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2008年10月の27件の投稿

2008年10月31日 (金)

つかさっち&るいっち 第1話

第1話

「みんな~っ!教室にもどりなさ~い!」
「つくし先生が呼んでるわよ、つかさっち、るいっち
 早く行かないとまた怒られちゃうんだからね」
アリの巣に細い枝を差し込んでアリを釣り上げる遊びに夢中になっていた2人には、つくし先生の言葉は聞こえていなかった。
「いいんだよ
 だってつくし先生が怒ってもちっとも怖くないんだから
 そうだよな、るいっち?」
「うん」
「わたし知らないからね!」
「おまえなんかあっち行けよ」
ほっぺたをふくらませて呆れた顔でその子は走り去った。


「カンナちゃんっておせっかいだよな」
「でも、ちょっとカワイイけど・・・」
「えーッ!るいっちはあんな気の強い女が好きなのか?」
「ちがう!・・・ボクが好きなのは、・・・・・・つくし先生だよ」
「・・・えッ?るいっちはつくし先生が好きなの?」
「うん」
「ふーん、でもダメだよ、つくし先生を好きなのはボクだから」

お帰りの時間が近づくと、園庭から戻ってきた子供たちは手を洗い、うがいをして帰り支度を済ませておとなしく席に着いていた。

ここは英徳幼稚園
この幼稚園には、著名人の親を持つ子供や裕福な家庭の子供たちが集まっている。習い事をしている子も多く、礼儀や作法もしっかり身についている。
また、建物そのものや装備備品に至るまで一流のものが取り揃えられていて、一般レベルの幼稚園とは一線を画するものだ。


「せんせー、つかさっちとるいっちがまだでーす!」
伊集院まひるちゃんは主のいない席を指差して得意そうに声をあげた。
(はぁ~またあの2人か、まったくもう・・・いつもこうなんだから)
つくし先生は窓に近寄り園庭を見渡すと、案の定、いつものもみの木の下に座り込んで座談会をしている2人の姿を確認した。
(あの問題児2人には手が焼けるのよねぇ~)


その問題児とは
漆黒の瞳に天然パーマのドレッドヘア、同世代より少し背は高く、脚も長い容姿を持つお山の大将的な存在で、口が悪く横柄な態度でワガママ放題の生意気小僧が道明寺司。通称、つかさっちと呼ばれている。
ビー玉みたいなセピア色の瞳に薄茶色のサラサラヘア、寝ることが大好きで宝物はベッド。口数が少なくおとなしい半面、融通が利かなくて頑固な一面を持っているのが花沢類。通称、るいっちと呼ばれている。


牧野つくしはこの子供たちと接し始めてまだ3ヶ月、園長先生はじめベテラン保育士たちにいろいろ教わりながら毎日生き生きと子供たちと接しているが、理想と現実とのギャップに悩むことも少なくない。
子供が大好きでこの道を選んだつくしだが、子供たちと遊んだり、粘土をいじったり、絵を描いたりしてればいいなんて甘い考えは通用しないことを肌で感じていた。
自分の小さい頃と比べることなんてできないほど、あまりに育った環境が違いすぎるこの英徳幼稚園の子供たちには、思った以上に神経を使わされている。
十人十色というけれど、こんなに幼い内から親の期待を一心に背負い、あれこれと知識を詰め込まれている子供たちは、画一的でどこかロボットのような印象を受ける場面も多々ある。
将来を約束された子供たちは、既に英語やピアノやパソコンなどを習っているのが殆どで、いっちょ前に大人びた口の利き方をし、どこか見下したような態度をとるそんな園児たちの中にあって特別なのが、司くんと類くんだった。
つくしは他の園児たちからハミ出たこの2人を、実はとても気に入っていた。尖った性格でやんちゃな司くんと角がなくまぁるい性格の類くん、そして2人ともかなりの頑固者。他の園児たちがおとなしくて行儀が良すぎるから、この2人は特に目立ってしまうが、逆にこの2人の方が子供らしいと感じていた。
性格は正反対なのに、なぜか2人はウマが合うのか仲がいい。

「ダメって言ってもダメ!ボクはつくし先生と結婚するんだから」
「ダメって言ってもダメって言うのはダメッ!
 ボクの方が先に好きになったんだから!」
想いを寄せる相手が同じ人だと知ってしまったつかさっちとるいっちは、つくし先生をめぐって男同士の争いが始まっていた。
「つかさっち、ズルイ!」
「るいっちにはカンナちゃんがいるだろ
 さっき、カワイイって言ってたじゃん」
「あんなの子供じゃん、ムリムリムリ」
「とにかくつくし先生はボクのものだ!」
「い~や、ボクのだッ!」
「やるかッ!」
「イヤだ」
「じゃぁどおすんだよ」
「勝負だ」
「やるのか?」
「ケンカなんてしないよ、そのかわり別な方法で決着をつけようよ」
「別な方法?」
「そう、たとえば・・・」
「司くん、類くん、いい加減にしなさい!みんな待ってるのよ」
(あっ、つくし先生が呼んでる)
(ヤバッ、行かなきゃ)
「あとで電話するから」
「おお」
そそくさと教室に戻った2人は何事もなかったかのようにお別れのあいさつをして、それぞれのお迎えの車に乗り込み帰路に着いた。

その夜

「もしもし花沢ですが、司くんをお願いします」
少しして司くんにつながった。
「るいっち、どう?何かいい方法考えた?」
「うん、つかさっちは?」
「ボクも考えてみたけど・・・、まずるいっちから言ってみろよ」
「いいよ、勝負は先に先生にキスしたほうが勝ちっていうのはどう?」
「う~ん、いいけど・・・。簡単すぎてそれだけじゃダメだな」
「じゃあ、つかさっちはどんなこと考えたの?」
「つくし先生の方からキスされた方が勝ちになるのは?」
「・・・それもいいかも。・・・あとは?」
「あとは・・・、そうだ!
 つくし先生とデートすることができたら勝ちとか」
「デートって?」
「デートを知らないのか?るいっちはまだ子供だなぁ」
「おまえだって子供じゃん」
「ムッ!と、とにかく、デートっていうのはだなぁ
 2人で街を歩いて、そのあとコーヒーを飲むんだよ」
「ボク、コーヒー飲んだことない」
「とにかくそうするのがデートなんだ!」
「ふーん。・・・あとは?」
「う~ん、まぁそんなところかな」
「それじゃあ、デートはともかく
 つくし先生にキスできたら勝ちにしよう」
「え~っ、それじゃ簡単すぎるよ。・・・たぶん」
「じゃあつくし先生にキスされたら勝ちにする?」
「う~ん・・・、・・・そうだっ!その2つを足せばいいんだよ」
「足すっていうと?」
「だから、つくし先生にキスするのと
 キスされるのができたら勝ちにするんだよ」
「うん、それでいいよ
 先に両方とも成功した方が勝ちになるんだね」
「どっちが勝っても恨みっこなしってことでいいよな」
「うん」
「デートは勝った方がすればいいんだから、それで行こう!」
「よーし、それに決まりッ!」
つくしがどう思おうと、もはやこの2人には関係ないようだ。


小さな胸に芽生えた恋は、年齢差や相手の気持ちなど全く気にすることなく、それぞれが幸せなバラ色の未来を夢見ていた。
「ボクはつくし先生と結婚して
 そして2人で世界一周の新婚旅行をするんだ」
「ボクはつくし先生と結婚して
 そして2人で世界一大きなベッドで眠るんだ」

初恋成就に向けて戦いの幕があがろうとしていた。

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幸せの香り 後編

後編

腰や肩の痛みを伴い脳の指令によって強制的に目が覚めた俺は、寝ぼけ眼で首を左右に振って、腰を軽く捻りながら自分の周りを見る。
「ここは?・・・俺、なんでここに居るんだろう?」
確かベッドに潜り込んだはず、それなのになんで畳の上なの?
こんなボケから朝が始まった。
「牧野、・・・・・・牧野?」
彼女からの返事はない。
ふとテーブルを見ると、手紙のようなものを発見。


花沢類、おはよう
身体大丈夫?
あたし花沢類を蹴落としちゃったみたいで…
しつこいくらい声をかけたんだけど、起きる気配がなくて
あたしの力じゃどうにもならなくて
そのままにしちゃってゴメンね
口にあうかどうか分からないけど、朝ごはん準備したから食べてね
もう時間がないので先に出かけます


「牧野・・・、俺を置いて行っちゃったんだぁ」
彼女が用意してくれたという朝食の上に被せてある布を捲って見ると、箸の隣に置かれた銀色に光る小さな金属に目を奪われた。それを手に取ってベッドに寝そべると、四方八方から眺めてみる。
「これって・・・いいかも」
通常は家族だけが手にすることができるカギ。そのカギを早く使ってみたくて慌てて朝食と身支度を済ませると、玄関の扉を閉めてカギをかける。
「こうゆうのも悪くないかも」
嬉しさのあまり、子供がオモチャで遊ぶかのように何度もカギをかけては解除を繰り返えす。迎えの車が来ていることに気付かないほど、この行為がツボにハマる。
やがてしびれを切らした運転手に声をかけられ、俺はしぶしぶ断念して階段を下りた。
「類様、これを預かってまいりましたが」
着替えや身の回りの物を取りに行こうと思って呼んだ車が、角田さん(使用人)が気を利かせて運転手に持たせていた。さらに期限付きの書類も一緒に。俺は乗る必要がなくなった車を帰すと、彼女の部屋に戻り再びベッドに身体を横たえた。


何の匂いだろう?すぐこいい匂いがする。
ベッドの上で書類を広げたまま寝入ってしまった俺は、身体を起こし匂いのする方向に目をやると、彼女がキッチンで夕食の支度をしているのだと分かった。
「お帰り、牧野」
「あっ起こしちゃった?ちょっと待ってて、もうすぐ準備が出来るから」
「俺も手伝うよ、何したらいい?」
「こっちは大丈夫だから
 花沢類はベッドの上を片付けてよ、大切な書類でしょ」
散乱した書類を集め終わる頃には、もうテーブルにはすっかり食事の支度ができていて、大きな土鍋を囲んで遅い夕食を始める。


「これ、なに?」
白く細長い物を箸で摘んでみる。
「それは〝うどん〟って言うの。少し肌寒くなってきたから
 煮込みうどんにしてみたんだけど。・・・どう?・・・食べれそう?」
「前にここで総二郎たちと鍋パーティーしただろ
 その時の味と同じだから、美味しい。このうどんも結構いけるかも」
「良かった。・・・あっ、そうそう、明日と明後日バイトがないの
 花沢類は何か予定とかある?」
「うん、ある」
即答の返事に彼女は残念そうに〝そっかぁ〟と小さく呟き、箸の動きを止める。
もしかして、俺の為に休みとったとか?
「貴重な時間だからね
 牧野がしたい事や行きたい所にお供する予定が入ってる」
「・・・もう~花沢類ったら・・・」
俺の言葉を理解した彼女の瞳は喜びに変わり、尖らせていた口は口角を上げて顔全体で嬉しさを表現している。
その表情やこの雰囲気だけで、なんか幸せ。

彼女の2日間の休みもあっという間に過ぎ、最後の夜を迎えた。
夕食の後片付けも終わり、小さなテーブルを前に彼女と並んでベッドに寄りかかってまったりとした時間を過ごしていると、いずれは聞かされる言葉だと分かっていたけど今は聞きたくなかった、その言葉を聞かされる。
「花沢類・・・、そろそろ家に帰った方がいいんじゃないの?」
このままこの生活がずっと続くとは思ってはいない。だけど、彼女の言葉が無性に俺の心を寂しくし、喪失感のようなものを感じた。
どうしてだろう?
そう思った俺の頭の中に、この2日間の楽しい出来事ばかりが浮かんでくる。


(回 想)


彼女の匂いで目覚めた俺は、気分爽快だった。
開けられた窓から見える清々しい空、久々の秋晴れ。
窓から見え隠れする彼女は洗濯物を干していて、その匂いが俺の鼻を擽ったようだ。
「おはよう、花沢類。すごい天気がいいよ」
「そうみたいだね、久々だし、散歩にでも行こっか」
2人並んであてもなく歩き始める。俺にとってはこんな散歩一つでさえ知らない土地へ旅行しているような感覚で、目にする景色がとても新鮮。
まして俺の隣には、彼女が居るという理想の展開。
彼女が隣に居るだけでただの散歩がこんなにも楽しくなる。
「牧野、あそこのカフェで一休みしよう」
心地よい風と木漏れ日が降り注ぐオープンカフェで、コーヒーの香りに包まれ、少しの間、穏やかな時間の流れに身を任せる。


彼女が腕をふるって作ってくれた手料理はとても美味しく、興味深いものだった。
生ハムと思っていたのは、豚のロース肉っていうものだったり、温かい味噌汁の中に入れられたキャビアが変色したのかと思ったらトンブリとかいうもので、別名畑のキャビアっていうとかで、デザートのプリンかと思って最後に取っておいたものは、実はおぼろ豆腐っていうおかずの一品だったりで、ここには俺の知らない料理の世界があった。
驚きと感動の連続と同時に好奇心が湧き出した俺は、彼女が得意料理だというミートソース作りを手伝うことにした。
「花沢類、じゃぁさぁ、これやってくれるかな」
俺に包丁を渡す彼女の目から涙が無防備に流れていて、何があったのかと心配になった。でもその涙の訳を俺は身をもって知ることとなった。
「花沢類の涙って、激レアかも。貴重な体験できたでしょ。ふふふっ・・・」
まさか俺が玉ねぎに泣かされるなんて・・・。


「それ、何?」
「何って、アイロンだけど。・・・もしかして見たことない?・・・まぁ見てて」
彼女は得意げな顔をして、ヘンテコな機械をシャツの上を滑らせると、魔法をかけたようにシワがなくなった。それを見た俺はどうしても自分で試したくなった。
「俺もやってみたい」
「えっ、大丈夫?見たこともないのに、できるの?」
「牧野にできて俺にできないはずないよ、試しにやらせてよ」
彼女が広げて置いたハンカチの上でアイロンを滑らせると、みるみるシワが消えていく。
「そうそう、上手いじゃない花沢類」
「もっとやってみたい」
彼女は洗濯物の中からまたハンカチを選んで差し出す。
そのハンカチもきれいにシワが伸びると、次の催促。
「もっと」
「う~ん、じゃあ次はこれね」
「こんな四角いのじゃないのがいい」
彼女は手際よくアイロンをかける俺を感心した様子で見つめる。
「ふふふっ…、自分が言うだけあって、花沢類って手先が器用なんだね
 ありがとう花沢類、後はあたしがやるから
 繊細な指先にでもヤケドしたら大変」
「・・・もうしちゃった」
「・・・えっ?・・・ヤケドしたの?どこ?見せて」
熱いと思いながらも楽しくて夢中でアイロンを滑らせた。
左手の人差し指に小さな火ぶくれができたのは俺の不注意なのに、彼女は自分を責めるように何度も謝った。ヤケドした指を使わなければいけないような時は、さり気なく彼女の手が伸びてきて俺の手の代わりになってくれた。
何気ない優しさ、屈託ない笑顔、怒ったり恥らったりする表情、それらの瞬間を目の当たりにする度に、可愛さも愛情も増していくのを感じた。

「ここに居るの・・・迷惑?」
「迷惑じゃないけど・・・
 今まで花沢類が生活してきた環境とはかけ離れてるし
 それに、お父さんや角田さんたちが心配してるんじゃないの」
俺にとってここでの生活は非日常のことだったけど、隣に彼女がいるだけで、見るもの成すもの全てが楽しみにも喜びにも変わった。


「心から好きな人を忘れるには
 その人を想った時間の数倍かかるんだって
 今のこの生活をやめて
 元の生活に戻るのにどれぐらいの時間がかかると思う?」
「・・・えっ?」
――そう言われても・・・。どうしてそんなに悲しい顔をするの?
オーバーにリアクションをして見せた俺だけど、悲しいという感情の半分は本音。


ここに来てまだ4日しか経っていないのに、この暮らしが当たり前のような錯覚さえ覚える。
俺って順応しやすいのかなぁ。
この生活は俺の我が侭から始まったものだけど、この暮らしがこんなにもイイものだなんて正直思ってもいなかった。
温もりに包まれて眠りに就き、そして朝を迎え、他愛もない会話や仕草で喜んだり笑い合ったりする、何気ない日常の繰り返しの中で感じる幸せ。
環境は決して褒められたものじゃないけど、彼女との生活は穏やかさの中にも適度の刺激があって、今の俺にはとても大切なものになっていた。
半年後にはワイシャツとネクタイの生活、そう考えると余計にこの生活が愛おしく、安易に手放すことなどできない。
何かを知れば、人生は変わる。
俺は知ってしまったんだ。だから、もっと我が侭になってもいいよね?


未来の一歩は、我が侭から。
そう学習した俺は、今度は有無も言わせぬとびきりの笑顔を向けて、彼女がしたように俺もテーブルの上にカギを置く。
「マンションのカギ」
「マンション?・・・もしかして・・・家に帰らないでマンションに住むの?」
「俺はここでもいいって言ったんだけど、父さんがダメだって」
「そりゃお父さんは正しいでしょう
 こんな一間のアパートに大切な跡取り息子を・・・」
「だから牧野も引越し」
「はい?なんであたしまでがマンションに引越ししなきゃならないのよ?」
「父さんからの条件だから。それに牧野、引越し慣れてるでしょ」
「…はぁ?……条件?」
「そう
 セキュリティーの無い所で牧野が暮らしている事が気がかりだったって
 だから、花沢が所有する物件で暮らすんなら了解してもいいって」
彼女は難色を示す。


「牧野、俺と居るのイヤ?」
「嫌じゃないよ、だけどこれとそれとは別でしょ
 それに、いつから花沢類はそんなに素直になったの?
 お父さんのいう事聞くなんて・・・、なんか怪しい」
「そうかなぁ?結婚したらマンションに住む予定だったから
 別にいいんじゃない。それに、総二郎たちが来ても
 泊めてあげられる部屋なんてないから、大丈夫」
「はい?けけ、けっこんって・・・返事してないし・・って
 プロポ-ズもしてもらってないけど」
「俺ここに来て、嬉しいことがいっぱいあった
 普段見せない牧野の優しさとか仕草とか
 手を伸ばせば牧野に届く距離とか・・・
 牧野とこうして生活をしていて気付いたんだ
 自分の家で何の変哲もないシンプルな生活もいいけど
 好奇心をかきたてる、うんと複雑な生活も悪くないって」
「複雑な生活って・・・、どんな生活なのよ?・・・まあ~それはいいとして
 マンションに移る、なんてお父さんに返事してないよね」
「したよ、今週中にするって。だから家出はこれでおしまい」
「えっ?・・・えっ?・・・どうして・・・」


狭い部屋や狭いベッドは、狭いなりの良さがある。
彼女がどこに居るのか一目瞭然で分かる部屋は、寝返りを数回打てば彼女の温もりを掴むことができる。寝返りを打てない狭いベッドは、自然と身体の密着を許す。
だけど・・・。
「目覚めたら畳みの上っていうのもやだし、たまにはうつ伏せで寝たい」
「はあ?」
一瞬ギロッと睨んだ彼女は、呆れ顔でがっくりと肩を落とす。
反撃してこないとこを見ると、それって承諾してくれたってことなのかな。
待てよ、こうすれば彼女は〝イヤ〟って言えない弱い部分を知っているように、また彼女も俺の〝弱い部分〟を心得ている。時間を置いてこの話が無かったことになる可能性もある。
ここはやはり攻めの一手を打っておいた方が良さそうだね。
「牧野、俺はもう牧野の温もりから離れら・・・」
「待って!花沢類、お願いだから・・・、それ以上何も言わないで」
ズルイよ、そんな滲んだ瞳で見つめられたら、俺は何も言えなくなる。
もしかして、彼女にやられた?
「類・・・、あなたの気持ちに応えたい、から・・・」
今〝ルイ〟って呼んだ?
もしかして攻めるつもりが反撃されてる?
まさか、確信犯?
「オーバーなリアクションするの・・・、当分禁止」
俺の優勢で物事が進行しているようにみえて、実は彼女の手の平の中だったと気付く。
だって、目の前には満面の笑顔があって、俺を骨抜きにするんだもん。


~ おしまい ~


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2008年10月30日 (木)

Heart always in you 第3話

第3話

「司様、動きがありました」
秘書の高原から連絡が入ったのは翌日の夕方だった。
「どこだ」
「はい、2人はいま六本木の宝石店グラッツィアーニに入りました」
「なに?あの高級ブランドの?…分かった俺が行くまで目を離すなよ」
――あいつら今日はいったい何だってんだ


現場に着いた司はグラッツィアーニのショーウインドー越しに2人の姿を認めると、高原を帰して様子を観察し始める。
店の中では2人並んで頬を寄せ合うようにショーケースを覗き込んでいた。店員がケースからネックレスを取り出すと、類が手にとって見ている。
――あいつら何を話してるんだ、笑顔で和気あいあいとしてやがる
司のイライラはどんどん高まってくる。
「聞きてぇ。・・・・・・あッ、牧野そんなに類の傍に寄るんじゃねぇ
 そんな上目遣いで類を見るんじゃねぇ・・・ったく・・・」
ふと気づくとズボンのポケットの中で何かを強く握り締めていた。
――なんだ?


ポケットから手を抜いて握った手を開いてみると、あの時の小さなビンだった。
「これは・・・、あのジジィが置いてった石ころじゃねぇか
 そう言えばこの石ころ、口にふくめばどうとかって・・・
 本音が聞けるとか・・・なんとか・・・」
司はその小ビンのコルク栓を抜き、手の平に一粒転がしてみた。
――そう、思い出したぞ
   透明人間になれるって言ってたな、試してみろって
今度は手の上の石をつまんでみる。
――飲むって言ったか?・・・いや、口に含むって言ったような・・・
   そうだ、ふくむんだ。飲んだら二度と元の姿に戻れねえって
   言ってたからな・・・たしか


しばらく考え込んでいた司は、やがて意を決してその一粒を口に放り込んだ。すると、ショーウインドーのガラスに映っていた司の身体は徐々に薄れてゆき、数秒後には完全に姿はガラスに映らなくなった。老人が言ったように、司は完璧なる透明人間になったのだった。
「おおおぉぉ・・・、すっげー!マジかよ、何も映ってねぇ」
ガラスに映るはずの位置から外れてみたり、近寄って覗き込んだりしてみる。ガラスに触ってみれば確かな感触があり、間違いなく自分はここにいるのだと何度も確認をする。半信半疑だった司はその効果に驚き、そして感動していた。


「周りの奴らにも俺の姿が見えねぇんだよな。・・・だったら・・・」
道行く人の帽子を後ろから掴んでのけぞらせたり、信号待ちの人たちに膝カックンしてみたり、奇麗な女性の耳に息を吹きかけて反応を楽しんだり、人の後ろについて靴の踵を踏んでみたり、はたまたメールしながら歩いている女子高生の携帯を覗いてみたりと、幼稚な悪戯でその効果を思う存分楽しんだ。
「面白れぇ!」
そう叫んだ瞬間、ちょうど傍を通りかかったオバサンがビックリして立ち止まり、キョロキョロと辺りを見渡した。周りには誰もいない。さかんに首を捻って立ち去るオバサンが遠ざかっていくのを見て、司は止めていた息を大きく吐き出した。
――あぶねぇ、身体は見えなくても声は聞こえてるのか
   注意しねぇとヤベェな。でもこれを使えば俺様に怖いもの
   なんかねぇぞ。・・・これなら・・・イケル


司が類とつくしがいる宝石店の前に来ると、自動ドアが静かに開いた。
「いらっしゃい・・・ませ?」
声をかけた先に人の姿は見えず、店の者は首をかしげる。司はそんなことに構わずツカツカと店内を進み、類とつくしの真後ろに立った。
「こちらのネックレスはいかがでしょう
 よろしければ着けて差し上げては?」
類は渡された真珠のネックレスの止め具を外すと、つくしの正面から首に回して後ろで止めようとした。その格好がまるでつくしを抱きしめるような形になったので、司は怒りで透明な顔は真っ赤に染まる。


「これ、いいんじゃない?」
「うん、いいと思う。・・・でも他のも見てからにしようよ
 洋服とかバッグとか・・・。初めてのプレゼントだからもっと慎重
 に選んだ方がいいと思うよ」
「そうだね。じゃあ牧野、その時もまた付き合ってくれる?」
「うん、いいわよ」
――ま、き、のぉ~
   何でそんなほのぼのとしたムードに浸ってんだよ!
   類も類だッ!牧野にそんなに馴れ馴れしくすんじゃねぇ!
「なにか言った?」
「いや、・・・牧野も聞こえたの?なんか変な音がしたよね?」
司の歯ぎしりの音が何もない空間から発せられ、2人は不思議そうに辺りを見回した。
――ヤベッ!
司は思わず身を隠そうとした。
――あぶねぇあぶねぇ、俺がここに居るのが知れたらマズイって
   あっそうか、俺なにやってんだ、姿は見えてねぇんだったよな

店を出た2人が待たせておいた花沢家の車に乗り込むのを見て、司も待たせておいた車に慌てて乗り込む。
「あの車を尾けてくれ、見失うなよ。・・・おいッ!聞いてんのかッ!」
運転手は身体を小さく折り曲げ、青い顔で怖いものを見るような目で後ろを振り返った。
いきなり後席のドアが開いて人が乗った気配はしたものの、ルームミラーに映る人影はなく、聞き覚えのある声だけがするのだからそうなるのも無理はない。
――ん、何だ?・・・あッ!しまった
急いで石を吐き出すと、石は足元でサラサラと砂のように崩れて跡形もなく消えた。
「早く出してくれ、見失うぞッ!」
今にもドアを開けて逃げ出しそうな運転手が再び恐る恐るルームミラーを覗くと、そこには司の姿があった。目をゴシゴシと擦り、2度3度と司の姿を確認した運転手はようやく安心して車を走らせた。


「じゃあね、あとで電話するから」
「うん、バイバイ」
類はつくしに別れを告げ、車は走り去った。
「ったく、牧野も俺様というものがありながら、何だあの態度は
 それに類のあの態度も許せねぇ。・・・彼氏は俺様なんだぞ」
つくしのアパートから少し離れたところに車を止めさせた司は車から降り、後部座席のドアに凭れかかりながら内ポケットから携帯電話を取り出した。


部屋に戻ったつくしが着替えを終えて一息ついた頃、テーブルの上で携帯電話が着メロを奏でた。
「よう牧野、俺だ」
――相変らず口の利き方を知らないヤツ
「あら、どちら様かしら?電話をしてきて名前を名乗らない方は
 わたくしの知り合いにはおりませんことよ」
――ムッ!癪にさわる言い方しやがって
「道明寺だッ!」
「分かってるわよもう、怒鳴らなくたって聞こえてますッ!
 何よ、何の用?」
「お、おうよ、お前今日は何してたんだよ」
「・・・今日?えっと今日は、・・・花沢類の買い物に付き合ってたけど
 それがどうかした?」
――ああ?・・・買い物に付き合っただけって雰囲気じゃなかったぜ
「ふ、ふ~ん、それで類の買い物は済んだのか?」
「まだよ、なかなかイイのがなくって
 だから今度は別の店に行ってみることにしたの」
「今度って・・・、また宝石探しか?」
「・・・ん?あれ、またって・・・なんで知ってるの、花沢類に聞いた?」
「いや、そ、そんなことよりまた類か・・・。俺とはいつ会えるんだ?」
「ごめん道明寺、時間がないから先に買うものを決めないと・・・」
「それはつまり、・・・俺より類の買い物の方が大事だって事なんだな?」
「な、なによその言い方。・・・はは~ん、さては妬いてるの?」
「・・・妬いてる?ジョーダンじゃねぇ!
 なんで俺が妬かなきゃなんねぇんだッ!」
「何よッ!そんな怒鳴らなくたっていいじゃない
 本当のこと言われて悔しいんでしょ」
「もういい、勝手にしろッ!」
痛いところを突かれた司は携帯の電源を切った。
「アイツは・・・、牧野の心はもう俺から離れてしまったのか?
 何で普通に会話できねぇんだよ。・・・・・・クッソー!」
司の口をついて出た嘆きの声は夜空に虚しく響いた。
「いっつも怒鳴ってばっかりだ。何よッ!勝手に切るなっつーのッ!」
つくしは携帯電話に向けて口を尖らせた。


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2008年10月29日 (水)

幸せの香り 前編

前編

「花沢類・・・、こんな時間にどうしたの?」
「うん、ちょっと・・・」
こんなに遅い時間に男が一人暮らしの女性のアパートを訪れる行為は、非常識だよね。だけど、あてもなく歩いていたら彼女のアパートに辿り着いていて、気付いた時にはドアを叩いていた。
「とりあえず上がって」
大歓迎はしていないようだけど、迷惑そうな顔もしていないことにホッとして、俺は小さなテーブルの前にさし出された座布団に腰を下ろす。


「傘も差さないで・・・、びしょ濡れよ。カゼひいちゃうじゃない」
外に出たときは霧雨でさほど気にはならなかったけど、髪や服の濡れ具合からして結構な時間を歩いていたのだと気付かされた。
手渡されたマグカップを両手で包み込むと、冷えきった手に温かみが伝わってくる。
ホットココアを一口飲み一息つくと、彼女は手にしたバスタオルで俺の濡れた髪を鋏むように水滴を拭ってくれた。胃にしみ込む温かさと何気ない彼女の優しさとがリンクする。


「何かあったの?」
温かさを取り戻しつつある身体と、頭から伝わる程よい刺激で睡魔に襲われそうになったが、彼女の問いかけにやっとの思いで重い瞼を開く。
「家出してきた」
「・・・はい?・・・・・・今家出って聞こえたけど」
「そう言ったつもりだけど」
彼女は手を止めて俺の前に座り込んだ。俺の瞳から何かを探ろうとするような強い瞳を向けて、じっと見つめている。


「別にたいしたことないよ、一度経験してみたかっただけだから」
「そんなことで家出?・・・本当に?
 あたしのことでお父さんに何か言われたんじやないの?」
「うん、言われたよ。結婚するまでは子供をつくるなって
 それよりさ、枕一つしかないの?」
「ここ、こども?・・・・・・まくら?」
「ぷっ、そんなに驚くこと?
 付き合ってるんだから、そうなる可能性だってあるでしょ
 ・・・で、枕ないの?」
「ま、まくら?うんこれだけだけど・・・って、まさかここに・・・」
「そう、鈍感な牧野にしては察しがいいね」


彼女と交際して半年が過ぎようとしているけど、ベッドに腰を下ろしたことはあっても横になったことは、これまで一度もない。だから余計にも彼女の妄想が膨らんでいるんだと思う。真っ赤になっていくその顔からも安易に想像ができる。
「ぷっ、くくくっ…。急がないって言ったけど
 牧野の想像の産物を現実にしてみる?」
「はっ、はなざわ・・・るい・・・、なっ、なんてことを・・・」
更に真っ赤になっていく彼女は、それを隠すかのように背を向ける。
当たっているだけに返す言葉を失ったようだ。
「くくくっ…、あっ、角田さん、俺の枕、牧野のアパートに持ってきて」
使用人に短く伝えて電話を切った後、俺は濡れたトレーナーを脱いで初めて体験する彼女のベッドに寝そべった。
すこし前までは、お気に入りの自分のベッドから見上げた天井は高かった。今は手を伸ばせば届きそうな低い天井に圧迫感はあるが、微かに鼻をつく彼女の匂いが安堵感を与える。


