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2008年12月 4日 (木)

PURE ANGEL[第3章]第10話

第10話


13時~17時

「静かにしてください、これから午後の部を始めます」
ふかふかの絨毯が敷かれた大広間に座布団が所狭しと並べられている異様な光景に新入社員たちはどよめいていた。
「ラフな服装にしていただいたのは
 これから皆さんに座禅をしてもらうためです」
そう言った瞬間に会場は再びざわめき出した。目を丸くした者、溜息を漏らした者、ほとんどの者が嫌そうな顔をした。
――まっ、しょうがないよね。あたしも好きじゃないし
   この人たちにとっては座禅なんて苦にしか感じないよね

「自分たちが今立っている場所に座り座禅を組んで下さい
 上手く出来ない人は手を上げて、アシスタントが教えますから」
10分後、全員が座禅を組んだ。
「そのままの状態を崩さず、瞑想して下さい。何を瞑想するかは
 皆さんの自由です。逆に何も考えず心を無にしても結構です
 但し、寝るのだけは禁止ですよ」

大広間で300人を超える新入社員は座禅を組み瞑想に入った。
超有名な一流ホテルのメープルで、まさか座禅なんて誰が予想や想像ができるだろう。他の者がこの場を見れば何かの宗教団体かと思うかもしれない。


「はい、止めっ!皆さん身体を楽にして15分間の休憩に入ります」
座禅など組んだことなどない新入社員たちは、ただの苦痛としか思えない30分という長い時間をどうにか耐えきった。
それまで静まり返っていた会場はつくしの掛け声と共に声にならない声やうめき声で埋め尽くされた。痺れた足を伸ばして摩る者や、臀部に痛みを感じる者、さまざまに身体を捩じらせ苦痛から解放された安堵の空気が流れた。

「さぁ、皆さん座禅はどうでしたか?
 そのままの体勢でいいですから感想を聞かせてください」
数名の者が手を上げて答える。
「座禅がこんなに辛いものとは思いませんでした、足も腰も痛いです」
「時間の経つのがやけに遅く感じました、ギブ寸前でした」
「お尻が痛くて痛くてその事ばかり考えていました」
予想どおりの意見が出たなとつくしは思った。
「皆さん同じような感想をお持ちと思います
 わたしも座禅をすれば体のどこかが痛くなります」
体の苦痛が解け始めた新入社員たちはつくしの言葉に耳を傾ける。
「でも体が痛くなるのは座禅を組めば当たり前のことなんです
 足や腰が痛いのはそこに足と腰があるからです。普段気にすること
 もない足や腰がそこにあることを気付かせてくれたのが座禅なんです
 更に言えば、生きていることを痛さ辛さで実感させてくれたという
 ことも言えるでしょう。また、当たり前のことを当たり前と思わない
 ことは、仕事を進めていく上でとても大事な事だと気付くときが来る
 と断言できます
 他に体の痛み以外に何か感じたことがある人はいますか?」
誰も手を上げる者はいなかった。
「休憩が終わったらもう一度座禅を30分組みます
 今度は体の痛み以外に何を感じたか、座禅を組むとはどういう意味
 があるのかを最後に述べてもらいます」

休憩が終わり再びつくしの号令で座禅が始まった。
つくしは出した宿題にどんな答えが返ってくるのか楽しみにしていた。なぜなら座禅を組んで感じることやその意味に正解はなく、人それぞれが持つ個性による発想や意見に接することができるからだった。


