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2009年1月22日 (木)

PURE ANGEL[最終章]最終話

最終話


「分娩室から移されてみんなと話をして・・・、最後に類の顔を見た時
 ああ~これが本当に最後なんだなぁ、って思った
 意識が遠のいていくと、男の子が〝ママ、ママ〟って呼ぶの
 もう時間がきたんだ、あの夢は夢じゃないんだって・・・
 類とまだ見ぬ赤ちゃんを置いて永遠の別れを
 しなければならないんだって確信したの。そしてあたしは・・・」

みんなの脳裏にはつくしの心臓が止まったあの日の記憶が鮮明に蘇る。

つくしは視線の先を窓の景色のどこか遠くの方へ置いて、心臓が停止した7分間の間に見た夢を語り始めた。


あたしは男の子と手をつないでどこまでも続く青い空を飛んでいた。
どこを探しても太陽なんてないのに柔らかく光が降り注ぎ、眼下にはどこまでも広がる緑。青と緑に二分された世界にあたしと男の子だけが存在した。

「これでママはボクのものだよ」
満面の笑顔を向ける男の子、いや、我が子にあたしも笑顔で返す。
「これからどこに行くの?」
「ママの好きな場所、どこにでも行けるんだよ」
「ホント?・・・じゃあママはねぇ・・・
 大きな桜の木の下でのんびりと過ごしたいなぁ
 雪みたいにたくさんの花弁が舞っている
 そんな穏やかな場所がイイなぁ~」
「ママ、目を閉じて3つ数えて、ママの望む場所に行けるから」
「本当に?」
「うん」
「じゃあいくよ、・・・・・・いち、にい、さん」


「目を開けていいよ」

ただじっと目を閉じて数を数えただけなのに何故か場所はあたしの希望どおりに変わっていた。大きな桜の木の下であたしは幹に凭れかかり、我が子は膝の上にちょこんと座って嬉しそうにしている。
桜の木が枝を広げて淡いピンク色の花をつけ、枝と枝の隙間から木漏れ日が差し込み、スポットライトのように照らし出す。桜の花びらは雨のように舞い落ち、まるでジュータンを敷き詰めたかのように降り積もっていく。その景色はあまりにも色鮮やかで美しく、そして優美な風情にただ呆然と魅入っていた。


「良かったね、ママ」
我が子の声にハッとし我に返った。
「どうして?」
「だってここは天国なんだよ。・・・ママは死んじゃったんだから」
あたしは初めて気がついた、自分が死んだことに。

「そうか・・・、あたし死んだんだ」
「ママ、みんなに会えなくて寂しい?」
「寂しいよ、寂しいけど君と一緒にいる
 ずっと傍にいるって約束したから、・・・・・・両方は選べない」
笑顔の我が子が一瞬にして悲しみの表情に変わる。
「ママが傍にいるから、ね。」
両方は選べないんだと自分に言い聞かせ、我が子をギュッと抱き締める。
もう君を独りぼっちにはさせない、ずっとずっと傍にいるから、だからもう悲しまなくてもいいんだよ。小さな背中を摩りながら心で囁いた。


「パパが、・・・すごく悲しんでいる」
「・・・え、類が・・・」
「パパだけじゃない、ママに会いに来たみんなも・・・」
「・・・死んじゃったんだもん、仕方がないよ」
「・・・ママ・・・」
「そんな悲しい顔しないの
 命のあるものはいずれこうなる・・・宿命・・・なんだから・・・」

「・・・ママ・・・。ボクの手を握って」
「・・・えっ?」
「いいから、早く!」
急に怒った口調になって、あたしは慌てて小さな手を握りしめた。
次の瞬間、眩しい光に包まれたかと思うと一瞬にして居場所がかわった。


ベッドの上に横たわるあたしを囲むように医師や医療スタッフ、そしてみんなの姿がそこにあった。
「なんであたしがいるの?」
「あそこにいるママは体だけ、魂は今こうしてボクといるからだよ」
そこはICUだった。

「あっ、司が怒ってる」
あたしは天井すれすれの所で見下す形で事の成り行きを眺める。
「類が心臓マッサージ?」
「ママはみんなから愛されていて、必要とされているんだね
 パパの声、聞こえるでしょ」


『つくし、生きろ、俺たちのために生きろ
 つくし、諦めないでくれ
 人を失う悲しみはもうたくさんだ、だから生きろ
 俺は絶対におまえを死なせない
 だから頑張れ・・・、頑張って生きてくれ』


「る、い・・・」

「ママ、もうボクの歳数えたり
 誕生日のお祝いしてくれなくてもいいよ」
「ママが死んだから・・・、でしょ?」
「ボクは新しい命をもらったんだ
 今度は女の子として生まれ変わるんだよ」
「・・・新しい、命?」
「そうだよ、滋おばちゃんのお腹にいるのは、・・・ボクなんだ
 だから・・・、ママの子供じゃないけど、またママに会えるんだよ」
「・・・ぅそ・・・」

「ごめんなさい」
「どうして謝るの」
「ホクのことどう思っているのかが知りたくて・・・
 今だったらまだ間に合うから、ママ戻って、早く、早く!」
「また独りぼっちで寂しい思いをしちゃうんだよ
 それでもいいの?・・・本当にいいの?」
「ママ、ボクなら大丈夫だよ
 だってボクが大きくなったらいつもママの傍にいられるから
 だから心配しないで。・・・・・・ママ、ありがとう」

ママの傍にいられるから?
それってどういう意味なんだろう

< あの世にいる子と、お腹にいる子は通じ合っていますよ
  いつか巡り合う時がくる
  そして、まだ見ぬ子とあなた方を
  引き合わせようとしてくれるでしょう >

和尚さんに諦めていた子供が授かったことを伝えた時、なんとも奇妙な返事が笑顔とともに返ったきたことを思い出した。
あの時、和尚さんには何か見えていたのだろうか?

「本当にまた逢えるんだよね?」
あたしは笑顔で頷く我が子に背中を押されて自分の身体の中に吸い込まれるように入っていった。


司と総二郎とあきらは体を硬直させ息を呑み呆然とした表情で不思議な話に引き込まれていた。ただ一人類だけは余裕で納得したようにつくしに微笑を湛えている。

「つくし、実は一昨日の夜、夢見たんだ
 つくしの夢に出てきた男の子が俺に言ったんだよ
 〝もうすぐママとお話ができるよ〟って
 直ぐには理解出来なかったけど、俺たちの子供だったらって
 思ったら、なんか現実になるような気がして・・・
 今の話聞いてすべて納得できた」

類とつくしの現実離れした会話についていけない彼らは唖然とするばかりだ。

「俺たちの子供がつくしと弟妹を守ってくれたんだね」
そう言って類は立ち上がりあきらに真顔を向ける。
「子供、大切にしろよ、俺たちの大切な子供だったんだから
 あきら、美作家にもう一人女の子が増えるみたいだね
 ・・・良かったね、あきら」
類は語尾の方になると意地悪っぽく言ってにっこりと微笑んだ。
あきらは類の微笑に背筋がぞくりとして顔を引きつらせ、頭を抱えてしゃがみ込んだ。
「類、勘弁してくれえ、これ以上女に囲まれたら、俺は・・・」

「マジかよ、生まれ変わりがあきらんとこの子供ってかぁ?
 こりゃあ大変だなぁ」
「こればっかしは仕方ねえんじゃねぇの。あきら、諦めろ」
「司も総二郎も、俺たちの子供が生まれ変わりだと
 なんか不服でもあるわけ?」
類は超不機嫌な顔をして司と総二郎を睨んだ。
「いや・・・、お前らの血が混ざってるかと思うと・・・」
ごもごもと総二郎は訳の分からない言葉を続ける。
「んなわけねぇだろっ!」
眉間にしわを寄せながら司が言うとみんなは大笑いし、いつもの和やかな雰囲気が広がっていった。


1月8日 11時00分

「今日お呼びしたのは、奥様のお身体のことで・・・」

類の目の前に深刻な顔をした脳神経外科医と外科医が椅子に腰掛けていた。静粛な部屋の空気は異様に重く、バックライトに浮かび上がる連続したMRIの画像が嫌でも生々しく目に飛び込む。この場にいるだけで言い知れぬ不安にかられ緊張と恐怖が襲ってくる。

「奥様は7分もの間、脳に酸素が送られなかったことにより
 身体の一部に障害が起きています」

7分間の呼吸停止、そして一部障害、この言葉が心に重く圧し掛かる。予測していたこととはいえ、ショックは隠せない。

医師は硬い表情で告げる。
「その障害は・・・、奥様の下半身に現れました
 大変申し上げにくいのですが、・・・奥様は、・・・下半身不随です」
類の頭の中は真っ白になり、顔は蒼白へと変貌していく。

類の新たな苦悩の始まりだった。

このまま何事もなく済んでくれたらと何回そう思ったことか。しかしその傍らでは何らかの身体上の障害を懸念していたのも事実だ。

――下半身・・・不随?
   どうしてつくしなんだよ?

諦めていた子供が授かり、つくしの命が救われ植物状態や記憶喪失からも免れ、神は味方についたものだと。しかし、その代償がつくしの身体を不自由にすることなのか、自由を奪うことなのか。どうしてつくしばかりがとやり場のない激しい怒りと悲しみが渦巻く。


「下半身不随になる原因は脊髄の損傷が主ですが
 奥様の場合は脊髄の損傷は見当たりませんでした」
医師が席を立つと、T1強調画像とT2強調画像をセットにいくつもの脳の画像(MRI)について説明を始める。

「第3×の小脳との間にほんの少し白い部分が-----------
 右脳の第2×と左脳の第3×の部分に----------」
つくしの脳の画像をさし棒を使いながら医師は詳しく説明していく。

あまりにも唐突で受け入れがたい内容と現実に類は愕然としたまま見つめ、もはや医師の言葉など耳には届かない。だが、次の医師の言葉によって類は嫌でも現実を突きつけられる。

「自分の意思や力で身体を動かすことは、現状では無理です
 長時間の間リハビリをしますと日常生活ができるようになるかと
 思われますが・・・。ただ、このリハビリは精神的にもきついものに
 なります。今まで何不自由なく動いていた身体がまったく動かな
 い状態になるのですから。熱さも冷たさも、痛みも感じない状態に
 根気強く毎日リハビリを続けるためにも、ご家族の方の励ましや
 協力が必要となります
 一度ご家族で話し合いをなされてはどうかと・・・」

脳が物事を処理しようがしまいがお構いなしに医師は次から次へと言葉を続ける。そして追い討ちをかけるように脳神経外科医が口を開いた。

「あくまでも私の考えなのですが、奥様は大脳辺縁系が活発に
 働いたせいで記憶を失う事を免れたのではないかと・・・
 奥様から不思議な夢のお話を聞き大変驚きました
 長い間病院に勤めていますとさまざまな事があります
 科学では説明のつかない事や、現実ではとうてい考えられない
 事など・・・。このような言い方は軽率に聞こえるかもれませんが
 各臓器にはなんの問題もありませんでしたので、今回のケースで
 考えますと、下半身不随だけで済んだことは異例で奇跡的だと
 私は思っています」

医学の世界では奇跡・異例と片付けられることであっても、類にとってはあまりに漠然とした話で現実を受け入れられないでいる。

「あの・・・、つくしはこのことを・・・」
「奥様がお目覚めになられた時に身体の異変にお気付きに
 なられまして、その時に簡単な説明をしました
 詳しい結果が出たのは早朝でしたので、朝の検診の時に
 詳しく説明しました」

――つくしが目覚めたときはどんなに嬉しかったことか
   俺らはただただ嬉しくて笑顔を向けた
   つくしも笑顔を向けるから
   嬉しさからいつものように悪態をついた
   身体に異常をきたしてるとも知らずに、俺は・・・
   不安と恐怖に怯えていたことにも気付かずに
   どうして歓びと哀しみを一緒に与えるんだ!
   どうして・・・どうしてつくしばかりにこんな仕打ちを・・・

類の悲痛な叫びは心の中で渦を巻く。

「花沢様、顔色が優れませんが大丈夫でございますか?」


1月8日 11時50分

類は会社に戻る前に一目つくしをみてからと思い病室に向かった。ナースステーションの前を通り過ぎようとした所で看護師に声を掛けられ、つくしは子供を見に産婦人科に行ったと聞かされる。
保育器に入れられて11日目なる双子の赤ちゃんは順調に体重も増え、健康状態も良好だ。このまま順調にいけばあと10日くらいで退院できる。

――あんな小さかったのに・・・、子供の成長は早いな

ガラス越しから我が子を見ていて1人いないことに気付く。


「あの・・・、1人しかいないけど・・・」

看護師は類が何を言いたいのか察して、つくしと赤ちゃんがいる別室に案内した。


窓から射し込む強い日差しはレースカーテンで和らいでいる。その窓際で横を向く形でつくしは車椅子に座って愛しい我が子を胸に抱き、小さな背中を優しく規則正しく手で打ちながら慈愛に満ちた眼差しで子守唄を歌っていた。類はその様子を部屋の入り口で眺める。

――つくし・・・、どうしてそんな顔ができるの


< 奥様は下半身不随です >

数分前に聞かされた医師の報告に大きな衝撃を受け、目の前の現実に更に大きなショックを受ける。

――どうしてつくしばかりが・・・


廃用症候群(寝たきりで体を動かさないために筋肉が縮む現象で、関節が自由に動かなくなる)にならないように関節を動かしたりマッサージをしたりとリハビリをしてきたが、意識のなかったつくしにはその効果は薄く筋肉の衰えは服の上からでさえ判るほど痩せ細った。そんなか細い腕で子供を抱くことがどんなに大変で疲れることだろう。それでも上半身は動かせることができ、衰えた筋肉も時間の経過とともに回復するだろう。
しかし、下半身は自分の体の一部でありながら意思に反してその機能は全く果たさず、両脚はか細い腕のようになっていくのかと思うと胸が熱くなって涙が溢れてくる。


