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2009年5月27日 (水)

オーブ光の天使 第22話


第22話


8月 日本 道明寺邸

司は疲れきった体を解放するかのようにソファに身を投げた。
メープルの代表者とするべく楓の帝王学伝授が始まって2ヶ月が過ぎていた。急遽、帰国した司には殺人的な教育スケジュールが組まれ、人間らしい生活は何一つ許されない。メープルの代表である楓の身に万が一何かがあっても、事業に支障をきたすようなことがあってはならないという宿命を彼は背負っていた。

「坊ちゃん、お飲み物は何がよろしいですかね?」
「コーヒーでいい」
司はネクタイを緩めながら深い溜息を吐く。
「お疲れの様子ですね
 今日はタマ特製のハーブティーでも飲んで
 ゆっくりとお休みなさって下さいまし」
「用意できてんなら最初から聞くなよ
 ・・・ったく、飲み物まで強制かよ」

「苛々してますと早死にしますよ
 相当ストレスが溜まってることで
 これも奥様の愛情だと思って観念・・・
 快く受け止めることですな」
「ババァの愛情だと?冗談じゃねえ
 人を人とも思わねえ奴に愛情なんてあんのかよ
 てめえの都合で振り回しやがって」
「奥様が築き上げてきたものを
 坊ちゃんに譲るってんですから
 多少の我慢は仕方がないこと
 すべては坊ちゃんのためですよ」

帝王学伝授のスケジュールは予定より大幅に遅れていて、そのため仕事や勉強などに皺寄せが生じ、司の一日のほとんどはホテルで過ごさざるを得なかった。勿論、あきらや総二郎と会う時間も取れないし、また取ろうとも思わない彼だった。


    *****


深夜3時過ぎ、就寝中の総二郎の携帯電話が鳴る。それから数分遅れてあきらの携帯電話も鳴った。
電話口の声は聞き覚えのある冷静な口調ながらも少し震えているようで、寝ぼけた脳に緊迫感を与え、話の内容は脳と体を完全に目覚めさせ言い知れぬ不安を与えた。

「なんで病院の廊下ってこうもなげえんだよ」
病院の静寂な廊下に総二郎の足音が響き、焦りの愚痴がこぼれる。

廊下を曲がると手術室の前にタマと峰岸(司の秘書)が立っていた。
「つ、司は?」
総二郎は息を荒げてタマに訊ねた。
「まだなんとも」
タマは平静を装っているかのような態度を取ってはいたものの、その目はやや赤く落ち窪んでいた。タマの心の痛みが周りの空気を震わせてこちらにも伝わってくる。

総二郎の到着から数分遅れてあきらがやって来た。
「どうなんだ、司の容体は?」
あきらも息をきらし大きく肩を揺らしている。
「まだ分かんないんだと」
「なんでこんなことに?」
薄暗い病院の廊下に誘導灯の僅かな光が4人の影をおぼろげに這わせる。

犯人は司がメープルホテルの駐車場に来るのを身を潜めて待ち伏せし、ターゲットを確認すると気付かれないように背後から忍び寄り腰部分を刃物でひと突きして逃げ去った。
その場に居た司の専属運転手と秘書の峰岸は慌てて道明寺家に連絡を入れると同時に病院に搬送した。
連絡を受けたタマは直ぐに楓と椿に連絡をとった後、総二郎とあきらに知らせたのだった。

「犯人は?」
「まだ捕まっていませんが、時間の問題かと・・・」
秘書の峰岸が答えた。
「司にはSP付けてなかったのかよッ」
総二郎の怒声が廊下に響く。

峰岸は心痛な面持ちで重い口を開いた。
「自宅に帰るだけでしたので
 司様はいらないと申されまして」
その場に居たとはいえ、ほんの一瞬の出来事に司を庇うことも犯人を取り押さえることも出来ず、峰岸は手も足も出なかった自身を責めていた。
峰岸は秘書という立場であって、司を警護する任務に身命を尽くすSPの立場とは違うのだと、それと、峰岸や運転手をも巻き込む大惨事にならなくてよかったとタマは胸を撫で下ろしながら峰岸に語った。

「どうする、類にも知らせるか?」
「姉ちゃんが連絡してっかもよ」
「そうかも知んねえけど、一応連絡しておくわ」


N.Y. メープルホテル社長室

「西田、私のスケジュールを調整して
 3日間空けてちょうだい」
「かしこまりました
 いつでも出発出来るように準備をしております」
楓はいつものように事務的な口調と態度で西田に指示すると、何事もなかったかのように仕事に戻っていた。が、西田は楓が動揺しているのを感じていた。長く仕えてきた彼だからこそ解る微妙な変化を察したのだった。