18時30分~20時30分

先程までラフなスタイルでキツイ座禅に泣いてた新入社員も、目の前には紺や黒のビジネススーツに身を包み、背筋をピーンと張ってつくしと向き合う。
「この1週間過ごしてきてどうでしたか?
 あなた自身、心に変化がありましたか?
 何か得るものがありましたか?」
少し間を空けてからトーンを変えて力強く話し始める。
「人は見ようと思わなければ見えない
 聞こうと思わなければ聞こえない
 目で見ただけで信じてはダメ、声を耳で聞いただけではダメ
 目が声を聴いてこそ初めて声と一体と言えるからです
 この先、幾度となく難題に遭遇することになるでしょう
 その時に研修で覚えた事や感じた事を思い出して役立たせてほしい
 やがて皆さんも仕事に慣れ、一人前になっていくことと思います
 そしていつか必ず壁にぶつかることになるでしょう
 そんな時は今日という日を思い出して初心に返ってほしいのです
 意識の向上が貴方方を成長させ、また花沢物産という会社を
 成長させるのです。個人の成長なくして会社の発展なし
 会社の発展なくして個人の成長なしということです」
シーンと静まり返った会場内を見渡し、最後の挨拶を述べる。
「私が話した〝三本柱〟は終わりのない永遠の課題だと思っています
 いろんな面で自己管理には十分気をつくて下さい
 これで全ての研修が終了です。皆さん、1週間お疲れ様でした」
つくしは軽く頭を下げ、社員一同は深々と頭を下げた。


つくしは出入り口に殺到する300人以上の新入社員の後ろ姿を眺める。最後の新入社員を見送りつくしも扉に向かう。一度後ろを振り返り静寂な会場を見渡す。
――やっと終わった、ここから解放される
たった2日間だったがハードな日程に徹夜したこともあってか、それ以上の日数を過ごした気分になっていた。

「あたしも早く帰ろ」
扉に手をかけ開けようとしたその時、扉が勢いよく開いた。
「きゃあ!・・・るっ、類!・・・どうしたの?」
つくしは目を真ん丸にさせて類を見上げた。
「プッ、そんなに驚いた?タイミング良すぎだったみたいだね」
「自動ドアじゃないんだから驚くでしょ。それよりどうしたの?」
タイミング良く開いた扉にも驚いたが、目の前に類がいることがもっと驚きだった。
「誰かに連れ去られると困るから、迎えに来た」
「はあ?・・・連れ去られるって、・・・誰が誰を?」
「つくしに決まってるでしょ。いいから早く行こう」
そう言って類はつくしの手を掴みフロントではなく部屋に向かった。
1泊18万円の部屋に半ば強引に連れ戻されたつくし。部屋に入ると何故か昨夜と同様に食事の準備がされている。


「類、もしかして今日も泊まるって言わないよね?」
2人は食事を終えて紅茶を飲みながらソファで寛いでいた。
「鈍感なつくしでも分かるんだ
 でも肝心なところは相変わらず鈍感みたいだけど」
意地悪っぽく言うと類は立ち上がりつくしをベッドルームに誘う。

おでこ、鼻、頬と摘むようにキスをしながら、冷たい手は黒髪をかき上げる。やがて唇はつくしの唇を捉え、冷たい手は柔らかな頬をなぞって細い首筋に下りてゆく。昨日とは違って類が優しくリードする。
愛する人に触れて抱く熱い感情が更に追い求める。
絡める指をつくしの頭上に移動させ、熱が帯びた視線が絡む。

「ちょ、ちょっと類、何するの?」
類はつくしの両手をベッドに縛りつけた。そう、つくしが昨夜類にしたように。
「つくしがしたこと、そのまんまお返し。でもこの先は違うけど」
「ちよ、ちょっと、る・・・」
煩いつくしの口を塞ぎ、深く長いキスが始まる。
両手を固定して無防備になった透き通るような柔肌を両手でなぞりながらキスを落としてゆく。
この世でたったひとり、つくしに触れられることのできる類だけに許された特権。

つくしに触れる度に我を忘れてしまう
どんなにこの腕の中に収めても、尽きることのない感情と欲望
そして支配力
他の者がつくしを見続ける限り決して終わりのないジェラシーを抱く
たとえつくしが自分をその瞳に映し出したとしても
壊れてしまうくらい強く抱きしめるのを抑えるのがやっとで
――鈍感なつくしには分からないだろ
   愛しすぎてしまったこの想いを