――命が助かっただけでも善しとしなければならないのか
   こんなのって・・・
   俺はつくしを幸せにするどころか・・・不幸にして・・・


何事もなければ今目にしている光景は微笑ましく映り、幸福の悦びに浸っていただろう。それなのに神様はそのささやかな幸せさえ奪ってしまう。

何不自由なく動いていた、動くのが当然だと思っていた身体がある日突然全く動かなくなり、熱さも冷たさも痛みも感じなくなったことに計り知れない不安とストレスを抱えていることだろう。自暴自棄になったり取り乱したりしてもおかしくない状態にも関わらず、類の目の前にはつくしのいつもの笑顔がある。
どんなに艱難なことが身に起きても、いつもそこにはつくしの笑顔があった。そんなつくしに類はこれ以上の不安を与えてはならないと自分を奮い立たせ、涙を拭って笑顔で足を踏み出した。


「類、どうしたの?・・・仕事は?」
「近くで会議があって、ちょうど帰り道だったから」
医師に呼ばれて病院に来たことはつくしは知らない。類は本当のことが言えずに咄嗟に嘘をついた。

「そうだったの。・・・ねぇ見て、類に似てると思わない?
 お人形さんみたい、・・・きっと美男子になるよ、類のハンコだもん」
双子のうち男の子の方が体重があって安定しているということで、僅かな時間だが抱いてもいいと許可が下りた。
「ぷっ!ハンコって・・・、瞳はつくしと同じみたいだね」
「そうみたい、髪の色も。・・・類も抱っこしてみる」
類は戸惑いながらも自分の腕に小さな我が子を抱く。

この日、つくしと類は初めて我が子を抱いた。
子供が生まれた、親になった、頭では分かっていても現実には自覚していないことに改めて気付く。守るべき大切な存在が腕の中にあり、腕や胸から伝わる温もりがその存在を主張している。


赤ちゃんを抱く類の姿がとてもぎこちなくて、つくしは思わず笑ってしまう。
「つくし、笑いすぎ。・・・・・・赤ん坊って、あったかいな
 ふたりの赤ん坊に、つくしに、・・・俺抱っこするの忙しくなるな」
「類たっら、またからかって」
「いたって真剣に言ってんの」
「はいはい!パパ、ガンバってね」
穏やかな昼下がり、柔らかな陽光を浴びながら2人は微笑み合った。


長男 花沢勇希(ゆうき)
長女 花沢未希(みき)
未来に希望をもって、そして勇気を
つくし、類、男の子の願いを託して付けられた名前だ


滋は2009年9月28日10時37分に女の子を出産
長女 星史瑠(せしる)と命名


花沢勇希と美作星史瑠は23年後の10月10日に類とつくしの27回目の結婚記念日に挙式
星史瑠には前世の記憶はないが、類とつくしにとっては我が子同然の星史瑠と一つ屋根の下で本当の娘のように仲良くその余生を過ごすことになる


意気揚揚と山を登る時期が過ぎれば
必ず静かに山を下る時期がやってくる


一度携わった人は
どんな姿・どんな形になろうと巡ってくるもの
人の出会いには決して偶然など存在しない
何かの縁があって出会うもの
その何かの縁に気付かなければ
一瞬で通り過ぎる存在なのだろう
その何かの縁に気付けば
友にも伴侶にもなりえる存在なのだろう
また巡り合わせには
この世に存在している人とは限らない
生まれてこられなかった子供にも必ず存在した意味があり
何らかのメッセージを残している
どんな縁にせよ
自分がどう受け止めるか
どう接するかによって人生は大きく変化する
人間は複雑で難しい
意のままにできない
だからこそおもしろい


類は未希を抱き
つくしは勇希を抱き
そして想う
あなたを抱くと
泣きたくなるほど幸せなの
あなたのキスがなければ
1日だって生きていけない
あなたなしでは生きられない
あなたのすべてが愛しいの
そんな自分を抑えられない
あなたと出会ったこの幸せ
温かい腕に抱いて
愛しく名前を囁いて
はじめてのこの想い


「勇希、また寝ちゃった」
「未希も寝ちゃったよ。・・・赤ん坊は寝るのが仕事だからね」
「ふふふっ・・・、昔の類みたいだね」
類とつくしは腕の中にいる小さくて柔らかく温かい我が子を愛おしそうに見つめた。
つくしの体力はめざましい回復を見せ、勇希と未希は健康状態も良好との医師の判断で退院が許可され、花沢家で家族全員揃っての生活が始まった。
つくしはまだ通院しながらリハビリをしていかなければならない。
本人の強固な意志と懸命な努力、加えて類の協力により、この日から1年4ヶ月後には車椅子の生活を終えることになる。


「あたしたちの宝物、増えたね」
「ん。・・・つくし、大切な宝物を与えてくれてありがとう
 俺にとってつくしは天使で、無邪気に眠る赤ん坊は妖精みたいだ
 穢れがなく・・・純粋な天使と妖精。・・・俺、世界一幸せ者かも」
類とつくしは微笑み合い、世界で一番しあわせな時間に浸る。


諦めていたモノを手にしたとき
人はみな強くなれる
愛する者の前では笑顔を絶やさないように
笑顔は信頼を生み努力を支えてくれる
そしてその努力こそが夢や希望をもたらす
とても大切なことだと気付いたから
いつまでも笑顔を向け続ける


~Fin~

注) 医療に関する事柄などで正しく表現されていない場面もあるかと思いますが、あくまでフィクションですのでお許しください。
また、この話は当初2004年に掲載したものを再度校正している為、一部年号等を修正してありますのでご了承ください。


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2009年1月21日 (水)

PURE ANGEL[最終章]第11話


第11話


1月7日 18時

ストレッチャーに乗せられて病室に戻って来たつくしは慎重にベッドに移され、機器類の装置や点滴の速度などの確認を終えて看護師たちは類に会釈をして病室を後にした。

つくしの傍に総二郎とあきらが足早に向かい、その後を数歩遅れて司が向かう。類はそんな3人の行動を眺めながらゆっくりとベッドに近づいた。

「つくし、やっと目が覚めたな」
「体の方はどうなんだ?」
「まったく・・・、心配したんだぜ」
こんなことを言いたいんじゃない、無理やり作った笑顔の裏ではっきりと聞きたいことがありながら総二郎とあきらはその言葉を呑み込む。

だが司はそんなもどかしさを振り払うように直球を投げ掛ける。
「つくし、俺たちのこと分かるか?」
「・・・・・・。」
左右から見下ろす男4人の顔をキョトンとしながら瞳だけを動かすつくしに、一瞬にして緊張に包まれる。
〝どうなんだよ〟と再度問いかけたい司だったが、記憶喪失を体験しているだけにその先の言葉が出てこない。


「もしかして、・・・俺たちのこと忘れたのか?」
なんの反応も見せないつくしにあきらがやっとの思いで口を開いた。
彼らは固唾を呑んでつくしを注視する。類は椅子に座るなり不安を隠すかのようにつくしの手を握りしめた。

「・・・・・・あたし、・・・・・・ごめん」
目を伏せるつくしを類は真っ直ぐに見据える。

「つくし、俺を見て」
柔らかく微笑む類をつくしは滲んだ瞳で見つめる。
見つめ合う2人を見守る彼ら。

「ごめん、心配かけて。・・・・・・あたし・・・」

滲んだ瞳から何かを感じ取った類は、つくしの言葉を遮るかのように握りしめていた手を自分の頬に寄せると、再び微笑んだ。

「つくし、・・・お帰り」
「・・・類・・・、・・・ただいま」
つくしも笑顔で返す。

聞きたいことが何一つと聞けない状態でありながらも、類とつくしに戻った笑顔を見ただけで総二郎とあきらからは安堵の溜息と笑みがもれる。ただ司だけは表情を崩すことなくつくしを注視していた。

「つくし、一度死んでも俺の奥さんだからね」

つくしの心臓が停止して電気ショックを与えた時に指から抜け落ちた指輪を、類はそっとつくしの薬指に通すと再び手を包み込んだ。
互いの存在を確かめ合うかのように見つめ合う2人を、総二郎とあきらは微笑ましく見つめる。司は何かが痞えるように胸がすっきりとせず、浮かない顔だ。


暫くその状態が続く中で総二郎とあきらの胸の内は、安堵感から生まれた悪態をつき始める。
「お前寝過ぎ!何日寝りゃ気が済むんだよ
 正月終わっちまったぞ」
「ホントだぜ、寝正月もいいとこだぜ、まったく・・・」
「お前、類に似てきたんじゃねえ?」
「似た者夫婦っていうからな」
総二郎とあきらが好き勝手に言う言葉も、今のつくしには嬉しく思える。


「つくし、記憶あるんだよな?・・・子供のことや、・・・俺らのこと」
記憶を失くすというつらい過去を持つだけに、司ははっきりとつくしの口から聞くまでは安心ができなくて確認せずにはいられなかった。

「うん。先生にも聞かれたけど、あたしちゃんと覚えてるよ
 それに、・・・司が先生に怒鳴ってくれたことや
 類が必死に心臓マッサージしてくれたことも、・・・全部覚えてる」
「そうか・・・って、ちょっと待てよ、記憶があるのは分かった
 けど心臓が止まってお前死んだんだぞ、何で分かるんだよ?」
「あきらと総二郎は司を押さえ込もうとしたよね?
 あたしずっと見てたんだ」

「「見てた?」」
頷いた後、人差し指を天井に向けて指差す。彼らは人差し指から天井に視線を移して不思議そうに見上げる。つくしはそんな男4人の姿をおかしそうに笑った。

「上に何があんだよ?」
総二郎とあきらと司は怪訝な顔で見合わせ、つくしの言葉と行動の意味を探ろうとする。

また類もつくしの言動を考えていた。耳から目から得たこれまでの情報を片っ端からタンスの引き出しを開けるように答えを探す。
そしてある一つの言葉が浮かんだ。

「まさか、・・・幽体離脱・・・、したの?」

「「「はあーッ!」」」
彼らは類の言葉に素早く反応を示した声は奇麗に揃った。
幽体離脱の意味をそれなりに知っていた彼らは〝冗談だろ〟と言わんばかりの呆れ顔を類に向け、そしてつくしに向ける。

「そう、みたい」

自分の発言にも関わらず類自身も呆れてしまう。が、つくしらしいと言って笑い出した。


死亡の可能性が高いと分かっていてもそれを受け入れざるを得なかった時、そして死の宣告を受けた時は、どんなに深い悲しみや悔しさや怒りに打ちひしがれたことか。どんなことをしてでも守りたい、大切な大切なつくしの命をと皆は必死だった。

皆の記憶にあるつくしの生き生きとした眩しい笑顔を見るまでどれだけの神経を費やして不安と葛藤してきたことか。9日目にしてやっと意識が戻り、懸念されていた記憶障害もクリアした今、手放しで大喜びしたい気持ちにも関わらず、生死をさ迷ったことなどなかったかのようにおどけて見せるつくしに力が抜けるような感覚と軽い怒りのようなものがこみ上げてくる。

「やってらんねーな!・・・ったく・・・」
青筋を立てて不貞腐れる司。

「まったくだぜ。・・・しっかしよー、前々から思ってたけど
 お前ってすげぇな、驚きの連続だぞ
 霊でも憑いてるんじゃねえのか?」
呆れ顔で言った後、疑心の眼差しを向ける総二郎。

「司の時も驚いたけどよ、つくしの場合7分も心臓止まって復活だぞ
 普通あり得ないっしょ。幸運の女神とか座敷わらしとかが憑いてる
 としか思えねえ。復活できたのは、類の愛情の深さだけじゃ
 なかったんじゃねえのか?」
至って真剣な眼差しで話すあきらに賛同するかのように頷きを見せる司と総二郎。

「みんな言いたいこと言って、俺の愛情が足りないってこと?」
類は不機嫌たっぷりの冷たい視線で睨んだ。

不貞腐れた司も、疑心の眼差しを向けた総二郎も、真顔で話したあきらも、不機嫌な類も今は大切に想うつくしの笑顔があるからこそ嫌味も悪態もつけ、いつもの雰囲気を取り戻せる。辛苦や悔しい思いをしたことなどなかったかのようにその笑顔にかき消されていく。
しかし、つくしの笑顔の裏に隠された真実には、この時誰一人として気付いてはいなかった。


「あたしが分娩室で陣痛と闘っている最中に、出血が酷くて
 気を失ったの。その時にね不思議な夢を見たの
 それはとても奇妙なんだけど、でも心温まるところもあって・・・」

つくしは少しの間いつもの雰囲気を味わった後、不思議な体験をしたことを語り始めた。


天空はまるで青い折り紙を貼ったかのように雲ひとつない真っ青な空がどこまでも続き、地上は土も草もなく目にも鮮やかな色取り取りのトルコキキョウの花が精彩に咲き誇っている。
静かで穏やかな時間だけが流れゆくこの地上に腰を据えたつくしはアニメの世界に出てくるような風情に、これが現実のものなのか、夢を見ているものなのか、はたまた天国にいるものなのか分からない。
心が和んでいくこの地にただ身を委ねていた。

「あぁこの花、確か・・・、類がプレゼントしてくれたものだ」
トルコキキョウを見てつくしはもう一つ思い出した。
「あの子の誕生日の時はいつもこの花だったなぁ~」
子供の供養のために手向けたトルコキキョウは半年前のこと。
しかし、つくしには遥か遠い昔の記憶のように思える。


「ボクも好きだよ、そのお花」
突然男の子がつくしの目の前に現れて屈託のない笑みを向けた。
「えっ?僕どこから来たの?」
「ボクはママを迎えに来たんだよ」
「・・・ママって?・・・あたしのこと?」
「そうだよ、だってボク独りぼっちで寂しかったから
 ママとパパにはボクの誕生日しか会えないんだもん」
悲しそうにセピア色の瞳を揺らす男の子はつくしの膝の上にちょこんと座った。
「ママの匂いがする」
男の子はつくしの腕に縋るように両腕を絡め、頬を寄せる。母親の温もりを味わうようにまどろみ、微笑をたたえた顔をつくしに向けた。
「これからはずっとボクと一緒だよ」

抱いたことのない男の子、でもつくしの中で何かが懐かしく思える。
母性本能がそうさせるのか、つくしの腕は自然と男の子に伸びて優しく包み込む。が、記憶が邪魔をして言動が矛盾する。

