぼけていたとか思い込みなどではないと、首を傾げた。
「おかしいな、確かに何か踏んだんだけど」
何かがある、それを裏付けるかのようにこの後つくしの目の前では信じられない現象が起きようとしていた。
徐々に浮かび上がる得体の知れない細長いシルエットに、偶然にも差し込んだ陽光がスポットライトのように照らし出す。それはまるで地球上に初めて生命が誕生した瞬間のように神秘的に映る。つくしはこの現実離れした光景を目の当たりにして、言葉も悲鳴も失いただ凍りついた。
やがてシルエットは鮮明に人の身体を浮き彫りにし、見慣れた天使の寝顔を露にした。
「どど、どうして・・・花沢類が・・・ここに・・・」
つくしは目の前の物体が類だと分かると少しは安心したものの、鼓動の高鳴りは静まらない。どうしてここに居るのか、先ほどの光景は何だったのか、あれこれと思考を巡らすが、結論を導き出すに至らない。
2人が仲直りしたあの日、夕日に向けてかざした天女の涙は一瞬妖しく輝き、類にあることを決意させた。
司が約束通り日本に帰って来た以上、これまで通りにつくしの傍に居る訳にはいかない。何かにつけて時間を共有することも許されないし、何と言っても司がそれを許すはずがない。だから類は最後の小石を使ってつくしの傍に居ようと、昨夜のうちにアパートを訪れたのだった。
幸せそうな表情で眠るつくしを透明になった類が見つめる。
――司とうまくいってよかったね
笑顔もこの寝顔も・・・、司が居てこそ、か
穏やかさの中に少し寂しさを含んだ笑みが漏れる。
――アンタが絡むと、俺が俺でなくなるんだ
他人なんてどうでもよかった俺なのに
牧野、誰かを好きになるって悪くないね
俺の一方通行だったけど・・・
出会った頃から今日までの出来事を振り返り、その時々に抱いた感情や行動に驚きつつ、懐かしむ。
――目や鼻と同じように、そこにあるのが当たり前で
身体の一部と感じていた。・・・けど・・・
それもこれからは意識しなければ傍には居られなくなった
牧野・・・、幸せになれよ
つくしに寄せていた一方通行の想いを直ぐに断ち切ることはできないと分かっていても、愛する人の傍に居過ぎると自分が辛くなると分かっていても、気兼ねなく傍にいられるのは今だけ。
――もう少し居たら帰ろう。・・・もう少しだけ
そんな想いでつくしの寝顔に見入っていた類は不覚にも睡魔に襲われ、いつの間にか寝入ってしまった。そして天女の涙を口に含んだまま朝を迎えてしまった。ベッドから降りたつくしにお腹を踏みつけられたその拍子に石が口元から零れ落ち、透明だった身体が元に戻る瞬間を見られたのだった。
「花沢類!起きて!・・・ねえ、起きて花沢類!」
悶々とした頭を解消するには当の本人に問い質すのが一番だと声をかけるが、そう簡単に起きてくれる相手ではない。
大きな声で何度も必死に呼びかけるが類の耳には届かず、その代わりに、つくしの大きな声と連呼される類という名に強く反応した意外な人物の耳に届いた。
普段はめっぽう寝起きが悪いにも関わらず一気に覚醒した人物とは・・・。
「ど、どうした牧野ッ!」
「・・・へ?」
目の前にいる類が目覚めて発した声ではない。しかも聞きなれたその声は司の声に間違いない。だけど司の姿は無いしあるハズもないこの異常事態に更に混乱したつくしは、覚束ない足取りでキッチンの方へと後ずさりし、シンクに縋るように身を小さく寄せた。
――い、今のな・・・なんなの?
「あッ!る、類ッ!・・・お前何でここに居るんだッ!」
「ぎゃあー!!」
何も無い空間から発せられた怒鳴り声は、混乱するつくしに恐怖をも与えた。
「ウッ・・・ゲホッ、ゲホッ・・・」
大きな悲鳴に驚いて誤って天女の涙を飲み込みそうになって慌てて吐き出すと、身をかがめて怯えるつくしの腕を掴んで声をかけた。
「牧野、なんかされたのか?大丈夫か?」
間近かで声がし、そして掴まれた腕には温もりを感じる。しかし、目の前には誰も居ない。
「だ、だれ?・・・・・・なんなの?・・・いやああぁー!」
つくしは前屈みになって両手で耳を塞ぎ、目を硬く瞑った。
「牧野、俺だ、道明寺だ」
つくしは恐る恐る顔を上げた。すると、先程までは何も無かった目の前には失った身体の色を取り戻した司が現れ、心配そうな瞳でつくしを見つめていた。
「どど、どうして道明寺が・・・。・・・・・・え?」
「大丈夫か?おまえ、顔蒼いぞ」
「道明寺まで、・・・どうして?一体どうなってるの?