「マジでここに泊まるつもりなの?」
「うん」
彼女の大きく深い溜息が8畳一間という空間に広がる。
「だって・・・、ここ狭いし、それにベッドだってシングルだし・・・」
「俺は別に気にしてないし、気にもならないけど」
「花沢類はそうかもしれないけど・・・、あたしは・・・」
困った顔をする彼女。そうさせているのは俺自身なんだけど。
冗談半分で〝家出〟なんて言ったけど、今はその冗談が本気に変わりつつある。
そもそも、ここまで俺を本気にさせる元とは一体何だろう。
単なる我が侭?
それとも、恋人との距離間を縮めるチャンス?
う~ん、どちらも当たっている。
けど、それは彼女に接してから出た考えで、根源は別なところにある。


(回 想)


「類、入るぞ」
自分の名を呼ぶ声が夢現の狭間で微かに聞こえる。
パタッと閉じる扉の音と、ベッドの足元の方が沈み込む感触が身体に伝わり、心地よい眠りを妨げる招かざる客が来たのだと知らせる。
「また寝てんのかよ」
呆れたように溜息をついたのは、総二郎だった。
「牧野というれっきとした彼女がいながら
 よくそうやって寝てばかりいられるよな。・・・もしかしてあれか?
 釣った途端に、それまで費やしてきた情熱が一気にうせてしまったとか?
 まあ~分かる気もするけどよ、余裕つけてると牧野の足先はフラフラと・・・」
「うるさいなぁ、用事がないんだったら帰って」


部屋から総二郎を追い出した俺は、何事もなかったかのように再び眠りに就こうとした。体勢も決まり、程よい睡魔が一切の雑音を消していく。
しかし、数十分後にまた眠りを妨げる招かざる客が来た。
「類、起きろ。・・・遊びに来てやったぞ」
総二郎がしたようにあきらもベッドの隅に座り、そして俺の睡眠を邪魔する。
降り続く雨は今日で4日目。
雨の日は嫌いじゃない。俺が大好きな〝寝る〟ことに最適な天候だから。
それなのにこいつ等ときたらデートの約束時間までの時間つぶしに来ては好き勝手なことを言って、俺の安息の時間さえ奪う。
「いい若いもんが一人で一日中ベッドにいて
 おまえ等っていつデートしてんだよ?
 男と女の関係じゃねぇからそんなに暢気に寝てられるんだよ
 まったく・・・、この先の行く末を考えると、お兄さんは心配で・・・」
「ふ~ん、心配してくれるんだ」
「当たり前だろ」
「だったら、ここに来るのやめてくれない」
「〝取り扱い注意〟って顔しても、それには応じられねぇな
 お前が牧野とデートで忙しくって、いつ来ても居ない
 って風になってもらわねぇと、俺たちは安心できねぇんだよ」
「総二郎もだけど、俺たちのこと構うのは止めてくれない
 あきら達がここに来たいんだったら好きにすれば
 部屋は好きに使っていいよ。・・・俺は出て行くから」


あいつ等に悪気があったわけじゃないのは分かる。
けど、もう限界だった。
あと半年もすれば、卒業と同時にワイシャツを着てネクタイを締める生活が始まる。それを実感させるかのように、父親の秘書から送られてくる花沢物産や傘下の関連会社に関する膨大な資料に期限付きで目を通さなければならなくて、ここ数日間はろくに睡眠をとっていない。
やっと一段落して〝寝る〟にありつけたのに、それなのにあいつ等は連日時間をずらして訪ねてくる。
俺の怒りはついに限界を超えて家を飛び出した。飛び出したのはいいけど、一番安らげる場所を失った俺は行く当てがないことに気付いた。だから、無意識の内に安らげる場所を求めて彼女の所に足が進んだと思う。

「迷惑だったら今直ぐにでも出て行く」
「迷惑じゃないけど・・・
 美作さんとか西門さんの家の方が寛げるんじゃないの
 なんでまたこんな狭いとこに?」
「あいつ等の顔は当分見たくない
 ・・・泊まったことのないホテルはイヤだし、かと言って
 ニューヨークのマンションにすると、牧野に会えなくなる
 俺と当分会えなくなっても平気?」
「・・・えっ?平気じゃ・・・ないけど・・・」
彼女は、悲しい、寂しい、嬉しい、といった俺の表情に弱いこともイヤって言えないことも知っている。だから業とオーバーに表現して見せる。


悲しい顔の次は、彼女の大好きな笑顔を向けよう。
「大丈夫だよ、プチ家出だから」
「・・・はい?・・・・・・プチ家出?・・・・・・何が大丈夫なのよ」
心配したり、悩んだり、妄想したりと、彼女の脳はフル稼働していたようだけど、どうやら俺の一言が彼女を呆れさせ、思考することを止めさせたようだ。
「まったく・・・、人の弱いとこ突いてくるんだから
 ・・・後で文句言わないでよッ」
だってしょうがないじゃん、アンタの優しさに触れたら、放れられなくなったんだもん。
それに、我慢することは上手じゃない。
「もう寝る、そこどいてよッ!」
怒り気味の彼女はベッドを独り占めしていた俺をおろすと、恥かしさを隠すかのように背を向けて横になった。いや、不貞寝をした、そう表現した方が正しいかも。

俺は届けられた愛用の枕を胸に抱えて、ベッドに凭れ掛かりながら静まり返った部屋を見渡す。
なんか面白くなってきた。
これからの彼女との未知なる生活を思い浮かべながら、俺はベッドに潜り込んだ。


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Heart always in you 第2話

第2話

つくしのアパ-トから飛び出した司は、あてもなく街をさ迷う。
夏の終わりを告げる乾いた秋風が司の頬を掠めていく。
「ったく…、俺様がどんな思いで今日を迎えたと思ってんだよ」
カーテンの隙間からもれる灯りに安堵し、アパートの階段を一気に駆け上りたい衝動を抑えて辿り着いた扉の前に立ち、期待を抱いてノックしたあの時を思い出す。
2人の時間が始まる扉が開き、つくしの顔を見た瞬間、これまでの苦労が一瞬にして吹き飛び、心が愛で満たされていくのを感じた司だったが、今は・・・。
あんなに毎日逢いたいと願い、そして再会を果たした今、本当なら喜びに浸っているはずだったのに、逢えなかった時よりも数倍寂しく虚しさを感じる。


「牧野も牧野なら類も類だ!
 俺が居ねえことをいいことに、・・・類のヤツ・・・」
イライラはエスカレートするばかりで、収まりのつかない感情は類にも向けられていくのだった。
「冗談じゃねえ!類なんかに横取りされてたまるかよ
 何のために今まで我慢してきたと思ってるんだ
 俺様の4年間を返しやがれ」


「何か悩み事かね?」
知らず知らずのうちに独り言を呟いていた司に声をかけてきたのは、ビルとビルの間の薄暗く狭い隙間に机を置き、その向こう側で椅子に座った老人のようだった。
「ああ?誰だ?」
神経がピリピリしていた司は素早くその声に反応し、ゆっくりと近づいた。
「ヌシの悩みを話してみい、悪いようにはせん」
薄暗いその隙間から見つめる鋭く光る目と力のある声に、司は一瞬たじろいだ。
「お、大きなお世話だ、お前に何が分かるってんだッ!冗談じゃねぇ」
そう言って立ち去ろうとする司だが、足が金縛りになったように動けなくなっていた。


「まずはそこに座りなさい
 わしに話せば楽になり、そして未来が開けるはずじゃ」
――何言ってんだこのジジィ
そう思ったのとは裏腹に、何故か身体は吸い寄せられるように椅子へと向かう。手前の椅子に腰かけ、薄暗さに目が慣れてくると老人の姿形がはっきりしてくる。
顔中を白いひげが覆い、あごひげは20センチほどもある。髪も眉毛も真っ白で目だけが黒く光り、黒い着物に黒い布で額の辺りを巻いたその老人を、司は怪訝そうに凝視した。


「ヌシの悩みをゆうてみい」
「やだね、言いたかねぇし言う必要もねぇ」
「ふむ、まあよい。・・・ヌシの事はすべてお見通しじゃて」
――はあ?何がお見通しじゃだ・・・不気味なジジィだぜ
「俺の何が分かるってんだ?言ってみろよ」
「そんなに慌てるではない〝急いては事を仕損じる〟じゃ」
「・・・?〝性とは古都のしその汁?〟・・・なんだそりゃ」
「つまりじゃな、焦っていては上手く行くものもいかなくなる
 という事じゃ。ヌシには思い当たるフシがあるじゃろう」
「べ、べつにそんなものねぇよ」
「まぁ、いつの世も女の事は分からぬことばかりじゃて、違うか?」
司は沈黙した。
――確かに…、牧野が何を考えているのか俺にはさっぱり分からねぇ


「女が何を考えているのかを知りたければ、これを使ってみるがよい」
手の平の中にすっぼりと隠れてしまうほど小さなガラスのビンを懐から取り出すと、爺様は机の上に差し出した。
その小さなビンが一瞬妖しげな光を放ったような気がした司は、ゆっくりと顔を近づけてまじまじと見つめる。何事も起きないのを確認すると、今度は恐る恐る手を伸ばしてつまみ上げ、そして中身を色々な角度から更にじっくりと眺めた。
――今、何か光ったような・・・、でもただの石ころにしか見えねぇ
見た目にはその辺で拾ってきたような小粒の石が入っているだけ。


「そのビンの中には不思議な石が入っておる
 その石は、遥か遠くの空から落ちてくる〝天女の涙〟が何万年も
 かけて成長して〝透かし岩〟となり、それを砕いて小さくしたも
 のじゃ。それをお前にやろう」
「・・・天女の涙?・・・透かし岩?・・・何だそれ、聞いたこともねぇ」
「女が何を考え、何を求めているか、本音と言うものは独りで居る
 時に表れることが多いのじゃ、その石を使って女の傍に居れば
 自分の知りたかったことが見えてくるじゃろう」
「この石を使って?・・・寝ぼけたこと言ってんじょねぇぞッ!ジジィ!」
ここまできてさすがの司も話が変だと感じ、キレかかっていた。


「口にふくむのじゃ、さすればヌシの身体は色を失い
 誰一人としてその存在に気付くものはいなくなるのじゃ」
「・・・透明人間・・・になるってことか?」
「正確には、周りの風景と同化するということじゃが
 まぁ似たようなものじゃ」
「おいジジィッ!いい加減にしろッ!
 誰に頼まれた、あきらか?総二郎か?
 ドッキリとかサプライズとか言って俺をハメようとしてんだろッ!
 そうはいくかよッ、俺様を騙そうなんぞ百万年はえ-んだよッ!」
完全にキレた司は立ち上がってジジィを睨みつけた。


しかし爺様は落ち着き払って告げた。
「しからば試してみるがよかろう。但し、その効果が続くのは口に
 ふくんでいる時だけじゃ、口から出た途端に効果は消え、石も粉と
 なり消えてしまう。そして、もしも飲み込んでしまったら・・・」
「・・・飲み込んだら?」
非現実的であり得ない爺様の言葉をマジに受け止めてはいないはずの司だったが、何故かその先が気になって、ひげに覆われた爺様の口元を見つめ、固唾を呑んで返事を待っていた。


「大変なことになる、らしい」
「・・・らしいって・・・、知らねぇのかよッ!」
「冗談じゃ。くくくっ・・・」
「なっ!ジジイ!人をおちょくってんじゃねえぞ!」
「フッ、二度と元の姿には戻れなくなるだけじゃ」
「なっに、・・・二度と・・・戻れない」
「まぁとにかく試してみるのじゃ、全てを知りたければな」


「お~い、つかさ~」
不意に後ろから呼ばれたような気がして司は振り向いた。
しかし、視線の先には人影はない。
――気のせいか?・・・変なジジィのせいで幻聴まで聞こえたってか
「おいジジィ!テメェ・・・・・・?」
向き直った司の前にはあの爺様はいなかった。そればかりか、椅子も机もない。さっきまで自分が座っていた椅子のあった所には薄汚れた木の箱があり、机のあった所には逆さまになったゴミバケツがあるだけだ。
司は狐につままれたように呆然とする。


「何だ?一体どうなってんだ?・・・・・・夢?・・・じゃあねぇよな」
ついさっきまでの出来事が夢ではないことは、ハッキリしていた。何故なら、目の前のゴミバケツの上には、小豆大の石が7粒入っているあの小さなビンが置かれているのだから。
司はそのビンを手に取るとその場を後にし、再び歩き始めた。
――この石ころで姿を消せるって?
   飲み込んだら、二度と元の姿には戻れないだと・・・
   こんなモノが本当に、・・・んな訳ねぇよな
薄笑いしながらズボンのポケットにその小さなビンをねじ込んだ。


「ごめん花沢類、遅くなっちゃった」
淡い秋色に葉を染め始めた木々に囲まれ、心癒される公園が見渡せるそのカフェの窓に近い席が類のお気に入りの場所だった。
「俺も今来たばかりだから大丈夫」
――いつも笑顔で応えてくれる花沢類
   でも目の前のコーヒーカップは空っぽだよ
   いつも優しい花沢類、アイツとは大違いだ
   少しは見習えっつーの
「立ってないで座れば」
「あっ、うん」
――やだ・・・、あたし花沢類の笑顔に見惚れてた?


「はいコレ、頼まれてた本」
「ありがとう花沢類。助かったぁ~これでなんとかレポートを書き
 上げられるわ。図書館に行ってもいつも貸し出し中だし・・・
 かといって買えるような代物でもないし・・・、ほんと困ってたの」
「その本、俺のだから返すのはいつでもいいから」
つくしは分厚い本をパラパラと捲っていた手を止め、目をいっぱいに見開いて類を見る。
「俺の・・・って、わざわざ買ったの?」
「うん、お取り寄せ」
つくしはあいた口がふさがらない。
「プッ!どうしたの?固まってるよ」
「ど、どうしたもこうしたもないでしょう
 あたしてっきり大学の図書室で借りたのかと思ったから・・・」
「俺も読んでみたかったからね、それに本を借りるなんてめんどく
 さいし、大学の図書室なんて見たことも入ったこともないよ」
――こんな本を読みたいって?しかも買うか普通
   あたしのためにそこまで?どうしてこの人はこんなに優しいの
「プッ、また固まったよ、電池が切れたの?クククッ…」
「・・・電池って・・・、オイオイ、あたしはロボットじゃないっつーの」
「プッ!クククッ、ハハハハ…」
「アハハハハ…」


「ところで牧野、明日時間取れる?」
「・・・う、うん」
窓の外では公園の針葉樹の緑に混じり、銀杏やポプラや紅葉の木の葉が時おり吹く風にカサカサと乾いた音を立て、本格的な秋の近づきを予感させた。
楽しそうに会話をする2人。
誰の目から見ても恋人同士のように見える。


そんな2人の様子を車の中からじっと見つめる目があった。
『じゃあ明日・・・』
――類からの電話で牧野がそう言っていたな、・・・嬉しそうな顔で
喧嘩した昨日のことが気になっていた司は、秘書の高原に命じてつくしの動きを報告させていた。
――ずいぶん楽しそうにしてんじゃねぇかよ
ギリギリと奥歯をかみ締め鋭い視線を向ける司。
「しばらくの間監視を続けてくれ
 2人が会っている時は必ず報告しろよ」
やがて車はゆっくりと走り出し、その場を去っていった。


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2008年10月28日 (火)

Heart always in you 第1話

第1話

つくしは真っ青な空に白く浮かび上がる司からのメッセージを見上げていた。
その時、司は独り機内にいた。
言葉は通じない、心を許せる友はいないアメリカへ向け、司の孤独な時間が動き出した。
会いたいと思った時にはいつでも会えたこれまでとは違い、これから暫くは会うことは勿論、声でさえ聞くことができなくなるかもしれない。
今まで生きてきた人生の中で一番つらい試練が4年間も続く。そう思うと、途方もなく寂しさや喪失感といったものに襲われる。でも、それを選択したのは誰でもない、司自身だ。


<守られるだけじゃイヤなの、対等でいたいの>
――まったく可愛げのねえ女だぜ!
   でもアイツが言った言葉は理解できる
   今の俺の現状も同じようなもの
親の庇護の下で道明寺という名前に守られていなければ、司には何の力もない。
さまざまなしがらみを取っ払い、道明寺司というひとりの人間として認めさせること。自分自身が成長することによってつくしとの未来が開き、希望が叶う。全ては自分たちの未来のため、確かな未来をこの手に掴み取るために2人の時間は動き出したんだ。
そう心に言い聞かせると、どんどん小さくなっていく東京のビル群と共に司の中にある不安も薄れてゆき、新たな希望がみなぎってくる。


「牧野、俺様のメッセ-ジ見たか
 アイツ今頃、感動して・・・、泣いてんだろうな」
目をウルウルと滲ませ、今にも大粒の涙がおっこちそうな愛しい人の顔を思い浮かべていた頃、地上でその愛しい人はこんなことを口走っていた。


Love Tsukoshi

「つ、こ、し?・・・・・・つこしって何よ、スペルが違うんだよ!
 アホか!・・・ったく、恥かしいったらありゃしない」
感動して涙が出るどころか、嘆きの溜息が出ていた。


~心はいつもあなたの中に~

あれから4年半という月日が流れ、司はやっと住み慣れた日本に帰って来た。そして、夢にまで見たつくしの傍に・・・。
「牧野・・・」
「道・・・明・・・寺・・・」
大きく見開いた目と優しく見つめる目が交差する。
何の連絡もなく突然現れた司の姿につくしは嬉しさより驚きが大きく、玄関先で身体が硬直したまま呆然と立ち尽くす。
「牧野、俺いつまで立ってりゃいいんだよ」
司の声で我に返ったつくしは、目の前の出来事が夢ではなく現実のものだと知る。予想通りの表情をするつくしに、司は嬉しくて仕方がないとばかりに口元が緩む。
「・・・あぁ、ごめん。あまりに突然だったから・・・」
司に入るように促すと、つくしはぎこちなく不自然な動作でお茶の準備を始めた。


「さっき俺に見惚れてただろ?
 まっ、しゃあねぇよな、イイ男になって帰ってきたんだからな」
司はつくしの背後から両腕を回し、4年半前に記憶したつくしの温もりを確かめるようにきつく抱きしめる。
自分の身体にすっぽりと嵌るつくしの身体、そして温もりは自分の記憶とシンクロし、懐かしさや愛おしさが込み上げてくる。
その思いはつくしも同じで、背中に感じる身体や鼻をくすぐる懐かしいコロンの香りが愛おしくてたまらない。回された司の両腕に無意識に自分の腕を重ねる。


「牧野、こっち向けよ、俺に顔を見せてくれ」
耳元で囁く司の声に、この温もりは夢ではないのだと再確認する。
回していた両腕が解かれたのを合図に、つくしはゆっくと司の方に振り向いた。
「道明寺・・・、本当に道明寺なんだね」
「・・・ああ。これからはお前の傍にずっといる」
瞳を潤ませて見上げるつくしの頬に司は指を滑らせ、いま目の前にある幸せを噛みしめる。
「バカ!どうして連絡してくれなかったのよ?
 いつも一人で決めて、・・・勝手なん・・・」
嬉しいけれど、会えると分かっていてそれを楽しんでいる司と違い、会いたくても会えない寂しさにどっぷりと浸かっていたつくしにとっては、素直に喜んで司を調子づかせるのも癪にさわる。だが、悪態の一つでもつこうとするつくしの口は、いとも簡単に司の唇で塞がれてしまった。
何度も重ねる唇に、最初は躊躇いがちだったつくしの唇もいつしか司を求めるように、司に応えるように唇を重ねる。
愛しい人の温もりで安心感を得、唇に触れることで愛の確信を得、会えなかった歳月を埋めるかのように求め合う2人には、KISSから先の行為へと進むのに時間はかからなかった。


しかし、電話の無機質な電子音が2人の甘い世界に横槍をいれる。
「あっ、あたし出る」
「そんなのほっとけよ」
「ダメよ出なきゃ、大事なことかも知れないんだから」
――俺よりも電話の方が大事なのかよ
司は続きを望んだがあっさりとつくしに却下され、ベッドに不貞寝をする。


「もしもし」
『牧野が探してたやつ、やっと見つかったんだ』
「えっ?本当?ありがとう、花沢類
 これでやっとレポ-トを仕上げることができる
 花沢類にお礼しなきゃね」
『くくくっ・・・、あんたのその声を聞けただけで十分だよ
 じゃあ、明日いつもの場所でね』
「うん、分かった。明日いつ・・・」
弾む声、笑顔、そんなつくしにさせているのが類だと知った司は、ピキピキと青筋を数本浮かべながら勢いよくベッドから身体を起こすと、強引に携帯電話を奪うなり電池を抜き取った。


「ちょっと!まだ話終わってないのになんてことすんのよッ!」
「お前、類からの電話だって知ってたんだろ?」
「なっ、なに?何怒ってんの?」
「お前ら、あれからずっと連絡取り合ったり会ってたりしてたのか?」
「お前らって・・・、なんかその言い方ってスッゴイ感じ悪いんだけど」
「答えになってねぇ。・・・で、どうなんだよ?」


つくしは英徳大学には進まず都内の国立大学に進学した。つくし自身の努力の賜物だが、その陰には総二郎やあきら、類といった協力者のおかげで困難とされた大学も無事に入ることができた。
その大学生活もあと半年で卒業を迎える時期となり、期日が迫った論文を仕上げるのに必死になっていただけに類からの朗報につい嬉しさを隠し切れなかった。


「はい?アンタ、もしかして、花沢類とあたしのこと疑ってんの?」
「誰もそんなこと言ってねえよ。・・・ただ・・・、なんでもねぇ」
――お前の笑顔が見たかっただけなのに・・・。ちくしょう!
小さなテーブルを挟んで何かを言おうとして口を噤み、どっかりと畳に座り込んだ司につくしは鋭い視線を向ける。
「何よ、言いたいことがあるんなら言いなさいよ
 あたしと花沢類の間には何一つ疚しいことなんてないんだから」
「けどなんかずいぶん楽しそうじゃねぇか」
「ええ、楽しいですとも
 どこかの誰かさんと違って花沢類は優しいからね!」
「そうかよッ!4年ぶりに会った俺より類の方がいいって言うんだな
 なんだよ、類!類!類!ってよ
 俺は類の話を聞きに来たんじゃねえ」
「誰もそんなこと言ってないわよ
 花沢類のことになると直ぐにむきになるんだから」
「お前にとっちゃそんなことかもしんねえけど
 今の俺にしてみりゃコクなんだよ」
「何が酷なのよ?意味分かんない。・・・大体にして、帰って来るんなら
 帰って来るで連絡のひとつもあっていいんじゃないの」
「俺に会いたくなかったってことかよ?」
「誰もそんなこと言ってない」
「じゃあ何だよ?類の電話には嬉しそうな顔しやがって
 俺の前では膨れっ面、このギャップは何なんだよ?」
素直になれない2人の会話はすれ違いの繰り返し。
会いたい時に会えないつらさを乗り越えて感動の再会を果たしたにも関わらず、結局最後は感情をぶつけ合うばかりの最悪の再会となった。


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PURE ANGEL[第3章]第3話


第3話


青々とした葉を茂らせていた樹木も、黄色や朱色の秋色に染まり始めた頃、突然あきらから理由も聞かされずノーブル(クラブ)に集合をかけられた一同は、何事かと特別室で待っていた。その一同の中に司の姿もあった。
四面楚歌となっていた司は記憶を取り戻した事と、流産して深く傷ついたつくしの心の支えになった事で、類とつくしの結婚式を境に以前のように幼馴染が復活した。


少しするとあきらと滋は緊張した面持ちで、それでいてどこか照れくさそうに入って来た。
「集合かけたヤツが遅れてくるとはな」
「で、報告ってなんだよ?」
「今日みんなに集まってもらったのは」
あきらは滋の顔をちらりと見ると言葉を続けた。
「滋と結婚をすることになったから、みんなに報告しておきたくて…」
突然の報告に呆気に取られたみんなはあきらと滋の顔をキョトンとした表情で見ていたが、照れまくる2人の様子からようやく理解したみんなの顔が喜び一色となり、おめでとうコールが室内に響く。心からの祝福を受けたあきらと滋の緊張もいつの間にか消えていた。


「滋さん、おめでとう。本当に良かったね、すごくイイ顔してるよ」
「ありがとう、つくしのおかげだよ
 〝愛する人と一緒に同じ季節を感じたい〟ってあたし思いきって
 あきらに言ってみたの、そうしたらあきらが・・・」
「滋さんから求婚したんですか?」
男性陣はあきらに、女性陣は滋に詰め寄りお祝いの言葉や冷やかしの言葉が飛ぶ。
「どちらでも良いじゃないですか。滋さん、おめでとうございます」
「優紀ちゃんありがとう。次は優紀ちゃんの番だよ
 ニッシー待ってたらいつになるか分かんないんだから
 優紀ちゃんも自分からアタックするぐらいでなきゃあ
 重い腰が上がんないよ」
「そうですよね、女を見ると腰が軽い所がありましたからね」
「桜子!僻んだり妬んだりするんじゃないの!」
「滋さん、いつ私がそんなことを・・・」
滋と桜子のバトルの脇で、つくしと優紀は穏やかに近況報告していた。


「マダム・キラーのあきらがなぁ、信じられねぇけど良かったな
 おめでとう」
心から祝福する司。
「類の次はあきらかよ。・・・・・・しっかしよ、この間会った時そんな
 そぶりなかったけどな。あきらのことだからプロポーズはロマン
 チックなこと言ったんだろうな?」
まさかこんなに早くあきらが結婚するとは思ってもいなかった総二郎は、サプライズ的な報告に少しムッした。
「なんで俺に黙ってたんだ?
 一番に教えて貰いたかったな…、水くさいヤツ」
そう言いながらも親友の笑顔を見れば自然と頬は緩んでいく。


「相手は滋だぜ、ロマンチックも何もあるか」司
「クククッ…、滋からだったりして、プロポーズ」
何気にボソッと呟いた類にあきらの眉がピクピクと引きつる。
「えっ!マジ!?」
あきらの一瞬の表情を見逃さない総二郎は勝ち誇ったように声を弾ませる。
「あきら君、もう君の人生も終わりましたねえ~
 スタートからこれじゃあ」
「まっ!仕方ねえだろ。あのお袋さんに双子の妹、そして滋だ
 どれとっても個性の塊だぜ。なんと言っても女帝家族だもんな」
「ったく勝手なことばっかり言いやがって・・・
 俺が一番気にしていることを」


「あきら、よかったね。・・・子供ができたら報告してね」
「・・・るい」
「俺たちに遠慮されるとかえってつくしが悲しむと思うから
 めでたいことは素直に〝おめでとう〟って言いたいから、ね」
「あぁ分かった、滋に言っとくよ」
「類、本当にできねえのか?」
「うーん・・・分かんない。・・・でも俺は幸せだから、つくし以外望む
 ことなんてないよ。だから総二郎も司も遠慮しないでね」
「バーカ、誰が遠慮なんかするかよ」
暫くして男女が混ざり深夜まで笑い声が続いた。


外見は立派な大人の姿をしても
恋をすると子供に戻る
無邪気に笑い
素直に喜び
時には頭を抱え
悩み苦しむ
仲間やひとりでは出来ない事も
想い人とならなんでも出来る自分に気付く
大切に思う何かがある時
人は全力でぶつかり成長していくもの
人は全能じゃない
だから人を求め助け合う


花沢家の三が日は和服で過ごすらしい、去年もそうだった。
慣れない着物で一日中過ごしていたせいか、つくしはベッドに座ると肩をトントンと叩きながら大きな溜息をつく。
「今日はお疲れ様、パリから来た客人を神社に連れて行ったって?」
「そうなの、観光したいっていうから浅草に連れて行ったの
 煙を手で頭や体なんかにかけて悪いじゃきを追い払うやつ
 これがさぁ~結構喜ばれて…。あっ!そうそう近くの天ぷら屋さん
 に行って、天ぷらとおそばのセットを食べたの。日本に来たらやっ
 ぱ天ぷらかお寿司よね。アハハハッ…、箸使えないから食べ終わる
 まで1時間くらいかかったんだよ」
先程までだるそうに疲れた様子を見せていたつくしだったが、話し始めると瞳はキラキラと輝いて生き生きとしている。そんなつくしを類は頬を緩ませ楽しげに見つめる。


「その後、船に乗って、帰りにおみやげとして定番の雷おこしを
 あげたの」
「喜んでもらえた?」
「ホテルのロビーまで送ったんだけど、笑顔で〝とっても楽しかった〟
 って、また日本に来たらお願いって言われちゃった」
「良かったね。…きゅうくつだろ?つくしも早く着替えなよ」
「ねえ~どうして着物なんだろうね?この帯取るの結構力いるんだよ」
なかなか外れない帯と格闘すること数分が経つ。既に着替えを終えた類はそんなつくしを楽しそうに眺める。
「指痛くなってきた」
「悪いお代官様がこうして帯を取る楽しみのために
 着せたんじゃないの」
類は帯を掴むと一気に引き寄せる。つくしは反動でクルクルと回転し足が縺れて転びそうになった。
「もう少しで壁に激突するとこだった」
突然の出来事につくしは何が起きたのか分からない。気付くと類の腕の中にいて優しく包み込まれていた。
「大変だったら俺が脱がしてやる、一度やってみたかったし」
無邪気な子供のように輝いた瞳とは裏腹に、心持はすっかり悪代官様になっている。

「つくしごめんね、忙しいのに」
「どうしたの?滋さんにしては珍しくマジな顔して」
今まで見せたことのない深刻な顔をした滋は、つくしのオフィスの来客用ソファに座っていた。
「実はさぁ、・・・あきらと喧嘩になっちゃって・・・」
「・・・けんか?」
「そう。あたしひとりっ子でしょう、だから姉妹が羨ましいんだよね
 大勢で暮らした方が楽しいじゃん。それなのにあきらったら
 妹たちからお兄ちゃまって言われるのうざいって
 家を出て、マンションで静かに生活したいって言うの」
「ああ、何処に住むかでもめてるってことね」
「つくしなら分かってくれるよね、経験者なんだし。つくしの時は
 類くんがおれたんだよね?・・・類くん優しいから、でもあきらは・・・」
――優しいからって・・・、類も結構頑固だったけど
   まぁ~結果的には類がおれたことにはなるけど
   でも暫くの間、拗ねてたけどね

同じ頃、同じ階の専務室にはあきらが不機嫌な顔をしてソファに座っていた。
「まったく滋のヤツ・・・」
「あきらが来るなんて珍しいじゃん。なんでそんなに機嫌悪いの?」
「俺、結婚したら家を出るって決めていたんだよ
 妹2人とお袋から解放されてのんびりと過ごそうと考えていたのによ
 滋ときたら・・・、同居するって言いやがって一歩も引かねぇんだよ!
 ・・・類なら分かるだろ、俺の気持ち」
「なぁ~んだそんなこと、仕方がないんじゃない」
「おい!類!お前だって家出てマンションにって言ってたじゃねえか」
「ああ、つくしと2人きりで生活したかったからね。でも今考えれば
 この生活も悪くないなぁって思ってる。何処に住んでもつくしが傍
 にいればいいし、場所なんて関係ないのかも」
「お前になくても俺にはあるんだよ!」
「クククッ…、じゃあ、あきらは一歩も引かないんだね?」
「当たり前だろッ!ここで引いたら俺の繊細な心が崩壊してしまうぜ」
「そうだね、女帝家族だもんね」


人はないものねだりをする
持っていないからどうしても欲しくなる
憧れる
持っているから当然と有り難みを忘れる
当然と思われる当たり前のことが
人にとってどれだけ大切な意味があるのか
ときには立ち止まり
周りを見渡すことも必要だ


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2008年10月25日 (土)

Bride of saintly ~聖夜の花嫁~後編

後編

<あんたたちの根性、あたしがたたき直してあげる。宣戦布告よッ!>
学園生活を平穏無事にやり過ごそうと自分に何度も言い聞かせていたが、司の度が過ぎた行動が友達に向けられたことで、つくしは本来の姿を取り戻した瞬間だ。