「でもあたしには赤ちゃんが・・・
 それに類も、・・・悲しませたくない」
「ボクのとし、・・・ずっと数えるって言ったのに・・・」
「・・・とし・・・、・・・え・・・」
つくしはある事を思い出して男の子を覗き込んだ。
「あの時の、子なの?」
「うん。ボクとママ、弟と妹はパパと一緒でいいでしょ?」
嬉しそうに笑うその顔が、パリの黒崎邸の庭で撮った写真の中の類とダブる。

「うん。ママがずっと傍にいるから、もう寂しい思いさせないから」
「わあーい、やったぁー、これからはママと一緒だぁ
 うれしいよ、・・・だから、・・・ボクからママにプレゼントをあげる」
「プレゼント?・・・ママに」
「ママに会いにたくさんの人が来てるんだよ
 その人たちにもう一度だけ会えるようにしてあげる
 それで、滋おばちゃんに会ったら
 お腹に赤ちゃんがいることを言ってほしいんだ」


「おい!それって・・・、3年半前に・・・」
司は思い出したように口をはさんだ。
「うん、そうなの。流産した時の子供、男の子だったんだよ」
「じゃあ、滋に言ったこと、その子が教えてくれたってことなのか?」
不思議な話なのにあきらは妙に納得する。
事実、滋は妊娠していたのだから単なる夢が夢ではないと立証されたようなものだ。偶然ということも考えられたがあきらは否定した。

「あの子ねえ、滋さんの子供のことをすごく気にしていたの
 滋さんは子供ができたことに気付いてなかったから
 ・・・・・・やばかったみたい
 あたしの二の舞になるところだったみたいだから」
「二の舞って・・・、まさか・・・」
総二郎が言った言葉に続く単語が流産なのだと気付いた彼らは大きく目を見開く。あきらの顔からは血の気が引いている。

夢という非現実な世界の事と現実に起こっている事実との不思議な接点に、たかが夢なのだと聞き流せない。つくしの夢話に引き込まれていく彼らはこの後、当時の出来事や抱いた感情が蘇り切なくなっていく。


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2009年1月17日 (土)

PURE ANGEL[最終章]第10話

第10話


1月6日 15時

奇妙な夢が現実になると信じて疑わなかった。奇妙な夢でさえも今の類にとっては希望の光のように受け止めていた。
体は会社にありながら、心はつくしの所に置いてきたかのようにそわそわと落ち着かず、何一つ仕事が手につかない。心ここにあらずといった朝からの類の行動に、秘書は機転を利かせてスケジュールを組み直した。


「後は頼んだよ」

類は秘書に一言告げて足早に退社すると、一刻も早くつくしの元に行きたい気持ちを抑えて、途中でいつもの花屋に寄り道をして病院に向かった。特別室に移されてから類は毎日花を買い、つくしが目覚めたときに視界に入る位置に飾って置くのが日課の一つとなっていた。


類は病室の前で立ち止まり、高鳴る鼓動を静めるように大きく深呼吸をしてからゆっくりと扉を開けた。

――今日こそは絶対に・・・

期待を胸に心も視線もつくしの寝ているベッドに集中する。その緊張が再び胸の鼓動を速める。
あと数歩でカーテンで遮られているつくしの顔が見られる。微笑で迎えてくれるつくしがそこにいる、そう思うだけで期待が膨らんで自然と口元が緩む。


「つくし」

朝に見たつくしとなんら変わりない姿に、期待も虚しく夢は夢であったのだと思い知らされ、その場を動けなくなった類の手から花束が床に滑り落ちる。

「つくし・・・」
類の呟く声と表情に落胆の色が濃く出ていた。

時として、期待や希望は残酷なほどに人を深い悲しみに突き落とす。そして、その期待度や希望度が大きければ大きいほどキズは深さを増す。


1月6日 20時10分

花沢物産の新入社員研修で隠し撮りをしたビデオテープがようやく類の手元に戻ってきた。仕事も一段落した類は病室の仄かな灯かりの下で、つくしの過去を観る。

「自己管理って・・・、自分が寝てたら自己管理なんてできないだろ」

三本柱の説明を聞きながら頬を緩ませる類の目の前には、生き生きとした元気なつくしの姿が映し出され、懐かしいその当時の記憶が蘇る。

「あの時、司が来たんだよな。俺、嫉妬して・・・、クククッ・・・
 つくしに両腕をベッドに縛られて・・・
 あれにはマジでびっくりしたよなぁ
 つくしはそんな俺の気持ちに気付かなくて
 ホント超鈍感だよな
 プッ!それで俺がそのまんまお返しって、つくしの腕縛って・・・」


ビデオに一通り目を通した類は、つくしのベッドに移動すると寝顔を見つめた。

「つくし、いつまでも寝てると脳みそ腐っちゃうよ
 いくら寝るのが好きな俺でさえこんなに寝られないよ」

薄く笑ってつくしの頭を撫でた後、寂しげな瞳でそっと頬に指を滑らせる。

「つくし、俺に写真見せてくれたよね?
 つくしが髪切る前に撮った写真、・・・記念だからって
 あれ・・・、つくしにとって特別な写真だったんだろ?」

いつものように類の一方通行の会話が続く。

「死を覚悟して、最後の写真として、・・・・・・俺の好きな髪型で
 俺の好きな笑顔で撮ったんだろ?」

つくしの手を包む自分の手に水滴が落ち、類は自分でも気付かないうちに涙を流していたにとに気付く。

「つくしを泣かせたりしないって言ったけどさ
 俺を泣かせてイイなんて言ってないよ
 つくし、早く目を覚まして、俺だけを瞳に映すって約束したろ」


愛する人を失ったとき、人は心の中で生き続けるという
でも日が経つに連れ記憶は色褪せてくる
誕生日や記念日、歳、嗜好、趣味は何だった?
何年か経って人にそう聞かれても直ぐに返答できるだろう
だが、相貌はどうだろう
輪郭・目・鼻・口ははっきりと思い描くことができるだろうか
カラーだった記憶はいつの間にかモノクロの記憶に
そして全てのかたちは曖昧になっていく
どんなに愛した人でも相貌は風化してしまう
だから必要なのであろう、写真が――
写真やビデオには色褪せない愛する人がそこに存在する


1月7日 16時50分

< もうすぐママとお話ができるよ >

類は夢の中で男の子が発した言葉が気になっていた。
昨日は目を覚まさなかったが、もしかすると今日は目を覚ますかもしれない、そんな淡い期待をまだ持ち続けていた類は、退社時間を待てずに仕事を投げ出してつくしの元に急いだ。

病室の前に着くと〝今日こそは夢が現実になる〟そう自分に言い聞かせ、期待を胸にゆっくりと取っ手に手を伸ばした。

「つくし?」

弱々しく呟いた類の手からカバンがドスンと床に落ちる。
呆然と立ち尽くす類の視界には、つくしが生きている証として毎日見てきたモニターの電源は切られ、寝ているはずのベッドは蛻のカラだった。


その頃、病院のエントランスでは司の後姿を目撃した総二郎とあきらがいた。

「つかさー!」
「おお、お前ら早えーな」
「そうゆう司こそ人のこと言えないだろ」
「なんかつくしのことが気になってよ」

総二郎とあきらも司の言葉に同感といったように目で合図をすると、3人は肩を並べてつくしの病室に向かった。
エレベーターを降りて長い廊下をすたすたと歩き角を曲がって直ぐにあきらが異変に気付く。

「病室の扉、なんで開けっぱなしなんだ」

この階にはVIPルームが4部屋ある。政治家や大企業の社長や芸能人といった著名人が使用することが多く、スクープを狙って潜り込む記者も後をたたない。その為にも緊急時でない限り扉はきちんと閉める規則になっている。

3人は扉を凝視したあと顔見合わせ、急ぎ足で病室に向かった。


「類・・・、何やってん・・・」
呆然と立ち尽くす類に総二郎が声をかけようとした時、空になったベッドに気がつき言葉を途中で止めた。

「つくしは・・・、つくしはどうしたんだよ?」
「類ッ!聞いてんのかッ?つくしはどうしたんだ?」
司と総二郎が声をかけるが類の反応はない。

「類、大丈夫か?」
あきらに肩を叩かれて我に返った類は彼らの顔を呆然と見る。
「る、い」
「聞いてくる」
類はそう言って病室を飛び出した。

類が病室に来る3時間前、つくしは深い眠りから目を覚まそうとしていた。
眼球が動き瞼と睫毛が揺れると、9日ぶりに重い瞼がゆっくりと開いた。白く霧がかかっているような目のかすみは、瞬きを何度か繰り返すことによって徐々に薄れて視界がはっきりとしてくる。やがて白い壁、ソファや誰も寝ていないベッドが見えてきた。

そして色鮮やかに咲き誇るトルコキキョウの花も。
この花は類が昼休みを利用して行きつけの花屋で買ったものだった。何かに引き寄せられるように買い求めた花だったが、類の第六感が働いたとしか思えない。このトルコキキョウの香りがつくしの脳を刺激し、深い眠りから覚めた要因の一つでもあったからだ。
婚約早々、体調を崩したつくしのために類が購入したのが始まりで、流産をした子供の為に毎年供えた花でもあり、この花には2人の特別な思い出があった。


視界ははっきりとしたものの、頭が朦朧として自分の置かれている状況が把握できないつくしは再び頭を傾けて辺りを見渡した。

「ここは何処なの?さっきまであの子と遊んでいたのに・・・」

機器類や点滴を見て、ようやく病院らしき所にいるのだと気付く。

「あたし・・・、生きてる?」

つくしは自分の身に何が起こったのか懸命に思い出そうと記憶を辿ろうとするが、頭の中に立ち込めた靄はなかなか消えてはくれない。


暫くそういう状態でいると、やがて定時巡回の看護師が病室に入って来る。
いつものようにベッドの脇に立ち、点滴の量や速度を確認して測定器の数値をカルテに書き込む。一通りの事務的な作業を終えると、次に変わった様子がないかとつくしの顔色を窺おうと視線を下げて、看護師はビクッと体を震わせて目を大きく見開いた。目の前には瞬きをしているつくしがいて、自分と視線があったからだ。

「はっ、花沢様、いつお目覚めになられたのですか?」
「・・・・・・ん?・・・いつって・・・、少し前に・・・」
「ご気分の方はいかがですか?・・・傷口が痛んだりしませんか?」
「・・・傷口?・・・それよりも頭が重い感じで、それと・・・・・・体が・・・」
「花沢様は9日間も眠っていらしたので
 おそらくそのせいだと思います
 ご主人様やご友人の方が毎日いらして
 見守り続けておられましたよ」
微笑みを向ける看護師につくしは笑みを返すことも相槌を打つこともなく、無言のままただ天井を眺めていた。

「お目覚めになったこと、ご主人様にご連絡しますね」
「・・・えっ?主人・・・ちょっと待ってください、・・・連絡は・・・」
看護師は言いよどむつくしに一瞬眉をひそめる。

――まさか・・・

「直ぐに担当医を呼びますので、そのままでお待ちください」


程なくして主治医が病室に現れてその場で簡単な検査を済ませると、次につくしをストレッチャーに乗せて検査室に移動した。
医師らによって寝たままで体の隅々まで完璧に映し出すマルチスライスCT検査が行われ、更に詳しい検査は後日改めて行われることになった。何故なら、長い間寝たきりの身体を無闇に起こすことはとても危険な行為だったからだ。

類が病室を飛び出した後、司と総二郎とあきらは不安そうな面持ちでソファに座って類が戻ってくるのを待っていた。
「つくしがいねえってことはもしかして目が覚めたとか?」
「それならイイけどよ、類の姿見た時にはまさかって思ったぜ」
「ああ、俺も一瞬ヒヤリとしたぜ」

時間が経つにつれ冷静になった今、考えてみれば僅かな安堵と新たな疑問が生まれた。
「それにしても今の時間、類が居るのっておかしくね?」
「そう言えばそうだなぁ」
「病院から連絡でもあったのか?」
「つくしの身に・・・」
「・・・まさか・・・、それで類が・・・」

18時まで仕事をこなしてその後病院に、という類の行動を知っていた彼らは顔を見合わて眉をひそめる。
居るはずのない時間帯に病室にいるということは、恐らく病院から連絡があったのだろう。電話の内容は意識を取り戻したか、又は容態が急変したかのどちらかだろうと推測する。彼らは開けっ放しの扉と類の呆然とした様子から、ネガティブな方向へ思考が傾いた。


それから間もなくして類は愁眉な面持ちで戻って来て、彼らは一斉に立ち上がり顔色を窺った。
「類・・・」
「つくしは、・・・どうだったんだ?」
「目、覚めたって、今検査中」
類はボソッと返事を返した。

類の素っ気ない態度とは裏腹の返事に彼らの緊張の糸は解け、安堵の溜息とともに力が抜けてソファに身を沈めた。
「類、脅かすなよ、目が覚めたんなら良かったじゃねぇか
 何でそんな暗い顔してんだよ」
「そうだぜ、少なくとも寝たきりは免れたんだし」

懸念されていた一つは免れた。
しかし、課題は山積だ。

司が面会にきたつくしに発した第一声は〝その女、誰〟だった。
もしこのような言葉をつくしから突きつけられたら、命懸けで生んだ子供の存在までも否定される。そしてつくしの心の中には、類ではなくかつて愛した司がいることになるかもしれない。また、自由が利かない身体になっていたとしたら…。

〝早く目を覚ましてくれ〟そう心願していながら、その一方でつくしが自分の顔を見た時の表情や言葉、そして身体の障害に未知なる不安を抱えていた類にとって、目覚めたからといって少しも安堵感に包まれることはなかった。
奇妙な夢までも信じて待ちに待ったつくしの目覚めだったが、今は不安や恐怖が重く圧し掛かる。

眼光を鋭くして無言で類を凝視していた司は、そんな類の心を見透かしたように声をかける。
「お前、後遺症のこと考えてんだろ?
 だから浮かない顔してんだろ?」
「・・・・・・。」
「不景気な顔して傍にいるとこっちまで落ち込む
 何を考えても成るようにしかなんねえんだから
 今は考えるのやめろ」
「そうそう、今のその類の顔見たらつくしが悲しむぞ
 愛しの君と9日ぶりのご対面なんだし、スマイルといこうぜ」
「類、結果はどうであれ、つくしはつくしだろ?笑顔で迎えようぜ」