楓は確かに動揺していた。2度も生命の危険にさらされた息子、実質の権限はまだ何も持たない司が狙われた。
「私が狙われるならともかく、なぜ司が・・・」
楓は小さく呟いた。


パリ

司が刺されたと椿から連絡が入っていたが、類は何事もなかったかのように日々を過ごしていた。
内心ではつくしに言うべきか迷っていたが、あきらや総二郎からの連絡で司は無事に意識も回復し命には別状はないとの事と、訊きたくもない司の情報を伝えることで彼女を不安にさせるようなことはしたくなかった為、この件を伝えることは先伸ばしにしようと考えていた。

類のざわめく胸も落ち着いてきた頃、総二郎から連絡が入り一番耳にしたくない言葉が受話器の先から聞こえてきた。一心に聴いていたが語尾の方になると頭の中が真っ白になって何も耳に入ってこない。
『類、大丈夫か?』
「・・・ああ」

『今日の診察の結果では
 1ヶ月もすれば退院できるだろうって
 もしかするともっと早まるかも知んねえぞ
 なんたって犬並みの回復力だからな
 ・・・ただ、精神的に不安定で
 司の奴、あの体で暴れまくってよ
 ・・・あきらがいたからよかったものの
 俺一人だったら、・・・今思い返しただけでもゾッとするぜ
 今は鎮痛剤が効いて寝てるけどな』
「どこまで理解してるの?」
『2時間前の事だから-----------今はまだ・・・』
「・・・そう、・・・司が・・・」

『類、帰って来る予定は?』
「今のところ考えてないけど
 司が退院したらイヤでも会うことになるだろうね」
『そうだな
 類たちが来なくても司が行く可能性もあるだろうし
 ・・・牧野には話したのか?』
「言ってないけど、・・・話さなきゃね」
電話を切った後、類は深い溜息をつき苦悩ぶりを窺わせた。


その夜
つくしに事実を伝えなければならない、そう思いながらも踏ん切りがつかない類はそわそわと落ち着かず、彼女を目で追いながら切り出すことが出来ずに時間だけが過ぎていく。

――よりによって肝心なところは覚えてないとは
   今更なんて話したらいいんだよ
   もう俺たちは歩き出したんだ
   時間は確実に動いてるんだよ、司
   どんなに願っても、もう遅いんだよ
   たとえお前の記憶が無くても
   起きた事実をなかったことには出来ないんだ

類はベッドの上でクッションに凭れ掛かりながら先程の落ち着かない様子とは打って変わり、視線を落とし一点を見つめたまま微動だにしない。

――類と一緒になってこんなこと初めてじゃない?
   何を悩んでるの?何を考えてるの?
   あたしに言えないことなの?
   あたしじゃ力になれないの?

つくしは最近の類の様子がおかしいことに気付いていたが、本人から話してくれることを待っていた。だが一向に口を開こうとしない彼につくしの不安は募る一方で、2人の間に温度差が生じ始めてきたことも感じていた。

――ああダメだ、あれこれ考えても仕方がない
つくしは勇気を出して訊くことにした。


ベッドに居る類の隣に座って重い口を開く。
「類、なんか心配事でもあるの?」
「・・・・・・。」
遠くを見つめていた視線はゆっくりと移動して心配そうに見つめる彼女の瞳を捉える。
「・・・つくし」
愁眉な面持ちで見つめるつくしを類は悄然としたように見つめた後、抱き寄せた。不安を消し去るかのようにつくしの髪に顔を埋め、腕に力がこもる。

「類、・・・何かあったの?」
「・・・つくし、・・・愛してる」
「・・・えっ?」
つくしは体を離して類の顔を見据えた。
「類どうしたの、何かあったんでしょ?
 そうでなきゃ、突然〝愛してる〟なんて言うはずないもん」
「・・・司、・・・司の記憶が・・・」
強い口調で問いつめたつくしだったが、司の名前を聞き両手で口を押さえ言葉を呑み込む。

類は彼女の様子を確認した上で慎重に言葉を選んでいた。
「つくし」
話さなくて済むのであれば話したくはない。だけど状況がそれを許してくれないことに、類は不安を抱きながらも意を決して重い口を開く。
「つくし、司の記憶が戻ったって連絡があったんだ」
俯くつくしの体がぴくりと反応し、顔が強張っていく。