つくしの一撃を食らった頭の痛みに、司は唖然としながらも懐かしさを覚える。
このつくしの取った行動によって、2人は道なき道の扉を開くこととなった。


<4年後、迎えにいきます>
マス・メディアによって全世界に告知した、嘘偽りのない司の言葉。

愛情を知らずに育った司はつくしと出会い、怒鳴り散らしや言い合いの連続の中で、人に対する思いやりや愛情を見出し心を成長させていった。
愛はどちらか一方が与えるのではなく、分かち合い、怒ったり笑ったりする公平な立場を保つ関係によって成り立ち、お互いの心は一つになる。


<いい男になって戻ってきたら
 あたしがあんたを幸せにしてあげてもいいよ!>
強い意志を感じさせる瞳を向け、司に精一杯の想いをぶつけたつくし。


<宣戦布告だな、やってもらおうじゃん>
つくしは笑顔で返す司の広い胸に飛び込み、強く抱きしめ合ったプロムの夜。

2人の想いが一つになり、これからたくさんの思い出を作る楽しい時期に、司の留学によって2人に残された時間はほんの僅かなものとなってしまった。
片手で数える程度の楽しい思い出。
幾つ手が必要なのか、数え切れないほどの辛苦な思い出。
傍にいる時間より離れている時間の方が多く、それでも相手を想い、相手を信じ、相手を励みに愛する人に再び逢えるその日を夢みて自分の心と戦ってきた。

祭壇の前に立つ司も、扉の前に立つつくしも、その脳裏にはこれまでの出来事が走馬灯のように蘇っていた。

つくしの夢だったハワイでの挙式、その夢をクリスマスという聖なる日に叶えてやろうとする司。今その夢は現実のものになろうと動き出した。
パイプオルガンの荘厳な響きは優雅に聖堂を包み、式の始まりを知らせると同時に緊張感が高まる。


重圧な扉がゆっくりと開くと、真っ青なヴァージンロードに眩しい陽光が射し込み2人のシルエットを浮かび上がらせる。
ヴァージンロードに沿ってゆっくりと動き出す花嫁。


――ああ?・・・何でアイツが・・・
極度の緊張と喜びで舞いあがっていた司だったが、二つのシルエットに怪訝そうに眉を潜める。総二郎とあきらも司と同様に眉を潜めるが、直ぐにその意味が解ると口元を上げた。
「類もやるじゃん」
「ああ、司の母ちゃんも意地悪だよな」
花嫁の控え室から出てきた楓は、父親の代わりに類を付添い人として依頼していた。あえて類を選抜したのも、F3や司、つくしに冷たい視線を向けたのも、勝手な行動を取ったことにちょっとした報復心からであって、決して妨害しに来たわけではなかった。
楓は既に2人を認めていたのだから。


「にしても類のヤツ、ずいぶんと嬉しそうじゃねえか?」
「新郎は相当イカれてっけどな」
新婦にうっとりとしたかと思えば、類を見て瞬時に目を吊り上げ睨みつける司を見て、総二郎とあきらは何事もなく無事に式が終わることを祈った。

「汝孤独なるは悪しきこと、伴侶を与えん……」
神父が聖書の一説を読み上げ、会場内は厳粛な雰囲気に包まれていく。


「汝は牧野つくしを妻とし、病める時も共に歩み、死が2人を分か
 つまで愛を誓い、妻を想い、誇りとする事を神聖なる婚姻の契約
 の下に誓いますか?」

君を意識した時から 君を想い続けた
どんなに引き離されようが
どんなに冷たい瞳を向けられようが
片時も君を想う気持ちは離れたことはない
君の生き方に惚れ 君の笑顔に心が解放され
君のすべてが僕の人生
幸福も不幸も君が傍にいてこそ得られるもの
もう僕らを隔てるものは何もない
君が一生僕の傍にいてくれる
この幸せを永遠にするだけ

「はい、誓います」

「汝は道明寺司を夫とし、病める時も共に歩み、死が2人を分かつ
 まで愛を誓い、夫を想い、誇りとする事を神聖なる婚姻の契約の
 下に誓いますか?」

あなたを想い続けた
傍にいる時も 遠く海の彼方にいる時も
片時も忘れず あなたを想い続けた
あなたの勇気と愛情に支えられ
私は今日という日を迎えることができた
もう私たちを隔てるものは何もない
あなたと共に目覚め
あなたと共に眠りに就くだけ
片時も離れず
あなたを想い続けるだけ

「はい、誓います」


2人の誓いは指輪に込められ、お互いの薬指に通される。
そして、誓いのキスを交わす。
たった今、2人は晴れて夫婦となった。
神父の退場とともに厳粛な雰囲気から和やかな雰囲気へと変わり、新郎新婦を取り囲んだ彼らから祝福の言葉が相次ぐ。
艱難を乗り越えてやっと掴んだ今のこの幸せは、ハッピーエンドではない。ハッピースタートである。

重圧の扉が開かれ、友人らに囲まれて出てきた司とつくし。

「社長もご出席なさりたかったのでは?」
教会から少し離れた場所に車を停車させた楓は、祝福ムード一色の渦に飲み込まれ、もみくちゃにされながらも慶びに満ち溢れた満面の笑顔の息子夫婦を、車の窓越しに眺めていた。
「西田、道明寺家の跡取りの結婚式が
 こんなママごとみたいなもので済むとでも」
言葉とは裏腹に、息子を見つめる視線は社長の立場ではなく母親としての視線だと、西田は感じ取っていた。

~ Fin ~

おまけ


「道明寺!どうしてあんたはいつもそう寝起きが悪のよ!」
「いってーなッ!蹴ることねぇだろう」
「道明寺が起きないからでしょ!少しはあたしの身にもなってよ
 毎朝、声張り上げて、体力使って、みんな道明寺のせいなんだから」
「何だよ道明寺って?お前も道明寺だろうが」
「だから何よ?起きないのと道明寺とどう関係あんのよ?」
「はぁ~。なんで朝になると呼び名が変わるんだよ、・・・ったく・・・」
「やれやれ」
呆れたように呟くタマ。
つくしの怒鳴り声は道明寺邸の厚い壁や扉をも通してしまうようだ。


「いつまで経っても成長しない2人だこと」
「タ、タマ、勝手に入ってくんじゃねぇ!
 あ、あの最中だったらどうすんだよ?」
「ほぉ、寝起きの悪い坊ちゃんが朝からねぇ~」
「なっ、なんだよタマ?俺だって自力で目覚めるときぐれぇあんだよ」
「タマの耳には、毎朝つくしの怒鳴り声が聞こえますけどねぇ
 空耳だった……」
「ああ!!面倒くせえなッ!だからここに住むのはイヤだったんだよ
 口うるせえのはいるし、アイツらは勝手に入って来るし
 プライベートも何もあったもんじゃねぇな!」
「司、そんな目くじらたてて怒ることじゃないでしょ
 家族みんなで住んで、楽しいことで笑い合って、足りない部分は
 補い合って、嬉しいことがあったらみんなで分かち合って、そう
 やってひとつ屋根の下で暮らすのが幸せなんじゃないの?
 ・・・ワガママ言うんじゃない」
「朝から騒々しいわね」
「お母様、おはようございます」
「つくしさん、司さんはいいから朝食にしましょ」
「ええそうですね、お母様」


「おい!なんで俺を置いてくんだよッ!・・・つくし!!」
「坊ちゃん、つくしは坊ちゃんだけのつくしではないようですな」
司とつくしが結婚してからの楓は、家族といる時間を大事にしたいと思うようになり、自然と日本に滞在する機会が多くなった。


仕事一筋だった以前の楓では考えられないほど、母親としての役割を楽しんでいるかのように、タマの目には映っていた。
――やっとこの家も普通の家庭の温かさを持つことができたようだ


「司さんも席に着いたことですし、さぁ食事にしましょう」
長いテーブルの端と端に座って食事をしていたのは過去の話、今は片方の端に楓、つくし、司の3人がかたまって食事をする風景が日常のものとなっていた。

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2008年10月24日 (金)

Bride of saintly ~聖夜の花嫁~ 中編

中編

「「「つかさ~」」」
F3は控え室に入った楓を確認すると司の元に駆け寄った。
「おっ、お前ら・・・何でここに・・・」
正装したF3に驚いた表情を見せたのも束の間、その表情は怒りを通り越して凄みのある顔つきと変わり、自分たちの存在をさらしてしまった事を後悔しながらもF3は何とか司を宥めようとする。
「つ、つかさ・・・、キレるなよ」
「俺らは・・・だな、・・・親友の幸せを祝福に来ただけだ」
「司、ここで暴れたら牧野が心配するよ
 そうでなくても、今は目の前にある不安でいっぱいだろうし」
「そ、そうだぞ司。俺らのことより牧野が心配だぜ」
突然現れた楓の言動に怒り、密かについて来たF3に更に怒りが上乗せされたが、つくしを気遣うような言葉に司の怒りは逆に不安へとすりかわっていく。


「司、覚悟を決めてのことなんでしょ?」
「・・・ああ」
「だったら司のシナリオ通りに実行したら?
 俺、牧野のドレス姿見たいし、・・・写真も撮りたい」
「・・・ああ?・・・類、お前何言って・・・」
「まあまあ、類はただ純粋な気持ちで・・・、だよな、類」
「司だけ、なんてズルイじゃん。俺の牧野でもあ・・・」
あるのに、と言葉を続けようとした類の口を塞いだのは、もめ事を嫌うあきらだった。
「類のことは気にするな。俺らも協力するから、司諦めんなよ」
「そもそも司の考えは甘いんだよ
 こんな面倒くせえことしねぇで、籍入れちまえばいいのによ
 やっぱここは俺らの頭脳を総動員してだな、司と牧野を・・・」
楓の出現によってちょっぴり弱気になっていた司にとって、こうして心配してくれる親友が近くにいてくれることは心強く思えた。しかし、自分の立場も忘れて上滑りな態度を取る総二郎に、司の怒りは再び呼び戻される。


「ああ?誰が諦めるって言ったんだよ?
 それに何だよ、俺の考えが甘いって」
ヤバッ!そう察した時には既に遅く、司の長い腕は総二郎の首に回されてヘッドロックを見舞われていた。
「ぅえぇ。・・・つ、つかさ、・・・落ち着け」
「総二郎、お前なぁ」
あきらは呆れ顔で溜息混じりに呟くと、仕方なしに仲裁に入った。
「司、今こんなことしてる場合じゃねえだろ」
「ぅるせ!」
「司、敵は俺らじゃなくお袋さんだろ?それに牧野の身にもなって
 みろよ。今までいろんな手段で妨害してきたお袋さんだぞ、今牧野
 はどんな契約を突きつけられていることか、心配じゃねぇのか」
司のばか力に歯が立たないあきらは、一番弱い部分を責めることで何とか総二郎を解放することに成功した。


「・・・まきの・・・」
「司、感情的になっても何の解決にもならないよ。相手が司のお袋
 さんなら尚更、ここは冷静に行動するべきじゃないの」
司は類のセリフで少し冷静さを取り戻すと、控え室の扉に視線を移した。

突然現れた楓につくしはどれほど驚いたことだろう。
結婚という人生の大きな節目となる今日という日に、絶対にあってはならない事が起きてしまい、どれほど戸惑い恐怖に怯えていることだろう。
いったい何を、どんな事を言われているのか、楓の心ない言動が間違いなくつくしを悲しみのどん底に突き落とすだろうと思うと、今直ぐにでも扉を破ってつくしの傍に行きたい衝動に駆られる。
しかし、何をするか分からないと言ったあの楓の言葉には、嘘も誇張もないことを重々承知している司だけに、その脚は一歩も踏み出すことはなかった。

「俺、神父のとこに行ってくるわ」
内密に計画を立てていた司を、楓はわざと黙認していたに違いないと踏んでいた総二郎は、これから行われる式で何か画策されているのではないかと確認を取りに行くのだった。

七色に輝く豪華な噴水の周りには、地元の子供らが水遊びや駆けっこをしたりと陽だまりに包まれて楽しそうに過ごしている。
つくしはそんな和やかな景色を眺めているとノックの音がし、間もなく始まる式の知らせと同時に司が迎えに来たのだと察する。
「はーい、どうぞ」
軽やかな返事を返したものの、いつもと違う自分の姿に気恥ずかしさが先立って直ぐに振り向くことができずにいた。すると背後から忘れることのできない氷のような冷たい声が聞こえてくる。
「牧野さん、お久しぶりね」
ぎこちなく振り返ったつくしは言葉を失った。
なぜ司ではなく楓が目の前にいるのか、頭の中は混乱し不安の波が押し寄せる。
このような状況を迎えることを避けるために努力してきた事が、楓のこの一言によってすべて水泡に帰してしまうような予感がした。


「牧野さんとこのような形でお会いするのは、とても残念だわ」
楓に背く行動を取ったことに後悔などしていない。そう思っていたにも関わらず〝残念だわ〟この言葉が頭の中で木霊し、司への想いを遂げることも、もしかしたらもう二度と司には会えなくなるのでは、という不安が大きく膨らみ始めていた。
「わ、私は・・・」
「少しは見込みがあるかと期待しましたが、わたくしの判断が間違っ
 ていたようね。牧野さん、あなたにはがっかりだわ」
できることならば、認めてもらい2人で胸を張って楓の前に立ちだかった。これまで必死に頑張ってきたことが、ガラスの破片のように粉々に砕けていく。


自分の心の弱さに情けなさを感じ、返す言葉も見つからない。しかし、司を想う気持ちは誰よりも勝る、その想いだけは何としてでも楓に伝えようとしていた。
「私は、・・・了解も得ずにこのような行動をとってしまったことは、申
 し訳ないと思っています。でも、中途半端な気持ちで今この場にい
 るわけではありません。道明寺を心の底から愛しています。お互い
 に必要な存在なんです」
「愛ね~、愛があればどんな艱難も乗り越えられるなんて、まさか本
 気で思っている訳ではないでしょうね。現実はそれほど甘くなくてよ」
「道明寺を誰よりも愛していること以外に、私には何もありません
 もし私が道明寺と同じような環境に育ち、何もかも与えることがで
 きたのなら、何も苦労しなくてもよかったのかもしれないけど・・・
 でも、たとえそんな環境に私がいたとしても道明寺はそんなことは
 望んでない。自分の手で、自分の力で築き上げようと努力するだろ
 うし、現にしてきたはずです。愛なんてあやふやな感情って言うか
 もしれないけど、愛は無限の力と可能性を引き出してくれるモノです」
「わたくしにその愛とやらを信じろとでも?」
「信じてください、とは言いません。ただ見守っていてほしいんです」
つくしは威圧感や恐怖感を覚えながらもなんとか気を静め、真っ直ぐな瞳を向け精一杯の思いを伝えると、楓に背を向けまた噴水に視線を移した。


視線の先には嬉々として遊ぶ子供らがいて、その子供らの溢れんばかりの笑顔につくしの心は感傷的になっていく。
――今あなたはどこにいるの?道明寺・・・会いたい、道明寺に会いたい
現地で落ち合う約束をした司とつくしは、同じ建物内にいながらも未だ顔を合わせることも声を聞くことすらもできていない。
瞳に投影された景色は徐々に薄れて、無邪気に笑う司の笑顔が浮かび上がる。


「こうして落ち着いて景色を観るのもいいわね」
いつの間にか窓際まで来ていた楓は、つくしと同じように外の景色を眺めていた。穏やかな表情で無邪気に遊ぶ子供らを眺めるその姿に、つくしは驚きとともに違和感を覚える。

「出会いには・・・」
「・・・えっ?」
楓のポツリと呟いた言葉をつくしは理解ができず、答えを求めるかのように楓の横顔を見つめた。楓はその視線に気付きながらもつくしに視線を向けることなくまたポツリと呟く。
「人の出会いは皆平等であり、そこから生まれた縁を断ち切ること
 など、・・・誰にもできないことなのね」
それはつくしに言ったことなのか、単に呟きに過ぎなかったのかは定かではない。つくしが聞き返そうかと考えている間に、楓は背を向けて歩き出していた。扉の前で足を止めて振り返った楓は、威圧感を漂わせるいつもの表情に戻っていた。
「あなたに忠告しておくわ。道明寺の人間になろうとする人がいつ
 までも苗字で呼ぶのはどうかしら?つくしさん、敢えてつくしさん
 と呼ばせてもらうわ、あなたもご自分の立場を考えることね」

控え室は防音仕様なのか、楓とつくしの声は廊下に漏れ聞こえることはなく、誰も居ないのではないかと錯覚するほど静かで、今どのような状況なのか全く掴かめないことに、3人の心中は苛々と不安ばかりが募って身動きできずにいた。
「牧野、大丈夫かな。あのお袋さんの様子だと、今頃・・・」
「やばいかもね」
眉間のシワは深まる一方、そして溜息ばかりが漏れる。


「おーい、司」
神父に事情を訊きに行った総二郎が戻って来た。
「どうだった、何か分かったか?」
「う~ん、何も変わった様子はないみたいだ。予定通りに進行さらる
 ようだぞ」
「じゃあ、お袋さんは何しにここまで来たんだ?」
首を傾げるF4。
その時目の前のドアが開き、楓だけが出てくる。
司は楓の前に立ちはだかるように詰め寄った。
「てめー!牧野に何を話したんだ!
 事と次第によっちゃただじゃおかねえぞ」
「あら、司さんまだこんな所に居たの?」
「ああ?誰のせいでこんなとこにいると思ってんだ!
 牧野に会わせろッ!」
「ここで合わせる訳にはいかないわ」
「なんだとぉーッ!」
「いつまでここに居るつもり?目障りだから私の前から消えてちょう
 だい。悪いようにはしないから、あなた方は司さんを連れて行って
 くださるかしら」
頭に血が上った司とは対象的に、冷静な3人は楓の意味深な言葉に従うのが得策と考え、今にも楓に掴みかかろうとする司を両脇から抱えてその場から引き離すと、そのままわめき散らす司を引きずるように歩き出した。


「花沢さん、ちょっとよろしいかしら?」
楓はその後に続こうとする類を呼び止めると、司たちの後姿が見えなくなるのを待って口を開いた。怪訝そうな表情を浮かべた類は楓の言葉に耳を傾ける。
「花沢さん、あなたに頼みたいことがあるの。それは・・・・・・」

結婚はゴールではない、新たなスタートである。
待ち受ける多くの試練、その度に悩み、苦しむ時間も多くなるだろう。
違う世界に身をおくことは気苦労も多く、決して楽な道とはいえない。
それは同じ世界に身をおく者も少なからず経験するだろう。
ひとりで乗り越えられないことも、ふたりならば乗り越えられる。
愛は無限の力と可能性を引き出してくるのだから。


「行かなきゃ、道明寺のとこに行きなきゃ」
司ではなく楓が現れた今、これ以上この部屋に居ても何の意味もない。自分の知らないところで何が起きているのか確かめなくてはならない。そこから一歩が始まる。
つくしは大きく息を吐き心気を入れ替えると、未知なる世界へと続く扉を開けた。そこでつくしが目にしたのは、天使のように微笑む類だった。

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Bride of saintly ~聖夜の花嫁~前編

前編

タンタラスの丘のふもとの森の中に佇む小さな教会。
その外壁は1万4千個の珊瑚で造られ、内装は優雅でロマンチック。
手入れの行き届いた中庭には噴水があり、ヨーロッパの流麗な庭園を思わせる。噴水から噴出す豪快な水は七色に輝き、ダイヤモンドにも匹敵するほど美しく、時間(とき)が経つことさえ忘れさせ心は至福に満たされる。

「憧れのハワイかぁ~
 今日、この日が私たちにとって忘れられない日になるんだね
 これで良かったんだよね、・・・これで・・・」
教会と隣接した建物の2階から、穏やかな表情で庭園を眺めるつくしがいた。純白のウエディングドレスに身を包み、大きな窓の傍に立ったつくしを柔らかな日差しが照らし、一段と輝いて見える。


――アイツ準備ができたのか?・・・こういう場合どうしたらいいんだ?
控え室の扉の前にはタキシードに身を包んだ司が立っていた。


「おい、アイツ何やってんだ?」
「さぁ~な。司のことだから、愛しの彼女のドレス姿でも
 想像してんじゃねぇの」
「笑ってみたり、難しい顔してみたり・・・、気味悪りぃぜ」
「くくくっ・・・、司でも緊張するんだね」
「おい類、笑うなよ、司に気づかれるだろ」
「おッ!今度はひざまずいて、・・・・・・ん?立ち上がった・・・って
 まさかアイツ・・・」
「たぶんな」
「シミュレーション。くくくっ・・・」
「なんか顔を赤くしてやがる」
「やらしいヤツ」
「まったく何考えてんだか、・・・読めねぇ」

「今度は深呼吸してんぞ」
「ストレッチし始めるし」
「くくくっ・・・」
「だから、類笑うなって」
「いてッ!誰か足踏んでるぞ」
総二郎とあきらと類は廊下の角で身を潜め、折り重なるようにして事の成り行きを見守っていた。いや、正確には盗み見をしていた。
「総二郎、押すなよ」
「俺じゃねえ、類が・・・」
「くくくっ・・・」
「ああ?類、いい加減笑うの止めろ、マジでばれるぞ」
「しょうがないじゃん、司のあんな姿見て笑うなっていう方が
 無理でしょ」
「まぁそうだけどよ。何だよ司、入るんならさっさと入っちまえよ」
「ったく、じれったい奴だなぁ」


「総二郎・・・、あきら・・・」
「何だよ類、今イイ所なんだよ。おお~・・・司が・・・」
総二郎とあきらは瞬きすることさえ忘れて司の行動にくぎ付けになっていて、傍で笑っていた類が瞬時にして凍りつき、緊張の渦の中にいるなど知る由もなかった。
「そ、総二郎・・・、あきら」
類は練り出すように2人の名を呼びながら、総二郎の上着の裾をぎこちなく引っ張る。
「さっきからうるせーな、何だよ類?」
「うしろ」
「・・・ああ?後ろがどうしたって。・・・しょうがねえな」
総二郎とあきらは仕方なしに司から視線を外すと、後ろを振り返った。
2人の瞳に飛び込んできた人物に言葉を失い、驚きの表情で瞬時に凍りついた。そこには仁王立ちで腕を組み、鋭い眼光を向ける楓の姿があった。


「あなた方はそこで何をしているのです」
「う゛っ・・・」
「・・・ぇっ?」
「・・・。」
驚きのあまり言葉にならない声をあげて絶句する。
「質問に答えてもらいましょう
 あなた方はここで何をしているのですか?」
「いや、その・・・、別に・・・」
「訳もなく、ただこそこそと誰かの様子を窺っているとでも?」
「「「・・・・・・!」」」
ヘビに睨まれたカエルのように身動きひとつできず、呼吸が止まるほどの緊張感に包まれ、いつもの表情を取り戻すことも、いつもの軽やかで達者な口からも何も返す言葉は出てこない。


「いいわ、あなた方が言わないのであれば、本人に聞くまでです」
返す言葉が無い3人は、司の方に歩き出した楓の後姿をただ見送るしかなかった。
「ヤベー、司の母ちゃんがここに来たということは・・・」
「式は、おじゃんだよな」
「これも想定内のことなのか?」
「どうだか、司の頭脳だぜ。あのお袋さんが相手じゃ
 どんな策略だろうと一筋縄じゃいかねぇだろうよ」
「って言うか、司の詰めが甘いんだよ
 俺らでさえ知ってたんだ、あのお袋さんなら朝飯前だろ」
「そうだな。・・・もう少しで式が始まるってえのによ
 最悪のタイミングだぜ」
楓の鋭い視線から解放された途端に、総二郎とあきらは凍りついた思考も達者な口も解凍され、いつもの調子が戻ってきた。


司は会えないつらさを胸に抱きながらも、厳しい楓の教育に文句も言わずに頑張ってきた。そこまで劇的な変化を遂げた司の活力の源は、愛するつくしと未来を歩くため、将来を守るため、これが全てであった。その想いは司だけではなく日本に留まったつくしも同様で、2人の未来を夢見て頑張ってきた。
完全無欠とまではいかないが、語学や礼儀作法、経営学や経済学も平行して学び、6年間で習得し自分の物としていた。その成果は企業間や経済誌や雑誌に2人の名が出る機会が増えていた事で証明されていた。
しかし、努力の末、社会的に成長した2人の現在の力を認めることも、その関係を認めることもしない楓に業を煮やした司はある事を決意した。それは、2人だけで挙式を挙げることだった。


司は誰にも悟られないように、今日という日を内密にそして慎重に計画してきた。そこまで慎重に事を進めてきて今日という日を迎え、目の前にある幸せにどっぷりと浸りきった司は、不安そうな瞳を向けるF3や、眼光を鋭くした楓が自分と同じ空間に居ることに全く気付いていなかった。
「ここにいてもしゃあねえよな」
つくしのウエディングドレス姿を一目見ようと司は意を決して扉に手をかけようとした、その時だった。
「司さん、何をしているのです?」
その声は昨夜遅くまで聞いていた、楓の低く冷たい声だった。
柔らかく笑みを浮かべていた司の表情は一瞬にして険しい形相へと変わる。
「バッ!ババァ!何しに来た、俺達の邪魔しに来たのか?」
「・・・。」
「フッン!・・・そうゆうことか」
凝視するばかりで何も言わない楓に司の怒りは増幅する。
どんなに内密に行動をとろうと、所詮、楓の手の平の上で遊ばされていたのかと思うと、司の怒りは激しく渦巻き始める。


「今まで大人しく頑張ってきたのは、全部牧野と一緒になるためだ
 道明寺家とか、跡取りとか、そんなもんのために頑張ってきたん
 じゃねえ」
「少しは見込みがあると思っていましたが、どうやらわたくしの判断
が間違っていたようね。こんな勝手な行動をとるなんて、まだまた跡
 取りの自覚が足りないようね」
「跡取りの自覚って何だよ?てめえの思い通りに動くロボットになれ
 ば満足なのかよ?俺がこの7年間してきたように。・・・けど、それも
 今日で終わりだ。アイツがいねぇ人生なんて、くそっくらえだッ!」


期間を決めそれに向けて頑張ることは容易いことではないが、その先に待つ愛する人との将来があるからこそどんな困難にも立ち向かえるのだ。しかし、その期間も過ぎ、季節がひとつ、またひとつと過ぎる度に逢いたい気持ちは増幅され、我慢の限界を迎える。
楓に認めてもらい祝福されて結ばれることを願って頑張ってきた2人だったが、結果的には楓の期待に背く形となってしまったことに、司もつくしも後悔などしていなかった。
いくらお互いが信じ合い深い絆で結ばれているとしても、逢いたい時に逢えない、聞きたい時に声が聞けないつらさは精神的にどうすることもできない。


「ぶち壊しに来たんだろうが、俺はこのまま牧野と結婚する」
「そう。今のあなたに何を言っても無駄のようね」
楓はきびすを反すと控え室のインターフォンのボタンを押した。
「はーい、どうぞ」
つくしの軽やかな返事が返ってきた。
司は控え室に入れまいと咄嗟に楓の前に立ちはだかった。
「牧野に会って何するつもりだ?」
怨敵を見るような司に表情ひとつ変えない楓。
そんな親子をF3は少し離れた場所で緊張した面持ちで見守っていた。


「牧野さんはあなたと違って物分かりがいい方ですからね
 わたくしやあなたの立場を理解してくださるでしょう」
一瞬見せた不敵な笑みに、司は身体も心も凍りついた。
「ババァ!」
「中に入ろうなどと思わないことね
 わたくし何をするか分からなくてよ」


少し前までは幸福感に包まれていた司。一転して今は、恐喝にも似た楓の言動に言い知れぬ不安に肩を震わせる。
「クソッ!」


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2008年10月23日 (木)

愛は神より強し 最終話


最終話 すべては心の中に

「う~ん・・・」
つくしの頬にかかる髪を脇に寄せたせいか、俺の腕の中で寝返りを打ち密着していた肌と肌の間に隙間ができた。小さな白い肩を胸に引き寄せて、また俺の腕の中に収める。
「う~ん・・・なんかあつーい」
「つくし、おはよ」
透き通るような白い柔肌に唇を落とし、同じ空間で朝を迎えて挨拶が出来たことに、俺は嬉しさを隠すことができない。
「おはよう、類」
つくしは微笑をたたえて答え、俺の裸の胸に顔をうずめる。
お互いの肌が密着し昨夜のことが思い起こされると、つくしの頬は赤みを帯びる。
「暑いの?それとも何か思い出した?」
「類のイジワル」
すべてを曝け出して愛し合った昨夜。
一生忘れることのない大切な思い出を刻んだ夜。
そして、同じ空間で目覚めた朝。


「あたしシャワー浴びてくる。・・・えっと、・・・Tシャツは・・・」
胸を隠して体を起こし、Tシャツを取り上げて着たつくしは違和感を覚えた。
「あれ?・・・・・・神様は?」
「ん?あっ、いない」
「これって類のシャツじゃないよね?」
目障りで溜息の根源だった神様、カエルは跡形もなく消えていた。


そう言えば昨夜つくしが寝た後、アイツ俺のとこに来て話したんだった。
「おい、おまえ!俺様を無視しやがって
 この後どうなっても知らねえぞ」
「そんなこともう関係ないよ、俺たちの未来は俺たちで創る」
「ふんっ!いっちょ前のセリフ吐きやがって
 ・・・まっ!しょうがないって言うか、予定通りって事だな」
「予定通りって、何それ?」
「俺様のミッション遂行が成功したってこと」
「はあ?」


「俺様がなんのためにここに居たと思うんだ?」
「アンタの力とやらで恋を成就させるため、でしょ?」
「う~ん、残念。俺様はそんなことはできないのだ」
「えっ?じゃぁあの話はウソ?」
「まぁ全てが嘘とも限らねぇが、俺様に出来る事はすべてやったぜ」
「アンタのしたことと言えば
 俺をつくしに触れるのを阻止しただけじゃん
 短い手で突っ張ってさ、くくくっ・・・」
「ムッ、まぁそれもある」
「あと何かしたっけ?」
「何かって、もう結果が出たろうに」
「結果って俺たちの今の状況のこと?」
「そう、お前たちは将来を約束したんだろ?
 そう仕向けたのは俺だってことだ」
「・・・・・・?」


「お前の嫉妬深さと独占欲を利用して
 拍車を掛けるように仕向けたんだ
 それに対してお前自身がどう受け止めるか
 どのような行動を起こすのか、それとも俺様の力に頼り
 ただじっと何もせ時を迎えるだけなのかの違いなんだよ
 すべては心の中にある
 想いや願いを現実に叶えるためのタイミングを
 俺様が与えたって訳だ
 だから俺様には不思議な力など最初から存在しないんだよ」
「ふ~ん、不思議な力なんてなかったんだ
 その割りには偉そうだったよね」
「フン、これでも神様だからな、人の心を見抜く力はあるんだ
 まぁこれで結婚まで成就出来そうだし
 俺様は次の野郎の所にでも行くぜ」
そう言ってアイツは暗闇の中に消えて行った。

――ってことは・・・、次の野郎のとこってことか?