彼らの気持ちは類の心に届いていた。

もう少しするとつくしが病室に戻ってくる、そうしたら瞳に自分を映してくれる、待ちに待った瞬間だ。

――笑顔で迎えたい

不安に感じていることを悟られてはいけない。今自分にできる精一杯の笑顔で接しなくては、つくしの方がもっと不安な気持ちなんだからと言い聞かせ平常心を保とうとする。


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PURE ANGEL[最終章]第9話


第9話


< レトログレードアムネジア >

類は後遺症の件で医師から話を聞かされた時、真っ先に司の主治医の言葉が浮かんだ。
強く考えすぎて部分的記憶障害になったということを。
その部分的とはつくしのことで、司が大切に想っていたつくしに関する全ての記憶を失くしたことだ。

つくしが強く考え大切に想うものが家族だとしたら、類と愛し合った時間も、自分の命と引き代えに産もうとした子供の存在さえも記憶から消えてしまうことになる。でもこれはあくまでも司の記憶障害をつくしに当てはめただけに過ぎないが、司にはなかった家庭が今のつくしにはあって、愛する夫や子供がいる身、事態は司の時以上に深刻だ。

また、後遺症は記憶障害だけとは限らない。身体の自由が効かなくなっている可能性もあり得る。これらの事はあくまでも医学上の可能性であって、必ずそうなるとも言えないし、そうならないとも言えない。
最悪は、このまま目を覚まさず生涯を終える可能性もあり得るのだ。

つくしの誕生日を迎えたその日から不安や憂慮することばかりが続き、一時の安らぎさえ与えてもらえない。


すべての記憶が人間から除外されたとき
生まれたての赤ん坊になるだけ
常識も非常識もない
恐れも悲しみもない
穢れを知らない天使に近い存在ということだけ


21年1月2日 13時30分

病院はまだ正月休みで閑散としているが、休み明けには通院患者やその付き人、見舞い客は通常より多くなることが予想できる。つくしの元を訪れる見舞い客は国内外に名の通った者が多く、他の患者や見舞い客の目も惹きやすい。その事でマス・メディアなどから取材の的となることを懸念した茜と葵はつくしを特別室に移すことにした。今後の治療のためと、考えたくはないが万が一のことも念頭におき速やかに対処する意味もあり、科の移動も兼ねていた。

つくしの容体を確認して移動された特別室とは、15坪のスペースに患者用のセミダブルベッド(介護用)があり、その周りにつくしの体とつながる機器類が設置されている。その他に付添い人が仮眠できるベッド・応接セット・クローゼット・冷蔵庫・OA機器が備わり、奥の扉を開けると洗面化粧台とシャワールーム、もう一つの扉はトイレになっている。これにキッチンの設備があれば、まるでワンルームマンションの一室といった雰囲気でとても病室とは思えないほどだ。

産婦人科から外科に移されたつくしは、婦人科の小野寺の他に外科の中川原とリハビリ担当医が加わり、今後の経過を見守ることとなった。


お正月休みということもあって今日も朝から友人らはつくしの病室を訪れていた。
部屋を移ったことにより、今までガラス越しでしか見られなかったつくしが、いつでも気軽に会え目の前で見ることができ、そして触れることができるようになったことがみんなに安心感を与えていた。

個室に用意されたソファにゆったりと腰をおろした男性陣は、長い足を持て余すかのように組んでモーニングコーヒーを飲んでいる。また、女性陣はそれぞれが持ち寄ったフルーツやスウィーツをテーブルいっぱいに広げて舌鼓を打っている。その光景は病室でありながら病室と感じさせない和やかな雰囲気を醸し出していて、まるで誰かの家に遊びに来たかのように寛いでいるように見える。だがその一方で、安定していることに安心しつつ、目を覚まさないことに不安を抱いていたことも事実だった。

皆が集まって賑やかにしているのは、もしかすればつくしに聞こえていて、むくっと起き上がり声をかけてくるのでは、という淡い期待を持っているからに他ならなかった。その証拠に、誰とはなく談笑の合間合間にチラチラとつくしの方に目線が向いていた。


「どのような後遺症がでるか分からないって言われた」
類はいつものようにベッドの脇の椅子に座って、つくしの腕を摩ったり軽く揉んだりとマッサージをしていた。


後遺症のことばかり心配していたが、それとは別に廃用症候群にも注意が必要だった。
廃用症候群とは、寝たきりで体を動かさないために筋肉が縮む現象で、関節が自由に動かなくなる。また、運動能力の低下を招くだけではなく、血圧を調整する機能や心肺機能を低下させる。
今までのようにただ手を握りしめて寝顔を見つめているだけではいられない。一つの問題はそこから枝分かれのようにさまざまな問題を生み出す。

廃用症候群の対処法として、自然な寝返りと同じように運動効果を与える自動体位変換器(介護用マット)に差し替えた。これによって床ずれの問題も少しは解消される。またリハビリを担当した医師にマッサージ方法や関節の動かし方などを教えてもらい家族やT3も協力してリハビリを手伝った。


「そうか、・・・俺の時でさえ記憶失くしたな」
「司の場合、つくしだけ忘れたんだよね
 でも思い出したけど・・・、何がきっかけで思い出したの?」
「そういや、俺ら何も聞いてねぇな」
「今後の参考として体験者からじっくり聞きますか」
思い出したように言った滋の言葉に、あきらと総二郎は軽いのりで話すように促す。

皆が興味津々といった面持ちで司の口元を見つめるなか、類だけは眉間に皺を寄せ、椅子から立ち上がって冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと一気に飲み干す。

――そんな話は聞きたくない
   つくしにはそうなってほしくない
   ・・・だけど・・・


「笑顔だよ」
「笑顔?」
「ああ、つくしの笑顔。・・・でも完璧に思い出したのは
 婚約パーティーで微笑み合う類とつくしを
 記者達が必死にカメラに収めようとフラッシュの嵐で
 それを見た時、俺の中で失われた記憶が蘇った
 記憶と恐怖に一気に襲われて・・・、俺は・・・、過去と現実を知った
 3年半かかったよ、思い出すのに」
司の遠くを見つめるような目は心なしか潤んでいるように見えた。

当時のことを振り返えりながら寂しそうに語った司を見て、類は複雑な思いにかられて目を伏せる。


「そっか、司もつらかったんだよな
 人の記憶が無くなるってこえーな」
何気なく発した総二郎の言葉は憂慮する優紀に拍車をかけた。
「結婚して子供が生まれたのに・・・、つくし、どうなっちゃうんだろ?
 このまま目覚まさないってことになったら・・・」
目に涙をいっぱい溜めて言葉を詰まらせる優紀を、総二郎はそっと肩を抱いた。

「うん、言ってた。・・・その可能性もあるって
 半月くらいが目処で・・・、それ以上、日が増すごとに難しいって」
いつもと変わらない表情と口調の類だが、心の内はどうしようもなく切なく悔しい。その思いを抑えるかのようにつくしの手を包み込む。

「もしそうなったら・・・」
あきらの言葉を遮り、類はハッキリとした口調で真意を伝える。
「どんなカタチにせよ、今こうしてつくしは生きている
 顔も見られるし、触れることもできる
 つくしはどう思うか分からないけど
 つくしの体がある限り見守り続けるよ
 子供が成長していく姿を見せに、何回でも足を運ぶだけだよ」

まさかそこまで考えていたなんて誰も思っておらず、類の愛情の深さに驚きを隠せない。
ただ1人司だけは違った。
「類らしいな」
司はポツリと呟いた。


1月5日 18時30分

お正月休みも終わり皆はいつもの生活に戻った。
仕事に追われながらも間隙をぬって病院に足を運ぶ者や夜遅くに訪れる者と、どんなに忙しくても一目つくしを見ようと顔を出していた。
類は普段通り出勤し18時過ぎには会社を退社して、残りの仕事を病室でこなす生活が始まった。


「つくし、ただいま」
今まで住み慣れた夫婦の寝室に入って行くかのように病室の扉を開け、つくしの元に直行して柔らかな笑みを向けて声をかけることを忘れない。

「つくし今日はどう?・・・・・・俺はね、最悪だったよ
 何が悲しくてバーコード頭の脂ぎったオヤジ連中と
 食べなきゃならないのさ。美味い料理も不味くなるよ
 取引先のトップだから我慢したけど・・・
 美味しそうに食べる、つくしの顔が見たい」
今日一日の出来事を報告するのが類の日課の一つとなっていた。


暫くつくしの寝顔を見た後、テーブルにパソコンを開いて雑務を片付ける。
静寂な空間には、軽やかに打つキーの音と書類を捲る音が響く。

つくしの胸元と指先から繋がるモニター画面は黒を背景に緑色の波形が流れ、数値が増えたり減ったりとつくしが生きている証を無機質な器械が表示する。類はその無機質な器械とつくしに時折視線を向け、異常がないか確認しながら仕事を進める。


『パパ』


『パパ・・・、パパ・・・』

エコーがかかったような音が何所からともなく聞こえてくる。
類はキーを打つ手を休めて辺りを見渡す。
つくしが寝ている以外は誰の姿もないことを確認すると、再びキーを打ち始める。


『パパ、・・・ボクが悪い子だから・・・』
今度ははっきりと類の耳に届いた。

誰かがいる、類は思わず聞き返した。
「悪い子?」

『ボクがママをひとり占めしようとしたから・・・
 だってボク・・・、寂しかったんだよ』

姿なき声。
その声が誰なのか、その声は何所から発せられているか類は不思議と疑問にも思わず、ただその発せられた言葉の意味を問う。

「寂し・・・い?」
『ママもパパもいない暗い所で独りぼっちで
 弟と妹にはママもパパもお友達もたくさんいて
 だからうらやましかったんだ』
「・・・羨ましい?・・・・・・暗いところって?」
『みんながママを大切に思っているから
 ボク諦めたんだ、ママを返すことに。・・・・・・パパごめんなさい』
「ママを返すって・・・、どうゆうこと?」

『パパを悲しませたくないから
 ボクもパパの笑っている顔が大好きだから』
「君は誰なの?」
『毎年、・・・ボクの誕生日をお祝いしてくれて、ありがとう』
「・・・・・・えっ?・・・誕生日・・・」
男の子だったのか、女の子だったのかは判らなかったが、つくしと2人で誕生日と称して祝っていたことを思い出した類はハッとした。

『もうすぐママとお話ができるよ』
「もしかして君は・・・、そうなのか?」
『・・・・・・。』
「返事をしてくれ、・・・君は・・・そうなんだろ?」
『・・・・・・。』
「そうなんだろ?・・・俺たちの・・・、返事をしてくれ」


類は自分の声に驚いて目を覚ました。
時計を見ると1時を回っていて、居眠りをしていたのだと気付く。

――今のは一体なんだったんだろう?

類は怪訝そうに不思議な夢を思い返してみた。

「俺のことをパパと呼んだ
 諦めたからママを返すと、・・・確かにそう言った
 そして、もう直ぐ話ができるとも・・・」

思い当たるのはただ1つ。


類はつくしの傍に行きベッドの脇の椅子に腰掛けた。
「つくし、今ね変な夢見たんだ。顔も姿も見えなかったけど
 すごくリアルで・・・、男の子が俺に言うんだ、ママを返すって
 男の子が言うママがつくしだとしたら・・・
 いや、絶対にそうだよな、俺たちの子供なんだよな、あの子は
 もしこれが本当なら、・・・目が覚めるはず
 そうだろ、つくし?・・・目が覚めるって俺は信じる
 だって、・・・もう直ぐ話ができるって言ったんだから・・・」

類は不思議な夢はきっと正夢になると信じた。
めでたい不思議な前兆、正しく奇瑞だと。


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2009年1月12日 (月)

PURE ANGEL[最終章]第8話

第8話


12月29日 14時30分

進はみんなの後ろ姿を見送った後、つくしの元に急いだ。
顔色はまだ少し悪いものの心電図の数値が安定していることに一安心する。
暫くの間、ガラス越しからつくしを眺めた後、類の様子を見に部屋を覗いた。
精神的・肉体的に疲労した類は規則正しい寝息をたててぐっすりと眠っている。そう進の眼には映った。


12月29日 18時30分

最初に司が病院に現れた。
進と軽く話した後、つくしの様子を見に行き何事もないことを確認した司は、その足で類の元へ向かう。

その頃、類は汗をびっしょりとかいて魘されていた。


つくしの額におはようのキスを落として起き上がる
時にはつくしが類の額にキスを落として起してもらう
いつもと変わらない一日のはじまりだ
そして今日もいつもと変わらない一日になるはずだった

目を覚まして隣に寝ている愛しいつくしの額にキスを落とす
いつもの感触と違いやけに冷たい
上半身を起こしてつくしの頬に指を滑らせる
餅のように柔らかい頬が硬く冷たくなっている
どうしてこんなに冷たいんだ?

