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オーブ光の天使 第40話

 
 
第40話
 
 
 
類は絶望と落胆の深さに、自らの死をもってつくしの傍に逝くことを決意した。
 
 
――卑怯だって言われても
  逃げてもいいよね?
 
 
類は車道に飛び出した。
 
激しいブレーキ音、迫るヘッドライトの光に類は静かに瞼を閉じる。
恐怖心はない。
寧ろ心は穏やかでその瞬間を待っていた。
 
 
 
閉じた瞼でも分かるヘッドライトの光、その光とは別の光に類の身体は包み込まれた。
雨で全身ずぶ濡れの冷えきった身体に、包み込まれた光から微かではあるが熱が伝わってくる。それは、遥か昔に母親の腕の中で感じた温もりに似ていた。
 
 
『お母さん・・・
 お母さんが迎えに来てくれたの?』
 
 
真っ白な世界が広がる。
自分の魂はまだこの世にあるのか、それとも既にあの世に逝ってしまったのか。何次元の世界を浮遊しているのか、全く重力を感じない。
 
 
『るい』
突然どこからともなく聞こえてくる。
 
『・・・えっ?・・・幻聴?』
聞きたくても聞くことができなかった声に似ていて、類は困惑する。
 
『つくし、なの?』
『類・・・』
『・・・つくし・・・、つくしなんだね』
 
『類・・・、あなたが
 悲しみから逃れられたとしても
 それは、新たな悲しみを
 人に背負わせてしまうの
 あなただけの命じゃないのよ』
 
優しく諭すその声は紛れもないつくしの声だ。
つくしに会いたくて、声が聞きたくて、何度夢を見たことか。
 
 
『つくし・・・』
声の主がつくしだと分かると戸惑いは嬉しさに変わる。でもその喜びも直ぐに消えてしまう。
 
『俺は、なんのために生きればいいのか
 分からない
 つくしのいない人生を過ごすことに
 なんの価値も見出せない』
 
類は悲痛な胸中を明かす。
 
一度幸せを知ってしまった心は、どんなに嘆き悲しんでも涙が尽きることはない。
いっそのこと、なんの感情も持たなかったあの頃に戻ってくれたらどんなに楽なことか。つくしによって引き出された喜怒哀楽は、今の類にとってただ悲嘆を齎すばかりだ。
 
 
『あなたを待っている人がいるのよ
 その人達を悲しませてはいけないわ』
 
『つくしの傍に行きたい
 生きがいのない、未来なんて・・・
 俺には、いらない』
 
『ダメよ、類
 それは許されないこと』
 
『誰よりもつくしは
 俺の気持ちが解るはずだよ
 あの日、つくしも思ったでしょ
 独りはイヤだって
 俺だって同じ気持ちなんだよ
 独りはイヤだ
 つくしのいない未来なんて
 そんな恐ろしいこと
 ・・・耐えられない』
 
 
<独りは嫌だ
 独りは寂しすぎる
 家族の元に逝きたい>
 
家族の墓石に縋るように倒れていたつくしが類の腕の中で言った言葉だ。
あの日、つくしのとった言動がどんなに愚かなことだろうと、今の類には痛いほど理解ができ共鳴できた。
 
 
『類が死んだら
 残された家族はどうなるの?
 家族だけじゃない
 20年も付き合ってきた親友は?
 西門さんや美作さん
 道明寺だって・・・
 みんなその悲しみを背負って
 生きていかなければならないのよ』
 
『それでも俺は・・・
 どうしようもないんだ』
 
『二重の悲しみは類が受けた悲しみより
 更に深い悲しみを負わせることになる
 類、人の死は残された者を
 どれだけ悲しませるか分かるでしょ
 その悲しみを与えても平気なの?』
 
『分かるから、だからこそ俺は・・・』
 
死は安直な逃げ道だが、自分の死が新たに悲しみをつくり出すという罪深さを考えれば、道義的な死などあり得ない。
冷静に考えれば分かることだが、窮地に立たされ思いつめる者にとって思考の視野は極細で、もはや道義も道理も存在しない。
 
 
『類、失ったものより周りに目を向けて
 類を心配している人のことを忘れないで
 あなたは独りじゃない
 大切な家族や
 親友がいることを忘れないで』
 
『・・・つくし・・・』
 
『私を愛してくれているのなら
 大切に思う人よりも一日でもいいから
 長く生きて
 類、私はいつも類の心にいるわ
 だから悲しまないで』
 
 
類が車に跳ねられそうになったその時、女子高生の奈緒子が見た『光』は、つくしのオーブだった。
オーブは類の身体を包み込み事故を未然に防いでいた。
類を大切に想うつくしが守護霊となって命を守った、科学的にも物理的にも説明のつかない不可思議な出来事だった。
 
 
 
 
「類ッ!お前何やってんだッ!」
「類、しっかりしろ」
 
やっとのことで道路を渡って来たあきらと総二郎は大きく肩で息をしていた。
2人は膝に両手をつき乱れた呼吸を整える脇で、蒼ざめた顔で立ちすくむドライバーに気付く。
 
「どこ見て運転してんだよッ!」
 
このドライバーに落ち度はないのは分かっているのだが、怒鳴らずには済まなかった。
類の心境が痛いほど分かるが故に、類に対して思いきり怒鳴りつけたい気持ちの矛先がドライバーに向いてしまうのは気の毒だが、事の成り行き上仕方がなかった。
 
 
「あきら、その人は悪くないんだ
 俺がぼんやりしてたから」
「体は何ともねぇのか?」
「うん、大丈夫」
「・・・そうか
 まっ、何事もなくて良かったよ」
 
平静を装う類に2人は無理やり笑顔を作ってその場を取り繕った。
しかし、表情とは裏腹に心情はやるせない気持ちで溢れていた。
 
 
――あれが、ぼんやりしてた?
  どう見たって
  自殺行為にしか見えなかったぜ
  確かにお前は
  人生の伴侶を亡くして
  自暴自棄になるのも分かる
  分かるけど、いつまで
  あの日に留まっている気だ
  そこから先へ進もうとしないでどうする
 
 
――類、牧野を悲しませるなよ
  お前まで何かあったら
  俺らだって立ち直れねぇぞ
  類、独りで抱えるなよ
  もっと俺らに頼れよ
  お前のためだったら
  何だってしてやる
  お前の気が済むまで
  傍にいてやることだって・・・
  だから、命だけは
  粗末にしないでくれ
  これ以上失う悲しみはたくさんだ
 
 
「類、家に帰るんだろ?
 俺らも帰るとこだったから
 一緒に行こうぜ」
 
このまま類を独りにしてはおけない、そう思った2人は自宅まで送ることにした。
総二郎が呼んだ車に乗り込んだ3人に会話は一切なく静寂に包まれた。
後部座席に総二郎とあきらに挟まれて座った類は静かに目を閉じ、2ヶ月前のことを思い起こしていた。
 
 
 
 
2ヶ月前、花沢物産とそのグループ会社のCI統一発表式典が行われた日、類はつくしの身体を気遣い式典だけ出席させると、先に家へ帰そうと地下駐車場に降りるエレベーターに向かった。
そこへ記憶を取り戻した司が現れた。
 
類は司に対してはじめは怒りを露にした態度を示していたが、彼の心からの謝罪と反省に触れたことと、過去より未来を見つめる自分の立場からその気持ちに応えようと思い、つくしに握手を求めた司を容認した。
 
つくしも類と同じ考えで司に歩み寄り、手を差し出したその時銃弾に倒れた。
病院に搬送されたつくしは緊急手術を受け一命を取り止めたが、予断を許さない状況が続いた。
 
 
類は快方の兆しを見せないつくしの姿を見る度に先の見えない不安ばかりが募り、自身が取った言動に後悔の念が押し寄せてくる。
 
もしあの時、許しを乞う司などに構わずつくしを車に乗せていれば、司に温情を掛けていなければ、つくしの命を狙う何者かに絶好の機会を与えることもなかっただろうし、こんな事態にもならなかったのではないか。
日を追うごとに不安と負い目を感じる大きさも増し、不当なまでに自分自身を追い込み責めたてた。
 
 
また薫も同じように自分を責めていた。
仕事に集中している時は考えずに済んだが、ふと緊張が切れた時に、ベッドに横たわるつくしに、心を痛める息子の姿に、静まり返った花沢家に足を踏み入れた時など、必然的に襲う自責の念。
 
神や仏に縋るように遠くを見つめる時間が増えると同時に、葵に問い掛けや語りかける時間も増えていった。
 
 
 
つくしが銃弾に倒れて10日が過ぎた。
「大切な話があります」そう主治医に言われ、薫と類は都築医師が待つ部屋を訪れる。
 
「我々としましては最善を尽くしましたが
 奥様はもはや医療機器の力をなくしては
 生命を維持することができなくなっています」
 
類と薫は後頭部を何かで殴られたような衝撃を受けた。
 
 
苦渋の表情を浮かべた都築は、次に医師として一番口にしたくない言葉を発しなければならなかった。
 
「・・・大変残念ですが
 奥様の命はもう長くはないでしょう」
 
薫は身を乗り出し、その隣に座る類は目を見開いて硬直している。
 
 
「・・・えっ?今なんと言ったのかね」
 
薫は医師の言葉を聞き漏らしたわけではない。予想範囲をはるかに超えた信じられない言葉に耳を疑ったのだ。
 
「奥様の命は長くないでしょう」
 
病院から連絡を受けた時点で不安はあった。
頭に詰め込まれた知識をフル稼働させ、あれやこれやと憂慮した。それでも、まさかつくしに生へのタイムリミットが迫っているとは予想だにしていなかった。
 
 
薫は更に身を乗り出して都築に詰め寄る。
「な、長くないって
 どういうことですか?」
 
「このままの状態が続けば
 脳死という可能性も
 十分に考えられます
 私どもも精一杯の治療を
 させていただいたのですが
 残念ながら・・・心の準備を・・・」
 
 
類は目の前が真っ白になった。
不安と絶望感は度を超え恐怖の域に達し、その目には自然と涙が滲み出してくる。
 
「類・・・」
薫は息子の肩を抱きながら、唇を噛みしめ必死に涙を堪えた。
 
 
都築は類が落ち着くのを待つと話を続けた。
 
「おつらいでしょうが
 ご家族の方にお聞きすることと
 決断をして頂かなければならないことがあります」
 
ここまでの話でさえ受け止められないでいるのに、この次に発する都築の言葉
は家族にとって到底受け入れることなどできないし、受け入れたくもない内容だった。
 
 
「奥様は臓器提供の
 意思表示カードをお持ちでした」
 
――つくしさんが・・・
 
「脳死と判定された場合
 奥様の臓器提供意思を尊重して
 ご家族の方が臓器提供に
 合意されるかどうかをお聞きしたいのです」
 
――つくしが臓器・・・提供?
  ・・・なんだよそれ
 
「合意できません」
 
キッパリと言い放った類だったが釈然としない、寧ろ怒りが込み上げてくるのだった。
 
――冗談じゃない
  つくしは生きてるんだ
  体温だって
  呼吸だって・・・
  器械に頼っているとはいえ
  いつ目覚めるとも限らないじゃないか
 
 
「俺は認めない
 つくしは生きてるんだ
 器械の力がなければ生きられないなら
 それでも構わない
 どんな姿であろうと
 つくしが生きてくれてさえいれば
 それがたとえ短い命だとしても・・・
 誰がなんと言おうが
 俺は絶対に認めない
 たとえそれが
 つくしの意思であってもだッ」
 
感情的に言い放った類を薫は落ち着かせるように肩を抱き締めた。
 
 
「今すぐに返事を
 ということではありません
 奥様の意思を尊重なさるかどうかは
 一度ご家族で話し合ってみてください
 ただ、これだけは忘れないでください
 奥様はどのような考えで
 意思表示カードを持とうとしたのかを
 ご家族の方には
 大変つらい選択を強いられますが
 奥様のお気持ちも忘れないでください」
 
医者の立場とはいえ都築も妻子を持つ身。毅然たる態度で言ったものの、胸の内は患者の家族らと何らかわりはない。
 
 
つらい選択を強いられるドナー家族側がいる一方で、死と隣り合わせに日々を過ごし臓器移植が生への道のレシピエントがいるのも現実なのだ。
医療に携わる者として、一人の患者によって助かる命がある限り、この問題を避けて通るわけには行かない。
 
都築のように経験豊富な医師であっても、脳死判定から臓器摘出を以って死亡とする、現在の法律には常に疑問が付きまとう。
もし、体にメスを入れた瞬間に患者自らの呼吸が回復したら、目を覚ましたら・・・、そんなことは絶対にないと誰が言い切れるだろう。
 
人の命を救う医療でありながら、人の命を奪うことと紙一重の事をしているのではないだろうかと、納得できない面もある。
 
 
 
――冗談じゃない
  何が臓器提供だ
  つくしは生きてるんだ
  必死に生きてるつくしを・・・
 
 
類の怒りは自宅に着いても収まることはなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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オーブ光の天使 第39話

 
 
第39話
 
 
「もうすぐ春になるのね
 私は一体いつまでこうして・・・」
 
数ヶ月前までは世界中をまたにかけ秒単位で働いていた。
忙しすぎた楓は季節の移ろいを感じるのは、飛行機や車を降りた時に肌で感じる暑さや寒さの感覚だけであって、それが夏であろうが冬であろうが気にしたことはなかった。
 
しかし今、入院して籠の鳥となった楓には移り行く景色を見る時間がある。また、顔を見ることも話をすることもままならなかった家族との時間が、今は少なからず有る。
 
「皮肉なものね」
 
長い冬の終わりを告げるように徐々に日は長くなり、草花の新芽は顔を覗かせ、大きな樹木の枝にも小さな芽を付け始め、息を凝らして出番を待つその時を決めた木々の命は新しい時を刻み出す。
 
 
 