「ねえ類!・・・類!聞いてる?」
「・・・・・・ああ、・・・それでつくしの話って」
「神様が消えたの」
俺は昨夜神様と話したことをつくしに伝えた。
「ふ~ん、そういう事だったの
 じゃあ、もう私たちには何も起きないのね?」
「いや、これから起きるよ」
「えっ?ウソ!・・・だって何も起きないハズじゃあ・・・」
「つくし、こっちにおいで」
俺はつくしをベッドに誘った。


その日の昼過ぎに来客があった。
「類ッ!あのTシャツのカエルに何したんだよ!?」
総二郎が血相変えて飛び込んで来た。
「どうしたって、どうもしないよ
 でも、俺とつくしはうまくいったのは確かだけど」
「つくしって・・・、そうか良かったな。って良くねえ!見ろッ!」
そう言ってシャツのボタンをはずしてみせた総二郎の胸の辺りに、見慣れたマーク、いや、アイツがすました顔して収まっていた。
「今日、昼前まで寝てたら
 〝若い美人のお客様が会いに来ましたよ〟って呼ばれた気がして
 慌てて昨日脱いだシャツを着たら、・・・・・・カエルが・・・
 あのカエルがへばりついていたんだぞッ!」
俺たちは唖然としてカエルを見る。
――次の野郎って、総二郎だったんだぁ
あまりのおかしさに思わず噴き出しそうになったけど、マジな総二郎を見て俺は口元に手を当てて笑いをかみ殺した。何気に隣を見ると、つくしも俺と同じ様な動作をしていることが、笑いに拍車を掛ける。


「それに客なんかいなかったし
 今にして思えば、コイツが俺を呼んでハメやがったんだ!
 類・・・、俺はどうしたらいいんだ?
 お前らうまくいったんだろ?・・・助けてくれ
 俺はまだ恋を成就させるつもりはないんだ、情事ならともかく・・・」
頭を抱え込んで背を丸める総二郎って、司がらみ以外で見た事あるだろうか。それにしてもこんな状況になっても、情事は頭から切り離すことは出来ないんだ。
「総二郎、もうどうにもならないよ
 諦めて覚悟を決めるしかないね
 約束を破ると酷い目に遭うのは間違いないからね」
「そうだよ、西門さんもいつまでも遊んでないで
 もっと自分を大切しなよ。刺されてからじゃ遅いんだから
 優紀を悲しませたら承知さないからね!」
「なっ!」


「あたしが知らないとでも思ってるの?」
「お前・・・何を・・・」
「お生憎様、西門さんの所にそのカエルが来たってことは
 そうゆうことでしょ?誤魔化してもダメだよ」
「へえ~、総二郎が・・・そうなんだ。俺知らなかった」
「うっ。・・・牧野・・・、お前鈍感女じゃなかったのかよ」
「つくしは総二郎のことよく見てるんだね
 俺以外の男のことを気にしてたなんて・・・
 なんか俺ちょっと複雑な気分
 つくし、これからは俺だけをその瞳に映して」
はにかんだつくしの頬を両手で包み、滲んだ瞳に映る自分を見つめる。うっすらと開いた唇が俺を誘惑しているようで、その衝動に素直に応じるようにキスをする。


――人前で牧野がキス?・・・大胆な行動もコイツの所為なのか?
「お前らな・・・、俺の存在忘れてねえか。・・・ったく
 ここに来た俺がバカだったのか・・・にしてもこれからどうするんだ」
頭を抱える総二郎に類とつくしからのアドバイスの言葉がかけられた。
「西門さん、何も悩む事なんてないんだよ」
「そう、自分にとって何が一番大切で、いつもそばに居てほしい人が
 誰なのかを素直に行動に表すだけでいいんだよ総二郎」
「あのTシャツはそのきっかけを作ってくれるだけで
 恐れずに挑戦してみなよ、弱気な西門さんなんて似合わないよ」
「似合う似合わないの問題じゃねえだろうが・・・」
「もしも総二郎にまだ結婚する気がないんなら
 そんなTシャツ脱いでしまえばいいんだし」
つくしは一瞬、おやっ?と思ったが、類のウィンクを見て理解した。
――同じ目に遭わせたい?・・・じゃあなくて
   優紀にも幸せになって欲しいと思ってのことよね
「えっ?でもそんなことしたら大変なことが起きるって・・・」
「心配いらないよ、つくしも一度着てすぐ脱いでしまったけど
 ほら、なんともないでしょ」
「そうよ、あたし全然大丈夫だし」
「そうなのか?・・・でもなぁ・・・」
ブツブツと独り言を言いながら部屋を出ようとした総二郎の胸の辺りで、アイツはニヤリと不敵な笑みを浮かべてウインクをしたのを、俺は見逃さなかった。

~Fin~

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2008年10月22日 (水)

愛は神より強し 第5話

第5話 タイムリミット

俺は眩しい日差しと暑さで目が覚めた。
重い瞼を開けると俺の腕は愛しい人を包み込んでいて、どうしてこんなに身体が熱いのか理解するのに時間は掛からなかった。
愛する人を抱きしめながら眠る心地良さは、独りで眠る心地良さとは比べものにならないほど幸福だ。世の中は何ら変わらないのに、ここには薔薇色に煌く別世界が広がり俺たちの未来を祝福してくれている。
俺の胸をくすぐる愛する人の髪にそっと手を伸ばし、艶やかな黒髪を指に絡めながら俺は昨日の事を振り返る。

午前中は良かった、他愛のない話しをして笑い合ったり、ヴァイオリンを弾いたりして過ごしたからか意識せずにいられたのかも知れない。
昼食を終えて部屋に戻って来ると、もう一つあったベッドは片付けられていた。2泊3日の予定だから当然といえば当然なんだけど、なんか急に寂しさが込み上げてきた。その寂しさに拍車をかけるように牧野は帰り支度を始め、忙しく部屋中を動き回り身の回りの私物を鞄に詰め込んでいった。
2本並んでいたハブラシが1本になり、フェイスタオルやバスタオルも俺の分だけになり、ただ元通りの生活空間になっただけなのに、そう頭で理解していても心は沈み込む。


デートの帰り牧野のアパートの前で〝おやすみ〟合言葉のように言って別れるけど、この状況がいつまで続くんだろうって、家路に向かう車中でいつも考えていた。帰る先が一緒なら良いのに、そしたら〝おやすみ〟って微笑んで言い返せるのに。俺はそんなこと、ずっと思ってたんだ。
総二郎のTシャツのおかげでそれも叶ったけど、今夜からはまた元の生活に戻ってしまう。
70時間が過ぎ、焦りと不安が俺の周りに纏わりつく。
刻々とタイムリミットが近づいてくるにつれて、気持ちは大きく乱高下を繰り返し、じっとしていてはダメだと心に言い聞かせる。アイツはそんな俺の心の内を知ってか知らずか、ニヤついた顔で俺をじっと見ていた。
――俺の人生をアイツなんかに決めさせていいのだろうか?


俺を見つめていたのはアイツだけではなかった。
「類、どうしたの?
 さっきから黙ったままで…、何回も声をかけたんだよ」
不安そうに顔を覗き込む牧野を俺は黙ってベッドに座らせると、いま一度自分の気持ちを確認してみる。
俺の人生に牧野が寄り添ってくれたら、これ以上の幸せはない。
牧野の弾けるような笑顔を見て、俺の表情が豊かになる。
牧野の張りのある声を聞いて、俺の感情が溢れ出す。
牧野の一つ一つの心の動きが俺の心を揺さぶり、色鮮やかにもセピア色にも変化する。
今の幸せも大切だが、俺は永遠の幸せが欲しいんだ。
2人で過ごした時間やアイツが与えてくれた時間を無駄にしない為にも、俺は心に秘めた決意を実行しよう、俺の未来に前進するためにも。


「類・・・」
「牧野、話を聴いてほしいんだ」
「う、うん」
俺は戸惑いがちな牧野の淡黒の瞳を真っ直ぐに見つめると、心に秘める想いを口にした。
「一度しかない人生を牧野と一緒に生きていきたい
 牧野の傍で生涯を過ごしたいんだ
 牧野の傍で喜びの中に生きられたら
 俺にとってこれ以上の幸せはない
 牧野がいるからこそ、感動の日常があり、感激の日常があるんだ
 生きてる喜びがあるんだ
 だから、俺との将来を考えてほしい」
牧野の瞳が一瞬揺れて、俺の鼓動は速まる。
でも視線を逸らすことなく真っ直ぐに見つめ返してくる牧野を見て、俺の不安の大きさは少し減少したが、愛しい人の口先からどんな言葉が返ってくるのか、息を呑んで待つ心境は心臓破りに等しく、俺の人生を掛けた勝負には相応しい緊張が襲ってくる。


「類・・・、あたしも生きる喜びを抱き締めていけたら
 これ以上の幸せはないよ
 それが類なら・・・、類なら断る理由なんてない」
牧野の大きな瞳から頬を伝う涙と嬉しい言葉に、俺の胸は熱くなっていった。
「牧野・・・、それって・・・」
「うん、あたしを類の人生の中に置いてください」
「まきの」
俺が願い求める言葉を直ぐにもらえた喜びと、2人寄り添って未来に向かっていける約束された道へのキップを手にし、俺はアイツが突っ張って阻止しようとすることにもお構いなしに牧野をギュッと抱き締めた。
「アッ、おい!お前約束違反だぞ
 おい!聞いてんのか!・・・俺様を無視するつもりだな」
アイツは必死に声を張り上げていたが、今の俺にはそんなことなどうでもよかった。今の幸せと、この先にも幸せの道の掛け橋が出来た喜びが勝り、数日ぶりに愛する人の唇に触れたことに無我夢中となった。


「ちょ、ちょっと類、今何時なの?」
慌てて俺の胸から離れた牧野は時計を探し始めた。
〝自分の人生は自分で決める〟そう固く心に誓った時からアイツの不思議な力に頼ろうなんて思っていなかった。でも今はアイツに感謝している。臆病な俺の心を動かしたのはアイツのおかげかも知れない、そう思っているから。
「やだぁー、類!後15分で終わりを向かえるんだったのに…」
ベッドに座る俺の頭上から張りのある牧野の声が降ってきた。
「くくくっ・・・」
「何がおかしいのよ?後15分だったんだよ」
ベッドのサイドテーブルの引き出しから携帯電話を取り出して時間をチェックする。
19時03分
「そうみたいだったね」
「何暢気なこと言ってんのよ?」
「お前ら、どうなっても知らんぞ!」
さっきまで不安と緊張の渦の中にいて、ようやく幸福という空間に脱出したかと思うと、今度は仁王立ちする牧野に怒鳴られた。けど、心に生まれた余裕からか焦る気持ちは生まれなかった。


「つくし、ここに座って」
「つつ、つくし?」
「あんたの名前でしょ、そんなに驚くことないじゃん」
「だ、だっていきなり呼ぶんだもん、・・・それに初めてだし・・・」
「そっか、これからはつくしが照れないように何回でも呼んであげる」
照れくさそうに頬を赤く染めるつくしの首筋に手を添え、口づけを交わす。
「つくし」
触れる程度のキスを何度も繰り返しながら、愛する人の名を呼ぶ。
「つくし」
頬や耳たぶや首筋に摘むように唇を寄せ、耳元で何度も呼び掛ける。
「つくし」
「るい」
「つくしを抱きたい」
「ああぁー!見てらんねェ!俺様に見せ付けんじゃねえよ!
 ・・・ったく、・・・俺様から見えねえとこでやってくれ」
超不機嫌そうに言ったアイツの体は真っ赤になっていた。
「るい」
「つくしを感じたい」
耳元で囁きながら、俺はつくしのTシャツに手をかけた。Tシャツは裏返しになってアイツの姿は隠れ、音も消え、2人だけの時間が訪れた。

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愛は神より強し 第4話


第4話 静かなる決意

俺は煎れたてのコーヒーの香りで目覚めた。
「類、おはよう。今日は私のほうが早く起きたね」
「ん、おはよ。コーヒー煎れてくれたんだね、ありがとう」
「俺のはないのかよ!・・・ったくお前らときたら・・・」
「あっ?ごめん、今すぐ煎れるから」
「いらねえよ、飲めねぇんだから」
「だったら何で〝俺のは〟なんて言うのよ」
「いいか、こういうのは気持ちの問題なんだよ
 たとえ飲まなくても用意しといて
 〝どうぞ〟って言うのがあってもええんとちゃうんか?」
――アンタ一体どこの人さ・・・って、人じゃなかったね
溜息とともに今日の一日が始まった。


「ねえ類、すごい良い天気だよ、お弁当持ってどっかに行こうよ」
清々しい笑顔の牧野に頬は緩む。けど、胸元のアイツの不機嫌な顔でげんなりだ。
俺が朝起きられるのも、夜眠れないのも牧野が傍に居るからで、睡眠不足は解消されない上、アイツが精神的にも肉体的にも苛々を倍化させてくれるおかげ。この狭い空間にいると、どうしてもアイツに神経がいってしまう。
――気晴らしに外の空気を吸うのもいいか
「そうだね」
「よしっ!そうと決まればお弁当作りといきますか!」
ガッツポーズを決めてはりきる牧野と口を横に開くアイツ。
――それって笑顔のつもり?
   アイツも牧野の意見に賛同してるってこと?
1時間後、牧野は嬉しそうにお弁当を胸に抱えて部屋に戻って来た。
「類、準備が出来たから行こう」


波打ち際を楽しそうに走り回る牧野を眺めていると、自然と心が穏やかになり顔がほころんでくる。まぁ~いまさらだよね、俺の笑顔は牧野の笑顔で作られてるようんもんなんだしさ。
牧野と出会う前までは、誰かを見つめていたいなんて目で追うような感情は無かったし、人に対して全く興味は無かった。不思議だね、あんたがいるだけで今までの俺が俺でなくなるんだからさ。


「ちょっ、ちょっと!どうしたの?引っ張らないでよ!」
波打ち際を歩いていた牧野はTシャツに、いや、アイツに引っ張られてフラフラし始めた。
「前から来たあの犬っコロのヤツ
 どうやら俺様の匂いを嗅ぎつけたらしいな」
「へっ?神様って犬が怖いとか?」
「ギクッ!冗談じゃあねぇ
 犬っコロが怖くて神様が務まるかっつーの」
そうゆうアイツの顔は心なしか青ざめているようだ。
「変な奴、・・・だったらこれは?」
牧野はおもむろに口笛を吹いて犬を呼んだ。
「おいで、ワンちゃんおいでー!」
「オイッ!やめろ、そんなことしたら天罰を与えるぞ!」
――間違いない、怖いんだ。・・・笑える
犬が近づいて来ると、アイツはTシャツもちぎれんばかりに牧野の体ごと飛び跳ねるように逃げ回った。
俺は持って来たディレクターチェアに座ったまま、ぼんやりと遠ざかる牧野を眺めていた。
「なんか楽しそうだな、あんなに子供みたいにはしゃぎ回って
 やっぱここに来て良かったみたいだね」


ひとしきり遊んで家に戻った俺たちとアイツは、寛ぎの時を終えて一日の終わりを迎えようとしている。
昨日の夜と同じ光景が暗闇の部屋に広がる。
またアイツと目が合ってしまった。アイツは不敵な笑みを浮かべこちらを見ている。
〝お前はそれでいいのか?〟とでも言いたそうに。
俺はアイツの視線から逸らすように見慣れた天井に顔を向ける。
浜辺での牧野のはちきれんばかりの笑顔が脳裏を掠めると同時に、この家に一緒に帰宅して、隣を見ると牧野の寝顔があって、いつもそうしていたかのようにあって。でも、明日からは帰る場所も寝る場所も別々で、そう考えると急に不安に駆られた。
このまま時が過ぎて、俺と牧野の関係が以前と何も変わらなかったら。何も言わないまま元に戻ったら。
アイツの力がどんなものであれ、俺は牧野に言わなければ、態度で示さなければ後悔する。他力本願で待っているだけでは何も変わらないんだ。
俺はある決意を心に秘め、実行の時を待つことにした。

最終日の朝がやってきた。
「類、おはよう」
「おはよ」
「・・・」
アイツは確かにそこにいる。
この2日間と同じように牧野の胸の辺りにデーンと居座っているのだが、慣れとは恐ろしいもので違和感が薄れてきている。
「お腹空いた?」
「うん、空いた、ペコペコ」
「じゃあ何か頼もうか?何にする?」
俺は内線電話の受話器に手をかけようとしたら、牧野がそれを制した。
「あたしが作ってあげる、類はトーストとコーヒーでいい?
 あっ!フルーツグラタン好きだったよね?・・・それにしよっか?」
「えっ?そんなことしなくても頼めばいいのに」
「あっ!そっか、ここは類の家だったね
 あたしったら自分のアパートの感覚で・・・つい・・・」
今の牧野の言葉が気になる。
――それって単なる慣れってことじゃないよね?
もし、このままずっと一緒にこの部屋で過ごしたら、牧野にはそれが普通で当り前で、俺にとってもごく普通の日常になるってこと?
――そうなって欲しいと願うのは俺だけじゃないよね?


アイツは不気味なほど沈黙を守っている。
泣いても笑っても今日の19時15分には総てが終わる。
そして俺たちはどうなる。
その時間が過ぎても俺たちは笑っていられるだろうか。


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愛は神より強し 第3話

第3話 傍にいる大切さ

「やだぁ、なんでコイツが赤くなってんのよ?」
――もしかして俺の言葉に赤面したとか
真っ赤な顔をする牧野は可愛いけど、コイツのは不気味で頂けない。
――まったく色まで変わるとは。・・・もしかしてコイツ・・・
「牧野、耳貸して」
俺はアイツに視線を向けながら牧野の耳元である事を伝える。
そんな俺たちをアイツは上目使いで探るように見ている。気にしているってことは姿、形は違っても、コイツは人並みの感情と表情を持っているようだ。


俺は牧野の耳元から顔を離すと、互いに正面を向き合った。
互いの瞳には愛する人を映す。
俺は牧野の首筋の後ろから手をまわして軽く引き寄せ、ゆっくりと顔を近づけた。あともう少しで牧野の唇に触れようかという時、アイツは懸命に俺の胸に手足を突っ張ってそれ以上の接近を阻んだ。
アイツは俺を睨んで「チッチッチッ、そいつは無理ってモンだぜ」と、のたまった。
「「ぷっあははははぁっ…」」
そのセリフと行動のアンバランスさに俺と牧野は思わず噴出してしまった。
やっぱりアイツは俺たちのことを妬いているんだ。神様もどうもない、嫉妬して人の恋路を邪魔するひねくれ者だ。
取り敢えずは牧野に危害を与えるような真似は無さそうだ。そうと分かればこっちも黙ってはいない、俺にだって我慢の限界がある。
オマエが牧野の肌に密着していること自体許せない。
――そう思う俺も・・・オマエと同じか・・・嫉妬してる
とにかく、この非常事態をなんとか切り抜けて、牧野を力いっぱい抱きしめたい。キスだってしたい。


「コイツってさ、牧野のボディガードみたいだね。くくくっ…」
「・・・・・・?」
アイツは俺の言葉を理解しているのか、短い腕を偉そうに前で組んだ。
「3日と言わず、ずっと着ていてもらおうかなぁ~」
「えーなんで?」
「虫除け」
「・・・むし・・・虫除け?」
「牧野って相変わらず鈍感だね」
「またそうゆうこと言うし・・・」
呆れたように見るけどさ、俺がどれだけ心配しているか分かってるの。

制服着てノーメイクだった高等部から、大学に入って私服に薄化粧をするようになり、日増しに綺麗になっていく牧野に嬉しく思いながら、その一方で、誰かに盗られてしまのではないかと不安が常に付き纏った。
元々人を惹きつける何かを持っていたからか、外部から入ってきた学生らに特に人気があって、言い寄ってくる奴らは後を絶たなかった。それなのに自分がどれだけ綺麗になって、どれだけモテているのか牧野は全く分かっていないし自覚がない。全部冗談としか思っていない鈍感さが俺にとって救いだったけど、他の奴らにしたらたまんないだろうな。


届けられたガムテープをアイツの口に貼り付けようとすると、それを阻止しようと手や足を使って抵抗する。それでも牧野は諦めずに何度も試みる。
牧野とアイツの激しい攻防戦は何分続いたのか、お互い息を荒げて牧野はぐったりとソファに凭れかかった。どうやら牧野は断念したようだ。アイツはホッしたような表情で俺を見ている。
「なんか今日はもう疲れたから寝ようか」
「う、うん、そうだね」
牧野はそう言ったかと思うとベッドにうつ伏せになった。
「おいッ!そんな寝方じゃ・・・息が、息ができねぇだろうがッ!」
牧野の下敷きになったアイツの声が聞こえてきたが、既に寝息を立てている牧野の耳には届かないようだ。アイツは仕方なく俺にやったように必死に手足を突っ張って、牧野の体勢を変えさせることに成功した。
――どんだけ力があんのさ
「アンタも大変だね」
俺は笑いをかみ殺しながら呟く。


「触んなよ」
アイツは息を切らしながら俺を睨み付けてそう言うと、ゆっくりと目を閉じた。
愛しい人を目の前にしてそう言われると余計に触れたくなる。おやすみのキスをしたくなる。
アイツの目を盗んでそっと牧野に唇を寄せてみると、アイツはやっぱり手足を突っ張ってきて思いを遂げる事ができなかった。
――まったく・・・オマエってヘビの生殺しより残酷だよな
牧野の胸で気持ちよさそうに眠るアイツを羨ましく思いながら、俺は苦笑いした。

窓から射し込む眩しい日差しに包まれ、俺は眠りから目覚めた。
ベッドから上半身を起こし、眠い目を擦りながら牧野が寝ているベッドに視線を向ける。牧野はまだ深い眠りの中にいた。こんな寝顔を見るのはいつ以来だろう。誰かに微笑むような寝顔。まるで天使のような寝顔を一生見続けることができたら、同じ空間で朝を迎えて「おはよう」って言い合えたら、どんなに幸せなんだろう。
今、この瞬間が日常の毎朝であってほしい。独占したい。バカッ面して寝ているアイツさえいなければ、この瞬間だけでも俺だけのモノになったのに、そう思うとアイツを睨まずにいられない。


俺はモーニングコーヒーを煎れて部屋に戻ると、牧野はベッドの上で体を起こした所だった。
「おはよ、もしかして起こしちゃった?」
「おはよう、普通に起きた」
「テメーがゴソゴソうるせぇから起きちまったぜ、・・・ったく」
アイツも起きていた、その第一声にげんなりする。
長い一日になりそうだな、そう思いながら気付かれないように溜息を漏らす。
牧野と一緒にいられるのはいいが、触れることはできない。でも考えて見ればそんなに悪い状況でもなさそうだ。ただ、アイツの出方しだいではどうなるものか…。


牧野とコーヒーを飲み、遅い朝食を摂って他愛もない会話をしていて気が付いた。アイツは俺が牧野に触れようとしない限り、茶々を入れてくることはしないし、会話に割り込む事も殆どしない。だったら変に気を使わないでいつものようにしていればいいんだ。
俺はアイツに聞こえないように、胸を押されながらも牧野の耳元でこの事を伝えると、返事のかわりにニッコリと微笑んだ。それだけで俺の機嫌は上昇する。

庭にあるハクウンボクの巨木の下で俺はヴァイオリンを弾き、牧野はうっとりとした眼差しで耳を傾けている。微かな風で木漏れ日が差し込み、スポットライトのように俺たちを照らし出す。
ハクウンボクが枝を広げ、白い花を重そうに茂らせ、清々しい風が頬を掠める度に、一つ、また一つと白い花が芝生の上に舞い落ちてきては、ジュウタンを敷き詰めたかのように降り積もっていく。
そんな美しい自然の時の流れに身を置くと、心が和み、そして目の前にいる牧野の笑顔で一気に幸せな気持ちが心の底から溢れてくる。

――俺はまた一つ、オアシスをみつけたよ
   牧野はどう思う?
   同じ空間で同じ景色を瞳に映して
   そのきらめく瞳の奥で何を思う?何を感じている?

前に言ったよね〝カナダに珍しい温泉があるから行こう〟って、そうしたら牧野〝そんなに遠くまで行かなくても、類と一緒なら何処でも構わないよ〟って。でも俺はどうしても洞窟の温泉に入りたくて食い下がったけど、結局、俺ん家の風呂に一緒に入ってそれっきりだったよね。
今なら分かるよ、傍に居たいって思う愛しい人と一緒なら、場所なんて関係ないんだって。その場所は単なる演出効果であって、総ては自分の心の中にあるんだよね。現に牧野とこうして一緒にいると、普段見慣れた場所も格別に映って見えたり、特別な場所に変わっていくんだからさ。


今日はアイツとのトラブルもなく無事に過ぎ、夜がやって来た。
ベッドは別でも同じ部屋の中で眠っている牧野、顔を傾けると牧野の寝顔を見られる距離で過ごす夜は、正直つらいものがある。
牧野にはまだ自分の気持ちを伝えていないけど、俺は牧野を心から愛している。隣で軽く寝息を立てている牧野は俺たちの将来のことをどう考えているのか、眠れない時間が流れ、ふと気が付くとアイツがそんな俺を見ていた。
不敵な笑みを浮かべて俺を見ていたアイツは、牧野の寝返りとともに俺の視界から消えた。

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2008年10月21日 (火)

愛は神より強し 第2話

第2話 俺は神様だ


一度袖を通したら脱ぐことは許されない現状で、風呂のない牧野のアパートでは銭湯にも行けないということで、72時間の間、俺の家で過ごすことになった。
俺的には72時間と言わず、その先もずっと居てほしいんだけどね。まぁ~今はそんなことより〝何が起きるのか分からない〟と言った総二郎の言葉が引っかかる。不思議なパワーを得るのも大切だが、無事に3日間をやり過ごす方がもっと大切だから。


「ああ、お腹いっぱーい」
牧野は満足そうにお腹を擦りながらソファに座る俺の隣に腰を下ろした。
「くくくっ…、すごい食欲だったけど、お腹大丈夫なの?」
「平気平気!
 あんな豪華な料理を目の前にして食欲が出ない方がおかしいわよ」
いつも静寂な部屋に独りでいるのが当たり前で、それを好む自分は嫌じゃない。だけど、生き生きと瞳を輝かせた牧野を見ていると、静寂な部屋に戻った時、独りでいることに耐えられないんじゃないかと不安になる。
そう、一度幸せを知ってしまうと、普通だと思っていた日常が色褪せ、時間が過ぎていくとともに環境や心に変化が現れる。その動きに俺はついていけるのだろうか。
――牧野、アンタはどう思う?
   あのアパートに独りで暮らして、俺が傍にいたらって思う?
   ここで3日間過ごして
   その先も俺とずっと一緒にいたいって、そんな気持ちになる?


「類、もしかしてあたしの顔になんかついてる?」
愛おしむ心が増幅されて、俺はしばらく牧野の顔を見ていたようだ。
「なんか瞼についてたような、・・・ちょっと目をつぶってみて」
「・・・・・・。」
俺の策略にハマった牧野は両目を静かに閉じた。
牧野の顔にそぉーっと近づくと無防備な唇を狙って、狙って。俺の唇はあと数センチで温かいものに触れるはずなのに、何故か届かない。
――どうして?
俺と牧野の距離は縮まっているのに触れることが出来ない。
「類ったら、何してんのよ?・・・もう目を開けちゃうからね」
――確かに類の顔が近づいて来た気配を感じて期待して待ってたのに
   何もしないの?
   瞼に何かついてるなんて見え見えの嘘だって分かってて
   目を閉じて待っていたのに


俺は牧野の胸元に視線が釘付けになっていると、牧野はゆっくりと探るように瞼を開け、そして俺の視線を辿るようにその先に視線を移動させた。
「うわああぁぁぁああ――!!」
大声と共に俺は突き飛ばされ、牧野はソファの端まで瞬間移動した。俺は唖然として牧野の顔と胸元を交互に見つめた。牧野は強張った顔で再び恐る恐る自分の胸元を見る。
そこには、カエルのプリントが、いや、カエルが手と足を思いっきり突っ張って俺たちの密着を阻止するあり得ない光景。


「なっ!なによコレ?」
牧野の大きな目は更に大きく見開いた。
「おっ、お前は誰だっ!」
俺は気が動転して変なことを口走った。
「俺か?俺は・・・」
「ちょっ、ちょっと待って!・・・・・・・・・なんか喋ってる
 どうして?なんでカエルが、・・・・・・なんでシャツが動くの?」
「驚くのも無理はねぇ
 俺はな、こう見えてただのカエルじゃあねえんだ」
――そんなの見りゃぁ分かる・・・けど・・・
「姿、形はこんなでも、俺はれっきとした神様だ!」
そう言ってそいつは偉そうに腕組みして腹を突き出した。
「「か・み・さ・ま?」」
俺たちはお互い顔を見合わせた。
牧野の目は驚きで真ん丸になっている。たぶん俺も同じ様に目を見開いているんだろう。

「おいっ!」
暫くの間、俺たちは放心状態に陥っていると、神様だと名乗るソイツが声を掛けてきて現実に引き戻された。
「おいっ!聞いてんのか?」
「おい!おいっ!って何よ!嫌そうに
 あたしには〝牧野つくし〟っていう名前があるんだから
 おいっ!って気安く呼ばないでよ!」
一気に捲くし立てる牧野、動揺してるって見え見えだ。
ある程度のことを聞いていた俺でさえこの有様だ、何も知らない牧野なら仕方がないよな。ってゆうか、動けて、喋って、こんな化け物が牧野の胸元に3日間もいて大丈夫なのか?
これが総二郎が言っていた〝何が起こるか分からない〟ってことだとなのだろうか。


「もう、気持ち悪いったらありゃしない、脱ぐ!」
牧野は腕をシャツの中に引っ込めようとした。
「いいのか?一度ならず二度までも繰り返して・・・」
カエルのその一言に俺はハッとして牧野に駆け寄った。
「待って牧野!脱いじゃだめだよ」
「類・・・、どうして脱いじゃいけないの?こんなのもうやだよ」
「ごめん牧野、言い忘れてた事があったんだ
 そのTシャツは72時間の間に脱いだら大変な事が起きるって
 総二郎が言ってたんだ」
「・・・大変な事って?」
「ん、俺もよく分からないけど
 今起きていることがそうなんだと思う
 だってそのカエルってあり得ないでしょ?」
「確かに・・・、でもどうして?」
「さっき洗面所で一度着て直ぐに脱いじゃったでしょ」
「あっ!・・・そうだあの時・・・」
ここでまたTシャツを脱いでしまったら、もっと大変な事が起きるのだろうか。それとも何事もなく無事解放されるのだろうか。いずれにしても俺には牧野をまき込んでしまった責任がある。
「牧野、俺はどんな事があっても牧野を守るよ
 この先また何が起こるか分からない
 このまま72時間過ごすか、いま脱ぐかは牧野が決めて」
牧野は眉間に皺を寄せ、時折カエルの様子を窺いながら考え込んでいる。アイツはじっと口を結んだままだ。


牧野はしばらく考えてから俺に凛とした瞳を向けた。
「あたしこのままでいいよ」
「危険な目に遭うかもしれないんだよ、それでもいいの?」
牧野は躊躇することなく俺に微笑んだ。
「類があたしを守ってくれるんでしょ?」
「大切な牧野だからね、全力で守るよ」
「だったら最後まで見届けようよ、本当に神様なのかをさ」
そう言って牧野はアイツにデコピンをした。アイツはムッとした顔をしただけで反撃も暴言もナシだ。


考えて見れば、キスを阻止されただけで特に何か危害があったわけではない。俺が重大に考え過ぎているのだろうか。いやいや油断は禁物だ。
「そうだ牧野、今日と明日だけだから、ここで一緒に寝よう」
「・・・えっ、・・・一緒って、・・・同じベッドで寝るってこと?」
予想した通り牧野は顔を赤らめた。その様子をアイツは上目使いで見ている。
「そう願いたいけど、残念ながらハズレ
 男がソイツに触れると効果がなくなるんだって
 だからこの部屋にもう一つベッドを置いて、別々に寝るってこと」
「〝そいつ〟ってなんだ、神様と呼べ」
じっと目をつぶっていたソイツが口を挟んだ。しかし、牧野は無視して話を続けた。
「そんな面倒くさいことしなくても
 あたしがゲストルームに寝ればすむじゃん」
「動いて喋るような訳分かんないモノと一緒に寝るんだよ」
「だから〝神様〟と呼べって言ってるだろ!」
俺も完全無視。
「牧野は平気なの?・・・それに別々の部屋で寝たら牧野を守れないよ」
「・・・平気・・・じゃないけど・・・」
「けど?」