「総二郎の話ではまだ完全とは言えないらしいけど
 ・・・思い出したらしい
 俺、つくしに何て言ったら良いか迷ってたんだけど・・・」
つくしの気持ちは複雑に揺れ動いた。司が元に戻ったという不安と、類の態度がおかしかった理由が分かって安心した気持ちがぶつかり合って混乱していた。だが、やがて安心感は薄れ、徐々に不安感が増大して心いっぱいに広がっていく。
類の懸念していたことが的中した。

類自身も複雑な思いで再び重い口を開き、司が刺されてからの8日間のことを語り始める。


    *****


8日前、司はわき腹を刺されて病院に搬送された。
傷は深く出血量も多かったが、運良く刃物は腎臓を1センチずれていたため最悪の事態は免れた。

手術を無事に終えた司は特別室に移された。
「おい、この部屋・・・」
総二郎は辺りを見渡してそう言った。
あきらもつられて辺りを見渡し思い出したように口を開く。
「前に司が刺された時の病室と同じじゃねぇか」
「こんな偶然あんのかよ」
「そうだな
 同じわき腹刺されて、同じ病室のベッドとは・・・
 何かの因縁か?」
総二郎とあきらは麻酔で眠る司の顔を眺めながら感心したように苦笑いする。
気がつくと外はすっかり明るくなっていて、時計を見ると7時を回っていた。学生の頃とは違い、今は忙しく家業の仕事をしなければならない身、総二郎とあきらはタマと峰岸に司を預けて病室を後にした。


入院から4日間の司はベッドに横たわり何かを考え込んでいるかのように一点を見つめていた。前回の入院の時とは別人のようにドクターの言うことは素直に聞き、何も文句も言わず治療に専念した結果、術後の経過は良好だった。
彼にしては珍しい現象だった。深く考え込むより先走った行動に出る彼にしてはあまりにおとなしすぎるのが異様で不気味さを感じる総二郎とあきらだった。


「おいッ!牧野、牧野はどうしてるんだ?」
ずっと沈黙していた司は5日目になって意外な言葉を発して彼らを更に驚かせた。
彼の口から何年ぶりに聞くであろう、牧野という名前を。
総二郎は司の口をついた牧野という言葉に不意打ちを食らったように困惑の表情を浮かべた。あきらの顔を見ると、彼も驚きと困惑の入り混じった表情でこちらを見ていた。

「・・・つ、司、なんで急に・・・、お前・・・」
総二郎は咄嗟のことに次の言葉が出てこなかった。
「牧野は元気にしてんのか?」
司は更に冷静な態度でつくしのことを訊いてくる。

――お前が牧野にした仕打ちの事を考えると・・・
   今更・・・、なぜそんな事が言えるんだ?

「牧野は相変わらず忙しく動き回ってるようだぜ
 俺らも仕事で忙しい身だし、全然会ってないけどな
 ・・・なんでそんなに気にするんだよ?」
会ったのはつくしが高校卒業して今日までたった一度だけ、それも結婚式の数時間だけだ。元気にしていることは分かっているが、悲しいことにそれしか分からない。

――そもそも牧野と会えなくなった元凶は、司
   お前がそうしたんだぞ、分かってんのか?

「アイツがどうしてんのか分かんねえんだな」
司はあきらの問いに答えない。
どうしてつくしの事ばかり訊いてくるのか、今更自分のした事に後悔とかしているのか、現時点では何も分からない。

――あんなに愛した牧野をどん底に貶めておきながら・・・

「お前二度も刺されたんだぞ
 人のことより自分の心配したらどうなんだ」
司を見る総二郎の目付きが徐々に険しくなっていくのを察知したあきらは、司の不可解な言動の意味を計りかね混乱している上に余計な騒動を招きたくないとわざと話をすり替えた。
「・・・ああ、そうだったな」
司が素直に話に乗ってきてあきらはほっと胸を撫で下ろした。

ほんの短い会話の中でも司は彼らの顔を見ようとはしなかった。一体その意味は何なのか、誰よりも司を知り尽くしている彼らでさえ分からなかった。
得体の知れない嫌な胸騒ぎは嵐が吹き荒れる前兆のように感じられた。まさか数日後にその嵐が吹き荒れるとはこの時、彼らは予想もしていなかった。

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