オーブ光の天使 第40話
第40話
類は絶望と落胆の深さに、自らの死をもってつくしの傍に逝くことを決意した。
――卑怯だって言われても
逃げてもいいよね?
類は車道に飛び出した。
激しいブレーキ音、迫るヘッドライトの光に類は静かに瞼を閉じる。
恐怖心はない。
寧ろ心は穏やかでその瞬間を待っていた。
閉じた瞼でも分かるヘッドライトの光、その光とは別の光に類の身体は包み込まれた。
雨で全身ずぶ濡れの冷えきった身体に、包み込まれた光から微かではあるが熱が伝わってくる。それは、遥か昔に母親の腕の中で感じた温もりに似ていた。
『お母さん・・・
お母さんが迎えに来てくれたの?』
真っ白な世界が広がる。
自分の魂はまだこの世にあるのか、それとも既にあの世に逝ってしまったのか。何次元の世界を浮遊しているのか、全く重力を感じない。
『るい』
突然どこからともなく聞こえてくる。
『・・・えっ?・・・幻聴?』
聞きたくても聞くことができなかった声に似ていて、類は困惑する。
『つくし、なの?』
『類・・・』
『・・・つくし・・・、つくしなんだね』
『類・・・、あなたが
悲しみから逃れられたとしても
それは、新たな悲しみを
人に背負わせてしまうの
あなただけの命じゃないのよ』
優しく諭すその声は紛れもないつくしの声だ。
つくしに会いたくて、声が聞きたくて、何度夢を見たことか。
『つくし・・・』
声の主がつくしだと分かると戸惑いは嬉しさに変わる。でもその喜びも直ぐに消えてしまう。
『俺は、なんのために生きればいいのか
分からない
つくしのいない人生を過ごすことに
なんの価値も見出せない』
類は悲痛な胸中を明かす。
一度幸せを知ってしまった心は、どんなに嘆き悲しんでも涙が尽きることはない。
いっそのこと、なんの感情も持たなかったあの頃に戻ってくれたらどんなに楽なことか。つくしによって引き出された喜怒哀楽は、今の類にとってただ悲嘆を齎すばかりだ。
『あなたを待っている人がいるのよ
その人達を悲しませてはいけないわ』
『つくしの傍に行きたい
生きがいのない、未来なんて・・・
俺には、いらない』
『ダメよ、類
それは許されないこと』
『誰よりもつくしは
俺の気持ちが解るはずだよ
あの日、つくしも思ったでしょ
独りはイヤだって
俺だって同じ気持ちなんだよ
独りはイヤだ
つくしのいない未来なんて
そんな恐ろしいこと
・・・耐えられない』
<独りは嫌だ
独りは寂しすぎる
家族の元に逝きたい>
家族の墓石に縋るように倒れていたつくしが類の腕の中で言った言葉だ。
あの日、つくしのとった言動がどんなに愚かなことだろうと、今の類には痛いほど理解ができ共鳴できた。
『類が死んだら
残された家族はどうなるの?
家族だけじゃない
20年も付き合ってきた親友は?