「社長、これをご覧ください」
 
口元と目元、やや笑みを湛えながら病室に入って来た西田は、手にしていた書類を楓の前に差し出した。
いつも無表情で沈着冷静な西田を見ている楓は朗報が届いたのだと悟る。
 
 
「例の株の件?」
 
渡されたその書類に目を通した楓の頬はやや赤みを取り戻し、角度によっては微笑さえたたえているようにも見て取れた。
 
「これは・・・」
予想していたこととは全く違った内容の文面は、楓の眼を釘付けにした。
 
「西田、この件に関する
 問題点を全て洗い出し
 その問題点に対して想定される
 あらゆる対策案を
 二重三重に考えておくように
 そしてこの件に関しては
 失敗は絶対許されません」
 
ただ一枚の紙切れに綴られた内容は、先の見えない病との闘いに疲れ始めていた体の奥底から湧き上がる活力の源となり、楓に希望と生きる力を与えた。
 
「その点についてはご安心下さい
 すでに調査は済んでおります」
そう言って西田は更にもう一冊のファイルを手渡す。
 
「報告書にもあるとおり
 そのご家族は
 同意を拒否しております
 ですが、父親は事業の失敗で
 多額の借金を抱えており
 金銭的に苦しい立場にあります」
 
「お金で命が買えるのなら
 高いも安いもありません
 必要なだけ用意しなさい」
 
「承知しております」
 
 
 
西田の持ってきた書類には、ある病院で最期を迎えようとしている患者に関する内容のものが記載されていた。
 
楓が張り巡らせた情報網に引っ掛かったその患者は、不慮の事故により脳にダメージを受けた三十代の男性。
その男性は臓器意思表示カードを携帯していたのだ。
 
 
家族の者から許諾を得れば脳死判定が行われ、2回目の脳死判定が終了した時点で各臓器毎にレシピエント候補を選び、移植実施施設に連絡が入る。
 
移植実施施設の担当医は候補に選ばれた患者に連絡をとり、移植を受ける意思が変わっていないか確認すると同時に、その患者が移植を受けても良い状態かどうかを判断する。
 
移植が可能であると判断された場合には、日本臓器移植ネットワークに心臓移植を実施する旨を連絡することになる。
 
楓はこのような臓器提供から移植までの流れを既に把握していて、どこをポイントに押さえれば良いかも知っていた。
 
 
 
「ただ、問題なのは・・・」
「何です?」
「院長が、いわゆる昔かたぎの
 堅物とでも申しましょうか
 道理に反することを嫌う方です
 交渉には非常に
 気を使わなければなりません」
 
今のこの世の中、金儲けの手段としての医療現場、名義貸し、不正受給や政治家への献金問題等、お金が絡んだ事件が新聞紙面を賑わす事が多数ある中、純粋に人のための医療を施すこの院長のような医者は少数派なのかもしれない。
 
 
どのような院長であれ、楓にとって最初で最後の機会となるであろうこのチャンスを、絶対に逃すわけにはいかないのだ。
 
「どんな人間だろうと
 生きていくためには
 お金が必要
 たくさんあればあるに
 こしたことはないと
 心では思っているはずだわ
 ・・・付け入るスキを見つけるのです」
 
 
ドナーがいても、自分の体に適合するとは限らない。また、自分の体に適合するドナーがいたとしても、その臓器が自分に回ってくるとは限らない。
 
それは、ドナーとレシピエントとの距離間の問題であったり、患者の状況であったり、病院内の状況(手術室・ICUの稼働状況・人員状況等)であったりと、これら全てを評価して移植可能と判断された場合に限られるからだ。
 
また、体力があるうちに国内で心臓移植を受ける、そうなる確率は気が遠くなるほど低くなる。
 
 
人間の臓器を手に入れることは非常に困難なことだからといって、楓はただ順番が来るのを何もせずただおとなしく待ってはいられない。
 
移植は誰かの不幸の上に成り立つ不条理なことであっても、自分の命がかかっている今、これまで手段を選ばず欲しいものを手に入れてきた以上に、細心の注意と正確な情報をもとにあらゆる手を尽くして、何が何でも手に入れなければならない。
 
但し、楓の頭の中には重要となるドナー家族の心情に配慮する事など一切含まれてはいない。
 
西田が持って来た朗報は、季節と同様に楓にとっての春を齎すことになるのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
総二郎とあきらは久しぶりにホテルのラウンジでエスプレッソを飲みながら、癒しのひと時を過ごしていた。
お互いの近況報告と仕事のグチをこぼしたりした後、また思い出話へと話が進む。
 
「あの頃は俺たち散々遊んで
 無茶もしたよな」
「あぁ、気に入らない奴には
 赤札を貼って・・・」
「若気の至りとはいえ
 貼られた奴らには悪い事したな」
「怖いもの知らずとは、恐ろしい」
 
 
上から下からと板挟みになって責任ある立場に籍を置く今とは違い、英徳学園という小さな社会でF4として名を馳せ君臨していたあの頃は、怖いものも責任を負うものもなく自由があった。
 
世間でも名が知れた彼らはそれなりに権力があり、金銭的にも事欠かない充実した生活を送っているかのように思えていたが、実際には眼に見えるものは全て持ち合わせていても、眼に見えない心や情といったものが欠けていた。
 
 
「ただ、・・・アイツだけは
 他の奴らとは違っていた」
「そう、アイツが
 司のオデコに赤札を貼り返して
 宣戦布告するとは・・・」
「牧野つくしとの出会いが
 俺たちに与えた影響は
 絶大だったと言えるな」
「・・・ああ、そうだな」
「アイツのような女は
 もう二度と出会うことは
 ないだろうな」
 
2人は続けて何かを言おうとしたがその言葉を呑み込み、窓の外に広がるどんよりとした空模様に視線を逃がした。
 
そして、自分だけのつくしとの思い出を反すうするかのように、時折目をつぶって瞼の裏に彼女の姿を投影していた。
つくしと関わっていた頃が一番充実していて幸せを感じていた、あの頃を。
 
 
 
 
 
 
 
「もうあの日には戻れないんだ」
 
 
――つくしの眩い笑顔
  はにかんだ顔も
  怒った顔も
  しぐさも、声も
  何もかも・・・
  あの日までは
  それらが当り前のように
  そこにあったのに・・・
 
 
類は街並みの歩道をあてもなく歩いていた。
その足取りはふらつき、眼は焦点が定まらず、病的で生気が感じられない。
 
時折り車道にはみ出てはクラクションを鳴らされ、歩道に戻って来ると歩行者に怪訝な顔で見られたり、彼からあえて距離をとって通り過ぎる者もいる。
 
 
「どうしてこんなことに・・・」
 
つくしを守ってやれなかった、約束を果たせなかった。
誤った判断をしてしまったのではないかと悩み続け、自身を責める。
 
「俺はまだ寝てるんだろ
 目が覚めたら、笑い話になるんだろ
 そうだろ、つくし」
 
自分を責める一方で、悪い夢をみているのではないかと逃避し、現実から目を背けることもあった。
 
 
「つくしがいない生活なんて・・・」
 
他愛もない話をして、笑い合って、苦楽を共にして、同じ時間を共有する毎日の積み重ねが生きがいだった。
特別なことは何も望んではいない。ただつくしが傍にいてくれるだけで幸せだった。
ただそれだけなのに・・・。
 
 
「俺は何のために生きてるんだ」
 
何に対して生きればいいのか、何の為に自分が存在しているのか。
言葉では言い尽くせない悲しみと喪失感は、今を強く生きる道より存在自体を否定する道を選択しようとしていた。
 
 
「つくしを独りにしない
 そう誓ったけど
 俺を独りにしていいなんて
 言ってないよ」
 
 
どんよりとした空からやがて大粒の雨が降ってきて、歩道には次々と色とりどりの傘の花が開いていく。
傘を持たない者は最寄のビルに走って雨宿りしたり、目的地へと走る。
 
そんな状況でも類は相変らずふらふらとした足取りで全身に雨を受けている。
この先の未来に失望した彼にとって、雨から逃れることが重要なのではなく、生きる目的を失ったこの世から逃れることの方が重要なのだ。
 
 
――卑怯だって言われても
  逃げてもいいよね?
 
愛する人を失った悲しみを乗り越える術を見出せない類は、愛する人がいる世界に逃げ込む手段を選ぶ。
 
 
 
「おっ、おい!あきら
 あれ、・・・類じゃねぇか?」
 
ホテルのラウンジから出た総二郎とあきらの目に、道路を挟んだ向こう側をクラクションと罵声を浴びながらふらふらと歩く類の姿が飛び込んで来た。
 
「・・・ああ?・・・何だアイツ
 何か様子がおかしくねぇ?」
「ああ、あれじゃあ
 まるでひき殺してくれって
 言ってるようなもんだぜ」
理解できない類の行動に困惑するが、それは直ぐに焦りと恐怖に変わる。
 
 
 
「つくし、遅くなってゴメンな
 そっちに行くから
 つくしの傍に、逝くから」
 
思い詰める類の思考はつくしのことでいっぱいで、家族や友人のことなど片隅にもない。
 
 
「ヤベッ!類ッ!!」
「おいッ!!るーいッ!!」
 
行き交う車の騒音に紛れ、絶叫した彼らの声は類の耳まで届かない。
いや、届いていたとしても正気を無くした今の彼には、声に反応し、声のする方向に目を向けさせる脳の指令は出てくることはないからだ。
 
 
 
「あッ!危ないッ!!」
 
車道に身を投げ出すように飛び出した類。
 
 
ズズズズーー!!
 
その時、通りかかった車のドライバーは慌ててブレーキを強く踏み、ステアリングをきりながら硬く目を瞑った。
 
濡れたアスファルトはタイヤとの摩擦を減少させブレーキの性能を弱め、車体の姿勢を変えようとする。そして車体の後部を派手に左右に振り、鈍く長い摩擦音を立てて類に迫る。
 
 
「キャアー!」
「アッ!」
 
歩行者たちは息を呑み、視線はその車と類にくぎ付けとなった。
それはまるで時間が止まってしまったかのように思えるおぞましい光景だ。
 
 
 
やっと止まった車から血相かえてドライバーが降りて前に廻りこむと、そこには仰向けになり無表情で遠くを見つめる目をした類がいた。
 
「きき、きみ、・・・大丈夫・・・か?」
「ケガは?痛いところはないか?」
「救急車を呼びましょうか?」
 
数台の車から運転手が駆け寄り、近くに居たサラリーマンやOL数名も駆け寄って類を取り囲む。
 
「あっ、動かないほうがいいよ
 頭打ってると大変だから」
 
「・・・大丈夫です
 どこも何ともありませんので
 ・・・迷惑掛けてすみません」
類は上半身を起こすと申し訳なさそうに答えた。
 
「ほ、本当に大丈夫なのか?」
加害者の立場にある運転手が涙眼で声を震わせた。
 
 
 
「ちょっと、今の見た?」
 
類がふらふらと歩いている直ぐ後ろにいた女子高生の3人組は事の一部始終を観ていた。
 
「うん!相当やばかったよね」
「て、ゆーか
 助かったのが不思議って感じ」
「そうじゃなくて
 あの人の身体の周りに出た
 光のことよッ!」
「・・・ヒカリ?」
「そう、なんか分かんないけど
 光があの人の・・・」
「光って・・・あんた、・・・まさか
 また変なの見たんじゃ・・・」
「だって見えたんだもの
 ・・・あの光は・・・、たぶん・・・」
「やめて!
 もう奈緒子ったら
 人を怖がらせようとして」
「いや、そんなんじゃなくて・・・」
「もういいから早く遊びに行こう」
 
奈緒子は得体の知れない何かを敏感に察知し、感じ取ったり目にする能力を持っていたようだ。普通の人には見えるはずのない、あの光がはっきりと見えたのだ。
 
 
あの『光』とは、オーブのことである。
『オーブ』それは、英国や米国では一つの心霊現象として研究家の間では認知された事象で、人の魂や霊魂の存在を示すものと考えられている。
 
それはいつ何処でどのような状況で現われるのかは分かってはいないが、常に何処かに存在していて、人に危機が訪れた時にも『光』として出現したりする。
 
以前、家族の墓石の前で凍死寸前の状態で倒れていたつくしは、類の発見により大事には至らなかったが、それでも丸2日間意識が戻らず生死の境をさ迷った事があった。
 
生きる希望を失い、自らの命を絶とうとしたつくしの命を救ったのは、医師の処置や手を握り締めて見守り続けた類の献身的な介護によるものだが、これ以外にも命が救われた要因があった。
 
つくしを大切に思うパパやママや進たち家族が、類の元へ導くためのオーブとなって温かく包み込み、死の淵に立つつくしの危機を救った。
全ては大切な家族を守ろうとする愛が生んだ奇跡。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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オーブ光の天使 第38話

 
 
第38話
 
 
 
「昨日から何も食ってねーよな
 あきら、昼飯でも食いに行かねえか?」
休憩室の椅子に座っていた総二郎は、販売機に手を伸ばす見舞い客らしき人物を見てあきらに声を掛けた。
時計の針は既に2時を回っている。
 
「・・・そうだな
 長丁場になりそうだし
 類には体力つけさせておかないとな」
 
 
大切な家族の誰かが病やケガに臥すのは本人が一番つらい立場なのは勿論だが、その大切な人のために付き添う家族もまた、精神的にも肉体的にも大きなリスクを負い、つらい立場に立たされるのである。
 
総二郎とあきらは、そういったつらい苦しみを過去に何度か経験をして解っていた。
司が高校時代に港で刺された時、つくしの家族一家が事故の巻き添えに遭った時、つくしが家族の墓石の前で冷えきった身体で倒れていた時、司が社会人になってから駐車場で刺された時。
 
連絡を受ける度に総二郎とあきらは不安を胸に抱きながら無事を祈り、見守ってきたのだ。
 
そして今、類の支えになってやれるのは自分たちだと、その責務を十分理解している彼らだからこそ、まず類がまる一日何も口にしていないことを心配して行動を起こすことにした。
 