「つくし・・・」

俺の呼ぶ声はもう届かないのか
身体はびくとも動かない

「どうして俺だけ残して逝くんだ」

つくしの身体に力なく顔を埋める
冷たい身体は頬の体温さえ奪う

「私・・・、生きたい、・・・・・・もっと生きたい
 もっと類の傍にいたい、・・・・・・死にたくない」
苦しそうに絞り出される声が微かに聞こえる

聞き逃すまいと一心につくしの顔を見る
「つくし・・・」

両手で頬を包み込む
両手に伝わるのは硬い感触と冷たさだけ

「俺を独りにしないって言っただろ
 ずっとずっと傍にいるって・・・」

孤独感は涙となってつくしの顔に落ちていく

「おまえが居ない人生を生きていく価値なんてない
 俺にとっておまえが全てなんだよ
 どうして俺を独りにするんだ?つくし、どうして・・・」

「類・・・、ごめんね、・・・本当にごめんなさい」

「俺は謝ってほしいわけじゃない、俺が欲しいのはつくしだけだ」

「類、泣かないで。・・・アナタには泣いてほしくない
 アナタの寂しさを思って私が泣くべきなの
 アナタを傍で見守ることができない私が・・・」

8時間前に脳裏に焼き付いた衝撃的な出来事が引き金となり、これまで通りの睡眠ができなくなってしまう。
幼少期に〝心の病〟を抱えていた類にとって浅い眠りやパニックは、精神的不安定などの症状を起こす引きがねになる恐れがある。それは常に自分の精神との闘いとなり避けることはできない。どう足掻いてもこの悪夢のような記憶は消せないのだから。


類の汗だくの顔を平然とタオルで拭っている司を見て、総二郎とあきらは顔を見合わせて驚きの視線を交わす。

「お前ら来たのか?」
何事もなかったかのように司に声をかけられた2人は、再び顔を見合わせた。以前の司なら絶対にするはずのない言動だったからだ。
そういう行為を見られたら間違いなく誤魔化したり照れくさそうな行動を取るはずなのだが目の前の司はどうだろう、まるでそうする事が当然であるかのような振る舞いに、2人は司の心が大きく成長したのだと感心せざるを得なかった。

「なんか珍しい光景だよな」
「ホント、微笑ましい友情愛って感じだな」
嬉しいことなのだがいつもの調子でおちょくってしまうあきら。それに賛同する総二郎。

司は眉間にしわを寄せて睨むが、それは一瞬のことで直ぐに真顔になった。
「俺、類の気持ちが分かるからよ
 きっと今、類はどうしようもないくらい切ない夢見てるんだと思う」
マジに答える司に2人は思いやりの心を感じ取る。

「あの時、俺でさえ立ってるのがやっとだった
 ましてや精神的不安定な類には過酷過ぎたと思う。だが類は・・・
 やっぱ、つくしを幸せにできるのは類なんだな
 類には適わねえって・・・、今更かもしんねえけど・・・
 ・・・つくしの相手が・・・、類で良かったわ、・・・マジで・・・」
類の寝顔を見つめながら寂しそうに語る司を見て、総二郎とあきらは切ない気持ちと心温まる気持ちとが交錯する。


窓越しに移動した司の左右に総二郎とあきらが寄り、2人は無言で司の肩を叩いた。両肩から伝わる温もりは〝らしくねえぞ〟そう伝えているようで、司は苦笑いしながら「大丈夫だ」と一言答えた。

その後3人はそのまま外の景色を眺めながら他愛のない会話をしていた。すると微かに後方から唸るような声が聞こえてくる。その声に反応して3人は振り返ったその時「つくしッ!」と大きな叫び声が上がる。

「類・・・」
3人は悪夢に魘され涙する類に声をかける。

「類・・・、類・・・」
「類ッ!」
揺さ振り起こされた類は息を荒げながら呆然としている。

「類、大丈夫か?」
類は声のする方へとゆっくりと視線を向けると、悄然としたように司を見上げる。

――司?・・・今のは・・・夢・・・だったんだ

類は両手を目の前にもってきて手の平を眺めた。冷たさも固さも手にはつくしの感触が残っている。あまりにもリアルな夢に自分が今置かれている状況を見失う。

「類・・・」
再び司に声をかけられて数時間前の記憶が蘇る。

――あっ!つくし・・・

一瞬にして凍りつく。

「つくし、・・・つくしは?」
慌ててベッドから降りて部屋を出て行こうとする類を司が制した。

「今のところつくしは大丈夫だ
 病院の許可もらったからシャワー浴びてこいよ
 着替え持ってきてっからよ
 しゃきっとした顔でつくしに逢いに行け」


12月31日 13時

「花沢さん、少し身体を休めた方が宜しいですよ
 私が代わりにいますので、どうぞご自宅に戻って下さい」
「ありがとうございます、でも傍にいられる間はいさせてください」

奇跡の生還を果たしたつくしだったが、未だに目を覚まさない。
類はつくしの手を握り締めて見守り続け、ひと時も傍を離れようとはしない。
娘を想って献身的に看病をしてくれるのは嬉しい。感謝の気持ちでいっぱいになる一方で、寝不足と疲労と不安がどんどん蓄積されていくかと思うと、ママは類の身体が心配でならない。

「それでは花沢さんの身体が・・・」
「つくしの傍にいたいんです」
変化の見られないつくしも気がかりだったがそれ以上に今は、誰がなんて声をかけようが頑として頭を縦に振らない類の身体と精神が心配だった。一時でも看病から解放してやりたかった。

「花沢さん・・・」
「傍にいさせてください」

――つくし、いつまで目を覚まさない気なの

一度は失った命だ、どんなかたちであれ生きていてくれることが何よりだ。そう心の底から思うのとは別に、甲斐甲斐しく看病する類の姿は涙ぐましく胸が熱くなる。涙で溢れそうになる眼でつくしを見つめる。

――つくし、早く目を覚まして
   ママ、こんな花沢さん見てられないわよ


「この手紙は皆さんと一緒にこの病院に来た日に書いたものだと
 思います。花沢さんに渡すかどうか迷ったのですが・・・
 つくしが最後に何を思い、何を伝えたかったのか
 それを考えれば、やはり花沢さんに渡すべきだと思いました」

心痛な思いで語ったママの後姿を見送ると、類は再び椅子に腰掛けて手渡された白い封筒を眺める。

< つくしが最後に何を思い、何を伝えたかったか >

頭の中でママの言葉を復唱しながら、封筒からつくしの寝顔に視線を移して考え込んだ。
暫くして類は決意したように封筒を破ると、ゆっくりと便箋を取り出した。


   花沢 類様へ

あなたに手紙を書くなんて何年ぶりだろう
いつも私の傍に居るから、手紙なんて書く必要ないと思っていた
出張で家を空けた時も、宿泊先にあなたは待っていてくれたね
〝離れたくないから〟と言って、あなたは何処にでもついて来たよね
私は呆れ顔で見つめ、あなたは微笑みを向けた
今だから言うけど、本当は嬉しかった、すごく嬉しかったよ
同じ空間で時間を過ごし、同じ朝をふたりで迎える喜悦
いつまでもず~っとず~っと続くと思っていた
だけど、私のロウソクはみんなより少し短いと知ったとき
頭の中にあなたの顔が浮かんできた
私の大好きなあなたの笑顔が・・・

270日間を私の中で過ごしてきたけれど
これももう少しで終わる
あなたの居る世界に羽ばたこうとしている
何があろうと絶対にこの子たちをあなたの腕の中に届けるから
その時はあなたの温かい腕の中で優しく抱きしめてあげて
あなたにおしつけるかたちになるけど
奇跡の天使だと思って見守り続けてほしい
あなたと子供たちと4人で歴史をつくれないのは心残りだけど
自分が選択したことを後悔はしていない

あなたの心の中で本当の天使になるから
ずっと傍に居て見守り続けるから
類、死は永遠の別れじゃないよ
私はみんなより早くこの世を卒業するだけ
だから悲しまないで
子供たちのためにも寂しがらないで
あなたに出逢えたこと、心から感謝します
類、愛してる

         花沢 つくし


「つくし・・・」
頬を伝う涙は手紙に落ち文字を滲ませる。

「俺はおまえを失ってまでも子供なんていらない、いらないんだ
 おまえさえ居ればいいんだ、・・・どうして分かってくれないんだ」
やり場のない怒りは言葉となり、そして指先に向けられ、手紙をわしづかみに握ると指の感覚を失うほど握り締める。

「つくし!早く起きろよッ!つくしーッ!
 後悔してない?・・・嘘だッ!おまえは嘘つきだ!つくしー!!」
つくしの肩を揺さぶりながら叫んだ類の脳裏には、悪夢が蘇っていた。その悪夢が現実になりそうで衝動的に暴言を吐いていまう。

「死にたくない、もっと生きたいって言っただろ
 傍にいたい、もっと愛したいって・・・
 なんで、・・・なんで喜びと悲しみを一緒に与えるんだよッ!」

「花沢様、お気持ちは察しますが
 ここは病院なんですよ、お静かにしてください」

類の悲痛な叫び声は微かにナースステーションにも届いていた。

つくしは一時は死の宣告まで受けたが、類の懸命の蘇生処置によって一命を取りとめた。後は身体の回復を待って治療するばかりのはずだったのに、肝心なつくしは昏睡状態が続いている。いつ目を覚ますか分からない状態に家族の計り知れない辛さややり切れなさは看護師も理解していた。
しかし、他に患者がいる病院である以上、看護師は敢えてきつい態度をとった。

看護師の声に我に返った類は、力無く床に座り込んだ。
怒りの涙は無情にも床に吸い込まれていく。

「分かってるんだ、何を言っても、・・・もう遅いって・・・」

この場面を遠巻きから見ていた司は声をかけることも抱きしめてやることもできずに、ただ拳を強く握り締めた。あんなに上気した類を見るのは初めてのことだった。

どれだけ胸に収め我慢していたことか。
つくしの手紙によって類の堪えきれない心情、万感が一気に溢れ出したのだった。


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2009年1月 9日 (金)

PURE ANGEL[最終章]第7話


第7話


ICUの前には友人らの他につくしの家族らが神にも縋る思いで見守っていた。

「血圧 55mmHg――23mmHg」
「心拍 45――」

心臓の機能が低下すると全身に行く血液の量も低下し、それに連動して血圧が低下する。血圧が低下すると循環が悪くなって血液が回らない部分ができ、その部分の細胞には酸素と栄養がいかなくなる状態が続く。そうならないためにも一刻も早く正常値に近づけることが先決だ。


「血圧が上がりません」

「心拍が・・・」
心電図モニターの波形の変化に注視して報告するスタッフ。


「電気ショックだ!早くしろッ!!」
小野寺の怒声はナースステーションで業務をこなす看護師の耳にも微かに届いた。

脇ではAED(自動対外式除細動器)の電圧を上がるのを待つスタッフ。
その間にも数値はカウントされていく。

「心拍 30――」

つくしの胸元が露になり、いつでも電流を流せる状態になる。

「心拍 25――」

小野寺は1回目の電気ショックを与えた。
つくしの華奢な身体はベッドから大きく跳ね上がりマットに叩きつけられる。その痛ましい光景は類に衝撃を与えた。また、ガラス越しから見ている彼らにも大きく跳ね上がるつくしの身体の一部が見え、呼吸を止めるほどの衝撃を受ける。


「心拍 35――」

数値は上がり尖った波形が表れた。
だがそれは一時的なことで波形はゆるやかなカーブの線に戻り、横線を延ばして数値が下がっていく。

鳴り止まない警告音は小野寺にでさえ焦りと緊張を与える。

「先生、心拍20です、このままでは・・・」

心室細動と言われる心臓の収縮と拡張が正常に動かなければ血液が全身に行かない。その時間が長ければ長いほど各臓器に血液が行かなくなり、やがて死亡してしまう。


「電圧を上げるんだ!」

心拍数がどんどん下がっていく度に類はもちろん廊下で見守るみんなの身体は硬直していく。今自分が息をしているのか、瞬きをしているのかさえ分からないほど、ただただ一心に目の前で繰り広げられる悪夢のような光景を瞳に映す。


「血圧 42mmHg――18mmHg」
「心拍 15――」

小野寺は電圧が上がるの待つ間、つくしの呼吸の確認と静脈ライン確保する。

「心拍 10――」


12月29日 10時48分

「心拍・・・」

あれだけ鳴り響いていた警告音がピーと静かな音に変化した。
さっきまでの心電図波形はP波とQRS波の高さはあった。が、今はその波形は横一線となり、心臓の状態はもはやポンプとして活動していない事を示していた。


「アレスト」

モニターを見ていたスタッフは時間を確認する。


電圧を上げて2度目の電気ショックを試みる。
先程と同じくつくしの身体は大きく跳ね上がりマットに叩きつけられる。その衝撃でつくしの腕はベッドからはみ出した直後に微かな金属音がした。その音の主はスタッフらの足元をすり抜けるように床をころころと転がり、まるでそのモノに意思があるかのように類の足元で動きが静止する。類はそれを拾い上げて暫く凝視した後、強く握り締めた。

――つくし・・・


「心拍 25――」

心電図波形は横一線からP波とQRS波に一瞬の高さをみせたものの、すぐに波形は横一線となってしまった。

――心室細動なら1、2回の電気ショックをすれば心室細動がとれ
   普通の脈が現れるはず・・・・・・なぜだ

心電図の波形はいろいろな疾患によって変化する。
小野寺はその変化を読んで対処したつもりだ。

――読みは正しい

小野寺は心で呟いたものの、動揺する。


「何分経過した?」
「3分です」
時計と睨み合いをしていたスタッフが答えた。

弱りきっていた心臓は既に停止し、電圧を上げての2度の電気ショックでかなりのダメージを受けている。次の電気ショックで蘇生したとしても限界がある。

――僅かな可能性でも・・・

「電圧、プラス10」

小野寺は最後の望みを賭けて3度目の電気ショックを与えた。

「動きがみられません」

心臓の電気信号の伝道を波形にしたものが心電図だ。その心電図はつくしの心臓が完全に停止していることを示している。


小野寺はスタッフに目で合図すると、類と向き合った。

「残念ですが・・・、奥様は・・・」
それは死の宣告だった。
小野寺は最善を尽くした。それでもどうしても救えない命があることに苦渋に満ちた顔で頭を下げた。

――嘘だ、つくしが俺を置いて逝くわけがない
  つくしが・・・死んだ・・・、何かの間違いだ
  つくし、俺を試してるんだろ?
  俺がいつもおまえをからかうから
  だから今度は俺をからかってるんだろ?
  そうだろ?つくし、・・・そんなんだろ?