西門さんや美作さん
道明寺だって・・・
みんなその悲しみを背負って
生きていかなければならないのよ』
『それでも俺は・・・
どうしようもないんだ』
『二重の悲しみは類が受けた悲しみより
更に深い悲しみを負わせることになる
類、人の死は残された者を
どれだけ悲しませるか分かるでしょ
その悲しみを与えても平気なの?』
『分かるから、だからこそ俺は・・・』
死は安直な逃げ道だが、自分の死が新たに悲しみをつくり出すという罪深さを考えれば、道義的な死などあり得ない。
冷静に考えれば分かることだが、窮地に立たされ思いつめる者にとって思考の視野は極細で、もはや道義も道理も存在しない。
『類、失ったものより周りに目を向けて
類を心配している人のことを忘れないで
あなたは独りじゃない
大切な家族や
親友がいることを忘れないで』
『・・・つくし・・・』
『私を愛してくれているのなら
大切に思う人よりも一日でもいいから
長く生きて
類、私はいつも類の心にいるわ
だから悲しまないで』
類が車に跳ねられそうになったその時、女子高生の奈緒子が見た『光』は、つくしのオーブだった。
オーブは類の身体を包み込み事故を未然に防いでいた。
類を大切に想うつくしが守護霊となって命を守った、科学的にも物理的にも説明のつかない不可思議な出来事だった。
「類ッ!お前何やってんだッ!」
「類、しっかりしろ」
やっとのことで道路を渡って来たあきらと総二郎は大きく肩で息をしていた。
2人は膝に両手をつき乱れた呼吸を整える脇で、蒼ざめた顔で立ちすくむドライバーに気付く。
「どこ見て運転してんだよッ!」
このドライバーに落ち度はないのは分かっているのだが、怒鳴らずには済まなかった。
類の心境が痛いほど分かるが故に、類に対して思いきり怒鳴りつけたい気持ちの矛先がドライバーに向いてしまうのは気の毒だが、事の成り行き上仕方がなかった。
「あきら、その人は悪くないんだ
俺がぼんやりしてたから」
「体は何ともねぇのか?」
「うん、大丈夫」
「・・・そうか
まっ、何事もなくて良かったよ」
平静を装う類に2人は無理やり笑顔を作ってその場を取り繕った。
しかし、表情とは裏腹に心情はやるせない気持ちで溢れていた。
――あれが、ぼんやりしてた?
どう見たって
自殺行為にしか見えなかったぜ
確かにお前は
人生の伴侶を亡くして
自暴自棄になるのも分かる
分かるけど、いつまで
あの日に留まっている気だ
そこから先へ進もうとしないでどうする
――類、牧野を悲しませるなよ
お前まで何かあったら
俺らだって立ち直れねぇぞ
類、独りで抱えるなよ
もっと俺らに頼れよ
お前のためだったら
何だってしてやる
お前の気が済むまで
傍にいてやることだって・・・
だから、命だけは
粗末にしないでくれ
これ以上失う悲しみはたくさんだ
「類、家に帰るんだろ?
俺らも帰るとこだったから
一緒に行こうぜ」
このまま類を独りにしてはおけない、そう思った2人は自宅まで送ることにした。
総二郎が呼んだ車に乗り込んだ3人に会話は一切なく静寂に包まれた。
後部座席に総二郎とあきらに挟まれて座った類は静かに目を閉じ、2ヶ月前のことを思い起こしていた。
2ヶ月前、花沢物産とそのグループ会社のCI統一発表式典が行われた日、類はつくしの身体を気遣い式典だけ出席させると、先に家へ帰そうと地下駐車場に降りるエレベーターに向かった。
そこへ記憶を取り戻した司が現れた。
類は司に対してはじめは怒りを露にした態度を示していたが、彼の心からの謝罪と反省に触れたことと、過去より未来を見つめる自分の立場からその気持ちに応えようと思い、つくしに握手を求めた司を容認した。
つくしも類と同じ考えで司に歩み寄り、手を差し出したその時銃弾に倒れた。
病院に搬送されたつくしは緊急手術を受け一命を取り止めたが、予断を許さない状況が続いた。
類は快方の兆しを見せないつくしの姿を見る度に先の見えない不安ばかりが募り、自身が取った言動に後悔の念が押し寄せてくる。
もしあの時、許しを乞う司などに構わずつくしを車に乗せていれば、司に温情を掛けていなければ、つくしの命を狙う何者かに絶好の機会を与えることもなかっただろうし、こんな事態にもならなかったのではないか。
日を追うごとに不安と負い目を感じる大きさも増し、不当なまでに自分自身を追い込み責めたてた。
また薫も同じように自分を責めていた。