 
 
「類、何か食べに行こうぜ」
「いや、俺はいい」
 
――思ったとおりの答えだ
 
「類、お前何も食ってないだろ
 お前が倒れたらどうする?
 牧野はそんなことを望んではいないし
 牧野の身体のことを思うのなら
 何か腹に入れておかなきゃ、だろ?」
 
「・・・でも今は・・・」
 
「牧野の傍に居てやりたいなら
 それなりに体力つけておかねぇと
 今は桜子たちも居ることだし
 牧野は寂しくねーよ」
 
「そうだぜ
 お前は牧野のことだけ
 心配していればいいけど
 俺らは、牧野のことも
 お前の身体のことも心配してるんだ
 ここはお兄さんのいうことを
 聞きなさい」
 
「・・・総二郎・・・、あきら・・・」
 
――あきらも総二郎も、俺のことを
  自分達がどうしたいかじゃなく
  俺のためを思って
  言ってくれているんだ
 
類は彼らの言葉を聞いて胸が熱くなるのを感じていた。
だからといって2人の話に素直に応じることはできない。
もし自分の居ない間につくしが目を覚ましたら、自分が居ない間に何かあったらと思うと、ここから一歩も動くことができないのだ。
 
 
「類、牧野の傍を
 離れたくないのは分かる
 けどよ
 自分の体調管理もできねえんじゃ
 この先
 牧野に付き添うのは難しいぞ
 牧野だってやつれた類の姿なんか
 見たくねえと思うぜ」
煮え切らない類を見て総二郎は少し口調を強めた。
 
今日は休日でこうしてつくしの傍に居られるが、明日からはまた慌しい一日が始まる。仕事を放り投げてまで、かつては愛したつくしの傍にいてやることは許されない立場にある。
 
彼らもつくしの傍を離れたくない気持ちは類と同じ。だが、悄然としたようにつくしを見つめる類の姿を見ていると、言わずにはいられなかった。
 
 
「類、俺たちは親友だろ?
 こんな時に頼らないで
 いつ頼るんだよ
 遠慮なんかすんなよ
 俺たちや桜子たちが居るんだからさ」
 
トイレに行くほんの僅かな時間でさえこの場から離れることを躊躇う類が、食事を摂ろうなどとは考えもしないことは分かりきったこと。
 
誰かが類を強制的に連れ出さなければ、誰かがつくしの傍に居てやらなければ。幸いにも、今は彼らと桜子たちが居る。このタイミングを逃してはならない。
 
 
「今、牧野は必死に頑張ってるんだ
 健康な類が傍にいるからこそ
 牧野も頑張れるんだろ」
「・・・あきら、総二郎
 ・・・ありがとう」
「礼だったら
 牧野が良くなってからにしてくれよ」
「・・・分かった」
「良しっ!
 そうと決まればすぐ行こうぜ」
そう言うが早いか総二郎は桜子達に事情を話し、つくしの傍に居てもらうことにした。
 
 
 
総二郎とあきらは食事をしていない類の体のことも心配だったが、思いつめて緊張で張り詰めた類の心を少しでも和らげてやりたいとも考えていた。
 
何の脈絡もないどうでもいい会話を交わすうちに運ばれてきたスープに、類が口をつけたのを確認して安堵の溜息を漏らす2人。
 
 
「あいつらもたまには
 役に立つ事もあるんだな」
「あぁ、あいつらだって
 もう子供じゃねぇんだから
 留守番ぐらいしてもらわねぇと」
「牧野が目覚めた時に
 知ってる顔が居れば
 安心するだろうし
 あいつらだって
 牧野の傍に居たいだろ」
 
総二郎とあきらがつくしを思う気持ちは桜子達の思いとは若干の違いはあっても、つくしのことが大好きなことに違いはなかった。
 
――牧野、早く目を覚ませよ
  みんな待ってるんだぞ
 
 
食事を終えて病院に戻る道すがら、類は彼らの会話を耳にしながら考えていた。
 
――もうとっくに目覚めてもいいのに
  いつになったら目覚めるんだろう
  予定日より早く産まれる
  可能性だってあるのに
  今のこの状態で・・・
  つくしは・・・、子供は・・・
 
疑問と不安が次から次へと押し寄せてくる。
その疑問や不安を少しでも取り除きたくて、類は担当医に詳しい話を聴きにいこうと歩きを速める。
 
「おい!類!」
遠のく類の後ろ姿に、総二郎とあきらは顔を見合わせると軽く溜息を漏らす。
 
「桜子たちが居るとはいえ
 気が気じゃねえんだろうな」
「ってゆうか
 誰が居ても同じなんだろ
 そこに自分がいないんだから」
「だよな」
 
まる1日何も口にしていない類、それは総二郎とあきらも同じ。
3人の空腹はピークに達していた筈。それなのに彼らが後にしたテーブルには手付かずの料理が残され、唯一スープ皿だけが空になっていた。
自分のため、つくしのためと口に運ぶのだが、思考と行動は伴わない。
 
 
 
留守にしていた30分ほどの間だったが、つくしには特に変わった様子は無かったと聞き安堵した類は、通りかかった看護師に担当医と話がしたいと申し出た。
 
内線で担当医の予定を確認した看護師は受話器を置くと類の傍に歩み寄る。
「都築先生は30分ほどなら
 時間が取れると申しておりましたので
 ご案内します。こちらへどうぞ」
 
看護師は類の前に軽く手を差し出すと、担当医が居る部屋まで案内をした。
 
 
 
「花沢様をお連れしました」
「どうぞ、お入り下さい」
軽く会釈をしてその場を立ち去る看護師を横目に、類は緊張を解すかのように呼吸を整えて部屋へと入る。
 
「あの、お聞きしたいことがあります」
「まぁ、こちらへお掛け下さい」
椅子に座るように促がすと、都築も向かい合わせに腰掛けた。
 
「つくしの意識は
 いつ回復するんですか?」
「経過観察中ですので
 まだ何とも言えませんが・・・
 ただ・・・」
「・・・ただ?」
 
「意識回復へのきっかけとなる
 兆候が全く現れていない点が
 気に掛かっているのです」
「・・・と、いいますと?」
類は不安そうな表情で身を乗り出す。
 
「様々な手段を講じてきた結果から見て
 意識を回復することが
 できなくなっている可能性が
 あるということです」
 
「・・・えっ・・・」
類は言葉を失った。
 
少しの沈黙。
 
――意識が、回復できない?
 
「そ、そんなことって・・・」
「花沢様、あくまでも可能性が
 あるということであって
 もちろん意識を取り戻し
 回復する可能性もあるわけですから・・・」
医師は落ち込む様子の類にそれ以上の言葉を続けることができなかった。
 
 
類は膝に両肘を付き、組んだ手を口元に当ててその意味を考え込んだ。
 
――このまま目覚めない可能性が
  あるってことなのか?
  まさかこのまま一生・・・
  ウソだろ
  つくしに限って、そんなこと・・・
 
<類、あたしなら、・・・大丈夫だから>
 
――俺を心配して・・・
  つくし、信じてるよ
  信じていいんだよね
 
 
都築は席を立ちデスクの上にあるつくしのカルテを持って再び席につくと、そのカルテを見ながら眉間に皺を寄せて話し始めた。
 
「つい先程
 花沢社長にもお話したのですが
 脳波が次第に弱くなっているのが
 認められ、このままいくと
 波形が・・・フラットを
 示す可能性があります」
 
「・・・フラットって、それは
 脳波がなくなるってことですか?」
 
「厳密には脳波が全く無くなると
 いうことはありません
 更に詳しく検査をしてみないと
 今は結論は出せませんが・・・
 普段とは違う波形を示すので
 それと判ります」
 
――つくしに限ってあり得ない
  ・・・でも、万が一・・・
  もう臨月に入って
  いつ産まれてもおかしくない
  時期だ
  このまま意識が戻らない
  ということになれば・・・
 
「子供は・・・、つくしは・・・」
 
良し悪しに関わらず、事の大小に関わらずどんな事情でも訊きたい、知りたい。そう思う反面、それを受け止めることが今の自分にはできるのだろうか。
 
医師の口からまた苦しみを助長する言葉を聞かされるのではないかという、不安や恐怖がその先の言葉を自ら封じてしまう。
 
 
「出産については産婦人科の田端医師から
 詳しい説明があると思いますが
 私の知りうる範囲で言わせてもらえば
 意識のない方や脳死状態でも
 出産したという事例や
 自力で元気な赤ちゃんを出産した
 事例もあります」
 
「産まれた、その子供は・・・」
 
「お子さんは元気に成長している
 そう報告を受けています」
何一つ安心できる言葉がみつからなかった類にとって、都築の言葉は微かな希望を齎した。
 
「それでは
 子供は無事に産まれるんですね?
 つくしも子供も
 大丈夫なんですね?」
 
「花沢様、先程も申しましたが
 今は経過観察中ですので
 なんとも申し上げられません」
 
「無事に出産した事例があるって
 言ったじゃないですか
 それなのに、・・・どうして・・・」
医師を困らせたいわけではない、ただ安心や希望が持てる答えが欲しいだけ。
 
類は目線を下げ、唇を噛みしめた。
 
妊婦であるが故に意識回復の治療に制限があるのなら、いっそのこと帝王切開で胎児を取り上げることで、胎児の負担が軽減されたつくしの体に思い切った治療を施すことができるのでは・・・。
 
それとも、弱りきったつくしの体にメスを入れること自体が逆に悪影響を与えることになるのか・・・。
 
避けて通れない大きなリスクは、類の頭の中に何度も渦巻き付き纏う。
 
――つくし、どうしたらいいんだ?
 
 
 
 
 
「類、何処に行ってたんだ?」
「・・・・・・。」
都築医師の部屋から戻って来た類は総二郎の問い掛けには答えず、うつろな目をして崩れるように椅子に腰を下ろした。
 
「すまないが
 俺達だけにしてくれないか」
類の様子がおかしいことに気付いて皆が近づいて来るのをあきらが制した。
何かは分からないが、ただならぬ様子を感じ取った皆は少し離れた椅子に移動した。
 
 
「類、何かあったのか?」
「独りで苦しむなよ」
そう言って類の肩に手をかけた総二郎とあきらは思わず顔を見合わせた。
 
――震えてる
 
類の身体が小刻みに震えていた。
 
「類、どうしたんだよ?
 牧野の傍に居ねえから
 心配したんだぞ」
 
背を丸め、両手で顔を覆う類の体はとても小さく見える。
 
「類、大丈夫か?」
 
――こんなに体を震わせるほど
  よっぽどのことなんだな
  一体何があったんだよ?
 
「類、俺たちに言えないことなのか?」
総二郎とあきらは類の肩を抱き心配そうに見つめ、彼が話してくれるのを待った。
 
 
 
「一晩明けてみて
 意識が戻らないようであれば
 更に詳しく検査をします」
 
「今の段階では結論は出せませんが
 このままの状態が続くようであれば
 覚悟を決めておいた方がいいでしょう」
 
「・・・覚悟って・・・
 それはどういう意味で・・・」
 
「最悪の場合
 脳死、という可能性も考えられます」
 
 
類の頭の中では、先ほど都築が言った言葉が木霊していた。
 
――脳死って何だよ
 
 
脳死状態でも出産したという事例があるとあの時、都築医師は脳死の可能性も考慮した上での発言だった。
ただその時の類は脳死状態でも子供の命が助かるのだという程度の認識はしたものの、つくしがその状況に置かれることはないと深刻には受け止めてはいなかった。
 
 
手術は成功した。
あとは目が覚めるだけだ。
そんな単純なことが今のつくしには難しい状況にあって、尚且つ、聞きなれない脳死という最悪の状況に陥ろうといている。
 
 
昨日までつくしは元気な姿で笑っていた。
つくしも類も幸せに包まれて、確かな未来に希望が溢れていた。
それが一瞬にして泡のように消えてしまんなんて・・・。
 
 
――そんなこと
  あるはずがない
  つくしに限って・・・
 
 
2人の道のりは決して順風満帆ではなかった。
周囲の人達に見守られながら幾つものつらい試練を乗り越えて、やっと掴んだ幸せだ。
 
希望が叶って男の子が授かり、あとは元気な我が子を腕に抱くだけ。
仲睦まじく子供を囲んで微笑み合う、そんな幸福な時間がもう少しで手に入ると信じていた類とつくし。いや、誰もがそうなるものだと信じて疑いもしていなかった。
 
しかし、突然訪れたこの不幸な現実をどう受け止めたらいいのか、先の見えない不安が渦巻き心の乱れは止まらない。
 
天国から地獄に身を放り投げられたように、世界が一変する。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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オーブ光の天使 第37話

 
 
第37話
 
 
 
漆黒の空は朝焼けに色を変え、長い一夜が明けた。
 
 
つくしの体には人工呼吸器、脳波測定、点滴、心電図測定などの管やコードが無数につながっている。
それらは生命の維持や容体を知らせる機器で、今のつくしには必要不可欠なものだが、その姿はあまりにも痛々しく一瞬にして悲しみを誘う。
 
 
「つくし・・・
 俺のつくしを
 ・・・許さない」
 
歯を食い縛り、硬く拳をつくり、こんな姿にした犯人に類の心は激しく憤る。
 
目の前につくしが居ながら傍に寄り添うことができないもどかしさ。
 
――つくし・・・
 
厚いガラスがつくしと類を隔てる。
 
 
 