俯く牧野を見て、俺は何をしているんだろうって胸がチクリと痛む。
どんな力があるかは知らないけど、牧野を想う気持ちには変わりないのに、それなのに安易にあんな訳の分からないモノに頼るなんて、情けない。
「やめよう」
「・・・えっ?」
「あんたを不安にさせるために着せたんじゃない
 牧野の気持ちも考えないで押しつけてゴメン」
奇声を発したり声を荒げたりしていた先ほどとはうって変わり、今は重い空気が流れ始める。


俺たちは一つの長いソファの左右に距離を置いて座り、やり切れない無言の時を迎えた。自称神様のアイツは大きな目をクリクリと動かし、俺と牧野を交互に見ている。
「なんだ、この雰囲気は?お前ら、もしかしてケンカしてんのか?」
――なんでこんな状況でそんなこと言うかな
   神様ならどんな状況か分かるだろ
   喧嘩売ってるのはオマエだろう
オマエが何か言う度に神経が逆なでされるようだ。ましてやこんな結果を生み出した自分自身にも腹が立っているというのに。


「アンタ、神様だか何だか知らないけど、ずいぶん態度がでかいわね」
「イテテテッ!や、やめろ!」
牧野はアイツの頬っぺたをグイグイと左右に引っ張って揉みくちゃしている。
「類、ガムテープある?」
「あると思うけど、どうするの?」
「決まってるでしょ!コイツの口と目を塞ぐのよ」
牧野は意地悪そうな目でニヤリと笑って、アイツを見下す。
アイツの目の辺りはピクピクと引きつり、怯えたように俺に視線を向ける。まるで救いを求めているように見えるのだが。
「ぷっ!くくくっ…」
俺は内線でガムテープを持ってくるように伝えると、牧野の隣に腰掛けた。
「続行ってこと?」
「決まってるでしょ!
 コイツの力を見届けるまでは誰が脱ぐもんですかッ!」
「くくくっ…、あんたらしいね
 俺はコイツの力がなくても、牧野を想う気持ちは誰にも負けないし
 あんたを想う気持ちは、増えることはあっても減ることはないんだ
 だから、牧野がイヤだと思ったらいつ脱いだっていいんだよ」
牧野は頭を小さく左右に振った。

たぶん、牧野は最後までこのTシャツは脱がないだろう。一度決めたら最後までやり遂げる、あんたはそうゆう強い意志を持っていたよね。
淡黒の瞳は純真で、真っ直ぐで、人を惹き付ける不思議な瞳。
そんな瞳に見つめられたら、俺はあんたを力任せに抱きしめたくなる。
籠の中の鳥のように、俺は一生この腕の中に収め続けるだろう。


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2008年10月20日 (月)

愛は神より強し 第1話


第1話 特別なTシャツ

「牧野、今から俺ん家に来れる?」
『うん、いいけど。・・・何かあったの?』
「渡したい物があるんだ、そっちに車回すから」
『わかった、じゃあ待ってるね』
俺は携帯電話の電源を切ると、総二郎から渡されたTシャツを広げて見る。
普通の白い綿のTシャツで、胸の辺りにカエルの絵が描かれてある。まるであの、ど根性…、なんとかを連想させるような。
「くくくっ…、こんなダサいの、いくら牧野でも嫌がるよね
 総二郎はどこからこんな物を…、なんでカエルなの?くくくっ…」


暫らくして扉をノックする音がする。
「類、入ってもいい?」
「入っておいで」
「何なの?渡したい物って」
「総二郎から貰ったこのTシャツ、ウソかホントか分からないけど
 なんか不思議な力を持っているらしいんだ」
「不思議な力って?」
「それは・・・、愛が成就するためのキューピッドになってくれる
 力を持っているんだって」
総二郎の話によると、このTシャツは好きな人の気持ちに敏感になり、ハートチャクラを活性化して、人を愛するエネルギーを高めたり、交際中の恋人との関係をスムーズに結婚まで成就させる力を持っている、特別なTシャツとのこと。
ただ、この効果を得る為には条件があるという。それは、相思相愛で真剣に同じ未来を考えていることと、カエルの絵に男性が触れてはいけない、ということだった。


「ふ~ん、それってなんか嘘っぽい、あり得ない
 だって、西門さんのことだから何か企んでんじゃない?」
「でも、もしも本当だったらと思うと・・・
 俺は絶対牧野に着てみてもらいたいんだ」
別に総二郎の話を真に受けているわけではない。アニメの世界でもあるまいし、今時そんな力を持つモノが存在するハズがないのも十分に分かっている。

牧野と付き合ってから3年が経ち、そろそろ結婚をと考えている。でも、もしプロポーズして返ってくる言葉が「ごめんなさい…」とか「考えさせて…」とか、あるいは突然泣き出して外に飛び出したり、吹き出して笑いが止まらない状態になったりしたら、と考えると怖くて切り出せないでいた。今のままでも幸せであることにかわりはない訳で、リスクを背負ってまで結婚へと進むべきなのか悩んでいる。一方では別れた瞬間から会いたくなり、片時も放れていたくないと思う気持ちを、どうにも抑えることが難しくなってきているのも事実。牧野とのこれからの進展のきっかけになればと安易な考えで、総二郎の話に乗ってみることにした。


――類にしては珍しいじゃない
「ダメ?」
――類のそのビー玉みたいな瞳でお願いされたら断れないよ
   まったくズルイんだから!
「う、うぅん、しかたないね類の頼みだし、無碍には断れまい」
「やった!着て着てッ!今着て、すぐ着て、ここで着て」
「おいおい、調子に乗りすぎだっつーの。・・・洗面所借りるね」
洗面所に向かう牧野の後ろ姿をワクワクしながら見送った。


「何このTシャツ、・・・カエルのプリント?今時あり得ないっしょ
 あの西門さんがねぇ、・・・にしてもダサすぎ」
類のコロンが微かに残る洗面化粧台の前に立ち、渡されたTシャツを両手で広げて見る。キャラクターもんのプリントシャツと総二郎、どう考えてもマッチしない。
「まぁ~いっかぁ、あんな類の顔見たらイヤって言えないもんね
 どうせ着るだけだし」


期待に胸を膨らませて待ちわびていると、サイドテーブルの上で携帯電話が小刻みな動きを見せる。
『類、さっき言い忘れたんだけど、・・・あのTシャツは・・・・・・』


「どれどれ、このダサダサTシャツ着てみるか」
鏡に映ったTシャツ姿の自分を見て何か違和感を覚え、ジーッと目をこらして見ると、胸のカエルのプリントの辺りがぼやけて見える。
「疲れてんのかなぁ、・・・でも昨日は11時間寝たし・・・
 あッ!えッ?えーッ!?なっ!なんなの、・・・これは・・・」


『・・・あのTシャツは袖を通した時点でもう後戻りできないから
 絶対72時間以内に脱がせたらダメだからな
 もし脱いでしまったら、・・・・・・大変な事が起きるらしいから』
「大変な事ってなんだよ?」
『それは、・・・俺にも分かんねえ。・・・けど、とにかく類がTシャツを
 脱がせるような行為をしなければ大丈夫なんじゃねぇ?』
「そんな大事なこと今頃言われても・・・」
『まっ、そうゆうことだから、牧野に着せる前に言っておくことだな
 3日後、楽しみにしってからよっ!じゃあな』
「そ、総二郎…」
――まだ聞きたいことがあったのに、総二郎のヤツ
俺は暫くぼんやりと総二郎の言葉を思い返した。
<袖を通した時点で後戻りができない>
<72時間以内に脱いでしまったら、大変な事が起きるらしい>
――牧野・・・まさか?まさかだよな。・・・でもアイツなら


ドンドンドン!!
急に嫌な胸騒ぎを覚えた俺は慌てて洗面所に向かって扉を叩いた。
「牧野!牧野入るよ!」
勢いよく扉を開けて、俺の視界に入ってきたのは・・・。
「えっ!・・・る、類!どうしたの?そんなに慌てて」
呆然と立ち尽くす俺に、そう言いながら牧野は慌てて胸元をTシャツで隠した。
「類、・・・大丈夫?」
「ま、きの・・・」
俺は混乱して、牧野の胸元にあるTシャツをただ見つめていた。
胸元にあるTシャツ、それは今から着ようとしていたのか?
それとも、一度着て脱いだ後なのか?


「牧野、そのTシャツ・・・」
「あっ、これ?なんかねぇ、変なんだよ
 着てるとよく見えないから、今脱いだとこだったの」
俺が聞こうとしていることを牧野に遮られ、あっさりと答えられたことに自分の瞳孔が開いていくのが分かった。
「ぬい・・・だ?」
呟く俺の顔を上目使いで覗き込まれ、脳裏に総二郎の言葉が過った。
「牧野、早くそのTシャツ着て見せて、俺後ろ向いてるからさ」
「えー、今ここで着るの?」
渋る牧野に俺は天使の微笑みを向ける。
知ってるんだ、牧野はこの笑顔に弱いってことを。
「うっ」
「着てくれるよネ」
「もー類たっらズルイんだから・・・」
ブツブツと小言を呟きながら牧野はTシャツに袖を通した。


19時15分
不思議なパワーを持つとされる特別なTシャツ、いや、カエルは牧野の胸に大の字になって身を落ち着かせた。
一度脱いでしまったことで72時間の間に何が起きるのか分からない。未知なる期待と不安を抱え、俺たちの奇妙な時間がスタートした。

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2008年10月19日 (日)

PURE ANGEL[第3章]第2話


第2話

「花沢家と黒崎家は仕事以外にも個人的に付き合いがあって、類の
 お母さんは結婚する前から茜さんと仲良しだったみたい。それで
 類のことで色々と相談してたみたいなの。久々に会う両親の顔を
 見ても、プレゼントをあげても全然無反応で喜びもしなければ笑
 いもしないって。・・・普通の子供なら感受性が強く、思ったことや
 感じたことが直ぐに表情となって出るのに、類にはそういう事が
 一切無かったのを気にしていた類のお母さんに、茜さんが一度パ
 リに連れて来なさいって言ったんだって。それで類は黒崎に行く
 ことになったの」
そこまで言うとつくしはクッションを抱え類の方に向き直った。類もつくしの方を見るように肘を立て頬杖をついて横になる。


「あたしが黒崎に行くことになったのは、茜さんがあたしに類を合
 わせるためともう一つ、後継者問題があったからなんだって
 元々はあたしに継がせる予定だったみたいだけど、類の笑顔を見て
 断念したらしいの」
「なんで俺の笑顔なの?」
「類の笑顔を引き出したのはあたしだからって、茜さんは言ってた
 その時は分からなかったけど、類の家に行った時に類のお母さん
 から理由聞いたんだけど・・・」


急に口を噤んだつくしの顔を、類は首を傾げてイタズラっぽい目で覗き込む。
「なんで顔赤いの?」
「うるさいなぁ!ちょっと暑くなってきたの!」
「じゃあ、バスローブ脱げば」
火照る頬を手で扇いでいる隙を狙って、類の手がつくしのバスローブの紐を解こうとしていた。
――まったく類ってば…、分かっててワザと言うんだから
「わ、分かったから・・・
 つまり、類にとってあたしが必要な人物だってことを茜さんが類の
 笑顔を見て直感的に感じたらしいの。そして将来あたしを・・・類の
 お嫁さんにするってその時決めたんだって、だから家を継がせる
 のは断念したってこと」
「プッ、そんな歳から決められてたんだ。茜さんといい、母さんた
 ちといい、ずいぶんと長い計画立ててたんだね。・・・・・・で、俺を
 泣かせた理由は?」


「それは・・・、あたしが庭でアリの巣を見ていた所に類が来て、アリ
 の行列を踏んじゃったの」
「プッ、まさかそれで突き飛ばしたの?」
「そうだよ、可愛そうじゃん。アリだって必死に生きてるんだから
 確かあの時、・・・・・・類は尻餅ついたまんま目を真ん丸にさせてあ
 たしの顔をじっと見てた。何言ったかは覚えてないけど、・・・たぶ
 ん酷いこと言ったんだと思う。大きな瞳から涙が零れたのは覚え
 てる。マズイと思って類を起こして、手を繋いで庭中を歩き回って
 花を摘んだり、虫をいじったりして…。無表情だった類の顔がいつ
 の間にかあたしに笑いかけててさ、類の笑顔が嬉しくて、すごく可
 愛くて、羨ましくて、・・・眩しかった。あぁこの子好きだなぁって
 思ったの。・・・・・・生まれて初めて類が笑った記念にって撮った写真
 がこれなんだってさ。・・・類のお母さんがこの写真をくれたんだよ」
「それが初恋の理由?」
「そうだよ、人を好きになる理由なんてなんでもイイんだよ
 あたしは類の笑顔に感動して〝もっと笑顔が見たい〟あの時そう
 思ったんだもん」


「この写真の中の俺がずっと気になってた。幼い頃から苦痛の毎日で
 しかなかったのに、ひと時でもどしてこんな顔して笑っていられた
 のか不思議だった。つくし、前に俺に言ったよね?〝あたし達の出
 会いは偶然じゃない〟って。今なら分かるよ〝出会う運命だった〟
 って〝結ばれる運命だった〟って・・・、今はっきり分かる」
――俺は幼心にしてつくしの笑顔に魅了され、憧れたんだ
   静たちと何年も付き合ってきたのに
   一度だって心から笑ったことはなかった
   それなのにつくしはいとも簡単に俺の中に入り込んできた


つくしへの想いが心底から込み上げてくる。脳も細胞も血も総てがつくしを必要としていて、愛してやまないことを。溢れる想いを抑えることができなくなった類は、いきなり激しいキスをする。髪を弄り、頬や首筋に冷たい手を添え、執拗に唇を責め続ける。
「る・・・るぃ、・・・ちょっと・・・待って」
つくしの両手が類の胸板を押した。キスの嵐にとろけてしまいそうなつくしは、ささやかな抵抗を試みる。
起き上がろうとするつくしを類はそれを許さない。
「ダメ、俺を泣かせた罰」
つくしの耳元で甘く囁き生温かな吐息が包み込むと、再びつくしの身体は類に引き込まれていく。身体の全ての機能がストップしたかのように、ただ類の唇の感触と冷たい手だけを追う。

お互いに想う、君に触れると我を忘れていくことを――


バスローブ越しにつくしの胸にやさしく触れていた類の手がそのひもを解こうとしていた。
「お2人さん、熱いねぇ」
「まったくだぜ、見せ付けてくれるぜ」
沖縄に来たことは誰も知らない。そしてこの別荘には誰も居ないハズなのに何故か聞き覚えのある声がする。2人は度肝を抜かれて慌てて上半身を起こし声のする方へ振り向いた。
「そっ、総二郎・・・、あきら・・・」
戸口の傍で背を預けるように凭れ腕を組んで眺めていた総二郎とあきらがいた。
滋の別荘で司と滋のベッドシーンが瞬時に脳裏を過ぎったつくしは、まさか自分がその立場になるとは思ってもなく、おもいっきり慙愧した顔で乱れた胸元を隠すようにガッチリと鷲掴みにして、総二郎とあきらの間をすり抜けて隣の部屋に逃げた。


「のぞきの趣味あったの?」
類は不機嫌そうに言うとジーンズに足を通す。
「一応、声かけたんだぜ、ドアに鍵も掛かってなかったし
 開けてビックリはこっちのほうだっつーの、なっ!あきら」
「そうそう、声かけたんだよな。愛しのつくしに夢中になってたから
 類くんが気がつかなかったんだよ」
顔を見合わせてニタッと笑う彼らを類はギリリと睨む。
「で、なんなの?」
「類たちが沖縄の別荘に行ったって聞いたから、2人だけじゃ寂しい
 と思ってお兄さんたちが来てあげたって訳よ」
――余計なことを。どうゆう神経してんだよ
つくしと2人きりで過ごそうと思っていた類にとって、今日ほど彼らを恨んだことはないだろう。
タイミングの悪さに。そして、どこまでも腐れ縁だと――
類はベッドに座ると虚脱感に襲われ大きな溜息をついた。
「類、お前暗いぞ
 新婚そうそうからそんな顔してたらつくしが可愛そうだぞ」
「やっぱお兄さんたちが来て正解だったみたいだな」
「そうだな」
類の気持ちも知らずに総二郎とあきらは暫く好き勝手なことを話していた。
類は呆れ果て2人を置いてつくしの元に急いだ。


つくしが夕食の準備をしていると急に玄関の方が騒がしくなる。
「つくしーッ!」
勢い良く抱きついてくる滋、その後ろに微笑む優紀の姿があった。
つくしと滋と優紀は夕食の準備をしながら近況報告し合う。ダイニングテーブルでは、類と総二郎とあきらはワイン嗜みながら他愛のない話をしている。
無邪気に笑うつくしの姿を見て、不機嫌だった類も自然と頬が緩む。そんな類の様子を見て総二郎もホッと心が和む。
「類、幸せなんだなぁ。体全体からオーラが出てるぞ」
「ホントだぜ、見るからに愛妻家だよな」
「俺はこの世でたったひとつ、欲しいものを手に入れたからね
 〝目に入れても痛くない〟って言葉あるだろ?そんな感じだよ」
「苦労して手に入れたものは、重みがあって貴重ってことか
 ・・・考えてみりゃお前らいろんな事あったもんな」
「俺に言わせりゃ、お前らの人生ってジェットコースターだぞ」

沖縄から帰って来ると類とつくしの生活は一転して忙しい毎日となった。
類は大学に提出するレポートの追い込みと、仕事に必要な資料や報告書作成の為に膨大な数字と悪戦苦闘の毎日。つくしは試験に向けての勉強、花沢物産や子会社などの経営状況や財務体質、方針、人材、福利厚生、株の運用などの把握。
クリスマス、つくしの誕生日、お正月、類の大学卒業、類の誕生日、つくしの入社と、2人の行事はめまぐるしく過ぎていった。


「つくし、午後から休み取ったから俺も行くよ」
「類、大丈夫なの?」
「うん、そのために昨日頑張ったから。つくし、今日本社に来るでしょ?
 1時に下のロビーで待ってるから一緒に行こう」
「でも・・・」
「俺たちの子供だろ?」
「うん、分かった」

今日は7月25日
つくしと類の子供の命日

流産して入院していた看護師さんが言っていた
人が亡くなれば火葬か埋葬をして供養する、そして代々受け継がれていくが、流産(水子)の場合はその日だけの供養で終わる人が多いと。
何故なら、亡くなった子の歳を数えるのは、あまりにもつらく悲しいだけだからと。この世に命があるもの、これから命を授かろうとするものの方に希望を託したいから、縋りたいからと。
つくしは次の希望が無いと知った時から決心をした。自分が生きている限り、愛する人の子の歳を数えようと。


供養を終えてお寺から出ると、目が眩むほど眩しい太陽が2人に照りつける。じっとしていても汗が滲んでくるほど暑いにも関わらず車に乗るのはやめて歩くことにした。
ここ数ヶ月、時間に追われる生活をしていた2人にとって、こうしてゆっくりと並んで歩く時間が貴重に思えた。また、2人で肩を寄せて歩くこの雰囲気は学生時代にタイムスリップしたかのようで懐かしく思えた。
散策を楽しんだ2人は〝たまには外食しよう〟という類の意見で、総二郎たちの御用達以外のレストランに来ていた。


「久々に歩いたら、なんか足がパンパンになっちゃった」
つくしは椅子に腰掛けると脹脛を揉み始める。
類はつくしの言動がおかしくて笑みが漏れる。
「昔のつくしじゃ考えられないね、たまには歩きなさいって俺たち
 に言ってたのにさ。・・・・・・そう言えば総二郎の家でお茶点てても
 らった時のこと覚えてる?つくしが立ち上がろうとして女の子と
 頭をぶつけたことを。クククッ…、あの時、すごい音してたけど」
「ああ~サラさんね、覚えてるよ
 類は抹茶ミルクにしてって、そんな不純物入れられるか!って
 総二郎が怒ってさぁ。・・・なんか懐かしい」


「毎年、今日みたいに過ごそう」
「・・・えっ?」
「つくし、同じ歳数えるんだったら、命日じゃなくて誕生日として
 こうして毎年レストランで2人でお祝いしよう。どんな形であれ
 俺たちが子を思う気持ちと存在を忘れないように」
オーダーしたオレンジジュースが運ばれて来ると類はそれを自分の隣の空席に置いた。
「俺たちが悲しむと子供も悲しむ、俺たちが喜ぶと子供も喜ぶんだよ」
涙を流すつくしに類は笑顔を向け続ける。
子供が産めない身体だと知ったつくしは類を諦めよう、そして元の生活に戻ろうと決意した。類や花沢の将来を考えるとその選択しかないと、辛く苦しい自分の気持ちに蓋をした。


不安や恐怖があるとそれを追い払いたいと思う
不安や恐怖に気付く前の生活に戻ろうとする
壁を築いて中に籠もろうとする
壁の中の違う世界に
元の生活なんか求めても意味が無い
隠れるか不安と恐怖と対決するか
どちらかしか選択はない


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2008年10月18日 (土)

PURE ANGEL[第3章]第1話

第1話

類はつくしと2人っきりのマンションでのあま~い生活を楽しみにしている。薫と葵はたとえ僅かな時間でも花沢家で息子夫婦と一緒に、楽しく過ごす生活を心待ちにしている。
お互いの思いは交わることなく、板挟みとなったにつくしは頭を悩ませていた。花沢家という大きなお屋敷での生活に戸惑いを感じながらも、後々の事を思えば早く慣れたほうが良いだろうと考慮したつくしは両親の意見を受け入れた。
今まで類が使用していた部屋の奥に30坪(60畳)ほどの部屋が増築され、類とつくしの新婚生活は花沢家から始まり2週間が過ぎた。


「類、ごめんね」
つくしは拗ねる類に申し訳なさそうに謝る。
「もういいよ」
類は不機嫌そうに言うとソファに腰を下ろした。
――怒ってる、絶対怒ってる。…どうしよう…
   ここはなんとか機嫌を取らなきゃ…だよね
   でもどうやって?…甘えてみる?いやいやそれはちょっと…


考え込んで百面相しているつくしを類はじっと眺めている。
――別に怒ってないのに…。その顔、笑える
つくしは類の隣に座り何かを言おうとしたその時、突然類がクスッと笑った。
「そんなに眉間にシワ寄せてたら、可愛い顔が台無しになっちゃうよ
 怒ってないから。……それとも今から引越しする?」
つくしの顔を覗き込み意地悪っぽく言うとニコッと微笑む。つくしはその微笑に軽い眩暈を起こしそうになる。
――策士だ


自分が拗ねたり、あまえたり、微笑んだりする表情や言動につくしは弱いということを類は十分に分かっていた。つくしもそれらに弱いことを自覚していながらも、イヤとは言えない自分を知っていた。
でも今回ばかりは類に応じることはできない。
――今から引越し?…まだ諦めてなかったの?
眉をピクピクさせて引きつらせるつくしの顔を見て、類は笑いのツボにハマっていく。


自分の顔を見て笑われたつくしは面白くない。ムッとした態度で立ち上がろうとするといきなり類に腕を掴まれ、その反動で類の膝に乗る体勢になった。つくしは一瞬何が起きたのか分からずにボーッとしていると、類の腕が肩に回され身動きが取れない状態になる。
気付けば、類の膝に座り、密着する体、横には微笑む顔があり、つくしの顔は見る見るうちに赤くなると同時に鼓動が速まっていく。
「誰にも邪魔されずにいつもこうしていたいって思ったから
 つくし沖縄に行こう!2週間くらい2人だけでのんびり過ごそう
 春になったらつくしも仕事始めるだろ、だから親とかあいつらとか
 誰も知らない所で2人だけの時間を過ごしたい
 つくしだけを見ていたい」
類の甘い声が脳を刺激し、愛しくも可愛くも感じられる。そして、優しく包んであげたい、微笑みを返してあげたい、そんな衝動に駆られる。
つくしは類の首に腕を回しギュッと抱き締めると、満面の笑顔を向けた。
「うん!行こう!」
類は満足げに頷きつくしの頭をクシャッと撫でると、ソファから立ち上がった。


「台風に当たらなきゃいいね」
――台風?……あぁ~そういえばテレビで言ってたっけ
   日本に上陸するとかしないとか…って…
「もしかして…、まさか…」
つくしは慌てて類を探した。
――何やってんだ?これってまさか…
類はクロゼットでごそごそと洋服をいじり、チョイスした衣類をベッドの上に放り投げている。
頬を緩ませ鼻歌で上機嫌の様子だ。まるで子供がお気に入りのオモチャをいじっているかのように。そんな類をつくしは少し離れた所で呆然と眺めていた。


「俺、勝手につくしの服も出したけど、これでいいかなぁ?」
つくしはベッドに近づき確認をする。
夏物と秋物の洋服、水着、ランジェリーと、一揃いベッドの上に置かれている。
――ひえーッ!なんで下着まで…
つくしは一気にベッド目掛けてダイブすると、下着を隠すように両腕で抱え込む。そんなつくしの突然の行動に類は少し驚いたが直ぐにクスッと笑う。
「顔、真っ赤だけど、…熱でもあんの?」
類はベッドに腰掛けるとつくしの額に手を当てた。
「だって恥ずかしいじゃん、し、下着まで」
「あぁこれ?俺、別に気にしてないよ。それよりシワになっちゃうよ」
つくしは大きな溜息をつくと上半身を起こし、類に恐る恐る確認をしてみる。
「これって…荷造りだよね?…ってことは…、これから行くってこと
 ・・・だよね?」
「善は急げ、でしょ」
――この人は…、人の意見聞かないのかよ
   まずは計画立ててからでしょ
   来月試験があるっつうのに…、はぁ


「ああ~気持ちいい」
つくしは両腕を高く上げ大きく深呼吸をする。
「来て良かったでしょ!」
突然の〝沖縄に行こう〟発言で2人は花沢家所有の沖縄の別荘に来ていた。
類とつくしは肩を寄せ合い、別荘のバルコニーから水平線を眺める。
人や時間を気にすることなく2人だけの時間が流れ、穏やかな空気に包まれる。


「類が旦那様で良かった。あたし、すごく幸せだよ」
2人は手を繋ぎながらのんびりと海岸を散歩する。
「嬉しいこと言ってくれるねぇ、俺もすごく幸せ
 こんな綺麗な奥さんがいて、…ちょっと気が強くて意地っ張りだ
 けど、それも含めてつくしが大好きだよ」
「あたしも類が大~スキ」
「やけに今日は素直だね」
「みんなから祝福されての結婚だし、それに初恋の人が旦那様なん
 だもん、これ以上嬉しいことないよ」
そこまで言うとつくしは類の顔を覗き込むとニヤッと笑い、戸惑わせる発言をする。
「ちなみに、あたしの初恋は6歳の時だった」
類は足をピタリと止め不思議そうにつくしを見る。
「……6歳のとき?」
――初恋の相手が俺で、旦那様が俺で…
   16じゃなく、6才って言ったよな、なんで?俺の聞き間違い?
   俺をからかってるのか?あんなにケラケラ笑って…


考え込んでいる類を面白そうに眺めていたつくしは、脱いだサンダルを片手に持つと波打ち際の方へ歩き出す。
「あたしねぇ!2度、初恋したんだよッ!」
つくしは振り返ってそう言うと、海の方に走って行った。
――2度…初恋って…、初恋は1度きりでしょ、なにそれ?
難しい顔をして考え込む類をよそに、つくしは波が押し寄せる度に跳ね回り、子供のように無邪気にはしゃぐ。陽光が身全体を柔らかく照らし、腰まで伸びた艶のある黒髪が揺れる。


海の面が太陽にきらめき
あるのはこの幸せな時だけ
ときめく心に栄光の時が訪れ
あるのは未来だけ


「アハハハッ…。類の真剣な顔、激レアかも。……知りたい?」
いつも類にからかわれているつくしは普段のお返しとばかりに反撃をする。
「うん、気になる」
「そう…、気になるんだぁ~」
「そりゃあ気になるでしょ、あんな言い方されたら」
つくしは楽しげにゆっくりと歩く類の周りを回転するように歩く。
「ふ~ん」
「ずいぶんと楽しんでない?」
「ふふふっ…。じゃあ、あたしを捕まえたら教えてあげる」
つくしはそう言って一目散に砂浜を走り別荘の方へと向かった。類もつくしの後を追い掛ける。


別荘の入り口に着いたつくしは乱れた呼吸と追いつかれそうな焦りとで扉を開けるのにまごついてしまう。
「捕まえた」
つくしは背後から抱き締められた。
類の鼓動を背中越しに感じて、つくしの鼓動は静まるどころか激しく高鳴っていく。
呼吸の乱れを落ち着かせた類はつくしを自分の方に向かせ、今日、何度目かのキスを交わす。
「汗かいたね」
そう言ってつくしは逃げるようにバスルームに向かった。
類も別のバスルームに向かう。
汗ばみ火照る身体に頭からシャワーを浴びせ、穏やかな心と爽快さが戻ってくる。
「あぁ気持ちいい」


つくしがバスローブ姿で部屋に戻ると、既に類はバスローブ姿でソファに座って寛いでいた。
つくしはイヤな予感がしてその場を去ろうと向きを変えて直ぐに、フワッと身体が浮く。行き着いた先はベッドの上で、完全に類にリードされなすがままのつくし。
「今、逃げようとしたでしょ?」
類はつくしに覆い被さるようにして身体を制する。
互いの顔の距離まで20センチ、意地悪なそうな瞳から優しい瞳に変わり、もはやつくしの脳はノックアウト寸前になる。
「つくし」
類の甘い囁きにとろけてしまいそうな自分との闘いになんとか耐えて、類のペースに誘い込まれるのを防いだつくしはやっとの思いで言葉を発した。
「お、教えるから…ね。この続きはあと…」
つくしの言葉を遮るように類は口を塞いだ。


このまま類の腕に抱きしめられたいという欲望がつくしの中に湧き始めるが、この局面もなんとか乗り越えて口を開く。
「る、類、……前に財布プレゼントしたでしょ?
 その中に写真も一緒に入れたんだけど、覚えてる?」
「うん、つくしから貰った財布使ってるよ。写真も何枚か入れてる」
この先を続行することは無理だと判断した類は、財布を取り出すとつくしに渡した。2人はベッドに寝そべって、財布の中から何枚かの写真を取り出して眺める。
初めて撮った青山での写真・つくしの卒業写真・結婚式の写真
心底から笑顔を見せる写真は2人が歩んできた歴史の証。


もっと懐かしい2人の写真が類の手元にあった。
それはお互いまだ幼く穢れを知らない頃。
つくしはその微笑ましい写真を眺めながら楽しそうに話し始める。
「7歳の類と6歳のあたし。何が楽しいんだろうね?2人ともこんな
 に笑顔でさぁ~。その理由は記憶にないんだけど、類を突き飛ばし
 て泣かせた記憶はあるよ」
「えっ?俺たちそんな昔に出会ってたの?・・・全然覚えがない
 ・・・これ何処で撮ったの?」
俺、覚えてないけど。これ何処で撮ったの?」
「あたしが留学中に滞在していたパリの黒崎の庭だよ。学校の校庭く
 らいあって、この場所はバラ園だけど、この左側にはたくさんの花
 が規則正しく並んですごく綺麗なんだ。芝生も何ヶ所かあってね
 一番広い芝生の所には傘みたいな大きな木があって、天気の良い日
 はその木の下で本読んだりしたんだ。半分は居眠りだけどね」
「ふ~ん。…で、なんで俺がここに居るわけ?
 ・・・2度初恋の理由も聞いてないし」
「教えてもいいけど、すっごく長くなるよ。それでもいいの?
 類寝るんじゃない?」
「プッ、あまり長いと子守唄になって寝るかも」
「ああ!じゃあ、…話さない」
「ウソ、俺この写真気になるし、すっきりして早くつくしを抱きたい」
類はそう言ってつくしの頬にキスをした。
〝早くつくしを抱きたい〟という類らしいストレートな表現につくしは躊躇してしまう。