もしかして、これって夢?・・・夢見てるの、あたし」
ベッドの脇には突然現れてスヤスヤと眠る類が居て、そして目の前にも突如現れた司が居るこの現実を受け入れることができない。つくしは夢の中の一コマなんだと傍観者のように司と類を交互に眺めて逃避していた。
「悪い夢を見てるんだわ。だって、こんなことあり得ないもん
うん、あり得ない。・・・夢よ、夢」
「おい、しっかりしろ」
つくしは司に肩を揺さぶられて我に返った。これは夢などではなく現実なのだと。そうなると必然的に思うことはただ一つ、なぜ司までもがここに居るのか。そして先程の目を疑いたくなるような現象は何だったのか。
「一体どうなってるの?なんで花沢類やアンタまでここに」
つくしの質問に今度は司がハッとした。
つくしの大きな悲鳴と類が寝ていたことに気を取られ、改めて自分の状況を確認することとなった。
――俺としたことが、・・・寝ちまったのかよ
これじゃ類と同じじゃねえか!
「ねえ、どうなってるのよ?ちゃんと説明してよ」
そう言われても司は何て説明をすればいいのか困惑した。
見ず知らずの爺様から、周りの風景と同化するという天女の涙を貰った。類との関係を怪しんで目の前で仲睦ましくする2人に嫉妬し、半信半疑だった天女の涙を使って2人の会話を盗み聞きしたり尾行をすることで、自分が誤解していたのだと気付いた。なんてことは言えない。
つくしへの自分の気持ちは分かってもらえたとしても、天女の涙に関してはどう説明したところで理解はしてもらえないだろう。
つくしとの関係が修復された今、最後の一粒は透明になる楽しさを味わう為に使ってしまったのだから、手元に残った空の小ビンを前にその力をつくしの目の前で立証することはもうできない。
――何て説明すりゃあいいんだよ。目、完全に据わってんじゃねぇか
「ちょっと、早く言いなさいよ!」
――ったく、なんで俺だけが責められんだ、類はいいのかよ
「道明寺!」
「分かったよ、言やぁいいんだろ」
2人は台所の前で胡坐を掻く形で向かい合った。つくしは眉間にシワを寄せて凝視し、司は眉間にシワを寄せるものの視線はつくしから逸らしている。
「お前が見たアレはだな、・・・その・・・、信じねえかもしんねえけど
天女の涙っていう不思議な石があって
その石を口に含むと透明人間になれんだよ
お前がこんなセキユリティーのねえボロアパートに住んでっから
俺様が守護霊役してたって訳よ。・・・有難く思え」
「天女の涙?はあ?・・・アンタ何言ってんの?
・・・もしかして、まだ寝ぼけてるとか」
「類でもあるまいし
おまえが説明しろって言うからご丁寧に解説してんのに」
「全!然!わかんない
その天女の涙っていうのを出してみなさいよ!」
「・・・いや、もう無いんだ、このビンに入ってたんだけど」
司はポケットから空になった小ビンを取り出してつくしに差し出す。
――ん?・・・これは、確か・・・
つくしは受け取ったその小ビンの形や大きさに見覚えがあった。
つくしはその場から離れて洋服タンスを開けると、奥の方に掛けてあった上着のポケットから全く同じ形の小さなビンを取り出して見比べてみた。
「そ、それは・・・」
司は大きく目を見開いてつくしが手にしたその小ビンを見つめ、それ以上の言葉が出ない。それは正しく司が持っていたあの天女の涙と同じものだった。
「ウ~ン、見たところ、どうやらこれと同じものらしいわね」
「ま、牧野ッ!お、お前それをどこで手に入れたんだ?」
「これはだいぶ前に占いのオジイサンにもらったんだけど
すっかり忘れてて・・・、このビンを見て思い出したのよ
何か見覚えがあるなぁって」
「それだよそれ、それが天女の涙なんだ
俺はそれを使って透明になってたんだ」
「ふ~ん、でも私が聞いた説明とはちょっと違うんだけど」
「えっ?違うって何が?」
「確かあの時の説明では、このビンの中身の名前は、えぇ~っと・・・」
「天女の涙、だろ?」
「違う、・・・何とかの声、・・・天女の・・・
そう思い出したッ!・・・天女の声よッ!」
「天女の・・・声?涙じゃねぇのか?・・・それでどうなるんだ?」
「それは、とても信じられない話だったから
だからこのビンのこと忘れてたんだけど
アンタ達の不思議な現象がこのビンの中身のせいだとしたら
私も試してみる価値がありそうね」
つくしは司の問い掛けには答えず、小瓶から小石を一つ取り出すと口に含んでニンマリと微笑んだ。
――占いのオジイサンの話が本当なら、これを口に含んでいる間は
相手の話がウソだったら、マンガのフキダシのように顔の横に
真実の言葉が見えるはずよ
そうなれば、真実が全てお見通しになるはずだわ
さぁどうぞ
もう一度最初から言い訳を聞いてあげるわよ、道明寺!
小石を口に含んでも姿が消えるわけでもなく、不敵な笑みを浮かべるつくしに司は背筋が凍るようなイヤ~な予感がしたのだった。
FIN