「ここは私が看ているから
 お前は一度家に帰って
 必要なものをまとめて来なさい」
 
薫は類に何度となく同じ言葉をかけていたが、集中治療室の前から動こうとしなかった。
 
「類、自分の姿を見てみなさい
 こんな姿を
 つくしさんに見せるつもりなのかッ」
薫は軽く溜息をつくと、語気を強めた。
 
「そうだぜ、類
 お前の手、見てみろよ」
 
総二郎の声に、類はゆっくりと手の平を見る。
黒茶色に変色したつくしの血が指紋にしみ込み、CI統一発表会の為に仕立てたスーツには腹から太ももにかけて広い範囲で血痕がついている。
 
 
「あたしなら・・・大丈夫
 ・・・だから・・・」
「つくし・・・」
「るい・・・、あかちゃん
 あかちゃん・・・を・・・」
「つくしもあかちゃんも
 大丈夫だから
 絶対に助かるから」
 
つくしの瞼が閉じた、あの場面が思い出され胸が締め付けられる。
 
「つくし・・・」
 
 
「今、車を回したから行きなさい」
 
薫はあきらと総二郎に手伝ってもらい類の体をなかば強引に車に押し込めると、走り去るのを見送った。
 
 
「ありがとう
 これで類も少しは落ちつくだろう
 あきら君も総二郎君も
 疲れただろう
 何かあったら
 すぐに知らせるから
 君たちも帰りなさい」
 
薫の言葉に張り詰めていた緊張が解かれた2人は顔を見合わせて言った。
 
「分かりました
 でも、叔父さんも
 少し休んだ方が・・・」
 
明らかに疲れた顔の薫を見て総二郎が言うと、薫は静かに顔を横に振る。
 
「ありがとう
 でも私は大丈夫だ
 類が戻ってきたら
 交代で休むから
 それに・・・、つくしさんが
 こんなことになったのは
 私にも責任が・・・」
 
「俺たちなら大丈夫ですから
 なぁ、総二郎」
「ああ、俺たちのことなら
 心配要りません
 今日は日曜だし
 何もありませんから
 仮に、何か用事があったとしても
 こんな時に
 他の事なんて出来ません」
 
「牧野と類の傍に
 居てやらなければ・・・」
 
 
最愛の妻が銃弾に倒れるのを目の前で見てしまった類。
厚いガラスの向こうにいるつくしのことも心配だが、類がその心に受けた衝撃の深さを思い、誰もが彼に何かしてやらなければという気持ちが湧いてくるのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
類は自宅に向かう車の中から流れゆく景色をぼんやりと眺めていた。
目を瞑ればあの時の光景が瞼の裏に浮かび上がり、真っ赤に染まった自分の手を目にした場面で瞼は開き、体は硬直してしまう。
類の脳はそうなる事への拒否反応で、視線を外に向けさせるように指令を出しているのかもしれない。
 
 
「類さま?」
「・・・・・・。」
「類さま
 着きましたが・・・」
「・・・あぁ
 すぐ病院に戻るから
 このまま待ってて」
「かしこまりました」
 
 
運転手がドアを開けると普段は目にすることのないSPが出迎え、玄関では角田とメイドが数名、神妙な面持ちで出迎えた。
類のスーツに残った惨劇の証がその者達から出かかった言葉を封じていた。
 
「必要な物は
 既に準備してございます
 いつでも出発できるように
 荷物は車に積んでおきますので・・・」
「そう、ありがとう」
 
 
類は自室に戻りスーツを脱ぐのももどかしくシャワールームに直行する。
腹部から太ももにかけて血の痕跡を残したスーツ姿の自分が浴室の鏡に映り、類は居ても立ってもいられず急いでシャワーを済ませ、足早に車に乗り込む。
 
 
「出して」
車はゆっくりと動きはじめる。
 
「つくし・・・、つくし・・・」
 
頭の中はつくしのことでいっぱいになり、その他のことは片隅に追いやられた。
 
気持ちが急いて車のスピードがやけに遅く感じる。
運転手が急いでくれているのは分かっていても、労いの言葉を掛けてやれるほどの余裕はない。
 
つくしに会いたい、つくしの傍に行きたい。
あの場に戻れば辛い現実が待ち受けているが、それ以上につくしに会いたい気持ちが勝り、気ばかりが焦る。
 
――つくしを安心させてやらなければ
 
 
病院が見えて来て車は急患用の出入口前に回りこむと、停車するかしないかの内に類は荷物をわしづかみにして外に出た。
 
「ありがとぅ」
 
類の素早い行動に呆気に取られた運転手にそう言い残して、彼の姿は病院の中へ消えた。
 
 
 
病院内の廊下にパタパタと足音が広がる。
その音に気付いた薫とあきらと総二郎は長椅子から立ち上がり、音のする方に類の姿を認めた。
 
類は3人の前まで来ると荷物を長いすの上に無造作に置き、すぐにICUの厚いガラスの前に立ってつくしを見つめる。
 
「つくし、不安だったろ
 遅くなってゴメンね」
 
――類・・・
 
類が投げ掛けた言葉はつくしがというよりも、彼自身の心を表しているように彼らには思えた。
 
類は1時間足らずでここに戻って来た。焦りや気が気じゃない思いもひしひしと周りに伝わってくる。
 
 
 
「何か変わったことは?」
「いや、何も」
 
類はつくしの顔を見て少し安心したのか、小さな溜息をついて薫に向き合った。
 
「父さん、俺が看てるから
 自宅に戻っていいよ」
「うむ、そうさせてもらうよ
 悪いが、あきら君と総二郎君
 類の力になってやってくれ」
 
無論、あきらも総二郎もそのつもりだ。
薫が花沢物産の社長であるという立場上、いつまでも病院にとどまっているわけにはいかない事は容易に想像できたからである。
 
 
「まだ犯人は捕まってはいないし
 今後、何も起こらないとは
 限らないから
 総二郎君もあきら君も
 くれぐれも身辺に注意しなさい
 君たちの家には連絡をしておたから
 家の方や会社関係は大丈夫だろう
 なるべく1人での行動は慎むように」
 
「「はい」」
 
「それじゃあ
 すまないが後を頼む
 何か変わったことがあったら
 すぐに知らせてくれ」
そう言って薫は病院を後にした。
 
 
 
 
薫を見送った後、類は総二郎とあきらの前に立った。
 
「あきら、総二郎
 俺、礼も言わないで
 ・・・ありがとう」
 
「おっ、少しは冷静に
 なったみたいだな
 まぁ、こんな事があって
 冷静でいられる奴なんて
 いねえだろうけど・・・」
この後に続く言葉が出てこない。
 
 
息苦しくなるような沈黙が続く。
 
 
午前10時、平日なら患者や見舞い客で賑わいを見せる時間帯だが、休日であること集中治療室という特別な場所のせいか、より一層静まりかえっていた。
 
 
その静けさを破ったのは桜子たちだった。
桜子、滋、優紀、和也は、あきらからの連絡を受けて病院に駆けつけたのだった。
 
「あいつら・・・
 静かに来いって言ったのに
 ・・・ったく
 しょうがねーな」
 
 
あきらは少し離れた場所に桜子達を集め、事件に関するしり得る限りの情報とつくしの容体を説明した後、皆をICUに連れて来た。
 
「まだ中には入れない
 許可がでるまでは
 ここから見守るしかない」
 
桜子たちはガラスの前に横並びになり、そのガラスに張り付くかのようにつくしの様子を窺う。
 
 
ガラスの向こうのつくしの体には様々な管やコードが無数に繋がっている。その中でも顔の大半を埋め尽くしてしまう人工呼吸器、額やこめかみから伸びる脳波測定の為のコードはいやでも目を引く。
 
想像以上の生々しさと痛々しい姿に一同は息を呑み、体は強張り、まるで時間が止まったように身動きできずにいた。
やがて友人らの眼には自然と涙が溜まり、溢れた涙は一筋となって頬を伝い足元に落ちていく。
 
「せ、せん・・・ぱぃ・・・」
「なっ、つくし・・・
 どうして・・・あんまりだよ」
「つ、つくしちゃん・・・」
「つくし・・・」
 
あきらから事前に話を聞いていたとはいえ、目前の現実は許容範囲を超え衝撃に打ちのめされた。
そんな姿のつくしを見守る類に掛ける言葉が見つからない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
一方その頃、司は自分の部屋に篭もり思い悩んでいた。
 
――俺はこの先
  どうすればいいんだ?
 
「俺が牧野を
 心配しちゃいけないってのか?」
 
――結婚したからって
 
「だから何だってんだよ
 誰にどう思われようと
 俺は・・・、俺は心から
 牧野を愛していたんだ
 今だって、愛してる
 この事実は変わらねえぇ」
 
自分の気持ちに素直になればなるほどつくしに対する気持ちが溢れてくる。かといって現実には、この思いを告げることはもう許されないことも分かっている。
誰にも会えず、誰にも言えない故に悩みは心の奥深くへと沈んでゆく。
 
 
「今、俺ができることは
 やらなければならないことは何だ?
 ただこうして時間が経つのを
 待っているのか?
 何もせずただじっと・・・」
 
さまざまな思いが司の頭の中を駆け巡っていた。
 
「アイツは俺に
 手を差し伸べてくれたんだ
 何も遠慮することはねぇ
 結婚していようと
 親友の関係には変わりねぇはずだ
 牧野、・・・類
 あの手は親友の証だよな?
 そう受け取って良いんだよな?」
 
司はその時の事を類とつくしの温情と受け止め、これまでの生き方を改めようと心に誓う。
 
 
親の威光を武器に好き勝手のし放題だった、学生の頃。
身のほど知らずなプライドも傲慢さも、自分の置かれた環境はそれに見合っていて、それがごく当たり前のことだと思っていた。
 
巨大な権力と財力を持つ親の庇護の下でしかないのだと、あの頃は頭の片隅にもなく、自分自身こそが支配者でこの世の中は自分が中心に動いてる、そう信じて疑わなかった。
 
だが、社会人として世に出てからは少し事情が変わった。
立場が対等以上の人とも仕事上は付き合いや交流の場面があったり、仕事の行き詰まりや挫折を味わうなど、楓の元から離れたところで経験するからこそ見えてきた親の存在感と支配力。
 
 
子の心に触れようとしない親、それが普通で当り前だと思っていた。いや、無理に思い込もうとしていた息子。
だが実際には親は子に対して愛情の注ぎ方を知らなかっただけであり、子は親に甘えることを知らずに成長した。
その歪みを修復するには困難極まりない。それでも、もう手遅れだ、遅いということはない。
 
そして、何時いかなるときでも自分の心の中にいて安心と癒しを齎してくれた、牧野つくしという存在。横たわるつくしの存在が司の生き方と考え方を大きく変えるきっかけとなった。
 
 
「親友として、・・・俺は
 俺にしかできないことをしよう」
 
 
自分の過去や楓との関係を見つめ直す機会を与えてもらったことに感謝し、そして、人の温もりがこんなにも心の支えになるのだと、司は改めて気付かされた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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オーブ光の天使 第36話

 
 
 
第36話
 
 
 
手術室のランプが消えると類は反射的に立ち上がった。
類の動きに反応するかのように薫と総二郎とあきらもほぼ同時に立ち上がり、手術室のドアに視線が集中する。
 
 
手術室のドアが開き執刀医と思しき白衣の医師が現われると、全員が息を呑んでその医師を見つめた。
 
「ご家族の方、ですね?」
その医師は眼鏡を上げると低い声で訊いてきた。
「・・・はい」
薫がなんとか声を絞り出して答える。
 
 
「手術は終わりました」
「それで、つくしさんは」
「まだ予断を許さない状況です
 これから集中治療室に移して
 様子を診ていきますので・・・」
「予断を許さないって
 つくしは・・・
 それに、お腹の子供は・・・」
類は食って掛かるように医師に詰め寄った。
 
 
「落ち着いてください
 今のところは
 母子ともに安定しています
 ただし・・・、命の危険が
 去ったわけではありません
 我々も最善を尽くしますが・・・」
 
 
「・・・命の危険・・・」
その言葉に類は愕然とした。
いや、その場に居た全員が愕然とし、目を見開いたまま凍り付いた。
 
 
 
 
手術室のドアが再び開き、ストレッチャーに乗せられたつくしが運ばれてきた。
 
類はそのストレッチャーに駆け寄った。
「つくし・・・
 つくし・・・、分かるか?」
 
半歩遅れて薫とあきらと総二郎も近寄る。
「つくしさん」
「牧野・・・」
「ま、きの」
つくしの姿に胸が締め付けられそれ以上の言葉は出てこない。
 
 
「つくし、俺が分かるか?
 つくし・・・」
類はストレッチャーに覆い被さらんばかりにつくしの顔を正面から見つめる。
「まだ麻酔が効いていますので
 これから集中治療室に移動します」
「つくし!俺だよ!つくしっ・・・」
看護師の言葉を無視してつくしの傍から離れようとせず必死に呼びかける類を、あきらと総二郎は慰めるように両肩に手をかけて引き止めた。
 
「つくし・・・」
遠のいていくつくし。
呆然と立ち尽くす類に慰めの言葉が何も見つからない。
 
 
 
 
――つくし・・・
  一体誰が、何のために・・・
  いや、つくしは
  巻き添えを食ったのかもしれない
  あの時、あの場所にいた
  俺か、司を狙ったのでは・・・
 
少ししてICUの外から厚いガラス越しにつくしの様子をじっと見つめる類の姿があった。
 
――つくしが誰かに恨まれるなんて
  あり得ない
  つくしを憎んでいる人など
  ・・・でも・・・
 
類は頭の中で何度も同じ事を考える度に、同じ人物が導き出される。
 
「司を狙ったのでなければ
 ・・・やっぱりそうなのか」
 
この事件は衝動的な犯行ではない。最初から標的は花沢つくし・・・。
限られた情報から得られる結論は、あの人物以外には考えられない。
 
 
「類」
ぽつりと呟いた類に総二郎が反応した。
「・・・ん」
「何が、そうなんだよ?」
「・・・何でもない」
 
 
 
 
 
 
 
 
――ここに居ても何も進展しない
  真相を確かめに行かねぇと
 
司は意を決して部屋を飛び出す。
自ら運転して楓の入院している病院へと車を走らせる。
 
 
――俺と牧野のことを
  よく思っていなかったのは確かだ
  だから牧野の家族に
  あの日
  酷い仕打ちを仕掛けたのか?
 