「つくし?・・・・・・つくし?・・・」

昨日みんなの笑顔に囲まれて誕生日を迎えたつくしは、大きなお腹を摩りながら満面の笑顔で幸福の中にいた。それなのに1日も経たない内に幸福から一転、奈落の底へと突き落とされる。
人の命ははかないものだ。

今起きたことも、ここに立っていることも全て現実であり、決して夢なんかじゃない。そう分かっていてもこの現実を受け入れることができない。

「うそだろ?・・・・・・つくし・・・」

つくしの死を受け入れられないのは類だけではない、家族も友人等も皆同じだ。


「ふざけんなよ」
拳を硬く握りしめ奥歯を噛みしめてねり出す声は、まるで怨敵を目の前にしたかのようだ。険相な表情でICUに入って行った司はいきなり小野寺の胸倉を掴んだ。

「てめえ!なんとかするのが医者だろ!
 そう簡単に諦めんなよ!命がかかってるんだッ!諦めんなよッ!」

やり場のない思いを小野寺に牙を向けて食って掛かる司を、総二郎とあきらは同じ思いを抱えて必死に押さえ込もうとする。胸倉をぎっちりと掴んだ司の手は2人がかりでもそう簡単に外すことができないほど必死に縋りついている。

そんな脇では、スタッフの手によってつくしの胸元を丁寧に閉じようとしていた。
そこへ類が近づく。

「触るな、・・・つくしに触るな」
類はそう言ってスタッフを退かすと、つくしの胸元にクロスした手を置き心臓マッサージを始めた。

「つくし、生きろ、俺たちのために生きろ」

微かに聞こえてくる類の声に我に返った司は掴んでいた小野寺の胸倉を解放した。

「つくし、諦めないでくれ」
類は何度も言葉を投げ掛ける〝生きろ、諦めるな〟と、そして何回も心臓マッサージと人工呼吸を繰り返し心肺蘇生する。

「人を失う悲しみはもうたくさんだ
 俺は絶対におまえを死なせない
 だから頑張れ、頑張って生きてくれ、生きるんだ
 俺は諦めない、これがだめならじかに心臓を掴む」

そんな事は医師でもない類には到底無理な話だ。が、今の類にはそれすらやりかねないほどの迫力と執念が溢れていた。

「もう二度とおまえを手放さないって決めたときから
 俺は諦めることをやめたんだ。つくし、俺達のために生きてくれ」
無表情でつくしの顔を一点見つめ、ただ生還することだけを切に願う。


そんな類を見て、つくしのママもICUに入るなり声を荒げる。
「つくしッ!親より先に逝くなんて絶対に許さないわよッ!
 早く起きないッ!つくしッ!つくしッ!つくしー!」

ママに感化されて居ても立ってもいられずに滋、優紀、桜子も部屋に入るなり声をかける。

「つくし、生きるんだよ、諦めないで」
「子供のためにも生きて、お願い、つくしー」
「先輩の生命力ってこんなものじゃないでしょ!
 早く戻って来て・・・、先輩ッ!」

そして司も
「つくし、何やってんだよ!みんなに心配かけんじゃねえよ
 早く戻って来い!いつまでも寝てんじゃねえ!」

「つくし、俺を独りにしないって言っただろ
 もっと愛したい、子供たちの成長を見たいって言っただろ
 生きることを諦めるな、つくし諦めないでくれ
 早く戻ってきて、つくし、戻って来るんだ」

愛する人の生還を一心に願い、汗だくになりながらも必死に心臓マッサージと人工呼吸を繰り返す。そこには執念だけがあった。

みんなもまた心願するように叫び続けた。
小野寺やスタッフはその場に残り、そんな彼らを見守っていた。


12月29日 10時55分

つくしに必死になって呼び掛ける声とは別に器械音がする。
1人のスタッフが目を大きく見開き、慌てた様子で小野寺に向かって声を震わせた。

「せ、先生・・・波形が・・・」

つくしの胸に装着していた心電図計に繋がるパットは胸から外されていたが、手首と足首のパットを外す前に類がスタッフを退かした為、その機器は機能を失っていなかった。

「心拍 20――」

そこに居た全員の視線がモニターに向けられた。
横一線を刻み続けていた線が今はP波・QRS波などの高さが表れて山形を作り、心拍数と血圧数とも上昇し始めていた。

「何分だ?」
驚きを隠せない小野寺の声はうわずっている。

「7分です」

7分後の蘇生、小野寺は驚きと同時に、その間各臓器へ血液による酸素供給が行われなかったことによる細胞の壊死や臓器の機能低下等の後遺症を懸念していた。とりわけ脳へのダメージが大きかった場合の事を考えるとその表情は更に険しくなった。


「血圧 64mmHg――39mmHg」
「心拍 45」

「血圧 78mmHg――43mmHg」

一度ポンプの機能を失った心臓は、今は弱々しいながらもその機能を果たして全身に血液や酸素を送っている。

「心拍 55」
「血圧 88mmHg――48mmHg」

「血圧は不安定ですが、心拍は正常値です」

つくしの身体の中で何が起きたのか、それは誰にも解らない。
3度の電気ショックを与えても再起動しなかった心臓が、電気ショックより期待が薄い心臓マッサージで蘇生できたことは奇跡だった。

枠外を超えた出来事
ただはっきりと言えることは、それは〝つくしは息をしている〟ということだ。


疲労と張り詰めていた緊張の糸が切れ、意識を失ってその場に倒れこんだ類を、総二郎とあきらは看護師の誘導で別室に運んでベッドに寝せた。

「お前はすげぇよ
 つくしに逢ってからのお前に何回驚かされたことか
 ホントつくしはお前にとって命より大切なこと
 痛いほど思い知らされたよ。・・・類、ゆっくり休めよ」
「そうだな、類にとってつくしは全てだもんな。・・・安心して休めよ」
あきらと総二郎は類の疲労しきった寝顔に呟いた。

「司、まだつくしのこと好きなんだなぁ。まっ、司にとっても
 つくしは全てだったから、いまさらってことか」
「別にイイじゃねえの、自分の傍に居なくてもこうして見守り
 続けてるんだ、司もつくしに逢ってからの成長ぶりには目を
 見張るものがあるぜ、だから司の母ちゃんも変わったんだろ
 今は和気藹々とよ」
「そうだな」

総二郎とあきらは高校時代の司を思い出す。

〝人1人いなくなったところで世の中変わんねえ〝

人を人とは思わない冷心で、心の趣くまま好き勝手に生きていたあの頃。
つくしに出会って全てが変わった、司も仲間も家族も。

「気付いてたか、司の母ちゃんが来てたの?」
「司のお袋さんがか?」
2人は空いているベッドに腰掛け、類を眺めながら静かに言葉を交わしていた。

「ああ。メープルホテルがあるのも黒崎さんのおかげなんだし
 それに第二の母と呼んでる黒崎さんの孫だぜ、つくしは
 顔出したってバチはあたんねぇだろ?」
「まあ~そうだけどよ
 司が熱だして寝込んでも、寂しくて傍に居てくれって頼んでも
 聞き入れてくれなかったあのお袋さんがなぁ・・・
 つくしのお婆さんが第二の母とはねぇ、世の中おもしれーな」
「つくしも一安心のことだし、今のうちシャワー浴びにいったん
 家に帰らねぇか?類が目を覚ました時、誰もいねぇと寂しいぞ」
「そうだな、いったん戻るとするか」

総二郎とあきらはみんなの所に戻ると、泣き崩れていた滋たちもいつもの雰囲気を取り戻して歓びを噛み締めていた。

「話し相手がほしかったら、俺が隣にいるぜ」
司は進に平然と優しい言葉をかけた。
「ありがとうございます。道明寺さんもお疲れになられたでしょう
 皆さんと一緒にご自宅に戻ってゆっくりと体を休めて下さい」
「そうか、シャワー浴びたら直ぐに来っからよ」

普段と変わらない表情と口調だが、ここにいた誰もが極度の緊張を強いられて精神的にも肉体的にも疲れきっていた。それでも大切なもの、守りたいものを思う気持ちが身体と心を支えていたのだった。


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2009年1月 5日 (月)

PURE ANGEL[最終章]第6話

第6話


当初ICUに入室の許可をされたのは類だけだったが、家族を一目でもいいからつくしに逢わせたいとママが小野寺に無理を承知で頼みこんだ。小野寺は渋い顔をしたがつくしに身体的・精神的ストレスを与えないようにと僅かな時間を許した。


類がICUから出て行って直ぐに進が入って来た。
「姉ちゃん、おめでとう
 俺に甥っ子と姪っ子ができたんだね。・・・・・・名前考えたの?」
嬉しそうに目を細める進につくしは頬を緩め頭を軽く左右に振る。
「姉ちゃん、いい機会だからゆっくり休んで体を治さなきゃね
 姉ちゃんが静かだとなんか気持ち悪い
 煩くてもガミガミ言う姉ちゃんの方がいい」
久しぶりに再会した進との会話に、つくしの脳裏には高校1年まで家族と一緒に住んでいた社宅での賑やかな暮らしが脳裏に蘇った。


やがて進と入れ代わるように茜が入って来る。
「つくしさん、よく頑張ったわね
 私達に2人の曾孫を見せてくれるなんて・・・、ホント夢みたいだわ
 つくしさん、おめでとう。そして素敵なプレゼントをありがとう」


次に薫と葵が入って来る。
「つくしさん、類くんや私達に宝物を授けて頂いてありがとう
 お爺ちゃん、お婆ちゃんにさせてくれてどんなに嬉しかったことか
 赤ちゃんは私達に任せて、つくしさんはご自分の体をゆっくり
 休めるのよ、決して無理だけはなさらないでね」
「そうだよつくしさん
 何も心配することはないからゆっくり身体を休めなさい
 もっと私達に甘えていいし、もっと我が侭でいいんだ
 あなたは私たちの大切な娘なんだから
 気を使う必要は全くないから何でも話してくれていいんだよ」


パパとママが入って来た。
「つくし、つくし嬉しいぞ、つくしのパパでいられることが・・・」
「つくし、あんた頑張ったわね。一時はどうなるかと思ったけれど
 あまり親に心配かけないでよ、孫が結婚するまで長生きしたいん
 だから。・・・つくし、心臓専門の名医がこの病院に居るんですって
 落ち着いたら一度診てもらいましょ。つくしの体はあんただけの
 体じゃないんだから、もう無理は出来ないのよ」

――そうだ、あたしひとりの体じゃないんだ
  でも・・・、どうしたらいいの、・・・自分の体だからよく分かる
  類・・・、あなたから笑顔を奪いたくない
  あの天使のような笑顔を・・・

つくしは自分のために時間を割いて会いに来てくれたことがとても嬉しかった。その反面、心配をかけて気遣いさせていることが心苦しくもあり、複雑な思いが交錯する。


暫くの間つくしはこれからの身の振り方を模索していると、あきらと満面の笑顔を向けて入ってくる滋を見て、ふとある夢のことを思い出す。
その夢を話すかどうか、また話したところで信じるかどうか。単なる夢だと一笑に付されるだけかもしれないが、どうしても気になって仕方がなかった。

――あたしには分かる
  単なる夢に過ぎないけど、単なる夢ではないことを
  あたしと同じ思いをさせないためにも、・・・伝えよう

気瑞かも知れない、そう思ったつくしは信じる信じないに関わらず、夢で見た事を滋に話すことにした。


滋は興味深げにつくしの口元に耳を近づける。
時折ウンウンと頷きながら聴く滋が、突然驚いたように顔を上げてつくしの顔を見た。

「えっ?・・・つくし、それって・・・」
面白そう、そんな興味本意で聞いていた滋は確認を求めるかのようにつくしを見つめた。笑顔で頷くつくしを見て滋はあきらの腕を掴むと早々とICUを出てナースステーションに向かった。


その後に総二郎と優紀、桜子、司と次々に入って来て短い会話をした後、類が入って来た。
「検査してみて、よければ吸引するんだって
 でも、その前に胸のマッサージしなきゃいけないって言ってたよ
 自分でできないときは看護師さんがしてくれるって」
類は少し恥ずかしそうな面持ちで言葉を続けた。
「看護師さんが〝なんでしたらご主人様がマッサージされても
 宜しいですよ〟って・・・。俺、恥ずかしくなって逃げて来た」
そう言った類の表情がなんとも可愛く、類の持つ独特の空気が穏和なひと時と換えてつくしを幸せな気分にさせた。


仲睦ましく会話している最中に類はガラス越しに不思議な光景を見る。
「なにやってんだ?あいつら」
両手を高く上げて丸の字を描いてぴょんぴょんと飛び跳ねる滋と、その隣で同じく丸の字を描くあきらがいる。
どうしてそんな行動をとっているのか全く解らず首を傾げる類とは逆に、つくしは2人の行動が理解できた。

――やっぱりあの夢は・・・、そのサインなんだ

つくしは単なる夢ではなかったのだと確信した。

「あきらまで・・・」


「るい」
呼ばれて類はつくしの口元に耳を近づけた。
「滋さんのお腹に、赤ちゃんがいるって教えたの」
「・・・教えた?・・・えっ?・・・・・・どうしてつくしが・・・」
自分が妊娠していたことさえ気付かなかった鈍感なつくしが、どうして滋本人よりも逸早く妊娠していることに気付いたのか。それと、あやふやな予想ではなく断言したことにとても不思議に思い聞いてみるが、つくしは目を細めるだけで理由は言わなかった。


「つくしには笑顔が一番あってる」


〝奥様はまだ危険だということを〟

小野寺の言葉を忘れているわけではないがつくしの笑顔が多く見られるようになり、憂慮し胸を締め付けていたものが少しずつ取り除かれ、このまま全てうまくいくのではないかとそんな思いにも駆られていた。

しかし、穏やかな顔をしていたつくしが急に真顔になり、そして無言で自分の顔をじっと見つめてくるその瞳にその思いはかき消され不安の渦に引き込まれる。
「つくし、どうしたの?・・・そんなに見られると顔に穴あくよ」
明るく振る舞う類だったが、静穏な心が少しずつ崩れていくのを感じ始める。

「る・・・めん」
「・・・え?」
嗄れた声で小さく呟くつくしの声は聞き取れない。類は口元に耳を寄せた。

「類をひとりにしないって・・・、いつまでも寄り添うって言ったのに
 ・・・ごめん・・・ごめんなさい。・・・・・・るぃ・・・」
素早くつくしの顔を見る類の表情は凍りついたように笑顔をなくしていた。

――何言ってんの、・・・なんで謝るの
  今までのように、これからだってずっと一緒だろ
  なんで謝るんだよ

漆黒の瞳からゆっくりと落ちる涙は、類に再び言い知れぬ不安を呼び起こさせた。

「みんなと話して疲れたろ?何も考えずゆっくり休みな
 俺がずっと傍にいるから、安心して休みな」

不安を覚えた心臓は鼓動を速め、いくら明るく振る舞おうとしても表情はついていけず愁眉の顔付きとなる。またつくしの口から何を聞かされるのか言い知れぬ不安と恐怖が自分自身を自然に防御してしまい、口を噤んでしまう。


つくしの涙は無防備に止めどなく流れる。
その涙は嬉しい涙でもあり、悔しい涙でもあった。

「人生が人より短かったことを、悲しいとは思わなかった
 類に出会って、心に刻んだ時間があるから・・・
 赤ちゃんがいるから・・・、だから・・・」
愛する人を目の前にして自分の想いがふつふつと込み上げてきたつくしは、いつしか真意を口にしていた。

「子供が助かるんだったら、あたしはどうなってもいいって・・・
 死を覚悟した。きっと子供が生まれた時には、もうあたしは生きて
 いないと思っていたから。・・・・・・でも、こうして生きている
 類の温もりも感じる。あたしの大好きな笑顔も見た
 こうして話もしている。・・・そして・・・、みんなもいる
 ・・・・・・子供を抱きたい、成長していく姿を見たい」

「・・・つくし・・・」

「・・・類・・・、あたし・・・、生きたい、・・・・・・もっと生きたい
 ・・・もっと類の傍にいたい、・・・・・・もっと類を愛したい
 ・・・子供たちを愛してあげたい。・・・・・・類・・・、死にたくない」
必死に訴えるその声はあまりにも重く、切なく、類は初めてつくしの前で涙を見せた。

――どうしていつもお前ばかりつらい思いをするんだ!
  どうしていつもお前ばかり我慢しなければならないんだ!