仕事に集中している時は考えずに済んだが、ふと緊張が切れた時に、ベッドに横たわるつくしに、心を痛める息子の姿に、静まり返った花沢家に足を踏み入れた時など、必然的に襲う自責の念。
神や仏に縋るように遠くを見つめる時間が増えると同時に、葵に問い掛けや語りかける時間も増えていった。
つくしが銃弾に倒れて10日が過ぎた。
「大切な話があります」そう主治医に言われ、薫と類は都築医師が待つ部屋を訪れる。
「我々としましては最善を尽くしましたが
奥様はもはや医療機器の力をなくしては
生命を維持することができなくなっています」
類と薫は後頭部を何かで殴られたような衝撃を受けた。
苦渋の表情を浮かべた都築は、次に医師として一番口にしたくない言葉を発しなければならなかった。
「・・・大変残念ですが
奥様の命はもう長くはないでしょう」
薫は身を乗り出し、その隣に座る類は目を見開いて硬直している。
「・・・えっ?今なんと言ったのかね」
薫は医師の言葉を聞き漏らしたわけではない。予想範囲をはるかに超えた信じられない言葉に耳を疑ったのだ。
「奥様の命は長くないでしょう」
病院から連絡を受けた時点で不安はあった。
頭に詰め込まれた知識をフル稼働させ、あれやこれやと憂慮した。それでも、まさかつくしに生へのタイムリミットが迫っているとは予想だにしていなかった。
薫は更に身を乗り出して都築に詰め寄る。
「な、長くないって
どういうことですか?」
「このままの状態が続けば
脳死という可能性も
十分に考えられます
私どもも精一杯の治療を
させていただいたのですが
残念ながら・・・心の準備を・・・」
類は目の前が真っ白になった。
不安と絶望感は度を超え恐怖の域に達し、その目には自然と涙が滲み出してくる。
「類・・・」
薫は息子の肩を抱きながら、唇を噛みしめ必死に涙を堪えた。
都築は類が落ち着くのを待つと話を続けた。
「おつらいでしょうが
ご家族の方にお聞きすることと
決断をして頂かなければならないことがあります」
ここまでの話でさえ受け止められないでいるのに、この次に発する都築の言葉
は家族にとって到底受け入れることなどできないし、受け入れたくもない内容だった。
「奥様は臓器提供の
意思表示カードをお持ちでした」
――つくしさんが・・・
「脳死と判定された場合
奥様の臓器提供意思を尊重して
ご家族の方が臓器提供に
合意されるかどうかをお聞きしたいのです」
――つくしが臓器・・・提供?
・・・なんだよそれ
「合意できません」
キッパリと言い放った類だったが釈然としない、寧ろ怒りが込み上げてくるのだった。
――冗談じゃない
つくしは生きてるんだ
体温だって
呼吸だって・・・
器械に頼っているとはいえ
いつ目覚めるとも限らないじゃないか
「俺は認めない
つくしは生きてるんだ
器械の力がなければ生きられないなら
それでも構わない
どんな姿であろうと
つくしが生きてくれてさえいれば
それがたとえ短い命だとしても・・・
誰がなんと言おうが
俺は絶対に認めない
たとえそれが
つくしの意思であってもだッ」
感情的に言い放った類を薫は落ち着かせるように肩を抱き締めた。
「今すぐに返事を
ということではありません
奥様の意思を尊重なさるかどうかは
一度ご家族で話し合ってみてください
ただ、これだけは忘れないでください
奥様はどのような考えで
意思表示カードを持とうとしたのかを
ご家族の方には
大変つらい選択を強いられますが
奥様のお気持ちも忘れないでください」
医者の立場とはいえ都築も妻子を持つ身。毅然たる態度で言ったものの、胸の内は患者の家族らと何らかわりはない。
つらい選択を強いられるドナー家族側がいる一方で、死と隣り合わせに日々を過ごし臓器移植が生への道のレシピエントがいるのも現実なのだ。
医療に携わる者として、一人の患者によって助かる命がある限り、この問題を避けて通るわけには行かない。
都築のように経験豊富な医師であっても、脳死判定から臓器摘出を以って死亡とする、現在の法律には常に疑問が付きまとう。
もし、体にメスを入れた瞬間に患者自らの呼吸が回復したら、目を覚ましたら・・・、そんなことは絶対にないと誰が言い切れるだろう。
人の命を救う医療でありながら、人の命を奪うことと紙一重の事をしているのではないだろうかと、納得できない面もある。
――冗談じゃない
何が臓器提供だ
つくしは生きてるんだ
必死に生きてるつくしを・・・
類の怒りは自宅に着いても収まることはなかった。