車中では不思議と冷静に思考を巡らせることができた。
 
――俺自身も、牧野を・・・
  どん底に貶める
  行為をしてしまった
 
司は唇を噛み、悔やんでも悔やみきれない過ちを犯してしまった自分を呪った。
 
「だが、・・・なぜ・・・
 まだ牧野を
 それ以上貶める必要がある?
 一体なんのために・・・」
 
 
 
 
結局、何の結論も出ぬまま病院に着いてしまった。
病室のドアをノックして中へ入ると、楓は一瞬こちらを見ただけで何も言わずすぐに西田との会話に戻った。
 
「ババァ、話がある
 人払いしてくれ」
「社長、私は資料を取りに
 社に戻ります」
司のただならぬ気配を察した西田は自ら申し出た。
「分かりました」
 
 
司は西田が部屋を出て行くのを見届けると、楓の前に歩み寄り話を切り出した。
「牧野に何をした?」
「あの人がどうかしたの?」
「どうかしただとぉ!
 今、牧野がどんな状況なのか
 知らねえとは言わせねえぞッ!」
顔色一つ変えずに淡々としたいつもの口調で話す楓の様子に、司の怒りは頂点に達する。
 
「あなたは
 牧野さんに何かある度に
 私の所に来るの?」
「るせー!あんたが指図して
 牧野を狙わせたのは
 分かってんだッ!」
 
楓は呆れたように溜息をついた。
「いい加減にしてちょうだい
 母親に向かって
 よくそんなことが言えるわね」
「答えになってねえ」
「あの人に何が起ろうと
 私が関知するものではありません
 ・・・・・・逆に
 どうしてあなたが
 あの人にそこまで執着するのか
 聞きたいくらいだわ」
楓は僅かな間をおいて、言葉を選ぶように冷静な口調で返した。
 
「・・・俺は・・・」
 
――執着?
  ・・・そんなんじゃねぇ
  俺はただアイツに
  幸せになってもらいたいだけだ
  俺が苦しめた分
  幸せに、・・・ただそれだけ
  たとえ執着だと言われても
  それも愛情の・・・
 
 
言葉に詰まった司に楓はさらにたたみ掛ける。
「あの人はもう結婚しているのよ
 あなたがとやかく
 言える立場ではないはずよ」
「俺にとっては重大な事なんだよ
 いい加減
 白黒ハッキリさせようぜ」
「何をです?
 白黒はっきりしていないのは
 あなたの方であって
 私には関係ないことです
 これ以上話しても
 時間の無駄だわ
 出て行ってちょうだい」
 
「ババァ!てめー!」
司は近くにあった椅子を力任せに蹴飛ばした。
相手が母親でなければ胸倉を掴んで腕を振り上げていただろう。
 
 
「どうかしましたか?」
巡回していた看護師は怒鳴り声と大きな物音に驚き、慌てて部屋に入ってくるなり訊いてきたのだった。
 
「何でもありません
 ご心配なく」
いつもと変わらぬ楓の態度と言葉に、看護師は腑に落ちないといった表情で部屋を後にした。
 
 
「司、場所をわきまえなさい
 ここは病院ですよ
 そんな大声で他の人の迷惑です
 出て行きなさい」
楓は低い声で凄んだ。
 
「だから、あんたが牧野を
 襲わせたんだろうって
 言ってんだよッ!」
「私はあなたと違って
 あの人にはもう興味はないし
 これからも関わりあうつもりは
 ありません
 あなたが私のことを
 どう思おうと構いませんが
 勝手な憶測でものを言うのは
 やめなさい」
 
 
――証拠がある訳じゃねえ
  ・・・けど・・・
 
そう言われると返す言葉がない。
 
「もう用はないはずよ
 さっさと出て行きなさい」
もう話は終わったとばかりに楓は持っていた書類に再び目をとおし始める。
司はそんな楓を暫し凝視した後、扉に向かって歩き出した。
 
 
――賭け・・・てみるか
 
取っ手に手をかけたところで司は不適な笑みを浮かべ、そのままの体勢で口を開いた。
「なんで俺があの場所にいたと思う?」
「あなたの記憶が戻ったからでしょ」
「フン、全て筒抜けか
 ・・・まっ、それもあるけどよ」
「他に何があるというの?」
 
――まるで俺のことは
  すべてお見通しって
  口ぶりだな
 
「それだけじゃあない」
 
 
背中を向けていた司はここで楓の方に向き直った。
 
「アイツの身に
 危険が迫っているのは
 分かっていたんだ
 だから俺は、アイツの
 身代わりになろうと思った」
 
――悔しいが
  それは叶わなかったけどな
 
 
「あんたは今回の事を
 完璧に演出したつもりだろうが
 一歩間違えたら
 病院に運ばれたのは
 俺の方だったかも知れないな」
 
司は楓がどういう反応を示すのか、注意深く表情を読み取ろうとした。
楓の視線は書類から司へと一瞬動きを見せただけで、彼が期待する動きは見られなかった。
 
 
「アイツのためなら
 何だってできる
 命をさし出すことだって
 俺は死ぬことに
 なんの恐れもねえんだよ
 あんたには
 バカげたことかも知んねぇけど
 人はこれだけ変われるんだよ」
 
――俺自信の身を投げうってでも
  愛する人に降りかかる危険を
  受け止める覚悟が、俺にはある
  たとえ愛されていなくても・・・
 
 
「バカバカしい
 いい加減にしてちょうだい」
 
この言葉が言い終わらぬ内に司は部屋を出て行った。
 
 
見下したような口調、威圧感、いつもと変わらぬ楓。
しかし、外見とは裏腹に心は揺れていた。
 
「なんてバカな息子なの
 生きたくても
 生きられないというのに・・・」
 
病に蝕まれ限られた時間の中で、何時現れるか分からない臓器提供者を待ち続けて必死に生きている楓は、死を恐れずまた命を粗末にするような息子の安易な考えと発言に憤りを覚えた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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オーブ光の天使 第35話

 
 
 
第35話
 
 
 
つくしを乗せたストレッチャーは処置室に運ばれた。
 
銃社会ではない日本では、銃創を的確に処置してくれる医者は少ない。
生涯一度も銃創処置をしないですむ外科医もたくさんいる中で、つくしが搬送された病院には幸いにも銃創処置を2度経験した医師がいた。
だが、同時に身重の患者となると初めてのことで、早期処置法を見出すのに思いのほか時間を要した。
 
 
速やかに必要な検査が行われ、すぐに手術室直行となった。
 
手術台に横たわるつくしには様々な管や線が体へと導かれ、周囲に置かれた機器と複雑に絡み合って繋がっている。
それら全てはつくしの現状を知らせるものであり、生命をつなぐものでもあるが、その姿は痛々しく見るに忍びない。
 
医療スタッフは最善を尽くすべく動いていたが、時間が経つにつれ苦悩の表情を浮かべはじめる。
撃たれた角度が斜めだったため胎児や胎盤は無傷だったのだが、出血量が多く出血性ショックという重い状態になっていた。
 
 
 
 
総二郎とあきらは手術室へ向かう途中の廊下で司の姿を見つけた。声をかけると、彼は光の失せた視線を向けるだけで何も言わなかった。
 
「一体どうなってんだ?」
「牧野に何があったんだよ?」
「牧野・・・、大丈夫なんだろうな」
動揺は余計な不安を呼び込む。
 
 
彼らは司をそのまま素通りして手術室の方に向かうと、対面の椅子に独り座る薫が目に入った。
 
「おじさん」
「何があったんですか?
 牧野は・・・
 牧野はどうなんですか?」
「一体何が・・・」
あきらと総二郎は薫から電話をもらい病院に駆けつけたが、詳しい内容は何も聞かされていなかった。
 
 
「すまない、呼びつけたりして
 ・・・実は・・・・・・」
薫は時折言葉を詰まらせハンカチで目頭を押さえながら、これまでの経緯を2人に話した。
 
「なぜ牧野が・・・」
「誰が、何のために?」
2人はつくしが幸せならそれでいいと数時間前までは彼女の幸せを願ったばかりだけに、やり切れない思いと彼女を傷つけた犯人に激しく憤りを感じる。
 
 
 
2人は手術室の前の長椅子に座っている類の元へと歩み寄った。
「類、大丈夫か?」
膝に両肘を立て祈るように組んだ手をおでこに押し当て、身動き一つせずじっと目を瞑った傷心の類がいた。
 
彼らはそんな類を守るかのように左右に座った。
どんな言葉を掛けて良いものか分からない彼らは沈黙の仲間となる。
 
 
――どうして司がいるんだ?
   花沢グループのみ、のはず
   なのにどうしてだ
   偶然?・・・それとも・・・
   だとしたら、何しに
   司の奴、・・・まさか・・・
 
記憶を取り戻した司が類とつくしに謝罪する為に会いに来たなど総二郎は知る由もなく、何故この場に司が居るのかが不思議でならなかった。
 

「まさか、今回の事って
 司のお袋さんが・・・
 ってことなのか?」
暫くして、総二郎は独り言のように呟いた。
 
「・・・そう言えば
 何か企んでいるって
 話があったよな」
総二郎の呟きにあきらは思い出したように言葉を返した。
彼らの声に類の体が一瞬ピクリと反応を見せる。
「あぁ、・・・でも・・・」
 
「るっ、類・・・」
類は思い詰めたような顔つきで立ち上がるとスタスタと歩き出した。
 
「類、何処に行くんだ」
ただならぬ気配を察した2人は慌てて類の後を追った。
「類?」
「類っ!どうしたんだよ」
 
 
 
頭を抱え座り込む司の前に立った類は、突然両手で彼の胸ぐらを掴んで体を引き起こした。
「類、なんだよ」
「司、お前知ってたんじゃないのか」
生気が失われ無気力状態に陥っていた類が、まるで何かに取りつかれたように鋭い眼光を放って司に詰め寄った。
 
「・・・知ってたって、何の事だよ?」
司は怪訝そうな顔で訊き返した。
「おかしいと思ったんだ
 お前が現れると
 必ず何か悪いことが起きる
 ・・・お前とお袋さんとで
 仕組んだ事なんじゃないのか?」
司の顔がみるみる内に紅潮する。
 
「類、やめろ」
あきらは司の胸ぐらを掴んでいる類の手を振り解いて2人の間に割って入った。
あきらも総二郎も内心では類と同じようなことを考えていたが、確たる証拠もなしにそれを訊くことには躊躇いを感じていたのだ。
 
 
「答えろよ
 答えろよッ、司ッ!」
類はなおも司に飛びかかろうと勢い込み、制するあきらの手を振り解こうともがく。
類の眼光は殺気に満ちていて、以前つくしをレイプした話を司が暴露したあの時と同じように、怒りに打ち震え一触即発の空気を漂わせていた。
 
 
「そんなことある訳ねぇ!」
司の反論はこの一言が限界だった。
彼の内のどこかで引っ掛かっていた。モヤモヤしたものを言い当てられたような気がして、心が乱されていたのだった。
〝もしかしたら〟の思いが頭から離れない。
 
 
類に詰め寄られ動揺し、いたたまれなくなった司は病院の出口に向かって夢遊病者のようにフラフラと歩き出した。
「逃げるのかッ!・・・司ッ!」
あきらと総二郎に体を拘束された類は司の後ろ姿に怒鳴った。
 
「つかさー!」
司は振り向こうともせず類の視界から消えていく。
 
 
 
「落ち着けって」
「類、座れよ」
総二郎は興奮している類を長椅子に座らせた。
 
――済まなかったな、類

余計な話を持ち出したりしたせいで類の感情を逆なでしてしまったのだと、総二郎は自分の不容易な発言を悔やみ心の中で詫びた。
 
 
「牧野は今必死で頑張っているんだ
 類が取り乱してどうするんだよ」
「類、落ち着け
 今は牧野の無事を祈ろう」
あきらも冷静さを保っているかのように声をかけたものの、内心は穏やかではなかった。
つくしの安否が気になり、不安で押しつぶされそうになる心に鞭打って、やっとの思いで類に言葉をかけているに過ぎないのだった。
 
<類の傍に居てやってくれないか>
薫に言われた言葉は、今の2人には重くのしかかる。
だが、類の気持ちが痛いほど分かっているだけに応えてやらなければと感じていた。
 
 
 
類は憔悴し切ったようにただじっと手の平を見つめていた。
つくしの血で染まった手は黒茶色に変色し時間の経過を知らせる。
 
――つくし・・・
   大丈夫・・・だよな
 
駐車場での悪夢のような出来事が再び脳裏に蘇る。
 
 
――どうしてこんな事に
   どうしてつくしが・・・
   つくしを守れるのは俺だけなのに
   それなのに俺は・・・
 
類は頭を抱え込み、自責の念に駆られる。
 
――俺は家族の墓前で
   つくしを守って行くと
   約束したのに
   家族に何て言ったらいいんだ
   ・・・なんて言ったら・・・
   つくし・・・、頑張ってくれ
   何が何でも生きるんだ
   ・・・つくし・・・
 
そう願うのは類だけではない。
立場は違えど、あきらも総二郎も願いは同じ。
 
――牧野、類のためにも頑張ってくれ
   また牧野の笑顔を見せてくれ
 
 
薫もまた天に祈る。
 
――私と類の傍から
   つくしさんを離さないでくれ
   葵、つくしさんを守ってくれ
   私からの初めてのお願いだ
   私達からつくしさんを
   奪わないでくれ
 
 
静かに時が移り行き、ひっそりとした病院内は他の患者の気配も消え、そこに居る4人の重苦しい空気で充満していた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
いつから降り始めたのか、地面には水溜りができていた。
病院から出た司は冷たい雨に打たれながらフラフラと街中を歩いていた。行き交う人に肩がぶつかってはよろめき、時には罵声を浴びせられる。それでも彼は全く意に介せず、足は止まることはない。
 
「まさか、・・・またお袋が・・・」
 
――考えて見れば
   あの日を境に
   すべてが急変した
   お袋が計略し
   牧野の家族を死に至らしめた
   あの日から
   ・・・また今回の件も、なのか?
 