やり切れない、悔しい、怒涛のように押し寄せて溢れてくる感情をつくしの手を包んでぐっと抑え込もうとした。


「つくし、何があろうと一緒に頑張ろう
 諦めたらそこで全てが終わりなんだよ
 だから・・・、自分のためにも、俺と子供のためにも頑張るんだ
 つくし、頑張ってくれるよね?・・・・・・つくし?」

言葉などいらない、ただ頷いてくれるだけでよかった。
それなのにつくしは類からさり気なく視線を逸らした。

「俺はつくしと一緒に生きるって決めたんだ
 だから絶対に死なせたりしない!絶対に・・・」

「・・・・・・るぃ」

「心に刻んだ時間があるのはつくしと俺の時間で
 その中には、子供は含まれてない
 子供の成長していく姿を見たいんだろ、もっと愛したいんだろ
 つくしが諦めたら、それのどれもが叶わないんだよ
 生きたい、生きる、ただそれだけを考えて、・・・つくし・・・」

「・・・・・・る、い・・・」

いつも温かく優しく見守る瞳
ほしい言葉をかけてくれる口
勇気と幸せを与えてくれる天使のような笑顔

つくしは瞳に焼き付けるように類を見つめ、そしてこれまで2人で歩んできた道のりを心奥深くに封印する。

「・・・るぃ・・・」

今のつくしの心の中は〝感謝と謝罪〟で覆い尽くされていた。


人は最悪の状態に立たされると
なぜか懐かしい記憶が蘇る
自分が生きていた中で最も幸せを感じたときのことを
そこにはいつも想い人の笑顔がある


12月29日 10時10分

つくしは意識が朦朧とするなか、最後の力を振り絞って伝えようとしていた。

「る・・・ぃ、ありが・・・と・・・」

眠るように静かに瞼が閉じる。
類は恐怖を感じた。

「つくし」

「つくし?・・・つくしッ!・・・・・・つくしッ!!」

つくしが目を閉じて直ぐに、周囲に置いてある機器類からこれまでとは違う警告音が鳴り出す。類はその音に驚いて慌てて周りを見渡し、そしてつくしを見る。器械の誤作動ではないかと思わせるほど穏やかな顔をしていて、類を困惑させた。

「つくし?」

悲しみを残して魂を消す
この世からの永遠の別れのカウントダウンが動き始めた。

「つくしッ!・・・つくしッ!俺を独りにしないって言っただろッ!
 つくし、目を開けて俺を見ろよ
 子供を抱くんだろ、成長していく姿を見たいんだろ
 お願いだ、目を開けてくれ・・・・・・つくしー!」

類は声を荒げて必死に呼びかける。
つくしの硬く閉ざされた瞼は開くことはなく、心願は虚しくも器械の音に消されていく。


待合室の入り口に看護師が来てママに目礼して去って行った。ママは何かを思いつめたように瞼を閉じ、少ししてすっと椅子から立ち上がると出口に向かった。
その様子を見ていた司は眉間に深くシワを寄せる。

――なんだ今の?・・・・・・何かあったのか?

「俺、見てくるわ」
そう言ってママの後を追った。

残された彼らは無意識にそれぞれが視線を交わす。無言の視線はピリピリと緊張を高めていく。一斉に椅子から立ち上がって司の後を、いやつくしの元に駆けつける。


小野寺を先頭にスタッフが入って来て、慌しく処置が始まった。

「血圧低下 72mmHg――48mmHg」
「心拍 60――」

「注射、準備しろ」
小野寺の指示により看護師は点滴の中に投与し、点滴の速度を速めた。


「血圧 64mmHg――37mmHg」
「心拍 50――」

「注射2本準備してくれ、1本は直接心臓だ」
小野寺と看護師の動きが益々慌しくなると同時に険しい顔付きと変わっていく。

類はスタッフの邪魔にならないように隅で顔を歪めて立ち尽くしている。命にかえがたい大切な宝物を自分で助ける術もなく、ただ愛する人を見守ることしかできない。


容態急変に医療スタッフも慌てていたせいかカーテンを閉じることを忘れて処置をしている。慌てて駆けつけたみんなはスタッフの隙間から様子を窺おうと必死だが、つくしを囲む小野寺やスタッフが邪魔でよく見えない。中途半端に見え隠れするその状況が余計に苛立ちと不安を増幅させた。

医師らが必死に処置しても一向に回復する兆候がみられない。
それでもつくしの穏やかな顔つきは変わりなかった。


懸命に処置を続けるスタッフ、神にも縋る思いで見守る家族や友人らの願いも虚しく、死への階段を上り始めたつくしの足を止めることはできない。


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2009年1月 3日 (土)

PURE ANGEL[最終章]第5話


第5話


12月29日 1時20分

日付が替わっても誰ひとり病院を去ろうとする者はいない。
そんなみんなに類が気を使って声をかけたのだが、返ってきた言葉は・・・。

〝俺らは親や兄弟以上の繋がりだろ〟
〝あたしたちは姉妹同然だから〟
〝俺らのことは気にするな、空気だと思え〟

そこにいるのが当たり前のようになんの躊躇もなく笑顔でそう言い切った彼らに、類は再び友情を超えた深い絆を実感するのだった。そして、悲しみも喜びも分かち合える友が傍に居てくれることに感謝した。

特殊な世界に孤独に生きていたF4それぞれが、いつしか肩を寄せ合うようになった。それは滋も桜子も同様にいえた。つくしと出会い、深く関わり合うことで理解し合える仲間が増え、家族では味わえない、家族では決して引き出すことの出来ない奥底に眠る万感や温もりを知り真心を知る。

たったひとりの少女、牧野つくし、花沢つくしによって人生に、未来に色鮮やかな光が差し、夢と希望が与えられた。彼らの考えや人生観を大きく塗り変えたつくしだからこそ、湧き出る家族以上の愛情で傍から離れるなどできなかったのだ。


看護師は定期的につくしの様子を診に来ていた。
つくしは身動きひとつせずただ横たわったままで、容体にも変化は見られない。
類はつくしの手を軽く握り、ただただ寝顔を見つめて時間を過ごした。


12月29日 5時50分

朝方のことだった。
手を重ねていなければ決して分からない微かな指の動きを感じた。微かな動きに喜びが溢れてくるのを感じて、類は居た堪れずに名前を呼ぶ。
「つくし・・・、つくし・・・」

指の動きは時間を追うごとに大きな動きと変化していき、つくしの顔と握り締めた手を交互に視線を移動させながら何度も声をかける。
「つくし・・・、つくし・・・、つくし・・・」


類の声を聞いて慌てて看護師が入って来る。
「花沢様、どうかなされましたか?」
「指が・・・、つくしの指が・・・」
看護師はつくしの手に視線を集中させると、薬指と小指の動きを確認した。

看護師は時間をチェックして一通りの確認をする。

――血圧が少し下がったわね

「何かありましたら直ぐにボタンを押してください」
看護師はICUを出ると足早にナースステーションに戻って小野寺医師に連絡を取る。


早く目を覚ましてほしい、そしてその瞳に自分を映してほしい、そう心願しながら今か今かとつくしの寝顔を注視し続けていると、目じりの辺りに微かな光が見える。
「なみだ?」
類は涙を指でそっと拭い、握り締めている手を自分の頬に寄せる。

「つくし、悲しい夢で泣いているの?・・・それとも、嬉しい夢?
 つくしがいつも言う、嬉し涙?
 どうして夢は一緒に見られないんだろうね
 つくしと同じ夢を見られたら、悲しみから救ってあげられるのに
 つくしと一緒に笑ってあげられるのに
 夢だけは共有できないんだね」


12月29日 7時5分

東の空にようやく朝日が出始めた頃、つくしの瞼が微かに動きをみせる。
「つくし」
徐々に睫毛を揺らしながら瞼が開き始める。
「つくし」

瞼が完全に開き何度か瞬きをした後、つくしは声に導かれるように類の方に少し頭を傾けて瞳を見る。
「つくし・・・、おはよ」
類の微笑を湛えた挨拶は、まるで家で目覚めた時のような感じで普段となんら変わらない。つくしはそんな類に口元を緩めて目で合図を送る。

「どっか痛いところは?・・・お腹は・・・、傷口は痛む?」
傷口と聞いて、つくしは眉をひそめた。
薬が効いていたせいで痛みは感じていなかった。
「帝王切開で赤ちゃんを取り上げたんだよ」
つくしは納得したように頷いた。

「つくし、ありがとう。男の子と女の子だよ
 すごく小さくて保育器に入れられてるけど、元気にしているよ
 つくし、よく頑張ったね。・・・本当によかったね」
類はそう言ってつくしの手を頬に寄せる。
つくしは何よりも気がかりだった子供の無事を聞けたことに安堵して目頭が熱くなる。類は柔らかな笑みを向けてつくしの涙を拭う。


仮眠室で体を休めていた友人らにつくしが目を覚ましたと看護師から朗報が入り、慌ててつくしの元へと急ぐ。ICUのガラスを隔てた向こうに2人の微笑ましい姿に一同は一先ず安堵するものの、機器類につながれて痛々しいつくしの状況にはなんら変わりなく、胸を締め付けられる。


10分くらい経った頃、小野寺医師とスタッフがやって来て、類は診察のためにICUから退出させられた。すぐにカーテンが引かれそれまでみんながガラス越しに見守っていたつくしの姿はシャットアウトされてしまう。類はカーテンに映し出される黒い影を虚ろな目で追うことしかできなくなってしまった。


12月29日 8時10分

診察を終えるのを固唾を呑んで待つ友人らの耳に遠くの方から複数の足音が聞こえてくる。徐々に近づくその足音のする方に目をやると、たった今パリから帰国したばかりの茜(つくしの祖母)薫と葵(類の両親)進(つくしの弟)の息を荒げた姿があった。

「類、つくしさんの容態はどうなんだね?」
先陣きって薫が尋ねた。
「さっき目覚めたばかりだから・・・、今はまだ分からない」

目を閉じると無邪気に笑うつくしの笑顔ばかりが脳裏を過ぎり、どうしてこのような事態になってしまったのかと、胸を深く抉られたようにズキズキと痛み始める。


暫くすると閉じられていたカーテンが開けられ、小野寺医師とスタッフが出て来る。スタッフはみんなに軽く一礼すると横を通り過ぎ、小野寺は類の前で足を止めた。

「花沢様、切開部の傷は今のところ炎症もなく問題ありません
 子宮の傷の方は時期を見て超音波で検査を致します
 昨日も申しましたが、心臓にかなりの負担がかかりましたので
 心臓の働きが弱っていて血圧が不安定なのと若干の呼吸不全による
 酸素不足など、今の段階ではたくさんの問題があります
 まず今の問題の一つとして、本来であれば赤ちゃんに初乳を与える
 のですが・・・。これはとても大切で、免疫力を向上させ赤ちゃんの
 身体を守る役割をします。母体だけが持つ母乳です
 薬を服用していますと母乳を与えることはできません
 何かを得ると何かを切り離すことになりますが・・・
 奥様と話し合われたらどうでしょうか
 花沢様、・・・まだ奥様は危険な状態だということを忘れずに」
類は小野寺を真っ直ぐ見据え一心に耳を傾けて深刻に受け止めた。


小野寺が立ち去った後、類は視線を下げて口元に手を当てて考え込んだ。数分後、類は背筋を伸ばすとICUに入り、椅子に座ると再びつくしの手を握る。
「つくし、俺たちの子供を見に、茜さんや進くん
 それに両親が来てくれたよ」
類はガラス越しに見つめるみんなに視線を送る。つくしも頭を傾けてみんなが居る方向に視線を向け、口元を緩めて精一杯の笑顔を見せる。
離れた場所にいる彼らから酸素マスクをしているつくしの表情はよく見て取れないが、それでも微かに目じりが下がっていることは分かり、みんなも笑顔で応える。

「赤ちゃんに初乳をあげないといけないんだって
 抵抗力をつけるために。・・・でも、つくしが薬を服用していると
 あげられないって言ってた」
本当ならつくしの身体のことを考えると初乳の話はしたくなかった。つくしに早く良くなってもらうためにも薬は不可欠だからだ。しかし、自分の命に代えてまでも子供を選んだつくしただからこそ話しておかなければならないと、葛藤した末の結果だった。

つくしは類から目を逸らすと遠くに視線を飛ばして考え込む。

――そういえば本に書いてあったな
  免疫力をつけるなんとかって・・・
  赤ちゃんにしてあげられるこれがあたしの
  最初で・・・最後・・・

「つくしに赤ちゃんを抱っこさせてあげたいんだけど
 今はまだ保育器から出しちゃいけないんだって
 でも3週間くらいしたら体重も通常なみになるだろうって
 俺、上手く抱けるか心配だよ、それに2人もいるし
 早くつくしに元気になってもらわないと困る」
語尾の方になるとちょっと拗ねたような口調がつくしを和ませる。