神が人間だけに与えたもの
それは 物欲・性欲
神が生命のある全てのものに与えたもの
それは 支配力

子会社から花沢物産に向かう車中でつくしは医師に言われたことを思い出す。
< これ以上悪化させないためにも適度の運動を勧めます >
「適度の運動かぁ」
車中から流れる景色に視線を向けると、桜の花びらが舞い路面や歩道はピンク色に染めている。
「小田さん、ここから歩いて行くから止めて」
「歩きですか?つくし様、本社まで20分はかかりますよ」
「そう、20分ねぇ。それなら適度の運動になるね」
つくしは車から降りて歩いた。
心地良い春風がつくしの身体を通り過ぎる。
「もう春だね、気持ちいい」
日に何度か通る道。見慣れた道や建物も歩いて見ると風情が違って見えたりして、普段気付かない些細なことが嬉しかったりと意外な発見をする。

花沢物産 第2会議室

開発に成功した新しい燃料電池を本格的に市場に出すための子会社を共同出資で設立したエイム社と黒崎グループ、望月商事、花沢物産の4社による合同会議が行われた。(4社の4を掛け合せてカルテットとし、Qプロジェクトと名付けられた)
実務者レベルでの会議も最終段階に入っていた。
「世界中で問題となっているCO2排出量、このQプロジェクトが
 成功しますとCO2の削減と地球温暖化の抑制に大きく寄与すること
 ができ、世界中の注目を集めることになるでしょう」

環境のために地球のために自分の信念を持ち研究してきた科学者たち、それを見守り続けてきた黒崎、望月、花沢の3社。ここに至るまで15年、やっと本格的に動き出したQプロジェクト。これが成功すれば歴史の1ページに残るほどの世界的革命が起きるであろう。
「既に仮説に基づき調査には2年をかけてきましたが、あと6ヶ月
 かけて最終段階の市場調査報告をまとめ、市販化に向けて具体的に
 進めていく予定です
 但し、この期間において世界の動向の変化なども考慮した上で
 検討の余地が出た場合は、臨機応変に対処したいと考えております」

会議が終わり、つくしは書類を整理していると花沢社長と望月の会長が傍にやって来た。
「つくしさん、この間の社員研修、拝見させてもらったよ
 〝当たり前のようにあるもの、当然と思っていることがどれだけ
 大切なことか〟・・・うちの息子にも聴かせてやりたかったねえ
 つくしさんの生の声を」
会長の機嫌が良いのか、人が変わったのか、偽りのない笑顔がそこにあった。
「やだっ!聞いてたんですか?・・・でも会長はどこで・・・」
会長の代わりに薫が口を挟む。
「記念にと思ってビデオに撮ったんだよ。会長が是非にと言う
 ものだから、つくしさんの了解も得ずにすまなかったね」
「私のことは気になさらないでください。それよりビデオって?」
「類の奴、どうやらつくしさんには秘密にしていたようだな
 詳しいことは本人から聞きなさい」
「薫、お前や類くんが羨ましいよ
 こんな可愛いお嬢さんを娘や嫁さんにできたんだからな
 数年早くつくしさんに出会っていれば、今頃は息子の・・・」
「おいおい、勘弁してくれよ
 私たち家族にとってつくしさんは娘以上の存在なのだよ」
「ああ、分かってるとも。でもよく黒崎さんが許してくれたもんだ」
薫と会長の対話を聞いてつくしの頭上にハテナマークが浮かんだ。

後に解ったことだが、社長と会長は学生時代からの親友で、社長と会長は黒崎潤を父のように慕っていたとのこと。
そう言えば道明寺楓は茜のことを第二の母と言っていた。総二郎の父は茜に頭が上がらないと総二郎の母が言っていた。この人達にとって黒崎潤と茜はどのように映っているのだろう。
つくしには人を惹きつける不思議なパワーがあるとつくしに携わった人は言ったが、その不思議なパワーはきっと祖父母から受け継いだものなのだろう。


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