「だとしたら、絶対許さねぇ
 俺のためだなんて言わせねぇ
 もし牧野の身に何かあったら
 ・・・俺は、・・・俺は・・・」
 
憎悪の思いが湧き起こる。
 
類が言ったあの言葉に反論できず、モヤモヤとした気持ちが頭の中にはびこって離れない。間違いであって欲しいとは思うが、過去に楓がつくしにしてきた仕打ちを思えば完全に否定できない。
 
 
 
どこをどうやって帰って来たのか、司は自分の部屋で膝を抱え顔を埋めていた。
 
――類に何を言われても構わない
   もし俺が類の立場だったら
   俺は、・・・俺を許さねぇ
   俺はそれだけのことを
   してしまったから・・・
   もしババアがこの件に
   関与しているのだとしたら・・・
 
「その目的は、何だ?
 ・・・また、俺のため・・・なのか?
 誰にせよ、その目的は・・・」
 
誰が犯人だとしても、つくしとそのお腹の子供の命さえも奪おうとする、その理由はどんなに思考をめぐらせても思い当たらない。
 
「牧野が人に恨みを買うなんてことは
 考えられねぇ」
 
――バカがつくほどの
   お人好しが・・・
 
「誰の仕業だろうが
 牧野をこんな目に遭わせた奴を
 俺はぜってー許さねぇ!
 ・・・牧野、・・・大丈夫だよな
 お前は雑草だろ
 こんなことで
 へこたれるお前じゃねぇよな
 せめて手術が終わるまで
 牧野の傍に・・・」
 
暫くの間、母親に対しての怒りや疑念で頭の中がいっぱいだったが、時間の経過と共につくしの容体が気になり始め、病院を出てきたことを後悔しはじめていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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オーブ光の天使 第34話

 
 
第34話
 
 
 
「今日だったよな
 類んとこの会社のCI統一
 何とかがあるっていうのは」
「あぁ、確かあそこのホテルだぜ」
総二郎とあきらはホテルの展望ラウンジでエスプレッソを飲みながら、類とつくしがいるホテルを遠くに眺めていた。
 
つくしを愛していると気付いた時から、彼らは女とは無縁の生活を送っていた。共に忙しい日々の生活を送りながらも、お互い時間を見つけてはお茶を飲んだり酒を飲んだりしながら話をする機会を作っていた。
心を許しあえる者はやはり幼い頃から一緒に歩んで来た親友、お互いのことを理解している親友なのだ。
 
 
「そういえば
 類と牧野はどうしてるかな」
「しばらく会ってないよな」
2人は遠くを見つめたまま押し黙ってしまった。
 
しばらくして、あきらがぽつりと呟いた。
「楽しかったな」
「ああ、そうだな」
偶然なのか、総二郎も同じことを考えていたようだ。
 
「俺たち変わったよな」
「ああ、自分でもビックリするぐらい
 変わった」
2人の頭の中には楽しかった学生時代の思い出が蘇っていた。
 
「アイツと出会ってから
 俺は自分の気持ちを
 素直に表現できるようになったと思う」
「俺もそう思う
 バカがつくくらいの正直者で
 どんなに頑張っても報われないけど
 明るくてくじけない
 雑草のようなアイツ
 アイツの存在自体が俺を変えた」
 
「俺らが年下の牧野に教えられるとは
 考えもしなかったな」
「ああ、・・・教えられるどころか
 もし類がいなかったら
 俺は牧野を放っとかなかった」
「そこまで言うか?
 ・・・でもまぁ
 俺もそうするだろうけど」
「今は、ただ牧野が
 幸せでいてくれればそれでいい」
 
「相手が類っていうのが
 ちと癪だけど・・・」
「いや、類で良かったんだよ
 全然知らねぇ奴とだったら
 気が気じゃねぇからな」
「それもそうだ」
 
「俺らも早く見つけないとな
 見合いなんて話しになった日にゃ
 たまったもんじゃねーし」
「おぅよ
 それじゃあ
 早速出会いを求めて
 街に繰り出すとしますか」
「おいおい
 そんなんでいいんか?」
「出会いがなければ
 何も始まらない、だろ?」
「そう・・・だな」
総二郎とあきらはつくしに幸せを与えてやれる当事者にはなれなかったが、心から彼女の幸せを願っていることに違いはなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
溜まっていた司の涙はついに溢れ冷たいコンクリートに吸い込まれた。
その涙は許されざる事をしてしまった司に、僅かでも温情を向けてくれたことによって生まれた涙。
 
「本当にすまなかった
 ・・・申し訳なぃ」
肩を抱えられた司は消え入りそうな声で言って頭を下げる。
 
「司、忘れよう
 みんな忘れてしまおう
 つくしもそれでいいよね?」
つくしにも司の流す涙は心に響くものがあり、ぽろぽろと大粒の涙を流しながら頷いた。
 
 
全て無かった事には出来ない。
それでも前に進むにはいつまでも振り返っていられない。
この先、長い人生を歩むには過去より未来が大切なのだから。
 
過ちを犯さぬ人はいない。
事の大小はあるにせよ、犯した罪に見合った罰もまた意識しないところで受けているのである。
隣り合わせの罪と罰、それは生涯人に付きまとう。
 
 
 
「司・・・」
類は司の前に手を差し出した。
 
幼い頃、司にクマのぬいぐるみを引きちぎられ、小さな心に悲しみを受けた事がある。それでも類は大切な親友のために笑顔を向けた。それは一時の感情で大切な親友を失いたくないため。
あの頃のように純粋な気持ちで心から笑顔を向けることは出来ないが、手を差し出すことが今の類にとって親友への精一杯の気持ちだ。
 
 
「アイツだな」
駐車場の遠くからスコープの中に標的を捉え狙いを定める男。
 
「感動のシーンってとこか
 ・・・だがもうすぐ俺が
 幕を下ろしてやるぜ
 ・・・悪く思うなよ」
ギラギラとした目を目深にかぶった帽子のつばとシューティンググラスの奥に隠し、辺りの様子を窺いつつも獲物の動きは逃さない。
 
 
「・・・類、・・・こんな俺に・・・」
一瞬躊躇った司は類の手をじっと見つめ、そして彼の手を両手で握りしめた。類の手から伝わる温もりは司の心に重くのしかかった苦悩の重しを薄く剥ぎ取り、涙に変えてゆく。
 
 
「ま、まきの・・・」
司は躊躇いながらつくしの前に手を差し出した。
つくしはクシャクシャになった顔を類に向けると、いつもの優しい笑顔で勇気づけてくれた。
 
微かに何か金属物がコンクリートの床に転がるような音がし、間をおかずにバタンと車の扉が閉まる音がする。
「ん?」
類は警戒するように場内を見渡した。
そんな類の動作につられるかのように司もぐるりと辺りを見渡す。
 
この階の駐車場はVIP専用。
花沢グループのパーティーに出席している関連会社の社長や重役たちが乗りつけた高級車で溢れ、見渡した限りでは他に人影は見当たらない。
 
 
司は気を取り直し再び手を差し出す。
「まきの・・・」
「つ、つくし」
あと数センチで手が届きそうだったつくしの手は司の視界から消えた。
 
「牧野・・・、おっ、おいッ!」
「つくし、大丈夫?
 ・・・お腹が痛いの?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
手術室の前で類は頭を抱え込んで座っていた。
瞼を閉じた暗闇にはおぞましい光景が広がってくる。
 
 
類はふわっと揺れるつくしの身体を咄嗟に両手で支えようとしたが、力なく崩れ落ちる身体を支えきることは出来なかった。
なんとかつくしの身体を自分の体に凭れさせつつ、冷たいコンクリートの上に座らせる。
 
「つくし?・・・つくしっ!」
 
類はつくしを支えた手に妙な感触を覚え、その手の平を見て愕然とする。
黒いドレスとコートのせいで気付かなかったが、つくしの背中辺りを支えた類の手は彼女から流れてくる血で真っ赤に染まっていたからだった。
 
「えっ?・・・何これ
 ・・・どうして・・・なんで・・・」
 
自分の目の前で突然崩れ落ち、目を閉じて動かなくなったつくし。しかも背中辺りから血を流している。
 
「牧野!・・・なんだ?どうした?」
司も類も突然の出来事にパニックを起こし状況を把握できない。
 
「どうして・・・、なんで・・・
 一体何が・・・、つくしーっ!」
「牧野!」
その時、つくしの手がピクリと動きうっすらと瞼が開いた。
 
 
「つくし」
「るい、・・・あたし・・・」
つくしは突然に足から力が抜けその場に立っていられなくなって倒れたのだが、その時はどうしてそうなったのか自身も分からなかった。
そして今、痛みも何も感じていないのに血が出ているのだと知ったのは類の手を見た時だった。
 
「・・・血、が・・・、どうして?」
「分からない
 どうしてこんなことに・・・
 どうしてつくしから
 血が出ているのか・・・」
 
「あか・・・ちゃん
 ・・・あかちゃんが・・・」
 
つくしの口から本能的に出たその言葉に類はハッとした。
「病院に!早く車に乗せてッ!」
類の危機迫る声で我に返った運転手が駆け寄ってくる。
 
 
 
類は流れる血を止めようとハンカチやチーフを背中に押し当て止血を試みる。だが、そんな薄っぺらな布はあっという間に赤く染まり、血は指の隙間をたどって類のジャケットにまで沁み込んでくる。
 
「るぃ・・・、あかちゃん・・・」
「うん、今病院に向かってるから」
「うっ!いっ、いたっ・・・」
つくしの顔は激痛でゆがむ。
全く痛みがなかった背中は突如、心臓の鼓動に呼応するようにドクン・ズキン・ドクン・ズキンという具合に激しい痛みに襲われた。
 
「つくし、もう直ぐ病院に着くから
 何も言わなくていい
 ただ俺の顔を見てて」
類の右手は傷口に、左手はつくしの手を握りしめ、意識を失わないように声をかける。この時の類は、視線を合わすことと話しかけることで自分を落ち着かせていた。
 
「つくし・・・、大丈夫
 もう直ぐだから、がんばって」
「類の・・・顔・・・見たい
 ・・・どこ、・・・どこ・・・なの」
つくしを抱える類の顔は30センチも離れてはいない。そんな至近距離にも関わらず、類の顔はぼやけた映像でしか見ることができなかった。
この時のつくしは意識が薄れ、出血で体温が奪われその寒さから身体が震え始めていた。
 
 
「つくし、ここだよ」
類はつくしの手を自分の頬にあてがった。
つくしは安心したように弱々しく微笑み、震える手で類の眼や鼻や唇をなぞる。
 
「つくしの傍にいるから
 俺がついてるから
 頑張ってくれ」
「るい・・・の手、あったかぃ」
「体力を消耗するから
 何も言わなくていい」
言葉ひとつ発するのにも苦しげな表情のつくしを気遣っていた。
 
「あたしなら・・・
 大丈夫・・・、だから」
「つくし・・・」
「るい・・・
 あかちゃん・・・
 あかちゃん・・・を・・・」
「つくしもあかちゃんも
 大丈夫だから
 絶対に助かるから」
微かに聞こえたその言葉を最後に一筋の涙が落ち、再び閉じられてしまった。
 
「つくしーっ!!」
 
 
 
 
 
 
「なんでこんなことに・・・
 なんでだよッ!
 なんで牧野なんだ?
 ・・・なんで・・・
 なんで牧野が
 ・・・なんで・・・」
司は壁に頭を押し付け、呪文のように言葉を繰り返していた。
 
「なんで牧野を・・・」
 
苦しげに瞼を閉じた暗闇に先程の光景が広がる。
「あの時と同じだ
 ・・・あの時と・・・」
 
港で司がつくしの手を取ろうとしたあの時
手と手が触れようとしたその瞬間、スローモーションのように司の体が崩れ落ちたあの時のように、今度はつくしが・・・。
 
 
――どうしてまた繰り返す
   俺に定められた運命なのか?
 