「・・・たぃ」
類は嗄れ声でよく聞き取れなかったつくしの口元に耳を近づけて心耳する。
「初乳・・・あげたい」
この返事が返ってくることは最初から解っていた、解っていても胸が切なくなる。

「いいの、本当にそれでいいの?」
初乳がどんなに大切かは十分に理解しているつもりだ。それでもなんの迷いもなく頷くつくしに、類は胸に閉じ込めていた言葉が出そうになる。

〝もう自分を傷つけるのは止めてくれ〟
〝もっと自分の身体を大切にしてくれ〟
と、声を大にして言いたい衝動をぐっと抑える。
誰よりもつくしの性格を知っているからこそ、心とは裏腹に納得したように笑みをつくって頷く。
「看護師さんに言ってくるから」
類はICUを出て行った。

――類、ごめんね、つらい思いばかりさせて
  でもこれがあたしにできる最後のことかもしれないから・・・


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2009年1月 1日 (木)

PURE ANGEL[最終章]第4話


第4話


「花沢様」

一刻を争う危険な状態だということは重々承知していても、どちらかの命を天に捧げなければならない選択をすることなど類にはできない。たとえどんなにたくさんの時間を与えられたとしても、答えを導き出すことはできないだろう。何故なら、類にとってつくしがこの世で最も大切な人であり、つくしにとって今は子供を誕生させる事が一番重要なのだから。そのつくしの心中を思えばこそ、類は答えを導き出す術がないのだ。

しかし、容赦なく究極の選択を強いられる現実。
類はただただ唇を噛み締める。

「花沢様、こうしている間にも
 助かる命をも危険にさらすことになりかねませんよ」
小野寺は眉間に深くしわを寄せる。
医師の立場上救える命であれば全て救いたい、だがそれが許されない状況に立たされた時、最善の道を選択するしかない。

「花沢様!」

「類!」
友人らも返事を促すよう声をかける。

「類ッ!」
1人また1人と声をかけたその時

「子供、子供をお願いします!」
ママの震えた声が響く。

意外な人物の返答に、類をはじめ友人らは目を見開き一斉に声の主に振り向く。
ママが選択したことは誰もが納得できることではなかった。しかし、その瞳には意志の固さが窺え、まるでつくしが乗り移っているかのように見えた。

「分かりました、最善を尽くします」
小野寺は軽く一礼すると足早に分娩室へと消えて行く。


「つくし・・・、つくし・・・」
類は絶望を思わせるママの選択に同意も反論もできない。
〝血が・・・〟〝危険な状態です〟〝最後のお願い〟スタッフとつくしの声が耳に焼きついて離れない。鮮血がシートをつたい床へ流れゆく様がはっきりと脳裏に刻まれて離れない。そして、その映像が無邪気に微笑むつくしの映像と交互に巡ってくる。

4時間前までは幸福に満ちていたことが嘘のように、突然訪れた悪夢のような現実。つくしか子供か、どちらかの生か死の選択をしなければならないこの現状はあまりにも残酷で、神様のいたずらとしか言いようがない。

類はただ力なくずるずると壁伝いに身体を床に落とす。司はやり場のない感情を強く握り締めた拳を力任せに壁に叩きつける。総二郎とあきらはその場にしゃがみ込んで頭を抱え込む。滋、優紀、桜子は肩を震わせて涙を床に落とした。


12月28日 17時10分

待合室に戻ったみんなは憔悴しきったように呆然と椅子に座っていた。そこにつくしのママが入って来て類の隣に座ると静かに言葉を発する。
「花沢さん、あの子は幸せだったと思います」
類はゆっくりと顔を上げるとママの顔を不思議そうに見つめた。

――幸せ?・・・こんな状況になって何が幸せなんだ
  生きてるからこそ幸せにもなれるのに
  俺には分からない

自分がお腹を痛めて産んだ娘よりもまだ見ぬ孫を選び、状況によっては死亡する可能性があるのに娘は幸せだと言う、ママの言動には納得も理解もできない。
しかし短時間で状況が悪化していくのを止めることもできず、それを受け入れる余裕も判断もできないのは無理もない。
針のむしろに居るように生きた心地がしないのは、類や彼ら以上にママの方なのかもしれない。親にとって子が先に逝くことほどこの世で一番つらく哀しいことはない。代われるものならば代わってあげたい。それができないからこそ娘の最後の望みを聞くしかなかったのだ。

「財閥に生まれたら普通は思うようにならないでしょ
 恋愛や結婚って・・・、でもあの子は自分で選んで
 愛する人と結ばれた。そして・・・、花沢さんもつくしを愛してくれた
 あの子にとってこれ以上の幸せはないわ」
俯く類にママは話を続ける。
「花沢さん、子供の性別お聞きになりましたか?」
「・・・・・・いいえ、それはつくしが・・・」
「そう。・・・・・・あの子、性別知ってるのよ
 産まれた時には、・・・もしかしたら見ることも抱くこともできない
 かもって・・・。その頃から覚悟を決めていたのかも知れないわね」
目を見開きママの眼を見つめる類に軽く笑みを見せると、また話を続けた。
「妊娠って分かった時のあの子の喜びようったらなかったわ
 花沢さんなら分かるでしょ、諦めていたものが手に入る現実を
 実感を・・・。買うことも貰うこともできない、愛する人の子供を
 宿したときの感動と喜びを。あの子にとって、花沢さんと子供が
 すべてなの、自分の命を削ってまでも守りたかったことを理解し
 てやってほしいの」

親ならばどんなことをしてでも子供を守りたいと思う。たとえそれが自分の命と引き換えになったとしても。だが、ここにいる彼らにはそんな不条理なことは理解できないだろう。誰1人としてまだ親になっていないのだから。

両方を選ぶことはできない、この辛苦をぶつける先がない。

つくしの想いが類の胸を熱くさせると同時に強く締め付ける。

「自分が消えちまったら意味ねぇじゃねえかッ!」

怒声で吐き捨てるように言った司の気持ちはみんなも十分に解っていた。つくしを想う気持ちは類に劣らず司にもある。F2やT3の彼らも類と司が抱く感情とは少し違っても、つくしを大切に思い慕う気持ちは同じだ。


一方、つくしは出血がひどく母子共に危険な状態に陥っていた。

「胎児を取り出すわ、吸引の用意して」
「急いでッ!」
慌しく動き回るスタッフ。

そこに小野寺が加わり状況を見極める。
「帝王切開だ、胎児を優先する」
小野寺の決断によってその場はより一層緊迫した空気になり、スタッフ一同身を引き締める。

つくしは意識が薄れもはや自力で産める状態ではない。
分娩台は一転して手術台にかわる。
口にはチューブが取りつけられ、点滴の他に新たに輸血用の針が刺される。胸や指には血圧や心拍数を知らせる機器類につながっている。
大きくせり出たお腹や太ももと一面に消毒液が塗られ、透き通るような白い肌が茶色に染まっていく。


準備が整うと麻酔専門の医師が小野寺に合図を送り、小野寺はスタッフ一同に開始の合図を目配せすると、ゆっくりとつくしのお腹にメスを走らせた。
お腹が開かれ、またその奥へと慎重に線を刻む。

平成20年12月28日 18時12分
最初に男の子、4分後に女の子が無事に摘出された。

しかし、赤ちゃんの様子がおかしい。
足首を持ち逆さにして背中を叩き、口に吸引をして異物を取り除いて暫くすると、顔色が良くなると同時に泣き出した。その元気な泣き声は廊下にいた皆の耳にも届いた。
沐浴が済むと、身長、体重、胸囲、頭囲を測り、一部検査を終えた2人の赤ちゃんは、早期と双子で胎児の成長は思わしくなかったために保育器に入れられた。
2人の細い足首には苗字と性別が明記されたバーコード札が巻きつけられ、類とつくしの子供だと証明していた。


一方、赤ちゃんの泣き声を聞いたみんなは一先ず安堵感に包まれる。
類も我が子が無事にこの世に生を受けたことに安堵する一方で、つくしの安否が気がかりで素直に喜べない。

<子供、子供をお願いします!>
子供を優先したママの震えた声が蘇る。

――つくしは無事なのか?


類は分娩室から出て来たスタッフに詰め寄る。
「つくしは、つくしはどうなんですか?」
「最善を尽くしております
 後ほど担当医の方からお話があると思いますので」
立ち去ろうとするスタッフを類は制するように立ちはだかり、問い続ける。
「つくしは無事なんですか?つくしは・・・」
類の言葉を遮るようにスタッフが口を開く。
「花沢様、奥様は今頑張っておられます。もうしばらくお待ち下さい」
類は不安を取り除く言葉が欲しかった。

――つくしは頑張ってる?・・・・・・生きてる、生きているんだ

〝子供を優先に〟と聞いた瞬間、他に例えようのない絶望感と不安感に襲われた類だったが〝今つくしは生きている〟そう思うだけで僅かな希望の光りが灯った。


自分の命を懸けてまでも産もうとした我が子を一目見ようと類も新生児室に来た。一面ガラス張りの前には既に彼らはいた。
幾つも並ぶ小さな透明ケースの中には穢れのない天使のような赤ちゃんがいる。その中に自分の子供がいるのだろうと順を追って見てみるが、見当たらない。

「赤ちゃんは奥の保育器にいますよ」
類の問題を解決してくれたのは優紀だった。優紀の指差す方に視線を移した先には、手前にいる赤ちゃんよりも一回りも二回りも小さな体がそこにあり、類は食い入るように我が子を見つめた。

――あんなに小さくても必死に生きてるんだ
  つくし、それでも元気に生きてるよ
  おまえが守りたかったもの、小さい体で必死に生きている
  だからつくしも頑張れ、俺たちの子供のために頑張ってくれ
  つくしを待ってるんだよ、子供も・・・そしてここに居るみんなも


「類、赤ん坊ってすげぇな
 どんな状況でも生きようとする生命力がさ
 類も今日から親父だな。おめでとう」
あきらが声を掛けた。
「類も親父か、つくしと同じ誕生日になったな
 やっぱアイツすげぇな。・・・・・・類、あんまし思い詰めんなよ
 愛する家族を置いて逝くほどアイツは薄情じゃねえだろう
 負けず嫌いで誰よりもド根性があるアイツのことだ
 〝心配かけてゴメン〟って言うのがオチたぜ」
そう言ったのは総二郎。
桜子はいつもの調子で声を掛ける。
「そうですよ。先輩の根性は並み大抵なものじゃありませんからね
 一番大切なものはそう簡単には手放したりはしませんよ」
「そうだよ。パパになったんだから、赤ちゃんの前ではスマイルだよ」
滋はガラス越しの赤ちゃんにニコニコと笑って手を振っている。
司は無言で赤ちゃんを見つめ、ママは遠巻きから複雑な心境で孫を眺めていた。


12月28日 19時10分

子宮とお腹の切開部の処置を終えたつくしは分娩台からストレッチャーに移され、ICU(集中治療室)に移された。
どのぐらい待っただろうか、ICUのドアが開き小野寺が姿を現すと類は反射的に立ち上がって医師の前に進み出た。

「先生、つくしはどうなんですか?」
小野寺は類の鬼気迫る表情に圧倒されながらも静かに話し始めた。
「出血がひどくて意識がありませんでしたので、帝王切開で胎児を
 取り上げました。切開部の傷は残りますが、母体、胎児の安全性
 を考慮した上です
 とても危険な状態でしたが最悪の事態は免れました
 奥様の頑張りが奇跡を起こしたのでしょう。しかし、まだ血圧も
 不安定ですので、危険な状態を脱した訳ではありません」
「危険な状態ってどういうことなんですか?
 つくしは、つくしはどうなるんですか?」
問い質す類の声は自然と大きくなる。
「切開部は時間が経てば良くなりますが、問題は心臓の方です
 奥様が完治なさるまでに心臓が持ちこたえるかどうか
 専門医に伺ってみないことには今はなんとも申しあげられません
 以前、奥様は心臓の件で中川原医師の診察を受けていましたので
 今後に備えて、中川原と相談しながらどう進めていくか考慮して
 いくつもりです」

小野寺医師の説明は納得できる内容ではなかったが、今の類にとってつくしが生きている、逢える、触れられる、そんな思いが先走る。
「中に入ることはできますか?」

救命を最優先とするICUは一般病棟とは違い医療スタッフ以外は入室禁止されている。但し、主治医の許可があれば別だ。(病状や病院によって異なる)
小野寺は少し考えた後、頷いた。
「そのままでは困るので、看護師から指示を受けてください」

類は看護師の指示に従って手洗い、ガウン着用、スリッパ履き替え、手指アルコール消毒を済ませ、ICUの扉を開けた。

ICUはスタッフが患者の容態急変に気付きやすくする為と、それ以上近づく事を許されない家族関係者の為に一部ガラス張りになっているので遠巻きながらも廊下からつくしの姿は見てとれた。

類はゆっくりとつくしに近づく。

ガラスの向こうから見ていたつくしの姿とは異なり、目前でその姿を見ると目を背けたくなるほど胸が締め付けられ目頭が熱くなる。
つくしの周囲には心電図計など多くの機器類があり、点滴の他にそこから身体へと様々なものがつながれている。

血の気がなく蒼白で体力を消耗し疲れきった顔。生きていると聞かされなければ分からないほどに悲惨な姿がそこにあった。類は本当に生きているのか自分の指で確かめるかのようにそっと頬に指を滑らせた。
決して元気な姿を想像していたわけではない。だけど、こんなに痛ましい姿を想像していたわけでもない。

痛ましく胸に染み込んでくる。
つくしを見つめる類の瞳から静かに涙が落ちる。


愛し合っているふたりが結婚をし
子供が授かる
喜ばしいこと
愛するもの同士の遺伝子を受け継ぎ
未来へと命の誕生
慶びと感動と幸せの世界に浸る瞬間だ
しかし、こんなに悲しくつらいものだと誰が思ったことだろう
そして、涙と悲しみの日に
想像できただろうか


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