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2008年10月11日 (土)

PURE ANGEL[第2章]最終話

最終話

パリに旅立つ当日なって進から頼まれていた品物を揃えていなことを思い出したつくしは、空港に向かう途中で買い物をすることにした。
進から商品名などを詳しく書き込まれたメモを手にして僅かな時間で買い揃えたつくしは、ほっとした表情で待機している車に向かって歩いた。


「つくし?」
その様子は偶然にも道の反対側にいた類の目に留まった。
類はつくしを見失わないように目で追いながら慌てて横断する。


つくしは待機していた車の運転手に荷物を預けて車に乗り込む寸前、誰かに右腕を掴まれた。つくしは驚いて小さな悲鳴を上げて振り返ると、そこには息を切らした類の姿があった。
まさかの出来事にSPは次の瞬間には類の腕を捻り上げつくしを類の手から解放し、もう1人のSPがつくしを守るように立ちはだかる。
つくしはSPと共に行動をしたり、少し離れた所から見守られる、といったことにはだいぶ慣れてきていたものの、緊迫した状況に置かれたのは初めてだったのと、類がこの場にいたこととの二重の驚きに恐怖さえ感じていた。


「つくし」
類の声でつくしは我に返った。
「るっ…類…。……内田、放しなさい」
2人のSPはつくしの背後に身を引いた。
SPならば元婚約者である類の顔を知らないはずがない。例え新人のSPであっても情報や教育は受けている。それなのに自分を不審者扱いするこの状況を、類は悲しく思った。


「つくし痩せたね、…体の方は大丈夫なの?」
「うん、心配しないで、大丈夫だから」
「つくし、ちゃんと顔を見せて」
つくしはまともに類の顔を見ることができなかった。
ビー玉のような澄んだ瞳を見てしまうと、辛い思いを封じ込めて決心したことが揺らぎそうになるからだ。また、類に一言の相談もなく自分の事情で勝手に婚約を解消することを本人に直接会って話すべきだったのに、手紙という手段を取ったことにも負い目を感じていた。そして何よりも類を傷つけてしまったからだ。


「つくしと話がしたい」
つくしは俯き返事に困っていると、内田が割って入った。
「お嬢様、お時間がありませんが」
類は内田を一瞥して直ぐにつくしに視線を戻す。
「これから何処かに行くの?」
類は嫌な胸騒ぎを覚える。
たくさんの人が類とつくしの脇を通り過ぎて行く都会の喧噪の中、2人の間だけは静寂が漂う。


「類、あたしね…」
つくしが言い掛けた時また内田が口を挟む。
「お嬢様、奥様が空港にお着きになられました」
内田はドアを開けて車に乗るよう促す。
「あたしパリに行くの。…類、ごめんなさい」
ドアは静かに閉じられ、車は動き出す。


「パリに…」
類はつくしを乗せた車を呆然と見送った。
あまりにあっけないつくしとの再会だった。
非常階段で会っていた頃より、道行く人よりずっと遠い存在になってしまったことに、類は言い知れぬ虚脱感と寂しさに包まれた。
つくしは黒崎の人間で、自分はもはやただの知人になってしまったのかという思いがよぎる。
言いたいことも聞きたいこともたくさんあったのに、何も聞けず何も言えぬまま、天使は手の届かない場所に飛びたとうとしている。


――数日は良かった
   進の友達や学校の話や出来事を聞いてふざけあって
   いろんな所を見て、美味しいものもたくさん満喫して
   でもなんか違う…、何かが違う
   そう思い始めたのは1週間が過ぎた頃だ、…無理してるって
   あたしの中から類を追い出そう、追い払おうとしても
   あたしに微笑みかける類の顔が浮かんで離れない
   切り離すことの出来ない存在
   何処に逃げてもこの記憶は消せないことを
   知らないふりして、でも本当は最初から知ってたんだよね


「姉ちゃん、日本に帰ったら」
パリの黒崎の屋敷の一室でボーッとしているつくしに進が声を掛けた。
「今の姉ちゃん見てたら誰だって帰れって言うよ
 〝心ここにあらず〟って感じで・・・
 逃げたってなんの解決にもなんないんだよ
 自分が一番分かってるんでしょ?……今、何をすべきか」
「進!何よその言い方!まるであたしがいると邪魔みたいじゃないの」
――ホント人のことよく見てるね
   ……あたしがすべきことは、分かってる
   自分と…、類と…、向き合うことだ


「つくしさん、わたくしも進くんの言う通りだと思うわよ
 2人でじっくり話し合いなさい。どんな結果を出したとしても
 それは2人が決めたこと、自分達の将来のことですもの誰も文句
 は言わないわよ。前にも進めない、後にも戻れないじゃつらいで
 しょ?……わたくし達はどんなことがあっても、つくしさんの味
 方だということを忘れないでね」
そう言って茜は微笑み、つくしの手に航空券を握らせた。
茜と進の温かさに胸が熱くなり、張り詰めていた思いが一気に溢れ出す。
――ありがとう
   あたしは独りじゃない、見守ってくれる家族がいる


つくしがよく中庭に出て散策していたように、類も中庭に出てみた。つくしが散歩コースにしていた道を辿るようにゆっくりと足を進めると、パリに発つ前日に持ってきた子宝草に目が留まる。
――こんなに大きくなったんだぁ
類は子宝草の前にしゃがみ込み、当時のことを振り返る。

――枯らさないようにって気にして、…枯らしてしまったら
   つくしが俺の元に帰って来ないような気がして…
   あの頃は必死だった
   皮肉だな、……お前はいっぱい子の葉を増やしていくのに
   つくしは…


「類さま、……類さま」
類は角田の声で現実に戻される。
「類さま、旦那様と奥様がお戻りになられました」
類は立ち上がると大きく深呼吸をして空を見上げた後、両親がいる部屋に向かった。

「つくしに会う前に、お父さんとお母さんには僕の意思を知って
 おいてもらいたくて伺いました」
硬い表情をする両親を類は見据える。
「お前の意思?」
「僕にとって何が一番大切なのか、失ってより一層確信しました
 僕にとって牧野つくしはすべてで、生きる糧です
 彼女が傍にいてこそ僕の人生が、未来があるのです」
「それは、つくしさんを選ぶということかね?」
「はい。このままつくしを失ってしまったら、僕は生きていく意味
 がありませんから」
なんの迷いもない強い眼差しと力強い言葉に、薫と葵は並々ならぬ決意を感じ取っていた。


「お前の人生の中には花沢もあるんだぞ
 お前がつくしさんを選ぶということは、花沢の跡取りが途絶える
 ことになるんだぞ、それを認識しての事なのか?私達は孫の顔を
 見ることはできないんだな?」
「僕はつくし以外の人と結婚なんて考えていません
 もしつくしと結婚することができないのであれば、僕は一生独身で
 通すつもりですから、どちらにして孫は期待できないと思います」
「なっ!私を脅すつもりかね?」
「脅す?くくくっ…、とんでもない
 僕は自分の手で自分の子供を殺したんですから、自業自得ですよ
 ……つくしには申し訳ないと思っていますが…」
血迷ったように笑う息子を見て薫と葵に戦慄が走る。そしてつくしから事情を聞いていた内容との食い違いに焦る。


「類ッ!こ、殺したとはどいうことだ?」
「僕がつくしの腕を振り払ったせいで階段から落ちた、そのせいで
 つくしは流産した。……僕は一番大切な人を傷つけてしまった
 …そして子供までも……殺した」
薫は目を伏せ、葵は類の傍に寄りそっと肩を抱く。
「類くんのせいじゃないわ、事故だったのよ。そんなに自分を追い詰
 めないで。そんな類くんの姿を見たらつくしさんだって悲しむわよ」
薫は沈痛な思いで息子を見つめる。
――お前の気持ちは十分に分かっている
「このままでは道義的に筋が通らない。つくしさんとじっくり話し
 合ってきなさい。この話はその後に聞こう」
薫は硬い表情で心とは裏腹な態度で部屋を出て行った。


「茜さんから連絡があって、つくしさんね一昨日パリから戻られた
 そうよ。つくしさん、類くんのことばかり考えていたって茜さん
 が笑って話していたわ」
「つくし、帰って来たの?」
「ええ、そうよ。あの大きなお屋敷につくしさん独りでいるんです
 って。使用人はいても話し相手がいないのは寂しいものよ
 類くんなら分かるでしょ」
「つくしの部屋で偶然母子手帳を見つけた時、俺すごく嬉しくて…
 暫く眺めていた。……これから成長記録が記入されていくはずだ
 ったのに。……つくしが苦しんでいる時に俺は何も知らずに喜ん
 でいたんだ」

――俺を受け入れてくれるだろうか?
黒崎邸を訪れた類は客間に通され、不安な気持ちを抱えてつくしの入室を待っていた。高鳴る鼓動を静めようとソファには座らず、窓際で外の景色を眺める。
綺麗にカットされた芝生、幾つもの薔薇のアーチに陽光が照りつけ、自然が織り成す風情は誰もが心を和ませものだが、極度に張り詰めた今の類にはただの切り取られた景色が並んで見えているだけだった。


暫くするとカチャッと音がして、類は扉の方に振り向き視線を集中させた。ゆっくりと扉が開くとそこには愛してやまないつくしの姿があり、堪えていた想いが一気に溢れた出た類はつくしの元に歩み寄ると抱きしめる。
この瞬間をどれだけ待ち望んでいたことか。
――つくしが俺の腕の中にいる、これは夢の中じゃない
   悪夢の中に何度も登場しては虚しく消えていった
   あのつくしじゃあないんだ

  
少しして類の胸から離れてテラスの方へ歩き出したつくしを、類は目で追った。
「つくし、今日会いに来たのは、これからのことをはっきりさせた
 くて来た。前なら何の意味もない人生でもそれが俺の進む道だと
 諦めていたけど、今は違う。つくしに出会ってしまったから…
 俺の人生からつくしをとったら何も残らない、だから牧野つくし
 をお嫁さんにする。嬉しい事や悲しい事をふたりで分かち合って
 生きていく、そう決めた」
――類…、どうしてあなたはそうなの
類の話に憮然とするつくしは目を伏せため息をつく。


少ししてつくしは硬い表情で類に向き直った。
「なに言ってんの、なに言ってんのよッ!
 あたしを選んだら類はどうなるの!?…花沢はどうなるのよ!?
 ホント自分勝手なんだから、そう簡単なことじゃないんだよ」
声を荒げるつくしの鋭い瞳と類の澄んだ瞳が絡み合う。
「俺は、今まで同様にこれからもずっとつくしと一緒にいたい
 そう思ってるんだから簡単なことでしょ。子供が全てじゃないよ」
――どんな状況になっても変わらず愛してくれる
   類の気持ちが嬉しい、とても嬉しい、…けど…
「一時の感情で決めないで!人生は長いんだよ
 きっと、…後悔する時がくる」
類はクスッと笑い背けたつくしの顔を覗き込む。


「俺の精子に問題があって〝子供をつくることができない〟
 って言われたら、つくしはどうする?」
「……えっ?る、類が…」
目を丸くして驚くつくしに類は頷く。
――そんな事あるわけないでしょ
   身に覚えがあるハズなのにそんなに驚いて
「俺と別れる?」
つくしは頭を横に振って否定した。
「どうして?」
「…だって…類は類だもん、そんことで別れたりしないよ」
「つくしに捨てられたらどうしようかと思ったけど、それ聞いて
 安心した」
「なっ、あたしが類を捨てる?なんであたしが?」
「くくくっ…。これでも俺は一度アンタに捨てられたけど
 深い深い谷底にね」
類が言っている意味がいまいち理解できないつくしは眉間にしわを寄せて首を傾げる。


「子供をつくることができなくても別れないって言ったつくしと同じ
 ように、俺もそうだよ。だからつくしをお嫁さんにするって言った
 俺の気持ち、つくしにだって分かるよね?」
類のペースにまんまとハメられたようだ。
「でも…、類とあたしじゃ話は別だよ」
ここまできてもまだ強情を張るつくしに類は軽く溜息をつくと、真顔になる。
「牧野つくしは花沢類のことを愛していますか?」
「なっ、何いきなり」
「いいから答えて」
類はつくしのどんな表情も逃すまいと凝視する。


つくしは類の真剣な眼差しに怯みそうになりながらも真っ直ぐ見つめ、その瞳に問いかける。
――今でも愛してるよ、そう言ってもいいの?
   一度口にしたら抑えていた想いが溢れちゃうよ
   類、それでもいいの?
「つくし?正直に生きるって言ったよね?」
「あたしは…、あたしは類を…」
〝愛してる〟そう言えたらどんなに楽か、でもその一言を口にする勇気がない。つくしは類からさり気なく視線を外し、俯く。


「つくし、自分を偽って生きる方が後悔するんじゃないの?
 臆病者として生きる人生に価値なんてないんだ
 俺はこの人生を受け入れるって決めた、つくしと共に歩む人生を」
類の固い意志が伝わり、つくしの目には溢れんばかりの涙が今にも零れそうになる。
「…るぃ」
類はつくしの手を取り意地悪そうな瞳を向ける。
「〝あなただけが救いなの〟〝あたしの気持ち覚悟してね〟
 そう言ったよね?あれはウソだったの?」
つくしは俯いたまま無言で頭を左右に振った。
「正直に生きたら、類や類の両親を苦しめることになる、それでも
 いいの?自分の子供を見ることも見せることもできないんだよ
 それでもいいの?」
類はプッと噴き出すとつくしの涙を指で拭いながら優しい瞳を向ける。


「苦しむかどうかは本人が思うことで、つくしが思うことじゃない
 でしょ。少なくとも俺や両親は思ってないよ」
類には後取りやら孫の顔がだのときつい事も言った薫も、本心は類とつくしには幸せになって欲しいと願っていたのだった。そして、会社の将来や花沢家の将来の事よりも息子の幸せを優先する事を選択したのだった。
「…えっ?」
目を丸くさせるつくしに類は柔らかく微笑み、そして頷いた。
「もう両親には言ってある、だから何も心配することはないだよ」


類はつくしの肩を掴むと真剣な眼差しを向ける。
「つくしの手紙、全て白紙にって書いたこと、白紙にしていいよね?」
つくしはコクンと頷く。
「つくし、俺と結婚してくれるよね?」
「はい!」
「つくし、ありがとう」
類はつくしを抱きしめ、つくしも素直に類を抱きしめ返す。
力強い返事に、類の心によどんでいた黒い霧は牧野つくしという風に流され青空の広がりをみせ、色褪せた未来に輝きを取り戻す。
類のかわらぬ想いに、つくしの心に孤独と負い目の暗い影は花沢類という風に流され、二度と戻らない所へと飛んで行った。


今の2人の心はなんの曇りもなく澄みきっている。
今あるのは溢れるほどの互いを想う気持ちだけ。そして、互いの温もりを感じる、これが現実であるということ。
人間はどんな艱難に遭おうとも、腹を決め前向きに生きていかなければ心身ともに健全な自分がない。ここに辿り着くまでには、山あり谷あり波乱に満ちた人生ならぬ、青春だったからこそ身をもって学んだことだ。

好いた同士は泣いても連れる


婚約パーティーから3ヶ月後
類とつくしは平成20年10月10日に挙式。
同日に入籍。

類の念願だった〝安心という保険〟が手に入った。
つくしにとっても辛く悲しい時期を乗り越えた分、有り余るくらいの愛を手に入れた。

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2008年10月 9日 (木)

路 ~ロード~ 最終話

最終話

「牧野、心配かけてゴメン」
「ううん、あたしにも責任があるから」
「何で牧野が。・・・俺が自分の身体を大切にしなかっただけだから
 牧野が責任を感じることなんてないよ」
静けさが戻った病室でつくしはベッドの横にある椅子に座っていた。
総二郎とあきらが出て行った今、2人きりの病室はとても広く感じる。


「身体の方は大丈夫?横になってなくていいの?」
「うん、牧野の顔見たら元気になった」
優しく微笑む類につくしの目頭が熱くなる。
一度失いかけた大切な人のその笑顔はいつも見慣れたものなのに、今はとても愛おしくて、なぜか懐かしいような感覚に陥る。


「牧野、なんで泣くの?」
「前に聞いたよね
 〝牧野の前から俺がいなくなったら、寂しい?悲しい?〟って
 そのことばかりが頭から離れなくて、・・・ずっと不安だったの」
「言っただろ、牧野を独りにして遠くに行ったりしないって」
「だって、花沢類が死んじゃう夢は見るし、・・・病室には入れないし
 やっと花沢類に会えたと思ったら、・・・・・・死んでるんだもん
 揺さぶっても起きないし
 本当に死んだんだそう思ったら怖くなって・・・」
「やっぱ牧野って、一つの事に集中すると周りが見えなくなるね
 くくくっ…」
「何がおかしいのよ?もう、人がどれだけ心配して」
つくしは言うのを止めた。
少し前まで絶望や憂慮したことが嘘のように類の笑顔で消され、つられるように笑いだした。


「久しぶりに笑った気がする、それに牧野の笑った顔も
 うさぎみたいな真っ赤な目より、やっぱ牧野には笑顔が似合う」
「うさぎ?」
「そう、うさぎ。・・・・・・ところでさぁ牧野、俺に何したの?
 それに家族じゃないとか、簡単に裏切らないとか言ってたけど」
当の本人ですらその事をすっかり忘れていたのに、類はしっかりと覚えていた。自分の取った行動を思い出して赤面するつくしを、類は面白がって覗き込む。


「そ、それは、・・・家族以外の人は入れないって言われたんだけど
 あたしがあまりにもしつこいもんだから、観念したんじゃないの
 ロボットみたいなSPでも、人の子だったってことよね
 あはははぁ…。・・・・・・そういえば、西門さんったら
 何言ってんのかな?あたしにはさっぱりだよ」
「ふ~ん」
「な、何よ、ふ~んって
 あっ!その目付き、・・・完全に疑ってる目してる」
「バレバレだって、自分でも分かってるんでしょ?観念しなよ」
優しい瞳の奥に意地悪さを含んでいることが気に入らない反面、全ての事を見透かしているような言い方に、嘘やその場しのぎの言葉など通用しないのだと悟る。


「えっと、・・・婚約者か、恋人だと入ることができるって言われて
 だってあの時は花沢類に会いたい一心で、必死だったから」
総二郎とあきらの謀略と解った今でさえ思い出すと胸が苦しくなる。
「やっとの思いで入れたのに、それなのに
 既に花沢類は死んでる設定だし
 何も知らないあたしは、・・・もう二度と花沢類には会えないんだ
 そう思ったら花沢類を、・・・抱きしめてて、・・・気付いた時には」
あの時は恥かしいとか躊躇いなどは一切なかった。自分が取った行動に後悔はしていない。だが今の状況はあの時とは違う。
それを本人に面と向かって口にしなければならないのと、それに加えて2人に見られていたという事実も手伝って余計に羞恥心が募り、どうしても最後の一言がでない。


「抱きしめて、それで?」
容赦なく追求してくる類の瞳は楽しげで、まるで確信犯のようにも思える。
「キ、…キスしてた。ああぁ!もう!あいつ等全部見てたなんて」
つくしはやけっぱちで言うと頭を掻き毟り、慙愧を隠すようにベッドに顔を埋める。
「牧野って意外と大胆なんだね
 それに寝込み襲う趣味もあったなんて」
「はい?そんな趣味あるわけないでしょ!……最期だと思ったから」
語尾が寂しげに聞こえたのは、その時に受けた悲しみが蘇ったからなのだろう。


「牧野、ありがとう」
「・・・えっ?」
「いつもの牧野でいてくれたから
 それと、目が覚めたのは牧野のおかげだから」
「だから、そ、それは・・・」
「分かってる、最期の別れだったてこと、それでも嬉しかった
 たとえ最期だったとしても俺を男として見てくれたから…でしょ」
「うっ」
「ぷっ!牧野には言葉なんていらないね」
「・・・・・・。」
「牧野の表情見てると分かる、否定してないって」
「はははぁぁ…。マイッタなぁ~、花沢類は何でも分かるんだね」
「誰よりも牧野の一番の良き理解者だと思ってるつもりだけど
 でも…、俺にだって分からないこともあるよ」
類が何を言いたいのかつくしには痛いほど分かっていた。
表情や行動である程度の予測はできたとしても、心に秘めた真意は言葉として伝えなければ、真実が分からないということを。


「花沢類に言わなければならないことがあるの」
神妙な面持ちで切り出したつくしに一瞬戸惑ったが、類もまたつくしと同様に何を言おうとしているのかを察した。
あの非常階段で突発的に告白したその返事だと。
「あたしは、・・・花沢類が好き
 どうしようもないくらい花沢類が好きなの
 もっと早くに言うつもりだったのに・・・」
他の人のことを想って泣いたり悩んだりしたことも、微笑む先が自分でなくても、苦しさや寂しさを隠して傍でずっと見守ってきた類にとって、今やっとそのつらい時期に終止符が打たれ、2人の心が一つになった瞬間だ。


一番欲しかった言葉にも関わらず、類は大きく目を見開き不安そうに瞳を揺らすつくしから視線を外すことなく固まっていたが、やっとの思いで口を開いた。
「まきの」
「花沢類といると、あたしがあたしらしく生きられるの」
そう言ってつくしは類の胸に飛び込んだ。
今のつくしには恥かしさなどない。かけがえのない人が生きていてくれたことへの感謝と、伝えられなかった想いを伝えることができた喜びに満ち溢れていた。


「俺も牧野がいるから、自分を見失うことなく前向きに
 生きられるんだ。・・・ありがとう、牧野」
この温もりが愛おしい。類はつくしをきつく抱きしめ返した。
生まれて初めて心の奥底から感じた喜び、そして幸福はそれ以上の言葉にすることはできなかった。


「もうこんなふうに病院に呼ばれるのはイヤ
 ・・・心臓が幾つあっても足りないよ」
悲しみの淵と幸せの絶頂の両極端を一度に経験したつくしの瞳から溢れる涙は、密着している類の温かな身体に吸い込まれていく。


つくしの笑顔を見た時、何も無い類の心に一欠けらの幸せが舞い込んできた。笑顔を見る度にパズルが完成していくように幸せが増幅していった。
しかし、つくしの悲しむ顔や泣き顔を見るとその幸せは一瞬にして消え、類の心を深い悲しみの谷底へと引きずり込まれるような感覚に陥る。
「ゴメンな。もう二度と悲しませるようなことはしないから」


「〝牧野が望む恋、俺としてみない?〟って言ったこと覚えてる?」
「覚えてるよ」
「花沢類、本当にあたしでいいんだよね?」
「うん、牧野でなきゃだめなんだ
 牧野でなきゃ俺は幸せにはなれない
 だから、俺の傍にいて、俺を幸せにしてくれる?」
「えっ?普通、男の人が幸せにするからって言うじゃないの?」
「普通はね」
「普通はね…って・・・」
「牧野は人に幸せにしてもらおうなんて思ってないでしょ?
 だから俺が牧野に幸せにしてもらうの、一生ね
 牧野が傍にいないと、いつまた入院する破目になるか
 分からないしね」
まだ何も始まってもいないのにプロポーズともとれる言葉に、つくしは真っ赤な顔で見上げた。そこには幸福に満ちた笑顔があり、その笑顔は心を温め幸せをも運んでくる。


「ズルイよ、そんな顔されたら」
「俺がズルイんじゃなくて、牧野がそうさせてるんだよ
 今の状況が特にね」
感情のままに類の胸に飛び込んだものの未だにその腕の中にいたことに、つくしはハッとして体を離そうとした。だが、類はそれを許さなかった。
「やっと幸せを実感してるのに。俺から離れたら、怒るよ」
苦しいくらいかけがえのない人を抱きしめながら、幸福に酔いしれる。


「その笑顔が一生見られるんだったら
 あたしが花沢類を幸せにしてあげる
 その代わり、返品はできないからね
 イヤだって言ってもくっついて放れないから、覚悟してよ」
「返品?くくくっ…。大丈夫、俺は一生もんだと思ってるから
 牧野こそ覚悟しなよ
 俺はもう我慢なんてしないから、すべてを受け止めてよ」
映し出す瞳も、欲しい言葉をかける口も、包み込む腕も、笑顔も、何もかもがつくしのためだけに存在する。この世に生を受けた時からそれは決まっていたかのように、素直になれる感情と表情はすべてつくしのためだけに存在する。

真意を伝えなければ、きっといつまでも平行線のままで交わることはなかっただろう。
真意を伝えれば、平行線のままの方が良かったと後悔したかもしれない。

このことで迷いや苦しんだりもしたが、類は気付いた。

君が目の前にいながら、僕の愛に気付かないことではなく
愛していながら、愛してないフリをすることのつらさを――


そして、つくしも気付いた。

いつも私の傍にいながら、あなたの愛に気付かないことより
いつも傍にいたあなたが、私の傍にいないことの寂しさを――

類に恋心を抱きながらも、静の元に背中を押した時期もあった。
つくしに恋心を抱きながらも、親友のために身を引いた時期もあった。
お互いに相手を想う時期があったにも関わらず、その時期がかみ合わないがために回り道となってしまったが、その回り道があったからこそ、その人が大切な存在なのだと気付く。

納得することも後悔することも、それらの出来事に無意味などない。
多くの真実を学ぶために用意された路なのだ。

~ Fin ~


(2007/5/20に掲載した作品です)

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2008年10月 8日 (水)

路 ~ロード~ 第5話


第5話

「花沢類が危ないってことも
 2人で泣いてたこともウソだったんだね」
「危ないって言ったのは嘘じゃねえよ、・・・意味は違うけど」
「どうゆうこと?」
「寝不足の反動で、類は3日間も目を覚まさなかったんだから
 ヤバイだろ?・・・眠れない次は寝過ぎだし
 類のことだ、いつ目が覚めるか分からないからな
 だから牧野に来てもらったんだよ
 類は牧野に敏感に反応するからさ」
「だからって・・・、あんな言い方しなくても・・・」
「するだろ〝大切なものを失った時に本音が出るのか?〟が
 テーマなんだからさ」


一つ一つの話は実際に類の身に起きたことで嘘ではないが、その事を利用して人を失意のどん底まで突き落とし、心を弄ぶ2人のやり方につくしの堪忍袋の緒は切れる寸前まできていた。
そんなつくしの心情をはぐらかすかのようにあきらは問いかける。
「ところで牧野、よく病室に入って来れたよな」
「えっ?・・・どうして?」
「言ってなかったか、家族以外は入れられないって
 牧野はいつから類の家族になったんだ?」
「家族?そんなわけないでしょ!
 ・・・あっ!・・・そういえば、あの人たちは?」
「あきらんとこのSP、リアルさを出すための演出だったって訳よ
 まぁそれだけじゃねぇけど…。牧野は家族じゃないのに
 どうして入ることができたんだろうな、あきら?」
「そうだな、絶対服従のSPが雇い主をそう簡単に裏切るとは
 どうやらあいつ等は失業したいらしいな」
2人の思惑通り役者に徹したSPをあきらはわざと追い詰めるような言い方をして、つくしに思い出させようと誘導する。


「あっ!」
「思い出したみたいだな
 お兄さんは嬉しいよ、お前が決心してくれて」
「妹よ、お兄さんの役目はここまでだ
 あとはお前がどれだけ素直になれるかだ
 くれぐれもお兄さんの期待を裏切るではないぞ」
厚い壁となって立ちはだかったSPはリアルさを出す為の単なる演出に過ぎず、極限まで追い詰めるやり方で決心させようとした。
次から次へと明らかになっていく驚愕の真相に、つくしは怨敵を見るように総二郎とあきらを凝視する。
類に会いたい一心でもがき苦しんだあの時を思い出すだけでもやり切れないのに、目の前の2人はしてやったりというふうな表情で自分を見ている。


「お兄さん、お兄さんって、うるさいわね!
 あんた達は最初からあたしを騙すつもりで・・・
 西門さんの電話を、あたしはどんな思いで聴いてたか
 どんな思いでここに来たかなんて、・・・あんた達には・・・」
わなわなと震わせる肩、硬く握り締める拳、ナイフのように鋭い目つきで威圧感を与え、怒りのオーラは身体全体から発せられ殺気立っている。


「まっ、牧野、そんなに怖い顔すんなよ」
「視線で人を殺せんるんなら、間違いなく俺は殺されたな」
「ああ。…なんて言ってる場合じゃないみたいだぞ
 マジで殺気だってるぜ。総二郎、この辺が潮時じゃねぇ」
肩を竦めて冗談を言ってみせる余裕のある態度の総二郎に反し、あきらの頭の中ではつくしの鉄拳や飛び蹴りがチラつき身震いするのだった。


「あきら大丈夫だって
 牧野が類に何をしたのか、俺たちはこの目でしっかりと…」
総二郎は不敵な笑みでつくしを一瞥すると、あきらと視線を交わした。
あきらは総二郎の目力で何を言いたいのかを察する。
今まではつくしがどんな反応を示すのか予測し、全て予定通りに事は運んでいた。ただ、つくしが類にしたことは想定外で驚かされたが、逆にこの事が彼らを更に有利に導き、つくしの怒りの矛先を変える手助けとなる。


「類、牧野はなぁ、あぁ見えて実は・・・」
「えっ?ちょ、ちょっと待って!」
総二郎は口角を上げると類の耳元に顔を近づけていく。そんな総二郎につくしは慌てて駆け寄ると、腕を引っ張って類から引き離した。
「みんなして何なの?・・・牧野、何でそんなに慌ててんのさ?」
類は怪訝そうな表情を浮かべた。


「べべ、別に慌ててなんか・・・いないわよ」
「くくくっ…、じゃあ、何で総二郎の口塞いでんのさ?」
2人にさえ手を焼く現状なのに、一番触れてほしくない話に加わって興味津々なのが、よりによって一番聞かれたくない類であることがつくしの頭を悩ませる。
「あれ?いつの間に?・・・あはははっ…」
つくしは塞いでいた総二郎の口元から手を離すと、場に応じた対処ができずに乾いた笑いで誤魔化そうとした。


「ったく、俺を窒息死させる気か?そんな度胸があるんだったら
 類にしたことぐらいどってことねえじゃん」
「ちょ、ちょっと待ってよ!何で?・・・あの時は確かに後ろを」
「向いてたよ、でも牧野は気付かなかったんだよ
 俺たちが向いた先が窓で
 鏡のようにハッキリと映っていたことを」
「しょうがないっしょ
 牧野は気が動転してたんだし、そんな余裕も・・・」
「…へっ?」
一部始終を見られていた、そう思うと恥かしさで顔が一気に赤くなる。


2人には予想外の事ですらそれを巧みに操り有利な展開へと運ぶ。
だがそれも彼らの計算の内なのだと知ったつくしは、今まで何度も抑えていた怒りはマグマのように一気に爆発する。
「今回という今回は、ぜっ!たい!許さない!」
相当ヤバイ状況に立たされたと察した2人は、つくしの鉄拳を逃れるように扉に向かった。
「命の恩人であり、お前たちのキューピット役でもある俺らを
 感謝されても怒られる覚えはねえぞ」
「類、俺らはこれで退散するけど、妹のこと頼んだぞ
 逆恨み、なんてことねぇようにしっかりフォロー頼んだからな」
どんな状況であろうと捨てセリフを忘れないところが余計に憎たらしい。