虚しく空を切った司の手が冷たいコンクリートを叩いたあの時と同じだ。
過去と現在が交錯し、苦悶の表情を浮かべる司は大声で叫びたい欲求に駆られる。
 
 
 
 
 
 
薫の心は重く沈んでいた。
 
――私が無理なお願いをしなければ
   こんな事には・・・
 
悔やんでも悔やみきれない思いで自己嫌悪に陥る。
薫は病院の長い廊下に置かれた長椅子に座り独りうなだれていた。
 
 
「一体誰がつくしさんを狙ったのだ?
 目的は何だ
 つくしさんが
 人から恨みを買うようなことなど
 あり得ない
 もしや、つくしさんを狙ったのでは
 ないのかも・・・
 類か?・・・司くんか?
 いずれにせよ、この日本で銃を
 銃で撃たれるなんて・・・
 一体誰が、・・・誰を狙ったのだ?」
薫の思考は同道巡りを繰り返す。
 
「角田さんか?・・・私だ
 信頼できるSPを2名
 こちらに手配してもらたい
 それと、家の方と本社の警備・・・・・・」
 
その一方で、誰が何の目的でこの事件を起こしたのか分からない今、さしあたっての防衛策として身の回りのセキュリティ強化など、いま自分が成すべきことを指示していた。
 
 
急患専用のドアを勢いよく開けて飛び込んで来たあきらと総二郎は、受付に駆け寄るなり息を整えるのももどかしく声を荒げる。
「牧野は、いや
 花沢つくしはどこですかッ!」
 
 
 
 
 
 
 
 

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オーブ光の天使 第33話

 
 
第33話
 
 
 
「休みの時は病院に顔を出すようにと
 言っておいたのですが
 まったく坊ちゃんときたら
 朝から何処へ行ったものやら・・・」
「タマ、いいのよ、ほっときなさい
 たまの休みの日ぐらい好きなように・・・」
「いいえ、奥様
 こういうことは
 しっかりと身に付けさせなければ
 将来困るのは坊ちゃん本人ですから
 道明寺家の跡取として
 世間様に恥ずかしくないように
 教育しなければなりません」
「分かったわ
 司のことはタマ、あなたに任せます」
 
病院のベッドに横たわっていても楓の口調は以前と変わらない。
身体の自由は奪われつつあっても、会社のトップとして持ち込まれる決済事項に目を通し、決断を下して行く力も以前と変わらない。
ただ行動力が伴わないだけなのだ。
 
 
 
「道明寺様の病気は
 初めから心臓がどんどん大きくなって
 収縮する力がなくなってしまう
 拡張型心筋症といわれるものです
 この病気は
 心臓のポンプ機能の低下にともない
 心臓は拡大し
 肺の水分量が増加してきて
 息切れを生じるようになり
 放置すれば死に到る病気です」
「それで、奥様が治る見込みは?」
タマは楓が向けた視線の先へ目を向けながら、以前に医師から聞いた話を思い出していた。
 
「最近、内科的治療の
 目覚ましい発展により
 様々な薬剤、例えば強心剤
 利尿剤、カルシウム拮抗剤や
 さらに最近の新しい薬を
 服用することによって
 症状を軽減することが
 できるようになりました
 このような薬剤が効けば
 80%以上の人が
 1年以上生き延びることが
 できるようになってきています」
「1年・・・、ですか・・・」
 
「・・・ただ、こういった薬は
 根本的に病気を治すものではありません
 いずれはこれらの薬も
 効かなくなる可能性もありますし
 道明寺様のように、薬を使うと
 かえって心不全が強くなる場合
 心臓移植をする必要があるのです」
「・・・・・・移植・・・」
タマでも移植手術の難しさはある程度理解しているつもりであったが、現実に直面した今、不安な思いを強くするのだった。
 
コンコンとノックの音がする。
「西田です、失礼します」
タマはその声にハッと我に返った。
 
 
「社長、お話が・・・」
西田はそう言うとチラッとタマに視線を向けた。
タマは視線の意味を察し、用事に託けて静に病室を出て行った。
 
 
人の気配がないのを確認すると西田は切り出した。
「司様ですが
 先日の治療の結果を
 先生にお聞きしましたところ
 失われた記憶は
 ほぼ取り戻している
 可能性が高いそうです
 司様は何もおっしゃいませんが」
 
「そう、司の記憶が・・・」
――何も言わないのは
   全て記憶を取り戻したということ
   きっとあの女の所へ
   会いに行くに違いない
 
「今、司は何処に居るの?」
「・・・花沢物産のCI統一発表が行われる
 ホテルに向かわれたようです」
西田は一瞬の間をおいて答えた。
 
「やはり・・・
 そういうことだったのね
 今さら会ってもどうにもならないのに
 諦めが悪いにも程があるわ」
――牧野つくしを
   一度でも認めた自分に腹が立つ
   あの女も女よ
   司を誑かして
   道明寺家に取入ろうとする性悪女に
   司はすっかり翻弄されてしまって
「情けない」
ギリギリと歯を噛み締める音が聞こえそうなほど憎しみが湧いてくる。
 
 
 
 
 
「司」
類は咄嗟に手を広げ驚きで硬直したつくしの身体を自分の後ろに庇い、司を睨み付けた。
「何しに来た
 もう俺達には構うなって言ったはずだ」
「話しを聞いてくれ」
司の表情はいつもの人を見下すようなものと違って、どこか切なそうに見える。
「今さら司と話すことなんか何もない」
つくしは類の背中で怯えていた。
突然現れた司に普段穏やかな類からはとても想像もできない、激しく怒りを露にする姿がつくしの怯えを増長させていた。
 
 
「俺は、・・・ただ謝りたくて・・・
 お前らに謝りに来たんだ」
 
――謝りたい?
   ・・・今さら何を・・・
司の口から発せられた意外な言葉に類は返す言葉を失った。
 
――えっ?・・・道明寺が・・・
つくしもその言葉に驚き目を丸くした。
 
だが、直ぐに悪夢のような出来事が脳裏を過った。
<謝りたい
 直接会ってお前に謝りたい
 悪りぃけど俺の家に来てくれないか>
 
受話器の先から聞こえてくる声は
穏やかで
道明寺に会った時
突き刺すような冷たい眼ではなかった
だから本心だと、そう思った
だけど・・・、それは・・・
 
<ダチと認める?
 謝罪する?
 冗談じゃねえ
 俺様がんなことすると思うか?>
 
瞬時に凄みのある顔付きになり、そして不適な笑みを見せた司。
心と身体に深いキズを残した、あの日の事を。
そして、追い討ちをかけるように一夜にして家族の命を奪われたあの日の事を。
 
つくしの顔が強張っていく。
震える手で類のコートを掴む。
 
 
「思い出したんだ、全部思い出した
 ・・・だからこうして・・・」
「やめろッ!俺達はもう忘れたんだ
 忘れようと努力して今の幸せを掴んだ
 何を思い出したか知らないが
 蒸し返すなッ!」
気を取り直した類は力強く言い放った。
 
司はまっすぐ類を見たまま何も言わなくなった。
ちょうどその時チンとベルがなりエレベーターが到着した。
「行こう、つくし」
類はつくしをエレベーターに乗せると自分も乗り込み、地下駐車場の行き先ボタンを押して強制的に扉を閉めようとした。
扉が閉まる直前に手を滑り込ませて司はエレベーター内に入って来た。類は咄嗟につくしの体をかばいつつ身構える。
 
 
エレベーターが降下し始めた時に司は重い口を開いた。
「牧野、類、・・・俺が悪かった」
重くどんよりとした空気が立ち込めた密室に、司の搾り出すような声が充満していく。
 
 
<花沢類、・・・めちゃくちゃにして
 あたしを、・・・めちゃくちゃに・・・>
<牧野が大切だから・・・、できない>
<いいの、お願い、・・・抱いて>
 
<本日はお忙しいなか、家族のために
 足を運んで下さり有難うございます
 父、母、進、そして私の家族4人は
 紆余曲折を乗り越え
 貧しいながらも助け合い
 いつも笑い声や笑顔が絶えない
 素晴らしい家族でした
 今でも3人がどこかで笑い合ったり
 愚痴を言ったりして
 生活しているのではないかと
 棺に納められても
 未だに信じられない思いで・・・
 でも、家族の死は天命と思い
 受け止めていきたいと思っています>
 
司と楓の心無き仕打ちにつくしはどんなに辛い思いをしてきたことか、今でも類の脳裏にはハッキリと焼き付いていて、激しい怒りは司を目の前にして増幅する一方だった。
 
 
「やめてくれ
 お前が今さら謝って何になる
 記憶を失っていたからって
 許される事じゃない
 記憶があっても無くても
 お前のやった事は
 お前の判断でやったことだッ」
類は激しい口調でそう言うと、目に大量の涙をためたつくしを左手で抱き寄せた。
 
司は類から視線を外し、辛そうに目を伏せた。
<その眼が気にくわねえんだよ>
<これで終わりにしてやる>
<ったく!お前って奴は、見損なったぜ!
 人の弱みに付け込みやがって
 ざけんじゃねぇ!>
<司、じゃあ言わせてもらうけど
 司のした事は許されて
 俺のした事が許されないのは
 どう言う訳?>
 
<司はつくしを憎んでいたから
 あんな事したんだろッ!!>
<分かんねぇ
 何か良くわかんねぇけど
 ぜってー許さねーからなッ!>
<許してもらおうなんて思ってないよ
 許さなくて良いから
 つくしのことは忘れてくれ
 もう、つくしをこれ以上追い詰めるのは
 止めてくれない>
 
<あの事故は偶然じゃないんだぜ
 お袋が仕組んだ事故さ
 だからお前もせいぜい気をつけるんだな>
 
たった一つ手に入れたかった愛する人を母親の権力によって奪われた。
司の憎しみの矛先が記憶を無くしたせいでつくしに向いてしまった。また、幼い頃から共に歩んできた親友につくしを奪われ、裏切られた思いに駆られ、類をも精神的に追い詰めてきた。
瞼を閉じた先に見えるものは、自分の身勝手な行動だった。
失ったものが大きいからこそ、その反動で酷い仕打ちとなったのか・・・。
 
「許して欲しいなんて思ってねぇし
 許されなくて当り前の事を
 俺はやってきた
 ・・・だけど
 俺は真剣に牧野を愛していたんだ
 このことに嘘や偽りはないと断言できる
 記憶を失ってからの俺は
 本当の俺ではなかったんだ」
確かに、歯車が狂ってしまったのは司にとって不幸の始まりだったと言えるだろう。変な言い方をすれば、司の不幸の始まりが類の今の幸福を導いたと言えなくもない。
 
エレベーターは3人と無言の沈んだ空気を地下駐車場へと運んだ。
 
 
 
エレベーターの扉が開くと、類はつくしの手を引き司の体を押しのけるようにして外に出る。司もその後を追った。
類とつくしは無言で車の前まで進むと、向き直って後ろから来た司に正対した。
「司、・・・もういいよ
 お前の気持ちは分かった
 お前のやった事は許せないけど
 もう過ぎたことだし
 俺達は忘れるから
 だから、・・・お前も忘れてくれ」
そう言って類がつくしを見つめると、彼女は目から溢れ出た涙をハンカチで拭いながらコクリと頷く。
今つくしにとって大切なモノは、類の愛と産まれ来る子供である。
 
「本当にすまなかった」
司の身体は小刻みに震え、目にはこれまでに経験したことのない熱いものが込み上げてくる。
司は生涯の友とかつて愛した人を同時に失う覚悟をしていただけに、類とつくしがそう言ってくれたことが更に熱い涙を呼ぶのだった。
 
――憎しみからは何も生まれない
   憎しみの増幅は
   やがて悲しい不幸の結果を生む
   大切なのは今目の前にある幸せ
   この現実なのだ
類はそう自分に言い聞かせ、心を静める。
 
――俺たちも、司も、この苦しみを
   乗り越えて行かねばならないのだから
 
類は膝を着いてガックリとうな垂れる司に歩み寄ると、彼の肩をポンと叩き抱きかかえるように立たせた。
 
 
 
 

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オーブ光の天使 第32話

第32話


「気分はどうですか?」
息を荒くした司は虚ろな目で医師を見上げた。
「何か思い出しましたか?」
「・・・・・・何も」
頭や体から装置が外され元の状態に戻った司は、失っていたあの日からの記憶はまだ鮮明とは言えない画像として頭の中に蘇っていた。

「そうですか
 今回はかなり成果があったと
 見受けられたのですが」
「・・・・・・。」
司は黙っていた。と言うより、あまりのショックに言えなかったのだ。

「それでは次回の治療は、来週の・・・」
「もういい」
「・・・えっ?」
「もう来なくていいって言ってんだ」
「治療を止めるということですか?
 それとも
 もう治療の必要がなくなった
 ということでしょうか?」

医師は専門の心の病気治療とは別に、レム睡眠時に起こる脳の働きと記憶の固定について長年に渡り研究をしてきた、その道でも名の通ったスペシャリストでもあった。
モニターが映し出す波形の数値は情動的な感情によって脳の奥深くから出た電気信号により、経験を材料に起こる脳の活動の反映である。
記憶を取り戻したのかどうかは本人の自己申告でしか分からないことだが、医師の目には明らかに脳の活動が活性化しているのが読み取れた。

「どっちだろうが関係ねぇ
 来なくていいってことだ
 帰ってくれ!」


医師たちが部屋を出ると司は崩れるようにして頭を抱え込んだ。
「俺は本当に牧野を・・・」

つくしに会いたい一心で類の行動に目を光らせていた。
運良く夫婦同伴のパーティーがあり、そこにつくしも出席すると情報を得た司は、議員を装って2人が来るのを同ホテルの部屋で待っていた。その時に類が放った言葉が蘇る。

<司ッ!お前はどこまで
 つくしを傷つければ気が済むんだッ!
 あの日、つくしの家族の命を奪い
 つくしの体も無理やり力ずくで奪い
 あの日を境にお前とは縁が切れたんだ
 もう俺達に構わないでくれッ!>

「あの時・・・
 類が言った事は本当だったんだな」

少し時間が経つと失っていた情景の記憶がより鮮明になり、さらに当時の感情までもが蘇った。

お前のその眼
胸がざわつき
俺が俺でいられなくなる

苛立ちを覚え
心が乱れる

何事にも動じない
力強い光を放つ
漆黒の瞳

その輝きも今日で終わりにしてやるよ
ババァそっくりな眼とも
今日でおさらばだ!