「まだ話は終わってないッ!
 何が妹よ!・・・逃げるんじゃない!・・・こらっ!」
「ありゃ相当きてるな」
「あれだけ俺らのシナリオどおり動くコマは
 牧野以外考えられないっしょ
 司の時で懲りてるはずなのによ、2度も騙されるなんて
 単純なのかバカなのか、・・・まったく教訓が生きてないと言うか」
総二郎とあきらは病室から避難して、つくしの怒鳴り声を廊下で聞いていた。


「鼓動する死体がどこにあんだよ。顔は埋めるは、抱きしめるは
 挙句の果てにはキスときた、あんだけすりゃ普通気付くだろうに」
「おお!類が目を覚ます前に気付かれるんじゃなかって
 あん時はヒヤヒヤもんだったぜ。けどそこはさすが牧野だもんな」
「そんな牧野でも大胆なことするんだな、自分からキスなんてよ
 青天の霹靂って言葉あるけど
 あん時は思わず振り返りそうになったもんな」
「俺が思うに、あれは牧野の武器とみた」
「・・・ブキ?」
「ああ。前に一度司から聞いたことがある
 何の前置きもなく突然してきたらしい
 あの司がキスされたぐらいで上機嫌も上機嫌で
 メロメロだったからな
 普段滅多にしない意外な行動を取ると
 効果覿面ってことなんだろ」


エレベーターを降りた2人は診察を待つ患者や付き人などで賑わうロビーへ向かった。一面ガラス張りの壁からは秋晴れの爽やかな日差しが差し込む。
「じゃあ、あの牧野が猫みたいに甘えたらどうなるんだ?」
つくしが自分の膝の辺りにグイグイと身体を摺り寄せながら、瞳を滲ませて甘えた声で〝にゃお~〟と鳴く、アニメチックでちょっぴりエロチックな映像が総二郎の頭の上にモヤ~ッと浮かんで消えた。


「普段の牧野を知ってるだけに、俺はヤバイかもな
 きっと何でも許してしまいそうだ
 今の牧野からはどう考えても想像つかねぇけど
 類の前ではどうだか」
あきらにとってもつくしは単に友達の彼女だっていう認識ではなかった。まして妹だなんて本気で思っているはずもなく、兄貴になりたい訳でもない。ただつくしに惚れるのが司や類より少し遅かっただけのこと。


病院から出ると、鈍った身体を解すかのように背伸びをしながら清々しい空気を口いっぱいに吸い込む。医薬品の匂いがする病院と狭い病室に籠もりきりだった身体には、降り注ぐ陽光と清々しい空気がやけに新鮮に感じる。
類の退院も時間の問題となった今、2人は病院に来る必要がなくなった開放感と、謀略が上手くいったことに達成感のようなものを感じていた。


「病院で夜を明かすのって、どうも気分イイもんじゃねぇな」
「そうだな」
あきらは振り返り類の病室がある棟を見上げる。総二郎もつられるように見上げた。

――類、俺らにできることはここまでだ
   あとは自分でケリをつけるんだな
   どの路を行こうが後悔だけはするなよ

――牧野、お前にとって今が一期一会なんだぞ
   分かってんだろうな
類とつくしにエールを送ると、2人は駐車場に向かって再び歩き出した。


類が入院したと連絡を受けた時、総二郎とあきらは心の底から心配した。
ケガで入院するのなら時間が解決してくれるだろうが、心の病となるとそう簡単にはいかない。幼少期の類を知っているだけに余計に心配だったのだ。


身体の方は数日間の静養で退院ができると主治医から聞き、一安心した2人は類の心のケアは自分たちで何とかしようと考えた末、今が千載一遇のチャンスとばかりにこの計画を立てた。
つくしには愚計とも思われたようだが、2人は類とつくしの幸せの一歩に繋がればときっかけを与えたかったのだ。
この策略によりつくしは一時的に多大の悲しみを受けた。しかし、その一方で、大切な恋の路しるべとなったのも事実だった。


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2008年10月 7日 (火)

PURE ANGEL[第2章]第15話


第15話

つくしがパリから帰国して以来、2人は一度も離れたことはなかった。お互いどんなに忙しくても朝食だけは一緒に摂るように心がけ、短い時間でもお互いの顔を見てひと時の幸福と一日の始まりを感じていた。
しかし、道明寺邸での一件以来つくしの行方が分からなくなった今、類の不安とイライラはもはや限界に達していた。

そんなある日、類の元に手紙が届いた。

     類へ
   連絡もせず家を空けてごめんなさい
   あれから体調を崩して黒崎で身体を休めています
   夏風邪のようで思ったより治りが遅いようです
   でも心配しないで下さい
   類にうつすといけないのでしばらくこちらにいます
   ですから見舞いは遠慮して下さい
   体調が良くなったらこちらから連絡します
           つくし


両親、茜、葵には真実を記し、類には内容を変えて記した手紙を出していた。
婚約も無事終えて次は結婚式と考えていた矢先だけに、つくしが綴った文面に戦慄の衝撃を受ける。
愛し合う2人を結ばせたい、葵は心からそうしてあげたいと思っている。そう強く願っていただけに理想的で幸せな家庭の構築にかげりが出てきた現状に置かれた今、最善の答えをだせない自分に苛立つ。

< どんなに想っても、ただ見守ることしかできないこの想いを…
   司、お前に分かるか >
司は類の言葉を思い出していた。

――類、今なら分かるよ、お前が言った言葉が
   どんなにつらくて苦しいかってことを
   あの時のお前と今の俺は同じなんだな
司は皮肉な運命を感じていた。


類はいつも通り講義を受け、いつも通り仕事をこなしていた。あくまでも表面上はいつも通りだが、あれ以来何の連絡もない事に内心は不安と心配で精神状態は不安定になっていた。
我慢の限界に達した類は、黒崎に出向く決意を固めて出かけようとした矢先、つくしから2通目の手紙が届いた。

     花沢類様へ
   心配かけてごめんなさい
   体の方はお陰様で回復しました
   これから私が書くことは一方的な我が侭です
   何も言わず一生の我が侭だと思って受け入れて下さい
   婚約解消をお願いします
   将来を誓いあったことも
   すべて白紙に戻して下さい
   類に出会えたこと
   心から感謝しています
        牧野つくし


――なっ!なに言ってんだ
「なに言ってんだよ!いきなりこんな手紙読まされて…、一生の我
 が侭?…納得するわけないだろ。何がどうしたって言うんだよ
 …俺には分かんないよ。つくし、この間まで笑ってただろ、それ
 なのにどうして…」
――つくし、どうしてなんだ?
「つくしがいないと息をするのも苦しくて…、夜も眠れなくて
 こんなにつくしを必要として愛しているのに、つくしは平気なの?
 …普通に息して、普通に眠れるの?」


どう考えても納得できない類は手紙を握り締め頭を抱え込んだ。
「俺を独りにしないって言っただろ」
類はつくしの帰りを待ち望んでいた。つくしに会いたい、話したい、抱きしめたい、そんなささやかな願いさえ拒絶する手紙の内容に愕然とする。
なぜ、どうしてこんなことが書けるのか全く理解できない。また、つくしの本心が一体何処にあるのか全くつかめない。


つくしは体力の回復に8日を費やし、通院を条件にドクターから退院の許可を貰ってやっと黒崎邸に帰って来た。
――手紙読んだかな…、類ゴメンね
   あたしのせいで貴方を苦しめることはできない
   できないんだよ、…愛してるから…こそ
   人は大事なものを失って初めて悲しみを知るっていうけど
   ホントだね。…いつまでも類のこと忘れられないだろうな
   そして、いつまでもあの子の歳を数えるんだろうな
   男の子だったのか女の子だったのか…
   名前も付けてあげられない
つくしは愛する人の子供を失うばかりか、愛する人までも失った。深い悲しみを心に秘め、暗涙しながらも前向きに生きようとしていた。


つくしの面影を探して類は、つくしがほんの短い期間使っていた部屋に入る。いつも座って本を読んでいたデスクに腰掛け、暫くの間考え込んでいた。
「誰か教えてくれ、一体何故こうなったのかを…」
そう呟いて何気にデスクの上に置いてあった本を手に取った。すると何かが落ちたことに気付き拾いあげると、薄い小冊子のようだった。類の視線はその表紙に記された六文字に釘付けとなり、瞬時に凍りついた。


母子健康手帳  平成20年7月25日交付
母の氏名  牧野つくし


類は震える手で母子手帳を拾うと、ゆっくりとページを捲る。
期待、希望、絶望、さまざまな思いが交錯し目頭が熱くなる。
今までよりも悪くなる退歩なのか、めでたい不思議な前兆の奇瑞なのか、類は部屋を勢いよく飛び出すとつくしがいるであろう黒崎邸に向かった。

普段ならば車で移動するのだが、この時の類はもういても立ってもいられないほどつくしに会いたい一身で家を飛び出し、ひたすら走り続けた。
「どこ見てんだよッ!!」
夢中で走っていると車にぶつかそうになり、急ブレーキをかけた運転手がもの凄い剣幕で怒鳴ってきた。
類は無視してそのまま走っていると運転していた若者が再び怒鳴る。
「おいッ!聞いてんのかッ!」
類は仕方なしに足を止めて振り向いた。
「るっ、るいっ!」
「つ、…つか…さ」
互いの顔を見て驚いた2人は無意識に相手の名を呼んでいた。


「お前そんなに慌てて何処に行くんだ?」
汗を流し息を上げて走る姿、慌てる姿、こんな類の姿を司は3オン3以来見たことがなかった。
「つくしのとこ」
司はハァーハァーと大きく肩で息をしながら答える類の手元を一瞥する。
――牧野が類に…
「お前…、牧野に呼ばれたのか?」
「呼ばれてはないけど、どうしても会いたいんだ、会って聞きたい
 ことが…」
「子供のことか?」
「どうして司が…」
「手に持ってんだろ、手帳」
類は思わず力強く握り締めた手帳を見る。
「家に帰るとこだから乗れよ」
「いや、いい」
「いいから乗れって!」
躊躇する類を司は強引に車に乗せると道明寺邸に車を走らせる。
「司、俺つくしの所の行くんだけど…、なんなの?」
「お前に話がある、会いに行くのはそれからでも遅くねぇよ」


類はつくしに会いたい逸る気持ちを抑えて、しぶしぶ司の部屋に入った。
「類、牧野に会ってどうするんだ?」
司は上着を脱ぎ、ネクタイを解きながら話を切り出した。
「つくしのお腹に子供がいるんだ。司とここで会った日、つくしは
 それを言おうとしたんだと思う。…だから…」
「じゃあ、なんで牧野は言わねぇんだ。なぁ類、アイツが苦しんで
 悩んで出した結果だ、そっとしておいたらどうだ?」


――なぜ司がそんなことを言うの
   苦しんで悩んでって…、つくしに会ったの?
「司は何か知ってるの?知ってるからそんなこと言うんだよね」
「類、牧野を信用してねぇのか?」
司はソファに座ると類を見据える。
「俺見たんだ。公園で…、カフェで…、そして、…ここで
 …信じてるけど、……信じてるけど、……相手が司だから…」
フンッと鼻で笑い余裕の態度を見せる司に、類は言い知れぬ不安に駆られる。


「俺だからか、お前は俺に拘ってるんだなぁ。まぁその気持ちも分
 かるけど。……昔は俺も類に拘ってたからな。誤解のないように
 言っとくけど、牧野に対する気持ちに決別するためにアイツを抱
 き締めたんだ。お前らを心から祝福できるように俺の中でケジメ
 をつけただけだ。……アイツは、牧野は俺なんか眼中にねぇよ
 …悔しいくらいによ」
つくしと類の婚約が報じられる前までは、気の趣くままに感情を剥き出しにしていた。総てを捨てても、謀略を企ててでもつくしを手に入れようとした。記憶を戻した司なら尚更、これまで以上に熱い情熱を向けてつくしを奪うものだと思っていた類は、予想もしていなかった司の乱暴だが真実味のある言葉に自分が恥ずかしくなる。


「それで牧野をどうするつもりなんだ?連れ戻すのか?」
「どうしてこうなったのか、…会って話したい
 …どんなことがあっても俺の気持ちは変らないことを伝えたい」
「アイツは何も言わねぇよ。アイツの性格分かってんだろ?…牧野
 に口止めされてっけど、類だけが知らねえのもなんだから言うけど」
聞き捨てならないセリフに類は口を挟んだ。
「俺だけってどう言うこと?」


「類のお袋さんも知ってる、知ってるけど言えないんだよ
 ……あの日、類が帰った後、お前らが気になって追い掛けた
 玄関に出るとうずくまって意識のない牧野がいて、慌てて病院に
 駆け込んだが、……手遅れだった」
――つくしは何かを言いたげに俺の顔をじっと見ていた
   でも俺は手を払い除けお前の言葉を拒んだ
   聞く勇気も余裕もなくて…、ただその場を去りたかった
   ……意識がない?…手遅れ?……風邪じゃあ…
「司、手遅れってなんだよッ!?」
鋭い目つきで声を荒げる類に、司は心痛な思いで小さく呟く。
「子供は助からなかった」
そう言って司は目を伏せる。類は一瞬体を硬直させたあと目を閉じて俯き、両手で額を覆った。


――助からなかった?……俺があの時つくしの体を…
   俺が自分の手で自分の子供を殺したのか?
   この手で…、この手で俺が…
目の前に両手を広げじっと見つめる類を司は直視できない。それでも言葉を繋げる。
「牧野はなんで白紙に戻そうとしたか」
類の顔がゆっくりと上がり、司に向く。


「牧野は、……もう子供が産めないかも知れない身体だからだよ」
類は閉じていた目を再び大きく見開き、衝撃的な発言をした司の顔をしばし見つめていたが、その偽りのない目の力に事実であることを悟ると、拳を強く握り締める。徐々に悲しみと苦しみの入り混じった表情に変わっていく。
「体調が悪いのも重なり、経過はよくなかった。心臓も弱っていた
 らしく、激しい動悸で普通に呼吸ができなくなって、眩暈を起こ
 すんだ。公園で会った時は倒れる寸前だった。…いや、倒れたの
 かもしんねぇな、いきなり俺に寄りかかってきたからな
 ……お前らは婚約が報じられて世間では超有名人だからな、人込
 みの中電話をかけに行けなかったんだよ」
つくしが司に抱きついたように見えた公園での光景が類の脳裏に浮かぶ。


つくしは常日頃から身体だけは丈夫だからと口癖のように言っていたことを鵜呑みにし、体調不良に気づいてあげられなかった。そして最近のつくしと司の行動に疑問や不安が頭の中を渦巻いていたことで感情をコントロールできなかったこと。全てが自分のせいなのだと気付いた。


「医者の告知を牧野はどんな思いで受け止めたのか…
 毎日病院に行ったけど、たった一度だけだった、アイツが涙を見
 せたのは。…人ってショックがでかいと涙も出ねえんだな
 ……牧野は類を苦しめたくないからこそ、帰るのを断念したんだ
 類のお袋さんだって複雑な思いだろ、答えを出すことができねえ
 んだから」
心身に大きなダメージを抱えた上に、心細い入院生活と黒崎邸で独り苦悩するつくしの傍に自分がいてやれなかったことが悔やまれる。


「会いたい」
類から苦しげな声が漏れる。
類の頭の中はつくしのことでいっぱいで、今すぐにでも会いたい気持ちを抑えきれずに立ち上がった。
「行かなきゃ」
司は部屋を出て行こうとする類を慌てて制止して「今日はやめておけ」と静かに言った。しかし、類は制する司の手を振り払って出て行こうとする。
「今の類の顔を見たら牧野はどう思う、心配するだろ!」
司は類の両肩をガッチリと掴んで壁に押し当て、声を荒げた。
「感情だけで会ってどうするんだよ!アイツが苦しむだけだ」
「あい…たぃ」
類は顔を歪め、声にならない声で止められぬ思いを漏らす。


司は掴んでいる手に力を込めると、額をつき合わせるぐらいまで顔を近づけて見据える。
「だったら類も覚悟を決めるんだなッ!どんな未来が待っていよう
 が、アイツを受け止めてやれる覚悟ができたら牧野に面と向かっ
 て言ってやれよ、後悔しないだけの想いをぶつけてやれよッ!」
司は類に正気を取り戻させるかのように何度も肩を揺さ振り、怒声で言い放つ。
「類!中途半端な気持ちで牧野に会ってみろ、俺ぜってーに許さね
 えからなッ!アイツを…、牧野を苦しめるのは俺だけで十分だッ!
 分かったな!類ッ!」
司は複雑な思いを抱きながらもそう言い放つと類の肩から手を離した。司の手から解放された類は虚脱し、壁伝いにズルズルと体が落ちていく。


「進くんの様子も気がかりですし、週末にはパリに戻る予定にして
 いるのだけれど、気分転換につくしさんもご一緒にどうかしら?」
「進かぁ…、喝を入れに行くのもイイかもね。……そう言えばあたし
 パリにいても一度も観光なんてしてなかったような…」
「答えは出たようね」
二人の会話にタイミングを見計らったかのようなノックの音が響く。
「奥さま…」
使用人がつくしと茜に類が尋ねてきたことを告げた。
つくしの顔が瞬時に強張っていく。
「つくしさん、類くんとお話してみたらどうかしら?」
「今類に会ったら…、きっと冷静でいられない
 ……もう少しだけ時間を…」
そう言ってつくしはその場を逃げるように自室に急いだ。


「つくしさんに会わせてください」
「今はまだお会いできないと申しております」
「ドア越しでもいい、話がしたい」
廊下を歩いていると微かに類の声が聞こえる。
――何日ぶりに聞くんだろう
愛しい人の声がつくしの心を温かくも切なくもさせる。


つくしは部屋の窓から去って行く類の後ろ姿を食い入るように見つめていた。
――今会ったら、きっとあなたは私を抱き締めてくれる…はず
   私もあなたを離さないように力いっぱい抱き返してしまう
   そうしたら類は困るでしょう?
   だから…もう少し時間をちょうだい
   …類…、あたしパリに行ってくるよ
「今はあなたの傍にいない方がいい」

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路 ~ロード~ 第4話


第4話

白いシーツはつくしの悲しみの涙を吸い染みの幅を広げていく。
「花沢…類…、ううぅぅ…。どうして待っててくれなかったのよ
 待つのは慣れてるんじゃなかったの?ズルイよ、花沢類はズルイよ
 泣かせたりしないって言っておきながら、ううぅ…
 花沢類が一番悲しみを…」
次の瞬間つくしの身体がビクッと硬直し、その後の言葉が出ない。
いや、出せなくなった。


やがて思考が戻ると恐怖感に襲われ、その場から逃れようとして後ずさった足が椅子に引っかかり、尻餅をつく体勢になった。
「大丈夫か牧野?ケガしなかったか?」
あきらが駆け寄りつくしの身体を起こすと、倒れた椅子を立て直して座らせた。
「なんだったの?」
そう呟いてつくしは隣にいるあきらを見上げる。
「ちょ、ちょっと、今の見たでしょう?」
「お前どうしたんだよ?」
「牧野、なに慌ててるんだ?」
2人にはつくしの言動が理解できない。


「はっ、花沢類の、・・・頭が・・・」
つくしにはハッキリと分かった。
涙でぼやける視界にも関わらず、類の頭が傾き自分の方を向いたことを。
「ああ?・・・頭?・・・そんなわけねえだろ」
死んだはずの人間が動くなんてあり得ない、そう思いながらもあきらには心当たりがあった。
「もしかして、・・・それって死後硬直ってやつじゃねえのか?」
「・・・死後・・・こうちょく?」


死後硬直とは、死後時間の経過とともに骨格筋が次第に硬くなり、関節を動かすのに抵抗が生ずることである。
死後硬直の進展は環境温度等の影響を受けるが、通常死後2~3時間後に顎関節から始まり、大関節、抹消間接へと進み半日程度で全身に及ぶ。
つまり目の前に横たわる類は死人であって、同じ空間で同じ時間を共有しながらも、この世にいないという現実をつきつけられた。


「悲しいけど夢じゃないんだね…、今起きていることは
 ・・・現実なんだね」
椅子から立ち上がったつくしは、類の存在を自分の身体に記憶させるように包み込む。
「あの時、こうしてあげればよかった
 ゴメンね、何もしてやれなくて
 もう泣いたりしないから、安心して眠っていいよ。・・・るぃ」
現実を直視したつくしは、死にたくなるほど絶望を感じながらも
〝後悔しない人生を1日でも多く生きるから〟そう類に誓い身体を離した。


「牧野、もういいのか?」
「・・・う、うん」
「俺たちに遠慮することはないから、もう少し類の傍にいてやれ」
「じゃあ、ちょっと後ろ向いててくれる、すぐ済むから」
「「ああ」」
つくしは2人が完全に後ろ向きになったのを確認すると、前かがみになって類の顔を見つめる。サラサラの髪、長い睫毛、筋の通った鼻を瞳に焼き付けると、更に顔を近づけた。伝えられなかった自分の想いを唇に託し、類の唇に重ねる。
「花沢類、今までありがとう」
類の穏やかな表情を見ていると〝牧野のありがとうは聞き飽きたよ〟そう言って優しく見つめ返してくれそうな錯覚に陥る。


笑顔が見られなくても、声が聞けなくても、今目の前には類が居る。
たとえそれが死人であっても。
顔を背けた瞬間から、もう二度と類を見ることはできなくなる。それでもつくしは名残惜しさをぐっと堪えて反転し足を踏み出した、その瞬間だった。
「びええぇぇぇ!!」
つくしの奇声は外の廊下の端まで響いた。


「・・・きの」
怯えるつくしに追い討ちをかけるように、小さな声は直ぐ後ろから聞こえた。
総二郎とあきらは少しベッドから離れた窓際に立って居て、つくしはベッドを挟んで手前に居た。それならば一体誰が。
今何が起きたのかを確認する為、つくしは声のする方へ必死の思いで振り向いた。
自分の手首に触れているのはシーツからはみ出た死んだはずの類の手であり、そして、閉じられていたはずの瞼は開かれ、琥珀色の瞳がしっかりと自分を捕らえているように思えた。


「ここ、これも・・・死後・・・硬直なの?」
「やっと復活したようだな」
「一時はどうなるかと思ったけど、間に合ってよかったぜ」
「ったく、お前は白雪姫かよ」
「…えっ?」
未だに身動きできずにいるつくしを他所に、総二郎とあきらは顔を見合わせて笑いを堪えているようだった。
彼らの瞳は妙に輝いている。
それは決して涙で輝いているのではなかったのだと、つくしはこの後知ることになる。


「類、気分はどうだ?」
「うーん、少し頭がボーッとする・・・って、ここどこ?」
「なな、なんでしゃべってるの?」
「牧野どうしたの?俺が言うとおかしい?」
類は頭を左右に振る。寝起きにするいつもの動作だ。
「だ、だって、・・・花沢類は、・・・死んだんじゃ・・・」
「俺が?・・・死んだ?・・・じゃあ、俺は幽霊なんだ」
「本当に花沢類は幽霊じゃないの?・・・・・・生きてるのね?」
「死んだ覚えないけど」
一度失った大切な人は、以前と変わりない瞳でボケたセリフが返ってくる。


目の前にいるのは確かに自分が記憶している類だ、本当に生きている。
「何で泣いてんの?」
「だって、・・・だって、・・・花沢類が生きててくれたから」
「そっか、俺が牧野を泣かせちゃったんだね。・・・ゴメンな」
類は無防備に流すつくしの涙を優しく拭い、安心させるように頭を撫でる。
つくしの涙が止まったを見とどけた類は、総二郎とあきらに視線を向けた。
「で、俺が死ななきゃいけない理由は?」
類もまた自分が今置かれている状況を理解できてはいなかったが、つくしの言葉と涙を流したその態度により、総二郎とあきらは何らかの関係があるのではないかと察した。


「そ、それはだな」
類の冷たい視線が突き刺さり、2人はそれ以上の言葉を口にできない。
「もしかして全部ウソだったの?
 事故に遭ったことも、危険な状態だってことも」
訳が分からず冷静さを失ったつくしは真っ赤な目で総二郎とあきらを交互に見つめる。
「事故じゃねえけど、事故のようなもんだろうな
 本当に類は倒れたんだから
 飯も食わねぇし、眠ることもしねぇし、それで倒れちまったんだ
 寝ることが誰よりも好きで
 特技みたいな類が眠れなかったんだからな
 ・・・類、心当たりあんだろ?」


急に真顔を向けて核心をついてくる総二郎の言葉に、類の脳裏に非常階段での出来事が過ぎった。
いつものようにからかいながらそのやり取りの中で、つくしの気持ちを探るつもりだった。しかし、自分の想いを冗談だと笑い飛ばされ上、自分の存在が空気のようなものに感じられたことに不安を抱き、気付いた時には心のリミッターを解除していた。
告白は想定外だったが、いずれはケジメをつけなければと考えていたため、後悔はしないつもりだった。だが、一歩踏み出したばかりにつくしを苦しめてしまったのではないだろうか。また、これまでの関係が一瞬にして崩壊してしまうのではないだろうかと、日を追うごとに増していく不安が後悔を生み、苦悩の日々を送っていたのだった。


「角田さんが気付いてくれたからよかったものを
 ・・・ったく、心配させやがって」
類が入院を余儀なくされたのは自分に原因があるのではないかと、つくしは心を痛める。
「そっか…。ありがとう、総二郎、あきら
 でも、俺が死ななきゃいけない理由にはなってないけど」


2人は都合悪そうに視線を交わすと、何やら考え込んでいるつくしを一瞥した。
「それは、・・・あれだよ、司の時をまんま再現ってやつよ」
「司の・・・再現?」
類は総二郎を怪訝そうに見ている。
「順平っていうモデルが、牧野を利用して司に復習しようとした
 事件があっただろ、弱っちい奴等に司はボコボコにされて
 入院する羽目になったあの時の再現だよ」
類はあきらの補足によって当時の出来事を思い出した。自分も今の総二郎とあきらの同じ立場にいたのだ。
またつくしも、自分を助ける為に怪我を負って意識を失い、一夜明けての再会は死んだふりをした司だったことを思い出していた。


「正確に言えば、司が死んだと思い込んだ牧野が
 どのような反応をみせるのか
 それを類バージョンで試してみたってことだ」
「・・・はっ?」
つくしは2人の策略にまんまと引っかかり、完全にペースにハマってしまった自分に呆れてしまう。
「よく言うだろ、死人を目の前にすると本音が出るって」
総二郎とあきらは悪びるどころか楽しんでいて、類は妙に納得したように頷いている。
つくしは2人に鉄拳でもお見舞いしたい気持ちをグッと堪えて、病室に来てから今に至るまでの言動の記憶を手繰り寄せていた。

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2008年10月 6日 (月)

路 ~ロード~ 第3話


第3話

――花沢類…、大丈夫だよね?大したことないよね?
どのような状況で事故に遭ったのか、怪我の程度はどうなのか、総二郎からは何も聞かされていない。ただ病院名と直ぐに来いとの内容だけだった。


「運転手さん、もう少し速く走ってくれませんか」
「そう言われましてもね、規則ですから」
気ばかり焦るつくしはタクシーの走る速度がやけに遅く感じる。
――花沢類・・・
やがてタクシーは病院の車寄せに滑り込み、つくしは予め準備していたお金を渡すと慌しく車から出た。


救急センターの窓口に行くと類は特別室に居ることが分かった。
エレベーターを待つ間も、病室がある階まで上るほんの僅かな時間さえもどかしく苛立つ。
「B室、B室は」
角を曲がってすぐにその病室はあった。


「花沢類…さんはこちらですか?」
何故か病室の前には黒いスーツ姿の男性が2人立っていた。
「はい」
やっと会える、そう安堵して扉に向かおうとするつくしを男性は制した。
「申し訳ありませんが、ご家族以外の方は中には入れません」
「・・・えっ?」
たった今安堵したことが嘘のように緊張が走った。


「そ、そんなに悪いんですか?
 顔を見るだけでいいですから、会わせてください」
「ご家族の方以外は入れないようにと
 社長からきつく言われておりますので」
「・・・社長?・・・花沢類のお父さんが?・・・お願いします
 顔を見たら直ぐに帰りますから、一目だけでも」
「そう言われましても、社長のご命令ですので。お引取りください」
何度お願いをしても返ってくる返事は同じ。
扉の先には類が居ると分かっていても会えないもどかしさと、無表情で目の前に立ちはだかり入室を拒絶する男性に怒りは倍増する。


暫く押し問答が続いた後、つくしは病室の前から来た廊下をゆっくりと戻って行った。
「花沢類・・・、もしかして人に見せられないほどのケガを?
 だから・・・、どうしよう、花沢類に何かあったら、・・・どうしよう」
怪我の状態が全く分からないことに思考は悪い方へと傾き、平常心を失いかける。


自分が何所をどう歩いて来たのかさえ分からない。気付いた時には待合室の椅子に座っていて夜が明けていた。そこは皮肉にも以前司が港で刺され〝どんなことがあっても生きていてほしい〟と心願したあの席だった。
「もっと早くに言うべきだった、なんてあたしはバカなんだろう」


人生には二つの後悔がつきまとう。
ああすれば良かったという後悔。
どうしてあんな事をしてしまったのかという後悔。


『もし、牧野の前から俺が居なくなったら、寂しい?…悲しい?』
類の言葉が浮かび、つくしはそれを振り払うかのうに頭を横に振った。
「あたしを独りにしないって言ったもん、絶対にそんなことはない」
うなだれて目を閉じたつくしの頭の中で、優しく微笑む類の顔が浮かんでは消えてゆく。


ポケットから振動が伝わり電話がきたのだと気付く。
「はい」
「牧野、今何所にいるんだ?類が危ない、早く病室に来てくれ」
周りの雑音は一瞬にして消えた。
頭の中が真っ白になり、身体は金縛りにあったように動かせなくなってしまった。


――花沢類、死んじゃやだよ、どんなことがあっても生きて
我に返ったつくしは、そう何度も何度も心願しながら病室に向かった。
そんなつくしを待っていたのは、昨夜と同様に扉の前に立つスーツ姿の2人の男性だった。
つくしは類に会いたい一心で男性を無視して扉に向かった。しかしその男性は目の前に立ちはだかり入室を拒む。


「お願いします!花沢類に会わせてください!」
「昨夜も申し上げましたが
 ご家族以外の方を中に入れるわけにはいきません」
「友人から連絡を頂いて、とても危険な状態だと。・・・お願いします!
 ここで花沢類に会わないで帰ったら、あたしは一生後悔します
 一目だけでも、・・・お願いします、会わせてください」
つくしは泣きじゃくりながら男性の両腕の上着を固く握り締め、何度も何度も会わせてほしいと願い出た。だが、その男性は表情一つ変えることなく無言で立っている。
「せめて状況だけでも、・・・花沢類は生きてるんですよね?
 どうなんですか?」
男性からは何の返答もない。


2人の男性は厚い壁となって境界線を敷く。
「花沢類・・・」
つくしは力なく身体を床に崩した。
さまざまな不安が押し寄せ、絶望や悔恨の念に駆られる。


「あなたが類さまの婚約者、もしくは恋人という立場でしたら
 中に入れることもできますが」
暫くしてもう一人の男性が言ってきた。
「・・・えっ?・・・・・・花沢類の、婚約者?・・・恋人?」
「そうです。類さまの婚約者か恋人なら・・・」
ゆっくりと立ち上がったつくしは2人の男性の間を割って病室に入った。


一般病室と違い特別室は広く、扉から患者が居るベッドは見えなかった。つくしは恐る恐る足を前進させてカーテンで遮られたベッドを目指す。
「えっ?」
すすり泣く音が微かに聞こえ、全身に悪寒が走り不安が更に広がる。
「花沢…るぃ」
つくしはカーテンに手を伸ばすとゆっくりと引いた。