「俺は、・・・俺はなんてことを・・・
 一番好きだった、あの瞳が
 それなのに俺は・・・
 どうしたらいいんだ」

一部記憶障害で記憶を無くしていたのは大切な女性、牧野つくしだった。
記憶がないとはいえ、彼女を激しく罵り傷つけてしまった自身が悔やまれる。謝って許されることではない。
それでも自分には彼女が必要で愛していて、傍にいたいという想いは記憶を無くす前と何ら変わらなかった。一生許してもらえなくても彼女だけは手放せない、自分にとって大切な無二の存在。

記憶が戻った時には既に彼女は親友と結婚していて、おまけに子供まで宿していた。その現実に憎悪さえ覚えた。

全ての記憶が戻ったと思い込んでいたが、実は肝心な一番肝心な部分が抜けていたことが吉凶の元で、それら全て自身が招いたことと知った今、司はこの先どうしたらいいのか生きる意味を見失い、ただ後悔の涙を流す。

失った時間を取り戻す事ができて良かったのか、何も知らないまま時間が過ぎてしまった方が良かったのか・・・。
今となっては時間を巻き戻すことはできない。また、言ってしまったこと、やってしまったことは無かったことにはできない、紛れもない事実。

自らの罪で失うモノの大きさを胸に刻みつけ、悔い改め前向きな姿勢で生きていく、司にはそう願いたい。


*******


「無理しないでいいよ
 俺から父さんに言っておくから」
「ううん、私なら大丈夫だよ
 無理はしないから私も出席したい
 ・・・いいでしょう?」

今日は花沢物産とそのグループ会社のCI統一発表式典と、その後に懇親会が行われる予定になっていた。
薫の第二秘書として働いてきたつくしは、産休後には仕事復帰をすることになっている。そして、何よりも次期社長婦人となるつくしの立場上、出席しないわけにはいかないことに類は迷っていた。

――まったく父さんは
   何を考えているんだか・・・

身重であることも心配だが、あまり人の多い所に行くのは精神的にも肉体的にも疲れ、また危険も伴う。前回のパーティーでは予期せぬ司との再会で家族の事故の件が明らかになってしまったこともあり、類はまた予期せぬ事態でも起きないかと憂慮していた。

「ねえ、ダメ?」
上目遣いで返事を待つつくしに類は無碍にダメとは言えなくなった。
「じゃあ、ちょっとだけ顔出して
 すぐに帰るようにしよう」
「うん、そうするから
 心配してくれてありがとう」


不安は残るものの取り敢えず2人の話がまとまると、類はつくしの膝の上に頭を乗せ大きくせり出したお腹を擦る。
「あともう少しだね」
「うん、男の子は母親に似るって言うけど
 あたしは類に似てほしいなぁ~
 類と同じ、ビー玉みたいな澄んだ瞳に
 この髪の毛がいいなぁ~」
シルクのような感触がする類の髪の毛を指先に絡める。
「ん~、この感触が何とも言えないのよね」

「ぷっ!ビー玉?
 俺はつくしに似てほしいよ
 つくしの瞳も髪も、・・・この唇も
 外見だけじゃなく
 性格も似てほしいって思ってる
 あッ!鈍感なとこは頂けないけどね
 くくくっ・・・」

身支度が整い、ホテルに移動するまでの安息のひと時。
臨月に入り、2人はまだ見ぬ我が子を想い愛おしさが込み上げる。

角田の知らせで2人は待機していた車に乗り込む。
類は二つボタンのイタリア製スーツでビシッと決めて、つくしは薫から贈られた黒いシンプルなドレスの上からロングコートを羽織っている。


類は運転手に地下駐車場で待機するように頼むと、携帯電話でセキュリティマネジャーに警備の再確認をした。

「つくし、少しでも具合が悪くなったら
 直ぐに教えるんだよ
 絶対に無理だけはしないでよ」
「大丈夫、病気じゃないんだから」

「父さんも何かと気を使っていたみたいだね
 そのドレス、似合ってるよ」
「良かった
 今は妊婦さん用のドレスも
 オシャレでたくさんあるんだね
 こんな素敵なドレス頂いちゃって
 あとでお礼言わなきゃ」

「つくしのことになると
 父さんは甘いんだから」
「ふふふっ・・・
 もしかして拗ねてるとか?」
「俺が選ぶって言ったら
 父さんにあっさり却下されたんだ
 ウ~ン
 その時の父さんの顔を思い出したら
 なんか気分悪くなってきた」

ふて腐れたようにそっぽを向く類につくしはクスッと笑い、お腹を擦りながら我が子に話しかける。
「ボクちゃんのパパは
 ヤキモチやきでちゅねぇ
 困ったパパ・・・、あっ!動いた」

つくしの言葉に反応するかのように素早く類の手がお腹に伸びる。
「あっ、すごい
 ぐにゅぐにゅしてる
 これってつくしの話を聞いて
 反応したってことかな?」
「お医者さんが言ってたよ
 この頃の時期には、耳は聞こえるし
 外が明るいのか暗いのかも判るんだって
 それに、聞いた事や感じた事の記憶を
 覚えている子もいるんだってよ」
「じゃあ、変なこと言えないね」
「まぁ、そうとも言えるね」

そうこうしている内に車はホテルに到着した。

「奥様、参りますか」
「類ったら・・・、はい」
軽く開いた類の肘の間につくしは腕を通し、お互い微笑を交わして数段の階段をゆっくりと上りホテルの中へ入って行く。

会場にはグループ関連会社の役員と一部の社員で約2000名が集まっていた。その中には一部報道関係者も含まれている。

予定より少し遅れて式典は始まった。
まずは薫の挨拶から始まり、お偉いさん方の挨拶が一通り終わると聞き覚えのある名前の政治家が祝辞を述べ、司会が祝電を何通か読み上げた。
続いて会場内の照明が落とされ、花沢物産のこれまでの歩みが上映される。その後、新しい企業イメージを前面に打ち出したロゴが大きく映し出され、ビジョンが明示されると拍手が沸き起こった。

引き続き元オリンピック金メダリストによる記念講演が始まり、およそスポーツ選手だったとは思えないほどの巧みな話術で笑いを誘っていた。
講演者が会場を後にする時には握手を求めるものや、カメラに収める者で人垣が出来た。
暫くの間ざわめきが残る中、司会者が式典の終わりを告げ懇親会の会場への移動を促がした。


「さっきの講演、面白かったね」
つくしは満面の笑顔で類に話しかけた。
「うん、いい意味で
 期待を裏切られたっていうとこかな」
類も笑顔で応える。

「天は二物を与えず、って言うけど
 あの人は与えてもらったのね」
「そうみたいだね
 ・・・ところで、つくし
 そろそろいいんじゃない」
「あっ、そうだった
 あんまり楽しくて忘れてた」
「ここはもういいから
 家に帰ってゆっくり休みな
 控え室に戻って、支度が出来たら
 駐車場まで送って行くよ」
「分かった、そうする」

控え室に戻り準備が出来ると、2人は手を繋いでエレベーターへと向かった。

「牧野、・・・類」
エレベーターを待つ2人の背後から聞き覚えのある声がしてくる。

2人が振向いたそこには、司が立っていた。


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オーブ光の天使 第31話


第31話


「お帰りなさい、つくし様
 検診の結果はいかがでした?」
検診の結果が問題がないことはつくしの笑顔を見ただけで角田には分かっていた。

「うん、順調だって先生が・・・
 それに、エコーをかけた時にはっきり見えたの」
「えっ?何が見えたのですか?」
「ふふふっ・・・」
思い出し笑いするつくしに角田は首を傾げた。

――エコーで見えるものって
   ・・・もしかして

「とにかくお休みください
 何か温かい飲み物でもお持ちしましょう」
「ありがとう、角田さん」

つくしはリビングのソファに座って、病院でのことを類にどう話したら良いか思案していた。
考えれば考えるほど類の喜ぶ顔が目に浮かんできて、つい自分の顔もほころんでいることに気付かない。
「ココアをお持ちしました
 ・・・ん?何かとても楽しそうですね」
つくしは膨らんだ想像の世界を慌てて消してはにかんだ。

「旦那様も類様も
 今日は早く帰るとの連絡がありましたが
 何かを期待しているのでしょうかね
 つくし様?」
「角田さん、もしかして気が付いて・・・」
「ええ。つくし様
 その先はお2人が戻られた時のために
 取っておいた方がよろしいかと」
「そ、そうね、そうするわ
 なんかワクワクしちゃう」
つくしの想像がまた膨らみ始めた。


「旦那様と類様がお帰りになりました」

つくしは大きいお腹を抱えて小走りに玄関へと出迎えた。
「おおっ!つくしさん
 しばらくぶりだねぇ」
「お父様、ご無沙汰しております」
「いやいや、もうすぐ
 〝おじいちゃん〟と呼ばれるんだね」

薫は初孫が産まれるのをとても楽しみにしていた。
なにしろ類の子供の頃といったら家庭環境の影響で心を閉ざし、親らしいこともしてあげられなかった。そのこともあってか、初孫は冗談抜きで目にいれてさえも良いと思っていた。

「いい加減立ち話はやめて入ろう」
類に促されて薫はようやく2階の自分の部屋へ入ったかと思うと、着替えをするのももどかしくリビングへと下りて来る。

つくしは薫と類が揃ったところで話を切り出した。
「今日、病院で検診を受けたんだけど・・・」
心配顔が二つ同時に近づいて来た。

「それで?」
「えーっと・・・」
「産まれてくる子が
 男の子だって判ったの?」
「・・・えっ?
 ・・・どうしてそのことを・・・?」
「ぅおおおーっ!
 でかしたぞッ、類ッ!」
薫に体を揺さぶられた類の瞳は焦点が定まらず、にっこりと微笑むつくしの顔がダブって見える。

30年近く花沢家に仕え様々な光景や歴史を見てきた角田はこんなにも温かく賑やかな花沢家を目にしたのは、類が産まれた時と薫とつくしが一緒に帰宅した時だった。
子より孫が可愛いというが、薫の顔にはまさにそのとおりですと書いてあった。

「ありがとう、つくし」
「類が望んでいた男の子でよかったね」
2人はそう言って見つめ合った。

「小学校は英徳付属に入れて
 中学校は・・・、そうだ留学させて
 もちろん留学先はパリだが・・・
 いやその前に、幼稚園をどうするかなぁ
 う~む、男の子はやはり
 スポーツもさせなくては・・・、う~む
 伸び伸びと遊べる環境も整えて・・・」
薫はひとり舞い上がっていた。

息子には親として傍にいてやることも愛情を与えることもできなかった。与えたのは孤独と過剰なまでの英才教育。
薫は息子に対しての接し方を悔い改め、自分の生き方を変えようとしていた。

「父さん、まだ産まれてないんだけど」
先走る薫に類は呆れ顔を向けたが、内心では喜んでいた。
つくしはそんな先まで考えいる薫に呆気に取られていたが、嬉しそうに話す薫を見ているうちに彼女の頬も徐々に緩んでくる。

「そう・・・だったな
 私としたことが、わっははは・・・」
薫の慌てぶりが可笑しくて、類もつくしもつられて笑い出した。
「ぷっ、くくくくっ・・・」
「ぁははは・・・」
「ちょっと気が早かったか
 まぁ、とにかく良かった」
つくしは久しく忘れていた家族との団らんをふと思い出した。
一夜にして家族を失ったあの辛く悲しい出来事は、もう直ぐ産まれてくる我が子と新しい家族の愛によって薄らいで行くのだろう。

「そうだ
 まだ早いのは分かっているのだが
 子供部屋をどうする?」
「どうするって?」
「部屋の内装のことだよ」
「まだ考えてない」
「もし良かったら、私に任せてくれないか
 ユーロスタイルの壁紙や家具で
 明るくまとめてみたいのだが
 どうだろう?」
薫の瞳はキラキラと輝いている。既にイメージが出来上がっているようだった。

「あたしは賛成
 お父様にお任せします」
「つくしがいいんだったら俺は構わないよ」
「よしっ!じゃあ任せてくれ
 ぜったい気に入ってもらえる部屋を作るぞ」
「お願いします、お父様」

類は薫の言動に呆れてしまうのと同時に驚いていた。
スパルタ教育で育てられ、親子なのに他人のように冷たく遠い存在だった父親が、今は産まれてくる孫にもう既にメロメロ状態で、自分の幼い時とのギャップに何か嫉妬のようなものを感じていた。

薫と類はつくしの身体を労わり先に休ませると、親子でというより男同士で腹を割って語り合い、そして飲み明かした。


*******


「先生、脳波計に動きがあります」
助手の声に振り向いてモニターの波形に目を移すと、明らかにレム睡眠の挙動を示しており、またベッドに横たわる司の閉じられた瞼からは眼球がキョロキョロと動くのが見て取れた。
脳が活動している証拠だ。

『確か俺は牧野に電話して家に呼びつけた
 牧野は俺の部屋に来て
 何か話しをしていたはず
 何の話しだったか・・・』

司の脳は僅かずつではあったが、記憶の断片をジグソーパズルのように拾って繋ぎ合わせようとしていた。
そしてジグソーパズルはピースが少なくなればなるほど、一気に終わりを迎えるのである。

『あたしが誰の家に行こうと
 関係ないでしょ!
 西門さんや美作さんの家に行ったからって
 道明寺に迷惑かけた?』

――そうだ、俺は牧野の眼を見た時
   ババァの顔と重なって・・・

『その眼だよ
 お前の眼が気に食わねえんだよ
 俺のダチと認めなくったって
 お前があいつらと一緒にいる限り
 嫌でもその眼を見ることになる
 耐えられねえんだよ
 だから今日で終わりにしてやる』

「波形がかなり乱れてきましたね
 中断したほうが良いのでは?」
「いや、もう少し様子を見よう
 私の経験則に照らせば
 完治の予兆の可能性が高い
 PGO波の値に
 異常がでたら教えてくれたまえ」

『来ないで
 それ以上近づいたら大声出すから』
『出せるもんなら出してみろよ
 俺の許可なく
 ここには誰も入れねえんだぜ』

『やめて!
 あんたの前には二度と立たないから
 だから、やめて』

『来ないで、・・・それ以上近づいたら・・・』

――またその眼だ
   その眼で俺を睨むのはやめろ!

『お遊びはこれまでだ』

『男の怖さってもんを思い知れ』

『道明寺、やめて、・・・お願いだから』

――まさか・・・俺が・・・まさか・・・

『やめて、どうみょう・・・』

『ぃやややぁー!!』

『お前が悪いんだ
 類なんて言うから、・・・お前が・・・』

――アァッ、俺は、俺はなんてことを・・・

「せっ、先生!心拍が・・・」
「いかん、限界だな、中断しよう」

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