「ウ、ソ…」
「牧野、遅かったな。類が・・・、類が・・・」
「牧野、類に会ってやってくれ」
すすり泣く声は総二郎とあきらだった。
2人はハンカチで目頭を押さえ親友の最期を惜しんでいた。


「ウ、ウソでしょ?なんかのイタズラだよね?」
類は皺一つない真っ白なシーツに覆われ、顔には白い布がかけられている。
生前によく耳にした声や癒された笑顔は、もう二度と聞くことも見ることもできない。
「これが悪戯だったらどんなにいいか・・・
 牧野・・・、でもそうじゃないんだ」
「ウソだ、花沢類が死ぬなんて、・・・死ぬなんてあり得ない」
類の胸元で崩れるように泣き出すつくし、それにつられるかのように2人も涙を抑えられない。


「花沢類、起きて、起きてよ
 あたしまだ花沢類にちゃんと言ってないよ
 何一つ言いたいこと言ってない
 あたしをこのまま一生後悔させる気?」
「類の魂はまだこの部屋にあるはずだ、今からでも遅くはない
 後悔しないだけの牧野の気持ちを言ってやれよ」
「俺からも頼む
 類が安心して逝けるように、牧野の想いを伝えてやってくれ」


「ううぅ…、花沢類…、ううっ…
 何があってもあたしを独りにしないって言ったじゃない
 あたしを置いて遠くなんかに行ったりしないって
 ・・・ウソつき、花沢類のウソつき」
つくしはシーツごと類の両腕を掴むと揺すった。
類の腕からはまだ温かさを感じる。
これがどうして死んだなんて言えるのか、つくしには受け入れられない。


「ねぇ起きて、花沢類起きてよ
 あたしの好きな人はそう簡単に死んだりしない
 ちゃんと言いたかったのに
 好きだって花沢類に言いたかったのに…
 もう、それさえも聞いてくれないんだね
 ・・・・・・失ってから伝えるなんて…」
つくしはベッドに顔を埋めて泣き続けた。
大切な人を失ってしまった悲しみと、自分の気持ちに気付いていながら想いを伝えられなかったことへの後悔が、シーツをきつく握り締める拳に込められていた。


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2008年10月 5日 (日)

路 ~ロード~ 第2話

第2話

つくしは暗がりの中でかろうじて見える廊下を歩いていた。ここが何所なのか、どうして自分がここに居るのか分からない。引き返すにも後ろを見ると何所までも続いている廊下があるだけで、出口らしきものは見えない。
心細く泣きたくなる気持ちをぐっと堪えてまた前に進んだ。


暫くして何所からともなく声が聞こえてくる。
「電気も点けねえで何やってんだ?」
「誰?・・・この声は、・・・西門さん?」


「お前、何する気だ?」
「るっ、類ッ!お前正気か?」
「えっ?何なの?・・・今の声は、・・・確か美作さんの・・・」
普段は穏やかで特別なことがない限り聞くことがない総二郎とあきらの荒げた声に、つくしは言い知れぬ不安が押し寄せる。


「花沢類がどうしたの?・・・・・・どこに居るの?」
辺りを見渡すが人気も扉らしきものもない。
「花沢類!・・・西門さん!・・・美作さん!」
つくしは立ち止まって叫んだ。
きっと自分の声を聞きつけて返事が返ってくるか、もしくはひょっこり姿を現すか、そのどちらかと考えていた。
しかし、暫く経ってもつくしの期待通りには事は運ばなかった。
その間にも総二郎とあきらの声は類に向けられている。
「何で・・・、声はちゃんと聞こえるのに
 ・・・あたしの声が届いてないってこと?」


「類、止めろ!生きているからこそ女も幸せにできるんだぞ
 お前は逃げてるだけだ、またそうやって諦めるつもりなのかッ!」
聞き捨てならない総二郎の言葉につくしの鼓動は速まった。
「えっ?・・・花沢類が・・・」
命に関わる危機感を察したつくしは覚束ない足取りで走った。


どのくらい走ったのか前方に扉らしきものが見え、つくしは僅かに開いたその扉を迷わずに開けた。
「花沢類ッ!」
勢いよく入ったつくしの瞳に突き刺すような眩しい光が差し、反射的に顔を背けて右手の甲で覆った。


「お前は、今自分を見失っているだけだ」
「冷静になって考えるんだ
 こんなことしても何の解決にもならないって分かるはずだ」
また総二郎とあきらの声が聞こえてきて、つくしは覆っていた右手を下ろすと声のする方へと目を凝らした。少ししてベッドに座る類を見下ろす総二郎とあきらが見えた。そして類の首の辺りで何かが光っていることも。
「あれ、何?何が光ってるの?・・・・・・えっ?」
つくしは目の前の信じられない光景に愕然とし、身体が震える。


類が手にした鋭利な刃物はトップライトから差し込む月明かりに反射して眩しいくらいの光を放ち、今まさに首を突きさんばかりだったからだ。
「はっ、花沢類!」
つくしは両手で口元を覆った。
月明かりを浴びて浮かび上がる類の悲壮な姿。
魂が抜け死人のような瞳には、必死に説得する彼らの姿さえ映ってはいない。


「花沢類、どうしてこんなことするの?」
つくしは半べそ状態で類の傍に駆け寄った。
類はつくしの声にも何の反応も示さず、首に突きつけているナイフに力を込める。
「花沢類ッ!止めてッ!お願いだから、・・・止めてッ!」
つくしの目からは止めどなく涙が流れる。
「お願いだから、・・・花沢…類…」


つくしの存在によって喜怒哀楽の表情や心の動きを取り戻した類にとって、目の前で涙するつくしに平常心ではいられないはず。それなのに類は涙を拭ってやることも安心するように腕の中に収めることもしない。
まるでつくしはそこに存在していないように。


「牧野の傍にいたのはいつも俺だったのに
 あいつには…、空気みたいに俺の存在はないんだ
 どんなに好きでも存在がないんだっら、生きててもしょうがない
 失って初めて気付くんだ、俺の存在を・・・」
誰に言うでもなく独り言のように呟いた類は寂しそうにフッと笑った。
そして、静かに目を閉じた。
「まきの」
愛おしそうに呼んだ類は何の躊躇いもなく首にナイフを突き刺した。


「いやあぁ!!」
つくしは大きな悲鳴とともに勢いよく上半身を起こし、激しく息をした。
額や首筋には嫌な汗が流れる。
「へ?・・・・・・夢?・・・・・・何でこんな夢を」
あまりにもリアルな夢。
悪夢のような夢から覚めても、類の最期の表情と声が鮮明に脳裏に焼きついている。


『もし、牧野の前から俺がいなくなったら、寂しい?・・・悲しい?』
非常階段での類が浮かぶ。
あれ以来2週間、類とは会っていない、姿も見ていないことに急に不安に駆られる。
「花沢類がいなくなる?」


「ま~きの、今からご出勤か?」
学園の正門を出た所で総二郎に声をかけられた。
「なんかそのご出勤って言い方、妖しいバイトに聞こえるんだけど」
「そうか?牧野が勝手にその方向に思考がいくからだろ
 少しは男の免疫でもつけた方がよくね?
 秋はロマンチックでいいぞ」
「…はい?」
総二郎はつくしの肩をポンポンと叩くと笑顔を向けた。


「何その男の免疫って?意味分かんないし
 そ、それに、・・・西門さん、そんなに顔を近づけないでよ」
「へえ~、ドキドキしてるんだぁ」
「してない!」
「そうか?・・・じゃあ類はどうだ?」
「・・・えっ?花沢類?」
「分かってんだろ、類の気持ち
 牧野に少しでも気持ちがあるんだったら
 それなりのリアクション見せてもイイんじゃないの」
「どうしてそれ・・・」


「今更聞くなよな、そんこと
 一番傍にいるお前がなんで気付かねえかなぁ
 鈍感にも程があるぜ、って・・・
 もしかして牧野、・・・フリしてたのか?」
つくしはドキリとした。
「牧野知ってるか?類が与えられた路を壊そうと
 あれやこれやと模索していることを
 先の見えない路を自分の手で創ろうとしている
 俺らのような家柄ではそう簡単にはできることじゃない
 けど、類はそれをやろうとしている」
「・・・・・・。」
「牧野、司から類に、じゃなくてよ
 司は司、類は類でいいんじゃねえの
 今が一期一会だと思うぞ。・・・牧野、後悔だけはするなよ」


総二郎の表情は相変らずのポーカーフェイスでいつもと何ら変わらなかったが、類を親友と思うのと同等につくしのことも親身になって思ってくれる。
「男をあんまし待たせると悪い方にばっか考えるから
 ほどほどにしておけよ」
総二郎は目線を下げ考え込むつくしの頭をくしゃりと撫でると、手をヒラヒラ振りながら待機している車の後部座席に乗り込んだ。
「逃げていてもしょうがいないか
 西門さんはわざわざこの事を言いに・・・」


数日後のある夜、バイトを終えで帰宅したつくしは電気を点けるなり携帯電話を手にした。一呼吸して通話ボタンを押す寸前で着信音が鳴った。
「もしもし」
「牧野か?」
発信元は総二郎だった。


「ビックリするじゃない、どうしたのこんな時間に」
「いいか牧野、落ち着いて聞けよ」
「・・・えっ、何?」
「類が、・・・類が事故に遭った」
つくしは自分の胸の内を伝えようと決心をした矢先の知らせだった。


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2008年10月 4日 (土)

路 ~ロード~ 第1話

第1話

非常階段に佇むつくしは絡み合った糸を解くように遠き日の足取りを振り返る。
『お前を幸せにするって言っておきながら
 悪りぃなこんな結果になってよ
 お前を幸せにできるのは俺だけだ、その想いは今もかわらねぇ
 ・・・けど、うちの社員とその家族の未来は、俺にかかっているんだ
 ・・・牧野、俺を憎んでもいい、だがそこに留まることだけはするな』
『道明寺を憎む?冗談でしょ!
 少しはマシな人間になったって感心してるのに・・・
 道明寺とちゃんと向き合って、普通の付き合いはできなかったけど
 忘れられないたくさんの思い出ができたから
 道明寺、ありがとう、あたしを好きになってくれて、ありがとう』
『・・・ま…きの・・・』
『天下の道明寺がそんな弱っちい声出しちゃって
 一生の別れじゃないんだから、今度会った時には笑顔で会おうね』
『・・・ああ。・・・牧野、ありがとうな
 お前に出会えて、ホントよかったよ』
素直になれなくて些細なことで喧嘩して、誤解を招くことも多かった司とつくしのやり取りとは思えないほど、2人は受話器を通して想いを伝えあっていた。


「あれから4ヶ月かぁ」
つくしと司が別れたのは司がニューヨークに旅立って半年もしない頃だった。
どちらが悪い訳ではない、環境がそうさせたのだ。
社員とその家族15万人の安定した生活を守るべきか、また、人生をかけてまでも幸せにしたい愛するつくしを選ぶべきか、司は過酷な選択を強いられた。

天秤に乗せられた、道明寺グループの未来と牧野つくしとの未来。
社員の顔を見ればその器は重くなり、つくしを想えばこちらの器が重くなる。日に何度もその天秤は上下動した。
答えを出せないまま3ヶ月が経つその間にも株価は右肩下がりの一途をたどり、司は身を切る思いで決断をした。

つくしは司から別れを告げられたとき一瞬頭が真っ白になったが、すぐに落ち着きを取り戻していた。ニューヨークで偶然に遇った楓の普段からは想像もできない必死な表情が脳裏にあり、考えたくはないが、またいつか司も苦境に立たされる時期がやってくるのではないかと思っていたからだ。


「夢だったのか、現実だったのか・・・、なんか不思議」
司と笑いあったり怒鳴りあったりしていた数ヶ月前までは、それがいつもの日常だった。別れた今でもそんな過去があったのかさえ分からなくなるほど、周りの環境は何一つ変わっていない。
記憶も忘却も生きていく為の術ではあるが、心に痛く感じたこと事ですら月日の流れとともに風化していくようだ。司を愛した記憶以外は――


つくしの耳に笑い声が聞こえてくる。
下を覗き込むとベンチに寄り添うように座る男女の姿があった。時折見つめ合い、じゃれ合うように肩を叩き、そして笑い合う。
「あたしもあんな風に、普通に付き合いたかったなぁ」
「こんな感じ?」
「・・・へっ?」
つくしは驚いた。
いつの間にか自分の隣に類が立っていて、しかも顔の距離は30センチと離れていなかったからだ。

「はっ、花沢類!・・・いつからそこに」
「牧野って、一つの事に集中すると周りが見えなくなるもんね」
「いや、そんなことはないと思うけど」
また下から楽しそうな笑い声が聞こえてきて、つくしは類から2人に視線を向ける。微笑ましくも羨ましくもとれるつくしの横顔を、類は見つめた。

「牧野って、あぁゆう感じがいいんだ」
「なんか、高校生らしいっていうか、穏やかでいいよね」
司との恋は、時折見せる子供のような笑顔と優しさで安堵を与えてくれたりもしたが、その一方で吹き荒れる嵐のようにつくしやその周りの環境を急変させ、何かと緊張が絶えない事のほうが多かった。

「牧野はさぁ、俺とこうしていて、どう?」
「どうって?」
「イヤ?」
「嫌じゃないよ。でもどうして急に…」
壁に凭れていた類はいつもの定位置に腰を下ろした。またつくしも類の動作に誘われるかのように向かい合わせに座った。

「牧野が望む恋、俺としてみない?」
「・・・えっ?また花沢類ったら…、からかって遊ぶ気でしょう」
一瞬戸惑ったつくしだったが、いつもの類のことだと笑い飛ばした。
「冗談に聞こえたみたいだけど…、今言ったこと、本気だから」
「・・・えっ?」
真顔を向ける類につくしは困惑した。
「またまた、そうやって。・・・じょ、冗談だよね?」
苦笑いするつくしに類は目を閉じ溜息をつく。

「牧野から見た俺ってどう映ってるのか、あんたの中に入って見てみたい」
「・・・はい?」
「大学に行っても非常階段には行くよって言ったのは
 唯一寛げる場所だからなんだけど、でも本当の理由は
 あんたに会う為にあんたに会いたくて来てるんだ
 ・・・・・・牧野が好きだから
 ・・・・・・牧野は一度も俺を男として見たことない?
 俺は単なる司の親友に過ぎない?」
類の真剣な眼差しと予想だにしないセリフに、つくしの鼓動が速まる。
類がここに居ることは自分に会いに来ているのだと認識は全くなく、高等部からの延長に過ぎないのだと思っていた。


高等部を卒業すれば隣接する大学に進む自分とは違い、つくしは他の大学もしくは家族のことを考えて就職することもあり得る。目の届かない場所に行き、会いたくても会えない状態になることは明白。それがあと数ヶ月でやってくることに類は不安を抱え焦っていた。
もはや理性では感情を抑えられない。

「もし、牧野の前から俺が居なくなったら、寂しい?・・・悲しい?」
「そりゃ寂しいし、悲しいよ。どうしたの?
 いつもの花沢類じゃないみたいだよ。どっか身体の調子でも悪い?
 ・・・それとも、・・・どこか遠くに行くの?」
「牧野を独り置いて俺は遠くなんて行ったりしない!」
つくしは類の怖い顔と怒ったような口調に呆気にとられる。
普段はもっと穏やかで共有する時間は心地いいと感じるのに、昨日まではそうだったのに、なのにどうして今日はこんなにも心苦しさを感じるのか。

沈黙が続く。


長い沈黙は類に絡んだ過去の記憶の糸をひもとくように、遠き日の足取りを振り返らせた。
〝13年間一緒だった司を裏切れない〟自分が言ったことが悔やまれる。
人生は一度きり、過去を忘却できてもやり直すことはできない。
相手が司だったからこそただ静かに見守ってきたが、2人の恋が破局した今、類は二度と後悔をしないよう今まで秘めていた心のリミッターを解除した。

「花沢類、あたしね、その・・・」
「牧野・・・、牧野の気持ちも大切にしたいから
 今無理して答えなくてもいいから。ただこれだけは覚えておいて
 何があってもあんたを独りにしたり、俺の家の事情で
 つらい選択だけは絶対にさせないってことを。牧野を
 幸せにしたいって想ってたのは、司だけじゃなかったってことを」
類はそう言い残して階段を下りて行った。
残されたつくしはただただ俯くばかり。

突然の類の告白は、草花が日々葉の色を変化させるようにつくしの心も変化が始まりつつあった。

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Dejavu

Dejavu

「花沢類、送ってくれてありがとう」
アパートの階段の前で牧野はいつもこのセリフを言う。
そして俺は決まってこう言うんだ。
「牧野のありがとうは聞き飽きた
 彼氏が彼女を送って行くのは当然だろ」
牧野は恥ずかしそうに顔を赤らめ、俺から視線を外す。

この先の行動は牧野がゴモゴモと独り言を呟くか、ちょっと怒った口調で言い返してくるかで、いつもの行動パターンに俺はクスッと笑いが漏れるんだ。
いつもと変わらない純な牧野の仕草に、行動に・・・。
けど、今日の牧野は俺から視線を外すことも、恥ずかしそうに顔を赤らめることもなくて、ただ俺の顔をじっと見つめるだけで・・・。
予想外の行動に戸惑う。
ヤバイ、笑顔が崩れそうだ。


「牧野、どうかした?」
「・・・花沢類、・・・キスして」
今、キスして・・・って言った?
今まで一度だって牧野からそんな言葉をもらったことがない。
付き合ってると言っても肉体関係がある訳でもないし、あると言えば軽く唇を重ねる程度。総二郎たちに言わせるなら、お子ちゃまレベルってやつで・・・。
俺、喜んでイイのか?
それとも手放しでは喜んでいられない、不吉な前兆なのか?


「こうゆうこと、女の方から言うのって、・・・花沢類はイヤ?」
淡黒の瞳に真っ直ぐに見つめられ、戸惑う俺に真剣に答えを求めてくる。
好きなら当然の行為、男から女からなんて関係ない。
「ううん、牧野から言ってくれて嬉しいよ」
「良かったぁ、変な顔するから花沢類に嫌われたかと思っちゃった」
安堵したように笑みを見せると、俺の胸に体を預けてくる。
こうゆうサプライズなシチュエーションも悪くない。
当然ながら俺の両腕は牧野を包み込む。


俺が牧野を嫌う?
牧野に嫌われることはあったとしても、俺があんたを嫌いになるわけないでしょ。
俺がどれだけあんたを想ってるか、教えてあげるよ。
牧野の体をゆっくりと離し、俺は軽いフレンチキスから深く舌を絡め、戸惑いをみせる牧野の舌を誘導するように強弱をつけて舌先での愛撫を繰り返した。
ゆっくりと唇を離すと、牧野のうっとりとした視線と愛おしむように見つめる俺の視線が絡む。


このまま帰したくない衝動にかられるが、どうにか断ち切ろうと葛藤していると、牧野に手を握られ階段を上るように引っ張られた。
これってお茶の誘い?
それともこの続きの誘い?
俺も男だし、好きな女の部屋に誘われたら後者の方を期待しちゃうよ。

扉を開けるとそこは暗闇で、窓から微かにさし込む月明かりで奥の部屋に辿り着く。
「牧野、電気止められてんの?」
こんな時にからかってどうするんだ。
いつもの牧野らしくないから。
俺が動揺してどうするんだよ。まったく、先手取られると調子が狂う。


「電気は点くわよ、でも今はこのまま、このままで・・・」
徐々に牧野の声が囁きに変わり、俺の首に両腕を絡めてきて柔らかい唇が俺の唇を塞ぐ。大胆な行動に戸惑いながらも、愛する人を求めるように俺は両腕で牧野を抱きしめた。
まさかこんな形で牧野と結ばれるなんて思ってもいなくて、嬉しさや悦びなんて言葉では表現できないほど俺は牧野におぼれていった。


「るい・・・」
「まきの・・・」
俺を感じる度に牧野の口先から漏れる喘ぎ声と、普段は呼んでもらえない名を呼ぶ声にかき立てられ、俺の鼓動と牧野の鼓動が同調していく。
「るい・・・」
フルネームで呼ばれるのは嫌いじゃないけど、やはり〝類〟と名前で呼ばれると愛おしさが増幅される。ましてやこんな状況の中で囁くように言われると、力まかせに抱きしめたくなる。


「るい・・・、あなたのすべてがほしいの
 ・・・抑えることができないの」
「まきの」
今日のあんたズルイよ、俺が言いたいこと取っちゃうし、願ってること叶えてくれるし。
「まきの」
「るい」


「類」
何度も呼び続ける声が徐々に大きくなっていく。
「類!」
「類!いつまで・・・って、こいつ・・・」
「どうしたんだよ?」
俺の腕の中には牧野がいる、温もりも伝わってくる。
急に回りが明るくなったかと思うと牧野の顔が霞んで見えなくなった。
「牧野・・・」
クスクスと微かに笑い声が聞こえる。
牧野が笑ってるの?


「類!」
身体が大きく揺れたかと思うと急に俺の腕の中から牧野がいなくなり、手探りで必死に牧野を探すけど見つからないことに、上気した身体は一気に冷たく冷え、不安の渦に呑まれる。
「牧野?」
返事はない。その代わりにクスクスと押し殺したような笑い声が耳につく。
俺をからかってるの?
今日の牧野はいつもと違った、きっと俺をからかってるんだ。
普段の俺のように。


「類くん、探し物はこれかな?」
そう、この温もりだ。
俺は安心したようにギュッと抱きしめる。が・・・
類くん?・・・・・・探し物?
さっきまで〝類〟って・・・呼んでいたのに・・・。


視界の先には覗き込む2人の顔。左には総二郎、右にはあきら、それぞれニヤつかせた顔があった。俺は訳が分からず瞳だけを左右に動かして2人を呆然と眺めながら、覚束無い思考を巡らす。
「類くん、相当溜まってんじゃねえ?」
「・・・・・・?」
「夢の中で、なんてシャレになんねぇぞ」
夢の中?
そうだ俺は夢を、だから牧野が・・・。


「どうやら理解したようだな」
「なら良いけどよ、クッション離さねえとこ見ると、まだ良く分かってねえんじゃねぇの」
クッションを抱き締めたままの俺を、2人はハイエナのように嗅ぎ回り、まるで俺の夢の中を覗き込んだかのように見透かした瞳を向けてくる。
「類くん、抱き心地は良かったか?」
「総二郎、あの寝顔見たら想像つくだろ」
「そうだよな、最高に幸せって感じの寝顔だったしなぁ」
「どっちも奥手っぽいし、どんな状況でなったのか知りてぇもんだぜ」
左が言い終われば次は右が言い返す、ホントお前らの口の達者さとコンビネーションには負けるよ。
勝手に部屋に入って来て俺の睡眠まで邪魔して、いや、今日は特別で最高の夢だったのに、せめて最後まで見させてくれたら気分は180度違うハズ、だったかも。


「2人して、なんで俺の部屋にいるわけ?」
「やっぱこうゆうのって男からじゃねえ」
「あの牧野が?・・・迫るタマじゃねえよな」
超不機嫌な顔が目の前にありながら、2人は自分たちの世界に入り込んで、俺のことなどまったくの無視だ。
おまけに俺を挟んで両サイドに座る2人は抱き合いながら、どこで覚えたのか知らないけど演劇を始める始末。ワザとらしく溜息を吐こうが、冷やかな視線を向けようがお構いなしに繰り広げられる。


「気持ち悪い!用がないんだったら帰って」
「短気は損気だぞ」
「そうそう、短気は女の子に嫌われる要因の最たるモノだぞ」
「で、なんでここに居るわけ?」
「類が電話に出ねえから来てやったんだよ」
「どうせ寝てるんだろうと思ってさ。
 貴重な俺達の時間を類に与えてんだから、少しは感謝しろよな」
「なんで感謝なの?俺の睡眠時間を奪っておいて」
司の自己中のスケールが桁外れで気付かなかったんだ、こいつらの自己中に。


「お前よく言うぜ、今何時だと思ってんだよ?7時だぜ!
 お子ちゃまでもあるまいし、こんな時間に寝てんじゃねえよ」
「ははぁ~ん、さては体力を蓄えて」
「会うのは決まって深夜なわけで」
「いざという時に備えて」
まるで推理を解くかのように交互に言葉を交わしていく2人の瞳はギラギラと輝いていて、辿り着く先が見えているようだ。
「さては」
「当然」
「あれっきゃないでしょ!」
「「だな!」」
ホント、いいコンビだこと。
言葉を交わさずとも分かり合える関係?
特にいやらしい事と悪戯に関しては尚更脳が良く働く。


「何が〝だな〟だよ?」
聞かなくても大体の想像はつくけど。
「相変わらず機嫌悪りぃこと」
「類、なんか気がつかねえか?」
「・・・・・・?」
思考することさえダルさをよぶ。
余計なことは考えたくない、ただ夢の中での牧野をもう一度見つめたい。今はそれだけだ。
あんな牧野の姿、この先、現実に起こる可能性は?
やっぱ、続き見たかったなぁ。

「ちょっと窮屈じゃねえ?」
「これくらいがイイんだよ、あいつらには」
ベッドから降りた2人は、この部屋にあるはずのないソファに肩をぶつけながら居心地悪そうに座り、何時の間にか用意されたコーヒーを飲みながらそのソファに関して話していた。
「密着度があってってかぁ?・・・けどよ、これじゃあ飲みづらくねえ?」
「あきらが言ったんだろ、これぐらいの狭さがイイってよ」
「総二郎だって言ってたじゃねえかよ
 密着してりゃムラムラがわくってよ」
「これじゃあ、キスしたとしても押し倒すことはできないぞ」
「そうだな。・・・やっぱ、もっとデカイやつにするんだったな」
「でもよ、あいつらのことだ、長さがあると両端に座るんじゃねえ?」
「やっぱ、最初はこのラブソファからが丁度イイんだよ」
「お子ちゃまレベルには」
「「だな」」
2人の討論は終了したらしい。

ベッドに座る俺を挟むように両隣に腰を下ろし、ニヤリとした顔を向ける。
「なに?」
「俺らからのささやかなプレゼントだ、牧野と楽しくやってくれ」
「夢もイイけどよ、現実はもっとイイもんだぜ」
「ちと狭いけど、狭いなりのメリットがあるから
 一度、牧野を座らせてみることだな」
「俺、そんなのいらない」
「「なっ!」」
「・・・そうか、なんで客用の椅子が無いのか、俺気付いちゃったかも
 類くんもやるねェ、床に座らせるわけにはいかないとか言って
 ベッドに座らせりゃ押し倒すのに絶好のシチュエーションだもんな
 類くんもそれなりに考えてんだ、お兄さんは見直したよ」
「・・・・・・!」
押し付ける、勝手に想像して決め付けるこいつらの頭ん中、割って見てみたいもんだよ。


「まっ、とにかくお兄さんたちが納得する結果を期待してっからな」
「俺たちの用意したソファを無駄にするなよ」
「捨てる」
「オイオイ・・・類、お兄さんたちの善意を無にしないでくれよ」
「そうだぞ、俺たちは類の事が心配で心配で・・・」
「そんな親切の押し売りはいらない、ほっといて欲しいんだけど」
「そんな事言わずに、なっ!
 経験豊富な俺らの言う事聞いてりゃうまく行くから」
「イヤだ、捨てる」

俺は再びベッドに寝そべり、あいつらが置いていったソファをぼんやりと眺める。
牧野は相変わらずバイトに追われる日々で、俺は対照的に暇を持て余す日々で、会いたいと思っていても時間がそれを許してくれない。
いくら寝ることやテレビを観ることが好きな俺でさえ限界がある。
好きな女の子のことを考えると会えない寂しさは身に堪える。
やっぱ団子屋行こうかなぁ~。・・・でもなぁ・・・
何かに集中していなと直ぐにこんな事を考えてしまう俺って、牧野でいっぱいなんだどつくづく思い知らされる。そして、俺っていつからこんなに人に対して興味を持つようになったんだろう。
初めて会った非常階段で、衝撃的な出会いが印象的で、俺の中で何かが動き出したんだろうな。
俺の知らないもうひとりの俺に気付いたのは、牧野と出会ってからだから。


〝愛する人に会いたい〟これ以上の理由はない。
だから口実なんて考える必要はないんだ。
俺は会いたい思いを抑えることを止め、団子屋に迎えに行った。

牧野と少しでも長く居たい為に、いつものようにアパートまでゆっくりと足を進める。
「花沢類、送ってくれてありがとう」
アパートの階段の前で牧野は礼を言う。
「牧野のありがとうは聞き飽きた
 彼氏が彼女を送る行くのは当然だろ」
お決まりのようにセリフを返す俺を牧野はじっと見つめてくる。
いつものパターンと違う。


「牧野、どうかした?」
「・・・花沢類、・・・キスして」
確かこのセリフ、また俺、夢見ているのか?
「こうゆうこと、女の方から言うのって、・・・花沢類はイヤ?」
嫌なわけないだろ、けどあの夢もリアルすぎて。
淡黒の瞳を真っ直ぐに向けて俺に真剣に答えを求めてくる牧野は、夢とまったく同じだ。


「ううん、牧野から言ってくれて嬉しいよ」
「良かった。変な顔するから花沢類に嫌われたのかと思っちゃった」
なんで同じセリフなんだ?俺まで同じセリフで返しちゃって。
そんなことを考えていると牧野は俺の胸に体を預けてきた。
今起きていることが夢でも良い、牧野が俺を必要としているんなら、俺も応えたい。
俺は想いを伝えるように何度も軽く唇を重ねた。そして戸惑いをみせる舌を誘導するように、強弱をつけて舌先での愛撫を繰り返した。


うっとりした顔で見つめたかと思うと、俺の指に細い指を絡めて階段を上って行く。
このシチュエーションは・・・。
暗い玄関から奥の部屋へと誘導する牧野の後ろ姿に、俺の高鳴り出した鼓動を静めることを忘れさせる。


「牧野、・・・電気・・・」
「花沢類、・・・お願いがあるの」
言いづらそうにする牧野を見て、俺は細い肩を両腕で包み込む。
「何も言わなくていいから」
耳元でそう囁き、牧野の唇を塞ぐように唇を重ねる。
俺のすべてをあげる、だから何も言わなくていい。
まさか夢が正夢になるなんて、しかも牧野からなんて信じられない。計り知れない嬉しさと愛おしさが次から次へと溢れ出す。
天にも上る思いで愛しい人を抱き締めた。


けど、ひと時の幸福は牧野の言葉によって脆くも崩れる。
「電気、点かないの、直して欲しいの」
でんき?点かないって・・・えっ?
俺の独り善がり?


「蛍光灯切れたみたいなの
 あたし取り替えた事ないし、届かないし、・・・花沢類できる?」
サプライズなシチュエーションじゃなかったの?
〝るい、あなたのすべてがほしいの、抑えることができないの〟
そう言って俺を求めてきたことは・・・、どこへ?


「花沢類、・・・何か期待してた?」
おもいっきり期待したよ。
悪戯っぽく微笑む牧野を見つめ、可愛さあまって憎さ、・・・3倍ぐらいにしておくか。肩透かしを食らってがっくりしたのを悟られるのも癪だし、ここは冷静を装う。
「別に期待してないけど。取り替えてあげるから蛍光灯かして」
取替え作業を終えて点灯を確認する。


少し牧野と話した後、バイトで疲れている牧野を気遣い後ろ髪を引かれる思いを断ち切って俺は玄関へ向かった。
靴を履こうとした瞬間、フッと灯りが消え、前かがみになった俺の背中に温もりを感じた。
「花沢類、・・・帰らないで」
「・・・まきの・・・」
「・・・るい・・・」
夢でも現実でも俺の心を揺さぶって、やっぱ、あんたはズルイよ。
総二郎とあきらには悪いけど、やっぱりあのソファは必要なかったみたい。


でもこれって、・・・夢じゃないよね?


~Fin~

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